2008.1

1月1日(火)




本年も「飛ぶtuzi」を どうぞ宜しくお願い申し上げます



1月18日(金)

「母の災難」

正月も間近に迫った暮れのある日。
その日が週に一度通うデイサービス最後の日だった。
午後の3時頃、家の電話が鳴った。
「お母さんがトイレで転ばれまして、今診察を受けているのですがご家族の方来れますか?」と言う。
トイレで転んだ、って誰も付いていなかったのかい?!
いつもトイレに付いて行ってなかったのかい?!
どういうこと?!
介護施設なんだから誰かが席を立ったら付いていくのが当たり前だろうが!
当然の行為だろ!
しかもそれを職業としているプロ達が「見ていないうちに転んでた」なんて、あるまじきだ!
私は怒りを覚えたものの、診察を受けているという母が心配ですぐさま病院に向かった。
母は腰を強打。その転倒で後頭部も強打。
とにかく立ち上がれないほどの痛みを訴え、あまりの激痛に脂汗を浮かべている。
私の目には激痛の脂汗だったが、施設の看護婦は「転んだショックで」なんて
見当違いなことをほざいている。
とにかく、これといって治療もないので、早々に連れ帰った。
入院も勧められたが、正月を家で迎えたい母本人の希望もあり家で様子をみることに。
母はその晩から家の中も車椅子で移動することになった。
折りしも父は風邪で39℃台の高熱を発してダウン中。
私は正月の準備に追われながら母と父、ふたりの面倒を看ることになった。
5日ほど食事も取れないほど辛い状態が続いたが、幸い徐々に快方に向かい食欲も回復した。
父も熱冷ましを強行し、なんとか危機的高熱から解放され、
家族揃って正月のお膳を前にすることができた。
やれやれ・・・ここまではよかった。これで済んでくれればなんてことなかったのだが・・・

明けて5日。
母はこれまで動けなかったので、久々に下着を替えようとした時のこと!
左半身に水脹れのただれ、それは背中にも及んでいた。
「これはナニ?どうしたの?」
これまで見たことのない症状。痛くないのだろうか?
3日くらい前から痛みだしたというではないか。すぐさま病院に直行!
「ああ、帯状疱疹だね」
・・・これが帯状疱疹なのか。
免疫力が低下した時にウイルスが引き起こす水疱瘡のような病気・・・
返す返す「転んだ」のがいけなかったのだ。すべての原因だと私は思う。
施設側の責任じゃ!(怨)
以来、母は食欲も減退し、しきりにだるさを訴え寝てばかり。
だけど痛いは痒いはで眠ることもままならないようす。
腰の激痛でよほど体力を消耗したに違いない。
それで免疫力も急激に低下し、帯状疱疹に罹ってしまった。これが私の見方だ。
免疫力が落ちてるところにまたも激痛&痒みで食欲がさらになく、体力は回復しない・・・の悪循環。
一難さってまた一難
どうしてくれるんだ!(怒)
施設を訴えたい気分だっ!(怨)
しかも、母の帯状疱疹は重症のようで、というか
医者が「これは帯状疱疹ばかりじゃないんじゃないか?」とか言い出して・・・
「だったらナンなんだよ?!」と聞けば「わからん・・・感染症もあるようだし・・・」と口ごもる。
痒みでボリボリ掻いてばい菌が入り込んだのか?!
とにかく厄介な状態になっていて、2週間経っても治りが悪いのだ。
毎日ガーゼ取り替えているが清潔が保てず、まだ腰が痛いのでシャワーもままならない。
こじらせると神経痛が後遺症となって残るというが、母にもそんな兆候も出始めているし・・・
母は腰は痛いは、帯状疱疹は痛いは、食欲はないは、の三重苦
そりゃ、食事も取らないんじゃ、体力も回復しないし、どんな病気だって治らないさ。
「頼むからさ食べておくれよ、かあちゃん」だよ。
医者が言うように帯状疱疹以外の病気もあるというなら、そっちの方が気がかりだし、
私も母に少しでも食べてもらうよう気を揉んでいるうち、胃の調子がイマイチに。
私の場合、食べると気持ち悪くなって・・・手首も悪化、左肩背中がいつも痺れてて。最悪じゃ。
「とにかくさあ食べてよ、かあちゃん」
モリモリ食べて体力つけて治してくれ。てか、体力がないことにはどんな病気だって治らないでしょ。

てな感じで正月明け早々心労の日々をおくるtuziなのでした。
一番大変なのは母本人と分かっているはいるが、私のストレスも蓄積されているように感じる。
唯一の楽しみである太極拳だって恥ずかしながら集中力が保てなくなってきてるし、
県大会までひと月ちょっとだというのに自選套路もできてない・・・
練習の時間も取れず、孫式剣も最後まで覚え終えてない・・・
母の病状が心配で他のことが手につかない、というのが本音。
家族が円満であるためには、健康であることが一番!
・・・しみじみ思うこの頃です。



1月24日(木)

「民間療法」

母の帯状疱疹。
かなりの重症で、範囲も広く、腕と胸には大きな潰瘍までできてしまっている。
ゆっくりではあるがその潰瘍も小さくなってきているし、
背中の帯状疱疹はかさぶたが取れるようになってきていた。
一日に3、4度おとずれていた痛みの回数も徐々に減ってきているようだった。
それでも食欲は相変わらずなく、少しでも食べてもらえるようにあれこれ苦心して料理しても
結局食べてもらえないストレスから、私もつい命令口調になってしまったり、癇癪起きてみたり・・・
そしてついには料理する気も失せていた。。。

そんなんが2週間ほど続いたが、痛みが和らいだのか、その日は珍しく母も朝から調子が良かった。
そんな時、民間の治療薬として帯状疱疹に効くという、ある草の実をすりつぶした液体
近所の人が持ってきてくれた。
その液体の存在は私も以前耳にしたことがある。
帯状疱疹になっても医者にかからずその液体を塗って治すのだそうだ。治るのだそうだ。
母も試してみたい、と言うのでさっそく使ってみた。
クリープの空きビンに入った液体は茶色で、キツイ酸の匂いを放っている。
「酢漬けか?!」
まだ、潰瘍が熟熟してるところには使わず、乾燥しかけてるところにだけ
ティッシュに筆で塗って試しに貼ってみた。
「どう?」
貼って、10分も経たないうちに「痛いー!」を連発。
すぐさま貼ったティッシュをはがし、シャワーを決行!
しかし時既に遅し。
おそらく酸は浸透し、母の痛みは収まらない。
「うわ〜ん・・・」
ようやく食欲も出てきたのに、また無くなっちゃった・・・
母は昼も食べられず、夜もホンの僅か口にしただけ。
これじゃ、痛みでまた体力を消耗し元の木阿弥に。
大変なものを塗ってしまった!大失敗!
重症の母には刺激が強すぎたというか、逆効果だったというか。禁忌だったのかも・・・
夜もこのまま痛みが止まらないのではそれこそ大変なので、痛み止めを処方。
少しでも早く酸が抜けるよう暑いタオルで拭いてみたり・・・それしか打つ手はなかった。

翌朝。
どうにか痛みは消えたようだ。
「どれどれ・・・」
発疹になっていないかチェック。
「ほっ」
悪くはなっていないようなので安心した。むしろ良くなってさえいる。
朝食も取ってもらったし、これからは得体の知れない危険なものは使わないとかたく誓った。
「いやあ、参ったね」
だって昨日は、朝から一日「痛いー」を訴えられ、さすったりなんだり・・・ふたりとも疲労困憊である。
大事にならなくてほんとよかった。
民間療法を否定する気はさらさらないが、その症状を見極めて使わないと大変な目にあう。
でも今回はその見極めができなかった私の落ち度だった、と反省しきりです。
‘効くはず’と母も私も誰もが思い込んでいたところの落とし穴だった。
「いやー失敗。まいったまいった・・・」




2008.2

2月4日(月)

「陰謀」

私は寒いのは大の苦手だが、「節分」「立春」と連続するこの二日間だけは例外だ。
一年の中で一番好きだ!といってもいいくらいだ。
日本の、いや世界の古代暦ほど正確無比なものはないと思っている私にとって
節を分けた翌日、すなわち干支が変わるその日を春とする日本暦のダイナミックさがたまらないっ。
今日からが子年の始まり。そして暦の上では今日から
2月はまだまだ春というには寒さが厳しくほぼ遠いが、実際土の中では確実に春が始まっている・・・
寒中見舞いも節分までで受付ゴメンだ!
春・・・何か始めたい気分になる立春。
数年前は立春の日に楊式刀の勉強を始めた、といったように
私にとってそんな気分にさせてくれるのが立春なのだ。

ところで、節分。
節分と言えば‘豆まき’でしょ?
新たな年(干支が変わるのは立春からだから)を迎えるに当たっての儀式のようなもの。
「鬼は外ーっ!福は内ーっ!」バチバチッ!←豆が戸に当たった音)
地域性があるのかどうか分かりませんが、私の住む地方では
柊の枝にイワシを刺して魔除けとします。
柊がない近所の人などは、毎年わざわざウチに柊の枝をもらいに来たりもします。
なのに当の我が家ではイワシを飾ることをここ数年していませんでした。
今年の柊葉が大ぶりで美しかったので、我が家でも久々にイワシを飾ることにしました。
でも私は初めてなので、母に「生で刺すの?焼いてから刺すの?」と聞いてみたところ
「焼いてから」の答え。
果たして、素直にいうことを聞いて焼いたところ、口が硬くなって刺せなくなってしまった。
よくよく聞いたところ、串焼きの木串に刺して柊に結わえてたみたい・・・
ま、柊とイワシがあれば魔除けになるだろう、と皿に盛って玄関先に置いた。
・・・とまあ、私の住む地方では、柊&イワシ+豆まき、が節分の行事である。
ところが、ここ数年、「太巻きを食べる」みたいなことが言われだした。
それはここの風習ではないぞ!
節分に‘太巻き’なんて聞いたことがない!
なのに、節分近くなってくると、スーパーのチラシにはデカデカと太巻きの写真。
「かぶりつき」なるものを、ある方角を向いて一気に食べる、みたいなことらしい。
そんなの、ここの習慣じゃないからっ!
なのに、買い物に行けば、どこもかしこも「太巻き」の押し売り状態。
「節分には太巻きを食べるもんだ」といわんばかり。
これではまるで「クリスマスにはチキンとケーキを食べるもんだ」
「バレンタインにはチョコを贈るもんだ」といっしょやんけ!
これぞ、欧米かっ!ですよ。
だけど、すっかりそこに乗っかってる私。
いいじゃん、まあるいケーキが年に一度食べられるんだから。
いいじゃん、美味しいチョコがその時期だけ出回るんだから。
お菓子業界の陰謀に乗っかり、チョコレート業界の企みに乗っかり、
私って忠実で毎年裏切らない、いいお客さんなのよね。
そんでもって今年なんか、長年の‘刷り込み’で繰り返して言われてるとその気になって
「節分だから太巻きでも食べようかな・・・」なーんて口にするようになっちまって。
でも、あくまで購買するのではなくて手作りするんですけどね。
巻き簾はどこだっけー?
具はなんにしようか?
と、どっかの風習に乗っかり、スーパーのチラシに踊らされ、
意味も分からず節分に太巻きを作る私なのでした。・・・あ〜あ。
これって絶対、スーパーの陰謀だよね!



2月18日(月)

「アルト」

つい先日、近くのスーパーに買い物に行ったときのこと。
前日の降った雪が凍ってテカテカになった駐車場にバックで入れた。
私の愛車アルトのタイヤは5年位前に履き替えた一応スタットレスタイヤ。
それを年中夏も履きっぱなし・・・
ふつうタイヤより、溝がないかも・・・
そんな危険なタイヤを履いて雪道走行。そして車庫入れ。
どこでズルッ!といくか想像もつかないほどのテカテカスケートリンク状態。
慎重に・・・慎重に・・・
「え?」
ブレーキを踏んでいるのに止まらない!
「またかよ?(焦!)」
サイドブレーキも思いっきり引いた!
「(だからぁ、こんなタイヤじゃ無理だったんよ・・・(泣)」
このままだと後ろにスリップし続け、ぶつかってしまう・・・そう思ったとたん!
隣に駐車している車が出て行ったのだった・・・
「ふ〜、また錯覚かよ・・・」
それにしても焦った。こんな錯覚はこれで二度目だ。
しかも同じスーパーの同じような場所で・・・(爆)

私のアルトは乗り続けて10年になる。
もともと中古で車検コミコミ25万で購入したマニュアル車。
田舎に越して必要に迫られ、私の足として懸命に働いていた。
10年の間に、事故にも遭った。
雪道の坂で追突され、後ろバンパーを取替えた。
大きなスーパーの駐車場で、後方確認を怠った大型乗用車にフロントをメチャメチャにされ
丸ごと交換した。
私の前方不注意で、自販機の商品補充のコカコーラのトラックに擦って、
助手席側のドアがメッチャリ・・・左サイド全交換。
これまた私の不注意で、映画館の帰りに接触事故もあった。
事故のたびに外観は新しくなっていたが、心臓部にも故障は起きていた。
ガソリンがエンジンに行かなくなって幹線道路の大通りで突然ストップしてしまったこともあった。
携帯を持っていない私はギアをローに入れて押して、知り合いの商店に駆け込んだことも・・・
最近は、自分家の庭で車庫からバック出来損なって運転席側のドアは凹んでいたし・・・
傷だらけだで、あちこち凹んでボコボコだし、底は錆びてるし・・・
洗車もしたことがないので、後ろには苔が生えてたし・・・(爆)
そして最近気になりだしたのがエンジン音。
信号などで停止した時が怖い。
激しい振動とオカシナエンジン音で今にも止まりそう。
「このまま、ここで止まるんじゃなかろうか・・・?」
そういう怖さを信号待ちのたびに感じていた。
走行距離9万キロ。
もう、寿命だろうか・・・
車検が今日切れる。
付き合いのある車店さんから車検の連絡をもらったが、廃車することに。

・・・10年間お疲れ様でした。
私のクリーム色のアルトは今日引き取られていった。
行ってしまうと寂しいものです。
写真一枚ないんですよ・・・薄情なもんです・・・
さようなら、私のアルト。今までありがとう。




2008.3

3月15日(土)

「創作」

私は書道を習っている。その書道で、数ヶ月前から「創作」に取り組んでいる。
毎月提出しているのは「漢字」「かな」「細字」「自運」それに「節臨」「創作」の6種。
どれも強制ではないし、もっと挑戦するなら「墨少」「条副」「ペン字」「研究部」・・・といくらでもある。
その中で毎月成績が悪いのが(良かったためしがない)「創作」である。
「近代詩文」とも言えるこの種目は、半紙に短歌や俳句など自由に題材を選んで
自分で創作するのであるが、これがいつも‘地’(←最低)の評価なのだ。
先生曰く、「文字に変化を持たせ、大小とりまぜたり、太くしたり細くしたり、渇筆、潤筆をとりいれ・・・」
だそうで。
それは分かってるの!(逆切れ)
分かってても書けないの!(開き直り)

創作なんだから、本来、自由な感性で書くもので、お手本など存在しないんだろうけど
私のように自分で創作できないような者には、見かねて先生がお手本なるものを
書いてくださる時もあるんですね。
人の書いたお手本を模写するっていうのはそう難しいことではなくって、
「(どうして、こんな簡単なことが書けないだろう?)」と思うほどなんですよ。
でも、いざ、まっさらから創作するとなると私のはまるでダメ!
目を覆いたくなります・・・
書けば書くほど自分がほとほと嫌になって、どっかに逃げたくなっちゃう。

先日、テレビ番組で中国のある村が取り上げられていた。
その村は、名画の模写が大量に生産されていて、ヨーロッパやアメリカから買い付けにやってきて
村ごと一躍金持ちになった、というのだ。
一番の売れ筋はゴッホとピカソ。
ゴッホの「ひまわり」などは一枚30分もかからないで仕上げてしまう。
ピカソなどは一家総出で奥さんや5歳くらいの子供も動員して、絵の具をベタベタ塗って
日に何枚も大量生産。
その光景には私も唖然とした!
他にも5人くらいが流れ作業で、マチスなどの絵が一気に5枚生産!
いっちょ上がり!てなもん。
ひとりは下絵専門、次の人が背景を塗って、隣に渡し・・・というようにコンベア式に生産されていく。
しかも本物そっくりに。
ゴッホやピカソは誰にでも簡単に書ける絵を描いていたのか?と思うなかれ。
いや、実は私もそんなことを考えながら見ていたのだけどね(笑)
そうじゃないのだった。
「創作」するということがゴッホやピカソたる所以だったのだった(←言われてから気がついたくせに)
模写は素人でもそれこそ子供にもできる作業だったりするが、だからといって創作はできないはず。
そこには大きな隔たりがある。
(それにしても中国の模写村、あれはあれで凄かったけど(笑))
「創作」と「模写」(書道では「臨書」といいます)は別物なのか?
「臨書」は技術があればなんとか真似て書くことはできる。
でも、その技術も大変で、見ても書けない、はよくあることで、臨書は臨書で修業が必要なものです。
臨書の目的は最終的に‘自分の創作に活かすこと’なのではないか、と最近思うのですよ。
臨書は臨書で立派な作品にもなるけど、いにしえの優れた書を学ぶことで、
ゆくゆくは自分の創作の糧にするというか、作品に幅を持たせるいうか・・・
うむ。
大変でっせ。
自分で創作する、ってのは。
それは天分の才能も併せ持ってないと達せられない域なのかもしれませんね。
センスというか、神がかり的なひらめきというか・・・
天才はその域をなんなく単純化してしまって、いとも簡単にやってのけるものですしね・・・
私はまだまだ修行の身。
才能もセンスもひらめきも、なにもない私ですが、
30分名画で商売するのではなく、いつか自分の「創作」を世に出したいものです。



3月30日(日)

更年期を考える第1回
「眩暈」

私の母は病気で倒れた時、しきりに‘めまい’を訴えた。
私はこれまで眩暈の経験がないので、どんなものか想像するだけだったが、
眩暈の想像は難しくなくできていたつもりだった・・・

今朝、いつものように起きようと思って立ち上がったら、
いきなり襖にガン!
「なにごと??」と思う間もなく、ヨロヨロして転んだ。
「なんで??」と思って、うずくまって辺りを見渡せば床がグルグル回ってる。
太極拳の抹転状態。しかも高速抹転。
「うえっ、気持ちわりぃ・・・」
とにかく目をあけていられず、閉じた。目を閉じるとなんともなかった。
再び目をあけてみる。まだ回ってる。
「おかしいな・・・」
恐る恐る再度挑戦。ようやく床が落ち着いて見えた。
今度は立ち上がってみても大丈夫だった。
「立ちくらみか?」とも思ったが、それとも明らかに症状が違った。
もともと血圧は低いほうだが、その日は特別に低かった。
「きっと、そのせいよ・・・」
はっ!
これはもしや更年期障害の始まりってか!?




2008.4

4月20日(日)

更年期を考える第2回
「歯痛」

私は歯に自信を持っている。小学生の頃は歯の優良児として表彰されたし、
2年くらい前の骨密度検査では20代の若さを保証された。
虫歯で歯が痛くなった経験はないが、疲れると歯が痛くなったりはする。
が、一晩ぐっすり眠れば解消できる程度のものだ。
ところが最近、どうも虫歯を思わせる痛みが・・・

それは上の奥歯から始まった。
ガマンできないくらい痛い。
「(さては虫歯か・・・?)」
2,3日様子をみていたが、今度は前歯も痛み出した。
口の中全体が痛い感じ・・・不安に痛みをガマンしてても仕方がない。
私は意を決して歯医者に行くことにした。とはいうものの歯医者になど行ったことがない。
どこに行こうか迷って、結局昔から開業している町医者を選んだ。
おそらく御爺ちゃん医者がみてくれると思ってのことだった・・・

ところが行ってみると、なんと女医ではないか!
まずは一本一本歯のチェックが始まった。
「奥歯が痛いんですけど・・・」
すると前触れもなくキキキキーッと針金のようなものを歯に押し込んだではないか!
「ヒタインデスヘド・・・(泣)」
と言う私の訴えなど完全無視して、
「ここが痛いんでしょう?」
などとしつこくグリグリしている。なんて女だ!
「虫歯ですか?」
と聞けば、
「虫歯はありません」
というではないか!
だったらなんでキキキキーッ、って針金でほじったんだよっ!(怒)
勝手に痛い目に合わせて、その女医は姿を消し、助手が
「レントゲンを撮ります」
と事も無げに誘導する。
虫歯がないんならもう用はないんだよ!(怒)
と思いながらも素直に従うtuzi。
自分のレントゲン写真を眺めながら、再度女医の登場を待つ。
年の頃、50代半ばのその女。私が最も嫌いな近寄りたくない年頃の中年女。
世の中で一番タチの悪い年頃の女と私は思っている。
その女医、レントゲン写真をみながら歯磨きの仕方を延々話し始めた。
「(だから何なんだ!?虫歯がないなら、さしあたって関係ないじゃん!)」
「歯磨きは最低30分。テレビ見ながらでいいんです。
歯ブラシは小さめで1,2週間で交換。一年も使ってるのは間違いです」
さもありなんとして話し続ける。こっちが退屈して聞いてるのはおかまいなしだ。
「(あー、そーですか・・・今使ってる歯ブラシって何年前から使ってたっけ?)」
「それからシカンブラシをして・・・」
「シカンブラシってなんですか?」
「これです。糸楊枝でもよろしいんですけどね。
これをしないと歯垢が残って、歯垢というのはばい菌ですから・・・」
あー、そー。そんなことを延々話している。
「噛み合わせもよくありませんね。歯から外に食べ物が出ちゃうでしょ」
「(だったら何なんだよ?差し支えないよ!
歯からこぼれたって口の外にこぼれなきゃいいだろうが!
噛んだら歯から外に出るのは当たり前と思うんですけど!
頬ばっちゃいけないとでも言いたいのか?)」
「前歯の噛み合わせもよくありませんね。前歯で噛めないでしょ?」
いや!?完璧に噛めてるし!
矯正できないこともない、などと余計なことを言い出したので堪らず
「結局虫歯じゃないのにこの歯が痛いのは何故なんですか?」
単刀直入にきいてみた。
「・・・・・歯茎が少し腫れてるようですが」
「でも痛いのは歯茎じゃなくて、歯の面ですが。
疲れでしょうか?疲れると歯が痛くなることがありますが・・・」
「更年期どまんなかでしょ?」
「は?更年期で歯が痛くなるんですかぁ?」
「(こんなとこで、しかも歯医者の女にいきなり
「あなたは更年期だ」と断言されても!しかも「どまんなか」て!
いくらなんでもそれは気が早すぎるだろ!てか、個人差があるだろ?
あんたが急に断言することじゃないよね(怒!)」
「そりゃ、ホルモンのバランスが悪くなれば、歯だけじゃなくてあちこち痛くなりますよ。
私なんか更年期で歯軋りするようになって、ストレスが多くてね♪オホホ・・・」
歯軋りは更年期と関係ないんじゃないか?!
ストレスが多くて、ってそりゃあんたのその性格がストレスを呼ぶんだろうよ。
「だったら更年期障害が終わるまでこの歯痛が続くということですかね?」
「そういうことですね。一度婦人科も受診したほうがいいですね」
「(こいつ頭おかしいんじゃないか?ぶしつけだろうが!
まずはあんたが受診するべきだと思うね(怒怒!)」
「今日は歯垢を取って、また来週来て下さい。予約入れておきますから」
そして女は去り、すぐさま助手が歯垢を取りにやってきた。
ほんとは歯垢なんか取ってほしくないんですけど!
だってそれで歯痛が治るわけじゃないでしょ!
虫歯でもなけりゃ、婦人科にみてもらえと言っておきながら、歯垢取るってなんだよっ!バカタレ!
いい加減にもほどがある!
助手は歯垢を取りながら「よく磨けてますよ」と。
「(だったら、もういいよ!)」と言いたかったが黙って口を開けていた・・・
どうしても言われたことが腑に落ちない。

結局、原因不明の歯痛。
翌週、私が頭のおかしいバカタレ歯医者に行かなかったことは言うまでもない。



4月22日(火)

更年期を考える第3回
「激怒」

私は書道の先生とソリが合わない。
これは今に始まったことではなくて、習い始めた当初から合わない感じはビンビンしてた。
それは前回のバカタレ歯医者と同じような印象でもある。
年の頃、60代半ば。
子育ても完了、孫に囲まれ夫婦の中も心配ない悠々自適の余生にさしかかり、
自分の人生に自信満々。
自分のこれまでにも自信満々なら、書道教室の指導者としても今後の人生に不安はなく、
これまた自分に自信満々。
だから他人に説教めいた口調で上から物申す。
そんな傲慢さが態度に、口調に溢れている。思ったことをのべつ幕なし言いたい放題。
私の一番苦手とするタイプの自信満々女。

そうは言っても、先生は先生。
私もたいがいガンコだが、作品の良し悪しについて意見が違っても、納得いかないときも
経験の多さと、なんと言っても先生なのだからと従ってきた。
往生際が悪く、二つ返事とはいかず食い下がる時もあることにはあるが、
最終的には先生の意見に従う形をとってきた。

そんな時、特別講習会のお誘いを受けた。他県から著名な大先生がやってくるという。
だいたいそんな講習会というのは、ウチの先生クラスが受講するものであって、
私のように毎月の提出に追いついていくのでいっぱいいっぱいの者が受けるのは
場違いではないかと私自身考えていた。
先生は「師範試験の課題の手本を書いてもらったら?」という。
それもなくはないな、と思った私は「そうですね・・・」と答えた。だが、その場での明言は避け、
「予定を見て、申し込む時は締め切りまでに間に合うように、改めて申し込みます」という事に。
だって、申し込みは受講料を添えて申し込むものと思っていたし・・・。
その後、昇段試験の作品つくりに追われ、結局申し込むことなく講習会当日となった。
私は申し込んだ自覚がないので、その講習会のことはすっかり忘れていたのだが・・・

のんびり過ごしていた日曜日、一本の電話が鳴った。
「もしもし」
「tuziさん?」
「ハイ」
「kpsjtlですけど!」
(聞き取れない)「はい?」
「kぃpsjtlです!(怒)」
(なんだかとてもお怒りの様子)「あのどちら様で?」
「書道の○○です!(怒!)」
(やっと分かった)「あ、先生。お世話様です」
「あなた、講習は?今日の講習いらっしゃるんでしょ!(怒)
さっぱり来ないから一度家に帰ってあんたに電話しても出なかったから、
あんたの電話番号控えてまた講習会場に戻ってかけてんのよ!(怒怒)」
(なんで?申し込んでないし)「あの、私申し込んでおりませんが」
あんた手本書いてもらってもいいんじゃない?って言ったら
「そうですね」って言ったじゃない」
(確かに言った。それが正式の返事だったってか?
申込書書くとか、受講料添えて申し込むんじゃないの?)
あの、でも申し込んでないんですけど・・・
私は‘申し込んでない’としか言いようがなく、かぼそくなる声で
‘申し込んでない、申し込んでない’を繰り返していた。
「じゃ、今日は受けないのね!(怒怒怒)」
「ハイ」
「はいはい、分かったわよ!(怒怒怒)」

私の返事が気を持たせるようだったり、はっきり断わらなかったのが誤解を生んだのだから、
私もいけなかった。今後このようなことがないように気をつけよう。
先生にはせっかくの講習で半日を棒に振らせるようなことをしてしまって、
電話を受けながら本当に申し訳なかったと感じていた。

しかし。
それにしても、怒りに任せて人を「あんた」呼ばわりするのはいかがなものだろう?
名前を知らないわけでもなし、礼儀に欠ける言動だ。
どうして平気で人を「あんた」呼ばわりできるようになるのか、その神経が理解できない。
そんなだから先生は自分の聞いた話の前半部分だけで、早合点したな、とは露とも思っていない。
私も、事が起きてしまってから‘言い訳’になるようなことは口にしたくないので、
これからも申し開きするつもりもないが、きっと先生は一生私が‘申し込んだ’ということで
ご自分を省みるようなことはないだろう。
それにしても。
問題はこれからの稽古だ。
「(もう、教えてくれないだろうな・・・)」
小学生の中に交じって大人は私ひとりの教室。
これまで以上にほったらかされるに決まってる。事実上の破門。

「(あー、気が重い・・・)」
翌週、意を決して教室に。
ガチャ。
先生は後ろ向きで小学生の丸付けをしていた。
「先日は、ご足労おかけいたしまして、大変申し訳ありませんでした!」
背中に声をかける。
「いいんですよ(怒!)」
怒ってる〜。
先生と私は目を合わせることもなく、先生は黙々と丸付けを続け、私は墨を磨り始めた。
シ ー ー ー ン
ものすっごい気まずい空気が流れていたが、気にしても仕方ない。
この重たい空気を吹っ切るように私は筆をとり書き始めた。
30分もそんな状態が続いたろうか、丸付けを終えた先生が
「tuziさん、今日は何を書いてるの?」といつものように声をかけてきた。
「どれどれ」と以外にもみても下さった。みてもらいながら少し談笑にもなった・・・
気にかけてない風を装うのはお互いに大人だから。
気まずさを感じてるのは私だけ?
そうじゃないはず。
先生はお月謝を運んでくる私を仕方なく表面だけでも指導してるだけ。
きっとそう。
そこに師匠としての愛情はない。
でもま、お金払っても感情に任せて指導もしない人よりはマシ。
それにしても、怒りに任せて言葉を選ばないで攻撃する人を、私も師匠として崇められない。
お互いさまではあるが、この先生のもとで書道が極められるのだろうか・・・疑問である。
狭い田舎の習字教室の世界。
他につける書の先生も思い当たらない・・・
当面はこの先生につくしかないと思う。
自分の思惑が外れたと知るや、すぐさま冷静さを失い怒りとなり、
軽んじてる相手に向かい平気で暴言を吐く。
これも更年期によるものか・・・それとも自信の表れか。
その先生についてる私こそが、前回のバカタレ歯医者の言うストレス、ってもんだ。




2008.6

6月20日(金)

「お金もなく姉妹からも見放された孤独な男の入院」

 やたらと長いタイトルで、どこで区切って解釈してよいのか分からないかと思いますが・・・

その男。
働いていないのでお金が一銭もない。
お金がないので、初めは他県に嫁いだ姉にお金を送ってくれるようせがんでいたらしいが、
その姉も夫を早くに亡くし働きづめで生活が苦しく、弟にお金を1万、2万せがまれて困り果て
やがて疎遠になっていった。
ほかに男兄弟はなく、親が残してくれた一軒家に一人で住んでいたが、
とにかくお金がないので生活にならない。
家の固定資産税も滞納。もちろん電気、水道、ガスも滞納。止められていたかもしれない。
わずかだが親が残してくれた田んぼがあることにはあるが、
農家に一任して作ってもらっているので、わずかな米があるだけ。
といっても電気がなければ、炊いて食べることもできないではないか?
水道が止められていたら米を洗うこともできないではないか?
何をどうして生活していたのか皆目見当もつかない・・・
夏なら川で体も洗えるが、冬の寒さをどうしのいでいたのか想像もできない。
姉にお金を送ってもらえなくなり、田んぼを作ってもらっている農家に借金を重ねていたとか。
それで灯油だけは調達していたのだろうか?
食事は、少しでもお金のある最初のうちは近所に醤油を借りに来ていたというから、
コンビニ弁当くらいは買えていたのだろうが、
それもできなくなって最近ではスーパーの試食を渡り歩いていた。
しかし、スーパーもその男が姿を見せると試食を隠すようになっていったとか。
それはそれで世知がないと思うのだが・・・
やがて食事にありつけなくなった男は、お墓のお供え物を食べ歩くようになったという。
法要などでお墓にたくさんの供物が捧げられた、その果物や餅、うどん、団子・・・
葬儀の看板がでていれば、ご馳走にありつける寸法だ。
どうせ供えていてもカラスが食べちゃうのだから、新鮮なうちなら、その男の一食分にはなる。
なるが、墓のものを、しかも見ず知らずの他人の墓の供え物を食べている光景というのは
想像するだけで哀しくもあり、憐れでもあり・・・
親が亡くなって、お金があるうちは家で猫をたくさん飼っていた。
お金もないくせに、猫には贅沢にも缶詰を与えていたようだ。
その猫たちも今や解散して野生になっていることだろう・・・
雨露はしのげていられたが、家の中は荒れ放題。
床は腐り、畳はベトベト、屋外とほとんど変わらないホコリだらけの家の中で孤独な男は
食べるものもなく、音もなく、暖もなく、どうしていたものか・・・何を思っていたものか・・・
男は以前、車の整備工場で働いていたことがある。
男は車が好きらしく、親が生きてる頃に購入した車を今でも車庫に隠し持っているという。
一銭もない男の車は車検もとうに切れ、ガソリンも入れられるわけもなく、
うっそうと草が覆う車庫の中に誰にも知られず放置されているという・・・
どんなに苦しくても車だけは手元に置いておきたかったのだろうか。
車だけがその男の慰めだったのかと思うとやはり不憫さがつのる。
男はもしかしたら家の中ではなく、好きな車の中でラジオやカセットでも聞きながら
過ごしていたのかもしれない。冬の寒い日も車の中で暖をとっていたのかもしれない・・・

とにかく近所の人たちも、そんな男に呆れながらも心配もして折々に気にかけていたようだし、
やがて地区の民生委員(生活保護が必要な人間の救済の手助けをするボランティア的存在)が
時々たずねて様子を見たり、仕事を紹介したりしていたようだ。
だけど、仕事も長続きせず、年齢も50代ということもあり、その男を雇ってくれるところも
なかなかないようだった。
ま、どんな仕事だって収入ゼロよりはよしとせねばならないし、なにかしらあるはずと思うのだが。
ナマケ心もあるのだろう、とにかく仕事をしていなかった。よって、お金がぜんぜんなかった。

その男が入院したのは5月中旬のことだった。
その男なりに、お金もないし医者にも行けずガマンにガマンを重ねていたのだろうが、
ついに痛みに耐え切れなくなって民生委員の家に現れたという。
民生委員は60代の女性の方で、その男を町の内科医院に連れて行ってくれたという。
ところが、その男、長年保険料なんて支払ってるわけもなく、保険証など持ってるはずがない。
こんな時、医療費はどうなる?
民生委員が立て替える?
否!
民生委員というのは、そんな個人的な立場にないはず。
ただ、民生委員という公の立場で役所とのコンタクトを取ることだけが役目となる。
民生委員は役場に行ってその旨を相談したらしい、そして暫定の保険証を発行する代わりに
納税課と毎月1,000円を納める約束をしたとのこと。
これまでの保険料の滞納は帳消しということで・・・ないところからは徴収できない、ってか?
そんなことが可能なんだね?
ところが、その男の病は総合病院に入院しなければならないほどの重病だった。
入院ともなれば、入院にかかる費用を保証するサインが必要となる。
ふつう、そんな入院に関わる書類は家族の者、親兄弟が書くもの。
しかし、その男に家族はなく、親は他界し、姉ふたりは他県におり知らぬ存ぜぬで連絡もつかない。
困り果てた民生委員は、その男の近くに住む叔父の所にやってきた。
ほかに身寄りもなく、叔父は已む無く男の入院の書類にサインをし保証人となった。
保証人となったからには、男が入院にかかる全費用、検査費や薬代など医療費
肩代わりせねばならなくなる。その男に一銭もないのだから、
叔父が全額を負担しなければならなくなるのは火を見るより明らかだ。
しかも、男の病はただの栄養失調ではなかったのだ。
思いのほか重症で、点滴だけで食事も取れないという。
精密検査のためにさらに大きな総合病院へ検査に行かねばならないという。
そんな時も、男には誰も付き添いがいない。ふつうなら家族が検査に付き添って行くものだが
誰もいない男はタクシーを使うしかない。
30kmほど離れた病院にタクシーで往復となると1万円は見なければなるまい。
たった一人で病人が検査しに行くだなんて心細いのではないかと同情したくなってくる。
が、さしあたっては「同情するなら金をくれ」である。
叔父は見舞金を預かっていたので、預かっていた全額を持って男に渡した。
その額3万円。それが、その男の全財産である・・・
そのお金で往復のタクシー代を支払い、散髪もしたという。
ならば、行った先の病院の検査代はどうしたのか?
それは、後日支払うということにして帰ってきたらしいが・・・

検査の結果、その男は胃ガンだった。
自覚症状があるくらいだから、かなり進行しているらしく転移も見つかっている。
ガン治療にかかる費用は莫大である。
私が思い浮かべるだけで、まずは外科手術。抗がん剤。放射線治療。
入院期間も間違いなく長期になるだろう。
費用はどうするの?
一銭もない人はこんな時どうするの?
医療機関ではお金がないからと医療を拒んだりするの?
お金がなかったら医療を受けられないの?
医者の立場では、お金のあるなしで差をつけたりはしないでしょう?
患者は患者として最善を尽くすんでしょ?
で、お金は?
保証人となった叔父さんが全額支払うことになるの?
ふつうに考えてそうだよね?
・・・そうなの?
・・・ん〜?

姉ふたりはお金の援助を拒否し、そればかりか入院中の世話にも来ない。弟の見舞いにも来ない。
叔父にまかせっきりにする腹らしいが、それならそれで「お願いします」の
挨拶にだけでも顔を見せてもよかろうに、離れていることをいいことに一度も顔を見せない。
叔父は支払いの義務が生じてきているが、男の田んぼを売って、帳尻を合わせるつもりでいた。
しかし、売るためには姉ふたりのハンコがいる。
売れたとなれば、そっちはそっちでお金に困ってる姉たちだ。自分たちの取り分を要求しかねない。
それにわずかな田んぼだ。売れるといってもガン治療に間に合うかどうか・・・
入院当初は民生委員から「まあ、一週間ほどで退院できるかと思いますし、
費用も一日1,000円程度かと思いますので」と聞いて、安易に保証人になってしまった叔父も
病名が胃ガンと判明して安閑とはしていられなくなってきた。
いよいよ田んぼを売る計画を具体化する必要に迫られてきたのだった・・・

余談ですが・・・

私の考えが古いのか知らんが、先日中国での医療の現状が番組になっていた。
一言でいえば‘貧乏人は死ね’的な現状だった。
とにかく一日の患者数が5,000人。診療を受けるのに整理券が発行されるが、
それを手に入れるため夜中の2時、3時に並ぶのは当たり前。
それでも手に入れば運がいいほうで、手に入らずに医者に看てもらえない人が
ごまんといるありさま。高額で整理券を売るダフ屋すらいる。
病院は、もともと国営だったが、改革開放後ほぼ民間化しており、
院長は自分の仕事は利益をあげることだと公言する。
その顔は医者ではなく、むしろブローカー、地上げ屋の顔だ。
診療もVIP級から高級官僚クラスとランク分けされており、VIPクラスで一般診療の20倍という。
もちろん、待ち時間などない。
医療保険制度も整っていないから、庶民にとって医療にかかる費用はそれはそれは高額で、
一度の診療でひと月分の収入。入院となれば年収単位で支払わねばならなくなる。しかも前払い。
蓄えなど焼け石に水。財産もなくなってしまうほど医療にお金がかかる。
お金がない人は病気にもなれない。
これでは具合が悪くとも病院に行かずガマンしている人がどれだけいるか知れたものではない。
それでも家族は親のため子供のため、謝金をかさねてでも元気になって欲しいと
医者に看てもらうため必死になる。
日本でだって、その気持ちに変わりはないでしょ?
どんなにお金がかかってもいい、借金してでも、とにかく治って欲しいと家族が思うのは当然。
でもやっぱり、お金がないことには満足な医療も受けられないのかな、と
そこは日本でも私は中国と似たり寄ったりなのかと思っていた・・・

だいぶ話がそれたが。

一方、男の入院してる病院では・・・
男の手術の話が具体化してきていた。
一銭のお金もないのに手術、ってか?
手術となれば、それこそ家族の同意書やら、転院の手続きやら抗がん剤投与の治療承諾書やら
またハンコが必要な書類を書かねばならない。
病院側でも姉がふたりもいるのだから、そちらに連絡をとったようだ。
病院から連絡があっては来ないわけにもいかなくなり、
隣県に住む姉が病院の担当医師と手術の話しをしにやってきた。
本人は手術を受ける気でいるが、姉が心配しているのは弟の病状ではなく費用だ。
病状はかなり進行しているから、手術をしても延命になるだけで完治はしない、と話されている。
それなら体力を消耗する手術に臨むより、進行を食い止める治療に専念するという
手立てがないわけでもない。が、本人が手術を希望しているのだ。
男にとって治療費のことは問題でないらしい。
少しでも延命になるなら手術を受けたい、少しでも長く生きたい!というものだった。
こんなとき、一般家庭では、病気の家族を思い、お金がないなら借金してでも命を助けたい、
そう考えるところだが、男にはそのように考えてくれる人はいない。
病院でもお金がないから手術を受けさせない、その選択肢は作らない、そういうスタンスではない。
どうなっちゃうの?
結局、姉は転移先の入院保証人の書類にはサインせず。手術の承諾書にもサインせず。
ただ、治療同意書にだけサインしてさっさと帰ってしまった。
どういうこと?

病人の病状はそっちのけで皆してお金の心配ばかり・・・
男はこれまで温かい料理を口にすることもなく、入院したら男にとっては美味しい病院食に
ありつけるかと思えば、点滴だけでなにひとつ口にできなくなってしまった。皮肉な話だ・・・
民生委員も結局は他人。姉ふたりはその他人以下。最後は叔父にすべてが委ねられることに。
手術のことですったもんだ(本人以外のところで)してる中、叔父のもとに民生委員がやってきた。
そろそろ月末。
入院費用の請求がある頃だ。
しかし、訪問の目的はその話しではなかった・・・
姉がサインしていかなかった、手術の承諾書の件だったのだ。
本人がどうしても手術を受けたいというからには、手術の承諾書を誰かが書かねばならない。
民生委員は他人だからサインはできない。
姉が書いていかなかった書類が、またも叔父に回ってきたというわけ。

初めに書いたように、男は仕事をしていなかった。
働けないのではなくて、働かなかったのだ。
それにわずかながら田んぼもあり、納税の義務もあった。ゆえに生活保護対象外だった。
しかし、こうして病気が判明し、入院治療が必要という事になり、男は働けなくなった
働けなくなって初めて生活保護の申請対象となるのだという。
へー、知らなかった。
そこで民生委員のおばさんは、役所にその旨の申請をした。
申請をしたところでそれが認められるかどうかは不明である。
例えば、預貯金があるとか、不動産があるとか、私も詳しいことは分からないが、
申請すれば通るというものではないと思う。
この男の場合、この申請が通れば入院にかかる雑費、例えばバスタオル買うとか、散髪するとか・・・
少なくともそれくらいのお金は支給されるだろう。
入院費など病院に支払う分は、低所得者扱いで上限があるだろうから、
叔父がいったん全額を負担するにしても、あとで返還請求すれば還付されるのではないかと
私は思っていた。
ま、ふつうなら不肖の弟の面倒は、姉ふたりが負担しあわねばならないところなのだろうが・・・
ところが、である。
姉はお金の援助を断わり早々に立ち去り、本人にも支払う能力がない。
やがて男の生活保護申請が認められた。
そうなるとである。

医療費は全額、国が負担する

だそうです・・・(驚)
・・・ちょっと待って・・・私、頭が真っ白になってしまいました。

手術代も、抗ガン剤のような
高額医療も、すべてタダ!?

タダ、というか国が負担するのだそうだ。
本当か?
たとえ男のように保険証がなく全額負担で数千万円に及ぶ医療でも受け放題!そしてタダ!
え?
チョット待ってください。
てことはですよ。

ふつうの人ならためらったり、
悩んだりする医療費の心配ない、ってこと?!

だってさ、ガン治療って言ったら、誰だってお金の心配するでしょ?
そんな心配要らないんだよ?
叔父さんは保証人にサインしたけど肩代わりしなくていいんですね?
叔父さんは田んぼを売る心配もしなくてよくなったんですね?

普通は、一生懸命働いてようやく貯めたわずかな預貯金、
ぜーんぶ出し切って、それこそ一文無し覚悟で
病気治そうってしてる人が世の中の大半だってのに、
生活保護だからってそんな支払いの心配しなくて済んで、
最新の医療受け放題じゃん。

その上、
毎月、生活保護の支給が
あるんだよ?

毎月お金が入ってくるんだよ?
ま、‘お金のない奴は死んでもいい’的な考えは間違ってるといえば、それまでだけど、
こんなに恵まれてもいいものか?
一生懸命働いて、わずかな収入からようやく保険料支払ってる人だっているだろうし、
最近では高齢者の保険料天引きが問題になってるというのに、
その一方ではそうして搾り取られた保険料が生活保護者の医療費全額に使われてるんだよ?
はー、知らなかった・・・あたしゃ、そんな都合のいい制度があるとは知らなかった。
ビックリだよ・・・

そして、そして
税金の全額がすべて免除!

だから、今年分の固定資産税全額免除。
ただ、保険料だけは毎月1,000円を役所の税務課に支払わねばならない。
なぜ1,000円かというと、税務課の人と、男がまだ元気な時にそういう約束をしたのだそうだ。
それはふたりの約束なので500円でもいくらでもよかったわけさ。
たまたま1,000円支払う約束をしたまでのこと。
ただ、その1,000円だって支払いが滞っていたのだそうだ。
そして男の税務課にある負債は15万になってるらしい・・・
それにしてもアバウトだよね。泣きつけば納税を許してもらえるの?
そうなの?
そういうものなの?

よくわからんが、これからは毎月コンスタントに支給される生活保護で十分支払えるさ!
ただその男、支給があっても買い物に出かけられるわけでもないし、
必要なものがあっても誰かに頼んで買ってきてもらうしかない。
そんな手間のかかることは誰がしてくれるって言うんだ?
姉ふたりは、金がかかると思って寄り付かないし、知らぬ存ぜぬでどうにもならない。
結局、叔父さんがパシリになるしかないのだった・・・
この驚愕の事実を知ったら姉ふたりが飛んできたりしてね。
支給されたお金の管理も「私がする!」とか言いだしたりしてね。
男が生きてるうちにハンコ押させて土地や田んぼ売って帰っちゃったりしてね。

ま、そんなことより叔父さんは、もう手術しても長くは生きられないだろう男の
葬式の心配を始めてるようだ・・・