2008.7

7月30日(水)

「お金は不要だが姉妹から見放された孤独な男の手術」

入院後、その男。
検査結果、胃ガンの宣告を受け、手術しても助かる見込みたったの2%という厳しい現実を
医者に説明されながらも、「少しでも長く生きたい」という本人の希望を受け
手術することを前提に治療は進んでいった・・・
治療は胃の痛みを和らげたり、絶食なので点滴による栄養補給、抗ガン剤の投与もあったようだ。
本人にとって痛みは耐え難いであろう。
胃さえなくなれば、少なくとも痛みも消えるだろうということでの手術希望だったかもしれない。

7月10日、手術。
男は手術ができる大きな病院に転院し翌日手術を受けることになった。
胃は全摘出、続く十二指腸の一部も摘出、胃の回りのリンパ、すい臓半分・・・
8時間半に及ぶ大手術となった。
身内が立ち会わなければ手術は行われない。前もって承諾書だって必要だ。
こういう大事な時に病院から呼び出されるのは姉だった。
病院から連絡があれば、知らぬ存ぜぬの姉も渋々ながらも出てこざるを得ないというもの。
いくら近くに叔父が居ようとも、遠くても血の濃い人間が呼ばれる。そういうもんだ。
ていうか、本来は叔父にまかせっきりにせず、姉たちは弟の看護に当たるべきなのだ。
他でもない、弟が生きるか死ぬかの大病なのだぞ!
こんな大事な時に知らぬ存ぜぬを決め込むほうがどうかしてる、ってもんだ!(怒)
当日は、ひとりの姉が立会いでやってきたが、その態度たるや‘いやいやながら’があからさまだ。
叔父はもちろん、朝から手術が終わった夜7時過ぎまでつきっきりで、お昼ご飯までごちそうした。
姉のくせしてお昼ごはん奢ってもらってる場合じゃないだろっ!
ふつう逆だろっ!(怒)

さらに、手術の日は長時間の駐車になるので、1台だけは病院の駐車場が無料になるシステムだ。
こんな時、気が利く姉なら、手術に立ち会ってくれた親戚に駐車料金出してあげたりするわけで・・・
ところがバカなその姉、自分の駐車料金のことしか頭にない。
駆けつけてくれた親戚が実費かよっ!
ふつう逆だろっ!(怒)
・・・さて、大手術から生還した男。
お腹の中のほとんどの臓器がからっぽなり、直線の管だけになって出てきた。
まだ麻酔が完全に冷め切らぬ男に浴びせられた第一声は・・・
手術室から出てきたばかりの弟に、姉が言い放った
「じゃ、帰るからね!」
の無常な一言だったそうな・・・(呆)

手術後、一週間。
男はまだ抜糸もしていないが退院となった。大病院は常に手術待ちの患者さんが待機している。
母の時もそうだったが一週間から10日で退院させられてしまう。
母などは体にチューブが刺さって、まだ抜糸もしてなくて、傷口がグチャグチャなままでの
退院催促だった。
さすがの私も食い下がったが聞き入れてはもらえず、家で私が毎日手当てをし、
後は定期的に通院で治療した。

その男の場合、退院といってもまたもとの病院に転院。
これまでお粥が出ていたが、食事をとると下痢が止まらなかったという。
そりゃ、手術したばっかりだし、しかもこれまで2ヶ月以上も口から食事をしてなかったんだし。
それにお腹の中も痛いって言うのに、なのに退院の朝にだされた食事がかまぼこだっていうから!
もろ固形ですよね?!
いきなり固形行っちゃいますか!?
それに牛乳だっていうから!
下痢して止まんない人に牛乳って?!
患者を殺す気ですか?!
その朝食は戻しちゃったようですよ・・・

おまけに退院の朝、回診に来た若い助手が抜糸をしたそうで。
これから退院するって時にしなくてもよさそうなものを!
お腹痛くて、下痢が止まんなくて、微熱が何日も続いてて、それだけ聞いても体弱ってるのに、
おまけに朝食べたかまぼこ戻して。これから車に揺られなきゃなんないのに直前に抜糸までして。
おかげで男は車の中でお腹の傷口から膿混じりの出血をしながら、転院先の病院に到着。
診察で膿を出すために傷口広げられて、短いストローみたいな管を3本も刺された。
食事もとめられ、また絶食に。

転院して一週間。
男は下痢も止まり、顔色も良くなってきたようだ。
ストローも2本に減り、食事も出されてるという。
ふつうにごはんが。
はぁ?
ふつうお粥から始めねぇ?!
相変わらず姉の見舞いはなく、やってきても夕方遅くとんぼがえり。買い物してくれるでもなく
用事を頼んでも買ってくれるのではなく弟がお金を払わされ、おまけにガソリン代まで要求する姉。
洗濯物を持ち帰って次に来る時に、それがたとえ一週間後であれ持ってきてくれるでもなく。
いったい何を考えているのかさっぱり分からない・・・
そんなの見舞いでもなんでもないのに、ガソリン代要求しながら何しにくるんだか?と
不思議に思っていたら「来ないと叔父さんに怒られるから」というなんとも子供じみた理由だった(呆)

ところで、
この男、退院許可が下りているのだが、この先どこに退院するというのだろう?
まだ傷が癒えてないとは言え、それも時間が解決してくれる。確実に退院は近づいているわけで・・・
それに男一人で病み上がりの食事の仕度などできるとも思えない。
それこそ毎食コンビニ弁当で体壊すに決まってる。
第一、家の中はジャングルと化し、そのジャングルで生活するとでも?
ムリムリ!
こんな時、ふつうなら姉が引き取るとかするものだが、姉にそんな覚悟などないだろうし。
いや、あの姉では考えも及ばないだろうな。晴天の霹靂としか映らないだろう。

いやまったく、この男の行く末は私の想像を超えて検討もつかない・・・




2008.8

8月15日(金)

「お金はあるが姉妹から見放された孤独な男の退院」

その男、ついに退院することになった。
まだお腹から膿が出ているし、退院なんてまだまだ先のこと・・・
まさか帰る家もない男を病院が放りだすこともあるまい・・・
入院ベッドだってガラ空きの病院なんだし・・・
そう思っていたのは私だけだったようで。
あっさり男の退院日取りが決まってしまった。男もそれで納得して退院するというのだから驚き・・・
「それでどこに退院するというのだろう??」
そう思っていたのも私だけだった。
本人は当たり前のように自分の家に帰るつもりでいるらしい。
「ふぁ?!あのジャングルに?!」
それで中の掃除はどうするの?
だって聞くところによれば、家の中には猫のウンチやら、野生化した猫がくわえてきた
鳩か雀かの羽根が散乱していると言うではないの!
それらの始末をしてからでないとまず住めないでしょ!?
横にもなれないでしょ!
それに食事はどうするの?!
膿が出るお腹で買いに行く体力なんてあるの?!
男の足は自転車だが、とても乗れたもんじゃないと思うんだけど!
よしんば買いに行けたとしても、毎食コンビニで、それで栄養はいいの?!
てか、そんなに食べられないだろうけどさ!

いやはやビックリだよ・・・

退院当日。
隣県の例の姉が付き添って退院してきた。
ひとまず、掃除は姉がして行ったみたい。
前もって叔父が滞納していた電気代も支払ってくれてて、電気も水道も使える。
男は中古で買ったというテレビでオリンピック観戦しながら横になってるもよう・・・
「なんじゃそれ!私なんかよりよっぽど豪勢じゃん!」
しかも食事は自転車でコンビニに出かけ調達している。
「なーんだ。自転車にも乗れるんじゃん!
いらぬ心配てやつぅ?」
使える洗濯機もあるし、お金だって持ってるし、男は全然心配なく暮らしてる。
私の心配は杞憂におわり、まさに空振りにおわったコールドゲームって感じ・・・

でもさ、病気抱えて一人で心細くなんないのかね・・・
かといって私がどうこうってこともないんだけどさ。
人間誰しも病気になりたくてなる人などいない。
いつ災難が降りかかってくるかわからないのが人生というもの。
男のケースは決して他人事ではない。
明日は我が身か?
なんてことも私の頭をよぎる。
そりゃ、元気なうちは男のようにはならない。
そう思っていても、いったん病気になって体の自由が奪われればどうしようもない。
私には兄弟もいなければ、子供もいない・・・誰が助けてくれるというのだ?
私の頭の中には将来に対しての不安が消えることなく居座っている。
今や将来といっても、もはや老後、死後にまで及んでしまうのだが・・・

そんなことを、つらつら考えるに、男は世間的にはそりゃ決して褒められた生活ではないし、
これまでの行いが招いた結果でもあるのだと思う。
怠け者でもあるし、人に感謝することもないし、社会性はゼロだ。
男が生活保護の支給を受けられるようになったのだって、そういう申請をしたからであって、
入院中は散々他人の世話になってきているのだ。
だが、そんなことはおかまいなしだし、気にもとめてない様子。それは姉たちも同様だ。
だが男は一人を苦にしない(のか?)というか、仕方ないにせよ、生きている、ということには
妙に感心させられるものがある。
自分が男の立場だったらどうしていただろう?どうなっていただろう?
そんなことを考えるだけで私などは途方にくれてしまう・・・

男の無知なる逞しさは、やはり私の想像をはるかに超えていたのだった・・・



8月23日(土)

「おとなしく自宅療養しているはずの孤独な男の目撃情報」

その男、まだお腹から膿がチョビッと出ている状態で、絆創膏貼っての退院。
ジャングルの中の自宅に戻り、まだ膿の出るお腹をおして自転車でコンビニに行くなんて・・・
と、不憫に思っていたら、横になってテレビでオリンピック観戦の日々。
案外、豪勢で優雅な療養生活を送っている様子・・・
ま、足は自転車だけなんだし、胃のない体ではろくに食べられないだろうから
体力もないだろうし、激しく動き回ることなどムリ。
「どうしてるだろうねぇ・・・」
そう、心配していたところへ今度は驚きの目撃情報!

それは、ジャングルの家から5kmほど離れた銀行の前で目撃された。
「えぇーっ!○○銀行で?!遠いじゃん!」
その時、男は自転車を猛スピードで漕いでいたという。
「はぁ?お腹は大丈夫なん?」
それよりも、どこに向っていたのだろう?
男は銀行の前を猛スピードで北に向っていたという。
「お墓か??」
また、葬式を狙っての食事調達なのか?
銀行前で目撃したその人が車で追跡したところ(車で追跡できる自転車のスピードだったということ)
信号を2つ超えてさらに北に向ったという。それだとお寺を過ぎているから、お墓ではないようだ。
車での追跡は途中で断念したとのことで、男の足取りはそこまで。
残念ながら目的地はつかめていない・・・
それにしても、男の体はすっかり回復したみたい。それはそれでよかったと思う。
ホント、心配した私がバカみたい。
こちとら、太極拳を始めて以来ひいたことのない夏風邪ひいて大変だってのに!
お盆から、急に頭痛がすると思ったら、熱でて、咳に洟に・・・大変ようっ!
熱があるから5日も風呂にも入んないで、体はベトベト・・・髪も洗ってなくて気持ち悪い・・・
ある意味、胃のない男より悲惨だよ。
だって男は大手術後の病み上がりとは思えないくらい自転車飛ばして元気ハツラツ!
そんな猛スピードで自転車が漕げるなんて考えもしなかったよ。
我が家の飼い猫チロぽんも、具合が悪くて医者に外出を禁止されても、血尿がでようと、
手がつけないほど怪我して片脚になっても、外に出かけると、なぜか回復してしまう。
チロはもともとノラ猫で野生だったが、男もチロぽん同様、野生化してるのかも。
病院に入院してるより、家の中で安静にしてるより、なにより外を飛び回るほうが
回復が早いという共通点があるのか・・・それはともかく、

男の脅威なる回復力は、私の想像を一切寄せ付けないのだった・・・



8月25日(月)

「北京オリンピックtuzi的アルバム」

北京オリンピックも「よもや競技場炎上か?」というほどの花火を打ち上げ幕を閉じました。
tuziの印象に残った場面をボヤキもまじえてつらつらと書いてみました・・・


柔道、石井慧。メダルを首にかけ「川に投げます」と言って斉藤監督に「バカ!」って怒られシュンとしてた・・・
私は選考当初、「絶対棟田だよ」って思ってたけど、石井で結果オーライ。よくやった!おめでとう!
試合終了後、なにやらゴモゴモ「これで生きて日本に帰れる」言いながらインタビュー席に近づいてきた石井。
「斉藤コーチに耳にタコができるくらい言われました・・・」
「遊びたい・・・(やや間があって)練習したい。こっちを採用してください、エヘ♪」
しゃべりすぎだ!と呆れて聞いていたら、今回解説の篠原も「石井はしゃべらないほうがいい」と。同感。
なんか世界一強い男が饒舌だと拍子抜けするものね・・・ま、あれが彼のキャラクターなのだろうけど。。。
大阪出身、北京に応援に駆けつけたお父さんは井筒監督そっくり!
声までそっくりで、てっきり監督かと思いました・・・


真希ちゃんも冬文の帯相手によくガンバッた!中国の帯は反則だろうがっ!なぜに指導出さない!?
負けは負けかもしれないが、冬文のペースで本当によく戦ったよ。えらい。
今回はアウェーの場で、あの反則帯に惜しくも負けてしまったけれども、今後冬文を倒す選手がいるとすれば、
それはやっぱり真希ちゃん以外にいないと思う。
日本柔道は‘指導’という古来日本柔道にはなかったルールのもと、
それに対応できる柔道も身につけないと世界で戦えなくなってきている。
だが、世界ルールにあわすのではなく、日本にあわせるべきなのだ。だって日本生まれの柔道なのだから!
柔道は、とっくみあいのケンカではない。すぐに戦わないと‘指導’ポイントをとられてしまうが、
柔道には「まあい」があったはず・・・
軽量の選手に見られる、手をビラビラさせて組まなかったりする、あんなのは柔道ではないぞ。
ガッチリ組んで技を掛け合うところで柔道なのだ。
ガンバレ日本柔道!世界ルールに迎合することなく、日本柔道を守っていって欲しい!継承していって欲しい!
でも外国人選手にも感心なことがひとつ。表彰式にはみんな白い柔道着に着替えて表彰台にあがってたもんね。
そこなんだよ!その柔道の精神こそ学んで欲しいのだよ。


バドミントン、対ノッポのとチビの韓国戦。
チビのねちっこい抗議には参った!主審の足に触ったり、副審の体に触ってスリスリしたり・・・
あげくは勝手に場外に出てみたり、明らかに反則なのに審判もレッドカード出さないし!
羽の交換要求も必要以上にねだるし、シューズの紐がほどけるといっては下がって、なのに靴脱ぎ始めるし!
もう、自分が不利になるとありとあらゆる手を使ってブレイクをとる。
警告受けそうになるギリギリまで粘って、そこへ絶妙のタイミングでノッポがなだめに来る・・・ほんとキタナイ!
それにしても対中国相手に勝利した試合は私が今大会一感動した試合でした
それと、あの日本のウェアステキでしたね♪桜が模様になってて♪


卓球の平野選手(左)と福岡選手(右)
試合中の平野選手がどうしてもブルース・リーにみえてしょうがないんですけど・・・
今回、バドミントンや卓球を見てて、勝負を諦めない粘り強さをヒシと感じた。
選手はスポーツを通じて人としての粘り強さや諦めない心が養なわれているのだね。
「どんなことがあっても最後まで諦めない」
ことの大切さをこのオリンピックで強く感じました・・・


美しく正確な体操にっぽん。
点数を求める勝てるアクロバット体操ではなかったかもしれないが、日本体操は美しい。
それは世界も認めるところだと私は信じている。
吊り輪で失敗しようと鉄棒で着地が乱れようと私的には冨田選手の演技こそが芸術と思う。
そう!体操はサーカスではないのだ。
クールな冨田選手が語った「幸せなオリンピックだった」の一言が印象的だった・・・


200Mバタフライ、松田の銅メダル。凄いね!
何が凄いって、ビニールハウスのプールが練習場だったからじゃなくて、
水泳教室からずっと同じコーチとふたりきりで練習してきたからでもなくて、
ミズノ社員なのに真っ先にスピード社の水着着用を決めて、しかも日本で最初くらいに着用したってことがよ!
自由に選んでいい、なんてことになるよりずっと以前によ!それがミズノ社員だっていうんだもの。
自由な精神生にあっぱれ!
北島選手とは雲泥の差の環境の下、努力を重ねる不屈の精神力にも感服。


独立独歩の練習といえばフェンシングの太田選手も負けてない。
お父さんが映画の「怪傑ゾロ」にあこがれフェンシングを始めた。
「3人の子供にもフェンシングをさせたい」と思ったが、末っ子の太田選手だけがテレビゲーム欲しさに練習を始めた。
何がきっかけになるかわからないものだ・・・
でもお父さんの凄いところは、息子の練習相手を各地を巡り、求め一流選手やコーチに頭を下げて習わせたり、
大学や日本代表の合宿に自腹で参加させるその姿勢にある。
独学には限界がある、ということを知ってるからこそだが、口では言うのは簡単だが実際にそれを現実にするとなると
それは大変な苦労もあったと思う。お父さんも偉かった!


シンクロ日本チームは「打倒中国!」じゃなくて「打倒村井コーチ!」が本音だったんだと思うんだけど。
ま、それは置いといて、ロシアチームの素晴らしいこと!
画面に目が釘付けになるほど私もロシアの演技に引き込まれたし、登場が楽しみだった。
圧倒的強さ、というかロシアに金メダルあげたいっ、いや一位になることを疑わなかったもの。
ロシア文句なし一位席確保、って感じ。振り付けや音楽の選曲もよかったしね。
前大会ではフランスのテデュが素晴らしかったし、国籍を超えて誰もが素晴らしい演技に拍手がおくれる、
またそういう素晴らしい演技を目に出来るというのがオリンピックならではなのよね♪


ジャマイカのボルトも凄かった。なにが凄い、って予選はランニング♪で通過て・・・
他の選手と大差ないような体つきだがダントツの一位!
「どして??」って感じ・・・200mのようなレースあたしゃ見たことないぞ。ヤムイモのおかげ?
それにしてもここ最近ジャマイカ勢の躍進がめざましいが、実はここ最近のことじゃなかった。知らなかったよ・・・
もともと世界の最速陸上アスリート達はジャマイカ人だったのだ。
カナダ人とばかり思ってたベン・ジョンソンがジャマイカ人だったなんて初めて知った。ビックリしたぁ。。。
みな国外に流出していたことにジャマイカ政府も一念発起、国内に養成機関を設けた。
そのおかげで自国で活躍できるようになったというわけ・・・それにしてもなぜにジャマイカ人は足が速い?
やはりヤムイモパワー?


ルーマニアのトメスク(キヨスクじゃないよ・・・なんつって)に気がつかなかったヌデレバ選手。
トメスクはダントツ一位だったんだけどさ、ヌデレバ(ケニア)がそれに気がついてなかったっていうんだから・・・残念。
もし、トメスクの飛び出しが分かってたら、ヌデレバも猛追するレースを展開したんだと思う。
そしてヌデレバが一位になったと私は思う。
私はヌデレバの走りが好きです♪
あのオシャレな黒いサングラス姿で淡々と走る姿はカッコいい。
41km過ぎの折り返しで気がついたそうだが、その時のヌデレバの驚きはさぞかしだったろうに。。。

それから・・・言いたきゃないが、日本陸連はダメだね!
野口の故障欠場といい、それより以前から外反母趾が悪化してた土佐といい、私は土佐が外反母趾だったなんて
これっぽっちも知らなかったわよ。それを分かってて選考した陸連はどうかしてんるんじゃないか?
土佐も土佐だ!1ヶ月も前から痛みだして練習も出来ない状態だったのになぜそれを言わない?
そもそも、これまで外反母趾でレース下りたこともなかった土佐がなんでよりによってオリンピック当日に
あんなぶざまなことになるんだ?!あんなことになる予測はついただろうに。
リスクを持ったまま参加にこだわった土佐の考え方は間違ってるし、そんな土佐を選考した陸連のミスでもある。
陸連のミスはそれだけじゃない。
野口欠場の時、補欠をキャンセルしてしまってたというのもおそまつな話しじゃないか。
だって、3人しか出場できないところへ高橋尚子ほか若い選手でも出場したい選手がわんさかいたんだしさ。
とにかく、選手のくせにケガするってのが間違いの元だよ。選手として失格。
だって全部練習でこさえたケガじゃないか!そういうのは練習っていわないの!
まちがった練習だったらしないほうがケガがないだけまだマシだよ。
練習は走りゃいいってもんじゃないし、高地に行けばいいってもんでもないんだよっ!(怒)
第一選手に余裕がなさ過ぎ。ジャマイカのボルトみたいに気持ちに余裕がないとね。

それから、日本のテレビ!報道!ワイドショー!
いい加減メダルの数、かぞえるのやめろよ!
数をかぞえることに何の意味があるんだ?!






2008.9

9月1日(月)

「師匠の死」

私は会社勤めしていた頃、筝曲を習っていた。
会社帰りに師匠が開く邦楽教室に週一度通っていたのだ。
その当時、私は何を思ったか「楽器ができたらいいな・・・」と思い始め、
消去法で行き着いたのが邦楽だった。
師匠は自宅の他に、とあるビルの一室でも教室を開いており、
その同じ階には、いけばな教室やお茶の教室もあり、
一階通路にはそれぞれの教室のチラシがおかれていた。
それがきっかけで私は邦楽を習い始めたのだった・・・
楽器も持たず、だから当然家で練習もできず、週に一度のお稽古に通っていたが、
数年が経ってそのことが明るみになった時の師匠の驚き様は今でも忘れられない・・・
普段おとなしく、滅多に話さない私だが、時々発言をすると、意外なことを口にするのか
「tuziさんたらぁ〜」と笑いながら呼びかける声が今でも耳に残っている・・・
お稽古に伺うたびに、美味しいお菓子をご馳走してくれる師匠だった。
逆に私が買出ししてご飯を作りに行ったこともあったっけ・・・

師匠の旦那様は大学教授をしておられたということだが、
私が手習いを始める遥か以前に亡くなられていた。
お嬢さんがふたりいらっしゃって、どちらも優秀な方で、邦楽の腕も一流だ。
長女先生は三弦が得意だし、次女先生は筝曲を極められており、
師匠から漏れ聞いたところによれば今は社交ダンスに夢中とか。
長女先生の娘さんも一流で、親子三代邦楽を極めていらっしゃる一家なのだ。
私達一門の家元は名古屋(芸事といえば名古屋)だが、師匠は奈良の生まれと聞いたことがある。
きっと、幼い頃から芸事だけでなく、たくさんの教育を受けたのだと思う。
私もたくさんハガキをいただいたが、書も達筆すぎて読むのに一苦労だった・・・

私がお稽古を休むようになってからも、時々お電話をくださったり、
演奏会のお誘いをしてくださったり。行けない時はチケットだけ送ってくださったり。ラジバンダリ・・・
気にかけてくださるのは嬉しいことなのだけれど、なかば煙たくもあり、ここ数年距離をおいていた。
師匠と最後に話したのは一年ほど前だろうか、その時もお電話をいただいてだった。
「tuziさぁ〜ん?」
「(ぎょっ!先生だ!)・・・はい。先生ご無沙汰してます
「どうなさってるのぉ〜?お稽古に出ていらっしゃいよ〜」
はあ。それがぁ・・・
母が倒れてから3年。それ以前から疎遠にしているので、何年先生の顔を見てないだろう?
「私もね、娘(長女)の紹介でね。受けられるようになったんだけど・・・」
「(ん?なんの話だ?)」
師匠は唐突に物申すことが多く、こっちが了解してようが初耳だろうがおかまいなしに
話しを進めてしまうのだ。そんな時は話しの内容を自分で推し量って解釈しなければならなくなる。
話しの中に‘受診’だの‘放射線治療’だの、先生もどこか体調を崩されている様子。
「お大事に・・・」
と電話を終えてからも、‘放射線治療’とは穏やかでない。
気になってはいたが、お見舞いに伺えずにいた。
そして日々の忙しさにかまけて忘れかけていた・・・

8月、私の夏風邪が抜けきれずにいたある夜、電話が鳴った。
数年ぶりに聞く姉弟子からだった。イヤな予感がした。
「実はね、大先生が亡くなったの・・・」
「 ・ ・ ・ ・ ・ 」
お通夜に行かねば二度と師匠の顔は見られない。が、あいにくその夜は太極拳の教室があった。
休みにしようかと迷ったが、亡くなってから会いに行っても、もう遅い!とも思った。
なぜ、もっと早くお見舞いに行かなかったか悔やまれた。
それとなく電話で話したとき、すぐにでもお見舞いに伺うべきだった。
そうしようと思ったはずなのに、延ばし延ばしにした自分が情けない。
うるさいなぁ、と思ったこともあったが、私のたったひとりの師匠ではないか。
薄情な弟子だ。そしてデキの悪い弟子だった・・・

告別式に参列した。
喪主はおふたりの娘さん。喪主のあいさつで、先生の病状が語られた。
2年前から体調を崩されてたそうだ。つらい闘病生活だった。
私はお悔やみと菓子折り(夏菓子)を持参していた。
受付をお手伝いしていた姉弟子が、「祭壇に供えましょうか」と言ってくれ、
早く着いたので一緒に祭壇に供えたが、亡くなってから持ってきても今更・・・と思えてならなかった。
治療で食欲がなくなったと聞いて、生きてるうちに口にして欲しかった、と強く思った。
亡くなって初めて気がつくことばかりだ。
私たち社中の要は師匠だ。
私たちの師匠は他の社中の師匠方と違って弟子たちを自由にさせてるようなところがあった。
おおらか、というか、おおざっぱ、というか・・・しかし目配りはシッカリしており、世術にも長けていた。
第一、芸の腕前は他の追づいを寄せ付けなかった。
弔辞を述べた門下生代表の先輩も「これまで師匠がいたから安心してやってこれた」と述べていた。
本当にそうだと思う。
これから社中は娘さんがしっかり受け継いでいくことと思う。
私がお稽古を再開するかどうか分からないが、それだけは確かなことで、
弟子たちが路頭に迷うことはない。
ないが、やはり師匠をなくした寂しさはぬぐえない。
私など尻を叩かれないと弾かない不出来な弟子だった。
「tuziさん、弾きなさいよ」と背中を押してくれた師生はもういない。
そして今になってなぜもっと師匠の恩に報いる行動をとらなかったか、と
自分が情けなく思えてならない。
亡くなってからでは、何をどう悔やんでももう遅いが、
お通夜に来れなかったことを、さっそく悔やんでる私だ・・・
告別式の見送りに立った、ふたりの娘さんに「tuziさぁ〜ん」と声をそろえて言われたその声が、
かつて師匠が私を呼ぶときの声とそっくりなのに言葉を失った私だった・・・




2008.10

10月3日(金)

「影武者」

ウチの父は隠居の楽しみで鳩を飼っている。
若い頃から鳩が好きだったらしく、鳩舎を建ててタマゴからその数を増やしている。
鳩のほかにもウコッケイやチャボ、シャムなどもいる。
鳩舎は増改築を重ね、ベランダができたり、コテージになったり・・・
先日、そのコテージで大捕物があった。
激しく鳴きたてるチャボやシャム。明らかにいつもと様子が違う。
「おかしいな?」と思って鳥小屋に行って見ると、
シャムが柵から首をありったけ伸ばしてるではないか。
「どうしたことだ?」と近づいてみたら、なんとタカが入り込んでいるではないか!
コテージの庭は柵で囲まれており、天井部分も同じような柵でふたがしてある。
その僅か3cmほどの隙間からタカは入り込んだようだ。
目的はシャムではなくコテージの背後に住む鳩たち。
私的には鳩やシャムよりタカが飼いたいところだが、
聞くところによればエサを食べずに死んでしまうのだそうだ。
父の鳩仲間の間では鳩を襲うタカやハヤブサ、カラスの撃退法が話題にのぼる。
鳩仲間のひとりが、やはり鳩を餌食にしようと入り込んだタカがを生け捕りにして
飼いはじめたそうだ。
生餌を与えても野生のタカは口にしようとせず、ほどなく死んでしまったという。
今回、父のシャムコテージに入り込んだ(目的は違ったが)タカも生け捕りにするのは
簡単だった。が、そうしたところで生きられないのでは可哀相だ。
私は温情を持って放して欲しいと訴えたが、父は可愛い鳩を餌食にしようとした犯行が
許せないらしく、二度と悪さをしないようにと懲らしめる気で血眼になっている。
血圧を上げている父をなんとか説得し、前科一犯ながらようやく放免となったタカ。
タカだって食べなきゃなんない。
鳩可愛さで、タカを憎むのはどうか?
鳩は父にエサをもらって生きていけるが、タカは自力でエサを捕らなきゃ生きていけない。
タカだって必死なのだ。

父は鳩を空に放す時、タカやハヤブサ、カラスに襲われないように双眼鏡で見張っている。
カラスが近づいてきたらロケット花火を打ち上げ追い払う。
それでも何羽かの鳩が鳩舎に戻らず無残な骸となって帰ってくることもある。
「犯人はあのタカだな」となる。それがホントかどうか証拠などない。
最近では、またあのシャムのコテージに何者かが侵入。
騒がしいと思ったら、今度は地面に穴が見つかった。何者かは地中から侵入していたのだ。
タヌキかネズミか?犯人は捕まっていない。
そして、チロまでも容疑者として疑われているのだ。
父が言うにはブロック塀に座り虎視眈々と鳩を狙っている猫がいるというのだ。
それがその風貌からしてチロだというのだが、
まさか、ケンカすれば全戦敗北を期しているチロに鳩が狙えるとは私には
どうしても思えない。しかし、父は「あの猫はチロだ!(断言)」と
チロを見るたび叱り、どやし、まるで犯人扱い。

季節もめっきり秋らしくなり、風が冷たく感じられるようになった。そんなある日。
窓も閉めているので、チロは外に出られないはず。
チロは家の中で丸くなって眠っていたはず。
なのに外にチロが!
「あれ?さっき丸くなって寝てたのになぁ?」
いま目の前で外をうろついているのはチロそっくり!
でも、よーっく見ると、チロより毛の白さがキレイだし(チロは薄汚れている)、
極めつけはしっぽに毛がある(チロはしっぽが禿げている)
それにしてもそっくり!
私は家の中で寝てたチロを確認しに行った。
「あー!やっぱり寝てる」
チロは微動だにせずグースカ寝ていた。
・・・てことは。
父が「チロだ!チロだ!」と下手人扱いしていた猫というのは、
チロの影者武者だったのだ!
これは冤罪事件だ。
私でもチロと見間違えるほど、顔も体つきもそっくりのその猫を(チロよりキレイだが)
私は影武者と名づけた。
そしてその影武者はチロが留守している夜中に忍び込み、
チロの美味しい高級エサを食べに来ているようす。
夜中に鉢合わせしたチロと、とっくみあいのケンカになった。
どうりでチロはご飯のとき辺りを警戒しながら食べると思っていた。
とっくみあいのケンカから、チロの警戒はさらに厳しくなり、
24時間監視カメラと化したチロ。
影武者はもしやチロの生き別れの弟なのかも・・・?
それにしても。
鳩も、チャボも、タカも猫もみんなそれぞれ悩みを抱えて生きているのだね・・・




2008.11

11月12日(水)

「奇跡」
鳩リング発見の偶然

父が飼っている鳩は鳩仲間の家からもらってきた鳩たちで、寄せ集め集団である。
我が家で生まれた鳩はどこも知らないわけだから間違ってもどっかに行ってしまうなんてことは
ないが、よその家で生まれて我が家にもらわれてきた鳩の中には
時々生まれた家に帰ってしまい、また強制的に戻されて来たりしているようだ・・・
何百羽飼っている家でも、そこは鳩好きの成せる業なのか見分けられるのかと思いきや
そうでもないらしい。
見分けるといえばレース鳩のように、認識番号なのか足にリングしていたりするものだ。
鳥好きの趣味で飼ってる鳩には無用のものかと思いきや、そうではないらしい。
野生鳩との区別もあるのだろうが、簡単な足缶(アシカン)をはめてそれを名札代わりにし
区別している。
だから何百羽何千羽いようと自分の家の足缶をしていない鳩がまじれば分かるということらしい。
父は足缶を履かせていなかったが、どっかの鳩仲間から簡単な足缶をいくつか分けてもらってきた。
プラスチックで出来たその輪っかは直径1cmほどで、鳩の足缶にするにはブカブカのように思える。
ふつうは生まれたての赤ちゃんヒナに履かせてしまうのだそうだ。
でも、我が家の鳩全員に履かせるには履かせてから細く締め直さねばならない。
プラスチックで出来たその輪っかは一辺が切れており、そこで締めたり広げたりできる。
「百円均一ショップにあるらしい」と、父はその輪っかを見せてくれた。
もらってきた輪っかだけでは足りないからもっと欲しそうだった。
「(・・・ふむ・・・これはどっかで見覚えが)」
はっ!そうだ!
編み物でつかっている目数リングだ!
しかし、編み物の目数リングは切れていない完全輪っかだ。それに直径も小さい。
父に見せると、生まれたての鳩に履かせるには最適だというではないか。
数個進呈したが、まだ足りない様子・・・
それにしても「百円均一ショップにある」というプラスチックの代物の正体はなんなんだろう?
それを鳩リングに応用してるだけで、元々は何用なのだろう?
いったいこれは何に使うものなんだ??
それが不明のままでは探しようがないではないか。はてさて・・・(困)

不思議に思いながら気になっていた、そんなある日。
父が自分の服を買ってきた。
自分で服を買うなんて珍しい事で、こんなことは滅多にない珍事であるから
父はサイズなど見もしないで2Lサイズを購入してきた。
身長165cm痩せ型の父にさすがに2Lサイズは大きすぎるでしょうに。
そんなことで私が取替えにイオンスーパーセンターにやってきた。
我が家の近くのイオンスーパーセンターはやたらめったら広くて、衣類、食品、文具、書籍、
インテリア用品、食堂・・・不二家、ゲームセンター・・・ダイソー・・・もろもろ揃ってるのはいいのだが
移動と勘定するまで時間がかかるのがイヤで、めんどくさがりやの私はあまり行かない。
父の洋服をMサイズと交換して、ついでだからと食品を買いに通路を真っ直ぐ向った。
・・・と、ちょうどその列にカゴが置いてあるではないか!
「(よかった♪入り口に戻らなくてすんだ♪)」
また入り口までカゴを取りに行かなければならないとなると、また延々歩かねばならないからだ。
運良く、カゴのある列に出て、カゴを取り上げたその時!
ふっ、と見たその列の棚にあのプラスチックリングを発見!
!!!
これだっ!
そのコーナーは駄菓子やちょっとした子供のおもちゃが並んでる列だった。
普段の買い物なら無視して素通り、立ち入ることのない列だ。
おおっ!
これぞ奇跡。
まるでプラスチックリングが見つけてくれ、と言わんばかりに私を呼んだとしか思えないくらいの衝撃。
偶然とはいえ、それを越えて奇跡としか言いようがないほどの驚きだった。
プラスチックリングの正体は繋げて遊ぶ子供のおもちゃだった。
こんな偶然もあるもんだね。ビックリだよ。
こっちが探せば、向こうが返事したというか、ちゃんと呼んでくれるものなんだね。
アンテナを立てて歩けば自然に出会えるもの・・・なのかな???





「東京を歩く☆上野」

夏から年に数回上京するようになった。
初めのうちは上野アメ横をぶらぶらしていたが、さすがにそれにも飽きた。
両国の博物館で催された故宮博物院展や、銀座三越のジミー大西展など観たかった催し物を
ハシゴしたこともあったが、そういった観たいと思う催しもなくなった・・・

私の拠点は上野駅だ。
上野広小路の寄席に入ってみようかとも考えたが、演芸を最後までみてるほどの時間もない。
「とりあえず、久々に上野の山にでも行ってみるか・・・」
広小路から不忍池へ回った。
秋、不忍池はハスで埋め尽くされていた。その池をはさんで遠くに弁天堂が見える。
これといって目的もないぶらり散歩なので弁天堂まで行ってみることに。


弁天堂近くの出店裏に猫がたくさん・・・なにかもらって食べてる。


弁天堂手前に箏?
八橋検校の碑。八段の碑だったかな?
とにかく、なんで?
なんでここにあんの??
お墓?
それともここで八段作曲したとか??
碑を読もうと思ったが、長いしめんどうなのでやめた。


そして西郷像。
夕暮れの空。背後に鮮やかに色づいたイチョウが映えていた。


これまで地下鉄や電車・・・東京には便利な乗り物たくさんある。
ずっとそれを利用してきたし、そうやって移動するのが当たり前とも思ってきた。
でも今回、ぶらぶら近場を歩いてみて、中途半端な時間を潰すのも悪くないなと思った。
次回はどこを歩こうかな・・・
つーか、その前に八橋検校大先生の碑が、どうして上野にあるのかはっきりさせなさいよっ。




「東京を歩く☆浅草」

上野駅に着いた。これから3〜4時間どうやって時間を潰そうか・・・
毎回無計画でやってくる東京。ぼんやり駅構内の地図を眺めてみる。
「(・・・意外と浅草って近くない?・・・歩いて行けそうじゃん?)」
大体の方角のめぼしだけつけて歩きだすtuzi。
「(通りをまっすぐ歩いて左に折れて、っと)」
冬だし、少し肌寒いこの日は通りを歩く人も少ない。
しばらく歩くと仏具店が多くなってきた。そしてまた進むと合羽橋道具街の看板。
「(へぇー、ここなんだぁ)」
テレビの番組などでよく見聞きしていたが、歩きじゃないと実際分からないだろう通り。
せっかくなので寄り道してみる。
飲食店関係の品が何でも揃う。でもだからって思ったほど安くなかった。



さて、浅草への道中に戻るとする。
浅草通りに入るとボチボチ人通りがでてきた。
浅草は落語や漫才といった演芸だけではなく歌舞伎の人たちも、浅草で芸を磨くといったことを聞く。
浅草演芸ホールのほかにも木馬館では大衆演劇・・・というように、
今も昔も芸事は浅草に始まり浅草に還る、そうです。
そんな、雰囲気が色濃くなってきたその時!突如、雷門が見えてきました。
上野駅から寄り道しながら歩いて20分ほどで到着です。
電車で来るのとは違って、歩きだと妙に達成感があるもんですね。
「(浅草は何年ぶりだろう・・・?)」
外人さんのTシャツ選びのお手伝いを楽しみながら、雷おこしと人形焼をお土産にする。


もうちょっと足をのばせば隅田川。
やっぱ、浅草いいねえ・・・♪
さてと、次回はどこを歩こうかな・・・
「東京を歩く」というより「江戸を歩く」になりそうな気がするんですけど?