2007.1

1月1日(月)

本年もどうぞ宜しく。 tuzi。



1月5日(金)

「強運チロぽんの正月」

以前我が家で飼っていた私の愛猫‘茶’は3年で亡くなってしまった。
その時、私は仕事がメチャクチャ忙しくて‘茶’を病院に連れて行く間もなかった。
事態を甘く見ていたということもあったにはあるのだが・・・
とにかく、急を要するようになってようやく私は病院に連れて行くことにしたのだった。
ところがその時、どうしたものか父が聞いたこともない動物病院を探し出してきて
‘近いから’という理由でそこに行ってしまったのだ。
今思えば、大変なヤブ医者で、‘茶’はとうとう助からなかった。
だって、その薬剤も設備もないために注射一本できやしなかったのだから。
しかも悪いことは重なるもので、体調の悪さに気づいてやれなくて手遅れにちかい状態だった上に
最後の最後でヤブ医者に当たってしまった‘茶’の不運・・・
悔やまれてしかたない。
‘茶’の異変に最初に気づいていたのは母だった。
血尿が出ていたのを知っていたのだが、私には黙っていた。
だから私はそんなことになってるとは知らなかった。
知らされたのは‘茶’が亡くなってからだった。
初めは血尿に始まりやがて排尿ができなくなり、口から泡のような液体を吐いてグッタリ。
そのまま‘茶’は助からなかった。結石に罹っていたのだと思う。

昨年、暮れの話しになるが。
チロぽんが血尿をしだした。‘茶’と違って私の目の前で血尿をアピール!
そして、いたるところで力むチロ。
それはキッチンマットの上だったり、洗面所のマットの上だったり、バスマットの上だったり・・・
いたるところで血尿をアピール!しだしたのだ。
そのうち、力んでも力んでも排尿が難しくなり、チラッと濡れたぐらいだったり、
力んでいてもぜんぜん出なかったり・・・
「これはイカンな!」
と思い、いつもの獣医(Dr.スエナガ)のところに連れて行く。
チロは大好きな外にも出たがらず、一日中寝てばかりで元気がなくおとなしくカゴに収まっている。
「先生、血尿が出てるんです」
と、診察台の上で先生がチロのお腹をまさぐる・・・
ニョ、ニョニョ〜〜
チロが血尿を出したではないか!
先生はそれを注射器にとって機械にかける。
「食事は?」
どんなに具合が悪くても食欲だけは落ちないことだけが自慢のチロ。
「ふつうに食べてます」
「どんなもの?」
「カリカリと缶詰と・・・時には大好きなまぐろの刺身と・・・あー、好物の牛乳と・・・なんでもです・・・」
不敵な笑みを浮かべ「ふんっ」と返事を返すDr.スエナガ。腕は確かだ。
「タンパクが高いね。検査結果は明日出るからあしたもう一度いらっしゃい」
いつ排尿がストップするかわからないから回数と量を見てて。外に出さないで暖かくして。
できるだけ動かさないように。水をどんどん飲ませて。
・・・って言われてもねえ。
チロは‘茶’と同じ結石のおそれあり。
排尿ができなくなるとお尻や口から出すしかなく・・・その経過は私も経験から知っている。

翌日。
「やっぱり結石でした。もう腎臓のほうまでヤラレテいるね」
昨日同様、注射3本と結石猫用の特別なエサを処方され
「これ以外はダメ!これと水だけだからね!」
とキツク言いわたされた。
看護婦さんが「カップ半分が一日分の目安です」と言う。
「は?
カップ半分じゃ、チロには一回分でも少ないくらいだよ。
それが一日分だなんてムリムリ!絶対ムリ!
案の定、チロは夜中に一粒数百円はするだろうという高額エサの袋をブチ破り
貪り食っていたのでした・・・(涙)
折りしも人間様は正月。
ご馳走の魚に我慢できるはずもなく、台所のドアを閉めたにもかかわらず閉め方が甘かったのか、
翌朝には二皿分のカジキまぐろを平らげて私を驚かせるのでした。
サンマやカレイには目もくれないのに、まぐろだけは我慢できないチロにとって
醤油漬けにして焼いた照り焼き二皿なんて朝飯前ってとこ。
チロはせっかく良くなりかけたところに高タンパク、高塩分を摂取し、またもグッタリ・・・
そして吐いた!
Dr.スエナガに頼るしかない私は今日も車を飛ばした。
やっぱりカジキまぐろで元に戻っちゃったらしい。
私も空になった皿を見て「これはヤバイ!」と思ったんだよねー・・・
「結石がこのまま進行すれば腎不全になります。現在、猫の死因のトップが腎不全です。
ある程度の年齢、早ければ7歳くらいで罹ります。
そうなったら腎臓移植か透析しか打つ手はないのですよ。
猫の場合、そのどちらも難しいですから死んでしまうしかない」
「牛乳が好物なんですけどそれが結石の原因ってことはないですか?」
「それはありません。遺伝なんですよ。
何を食べてもなる猫はなる。ならない猫はならない。持って生まれた体質なんです」
「食事療法しかないのですか?」
「そうです。まぐろを取るか長生きをとるかです。
考えようによっては好きなもの食べたほうが、という人もおりますが」
「・・・チロぽんよ、ついにまぐろとオサラバか」

‘茶’はアピールすることなく亡くなってしまったが、チロは逞しくアピールを繰り返し、
重い病気に罹りながらも脅威の食欲でなんだかんだDr.スエナガに救ってもらっている。
そこがチロの強運というもの。
‘茶’も最初からDr.スエナガに診てもらっていれば命が助かっていただろうにと今になって思う。
そこが‘茶’の不運だった・・・

チロよ。
その持ち前の強運と大食漢で逞しく生き抜くんだ!
‘茶’の分まで。。。(泣)


ガラス越しにチロぽんを見舞うチロエ姉ちゃん。
(チロにそっくりな雌猫(たぶん)



1月10日(水)

「初売り2007」

今年私のみた初夢は太極刀を振り回してる夢でした・・・
皆さんはどのようなお正月を過ごされましたでしょうか。

さて、私は今年も着物姿で初売りに行ってきました。
寄る所も毎年ほぼ同じで、同じところで同じ品物を購入してる気がします。
まずはF百貨店に急行し、ろくに使いもしない化粧品(Gシィ)の福袋。(←昨年のも手付かずのまま)
O屋で着物で袖口がスースーするからって手袋買ってはめて。(←昨年買ったのがあるはずなのに)
I果物店であんぽ柿を母のお土産に買って。(←毎年恒例)
外の甘酒もらって飲みながらフト見れば、そこは毎年フィルムを買いだめしているカメラ店・・・
今年も外にテーブル出して売っていた。
ツツツ・・・と寄って見つめていると、デジカメがお買い得とのこと。
私はデジカメを持っていない。
「飛ぶtuzi」でも写真の公開だけが何ヶ月も先になっているのはそのためです。
「残り2台となりましたー!」
(おっと、買うしかねえべ!)下さいっ!
即決して買ってしまった。
これは父にお年玉としてあげるつもりだ。
父は眼が悪いので、バカチョンカメラのファインダーを覗くのが辛いと言っていた。
それに今日び、旅行の時に私に持たされるバカチョンカメラを持っているのは恥ずかしい、とも
言っていたのだ。「そんなもん持ってる人なんか一人もいない!」んだって。
確かにそれは言えてる。
私でさえゴッツイカメラ構えてファインダー覗いてる自分が恥ずかしくなることがあるもの。
ていうか、あのデカイカメラを取り出すだけで恥ずかしい時さえ・・・
でも私はまだやっぱりフィルム式のほうが性に合っている。(←昨年の買い置きフィルムがまだある)
デジカメはホームページ用に時々借りるだけでいい。

午後。
途中でお茶したり、和太鼓の演奏(←和太鼓の演奏だけは生に限る!)を聴いたりしながら
買い物はまだまだつづく・・・
いつもの書店でNHKの大河ドラマの本買って、
いつもの手芸店に立ち寄るが今年は毛糸の福袋はなく、
毎年下火になる手芸店に一抹の寂しさを感じながら、それでも編み物小物を購入。
そしてラストスパート!
S最中の福袋ゲット。(←景品にせとものが入っているのでかなり重い)
K蒲鉾の福袋ゲット。(←最後の一袋だったのであわててゲットした)
あ、その前に・・・
着物に、私はいつもの黒漆塗りの桐下駄(草履だと鼻緒が痛いので)を履いているのだが、
気がついたら、どこで欠けたのか部分的に木が剥けて白い木目がむき出しになっていた。
同じような下駄が欲しいな、と店内に入ると結構なお値段。特に漆塗りは高価だ。
何店か見送りながら来たが、特価品で手ごろな桐下駄を店頭で見つけた。
漆塗りではないが桐なので軽いし、何しろ鼻緒が気に入った。購入してその場で履き替えてきた。

家に帰って財布の所持金を見たら、なんと残金千円!(デジカメが大きかった)
もし、あそこで調子こいて漆塗りを選んでたら・・・
所持金じゃ足りなくて、正月早々大恥かくとこだったじゃんよー!(カードって手があることにはあるが)
「(・・・あっぶねえ。(汗)」




2007.2

2月17日(土)

「フォカッチャ、前編」

数あるハンバーガーショップの中でも私のお気に入りはモスバーガーだ。
学生の頃や、まだ肉を断つ前までは時々通って、
あの、たまねぎタップリのトロ〜リとしたソースのハンバーガーを楽しんだものだった。
その後、肉を断ってから行く機会はめっきり減ったものの、
時々行ってコーンスープを飲んだりしていた。(モスバーガーのコーンスープは美味しいと思うのだが・・)
そんなモスバーガーで新メニュー登場!‘フォカッチャ’なる物がテレビCMに流れた。
そのCMはスカーフを頬かむりしたロシア風の女の子たちが踊っているのだった。
イメージは「(フォカッチャってロシア料理?)」って感じだ。
具材はキノコ、ソーセージが挟まっている。
「(美味しそう・・・♪)」
そして、フォカッチャはイタリア料理ということが後日判明。
「(ふ〜ん、そうなんだ・・・)」
それにしても、いかにも美味しそうだ。そのうち食べたいと思っていた。
そう思ってからしばらくしたある2月の木曜日。
念願かなって(←そんなたいそうな!)久々のモスバーガーにやってきた。
かれこれ・・・5年ぶりくらいだろうか・・・いやもっとかなぁ。
とにかくハンバーガーショップ自体久しぶりだ。
「きのこフォカッチャひとつ。それとコーンスープ」
セットメニューがあるというから、せっかくなのでサラダも付けた。
スープがいささかぬるかったけど、念願のフォカッチャも見た目に劣らず美味しくいただいた。
フォカッチャはイタリア料理ということだったが、ギリシャで食べた‘わらじサンド’によく似ていた。
ふたつ折りにして具を挟んであるフォカッチャなる生地を一枚に伸ばしてサンドした
どデカイ‘わらじサンド’(自称)をひとり旅の夜のアテネで食べたのを懐かしく思い出していた・・・
(「旅行記」1999年アテネ参照)

その晩。
なんか胃がもたれてるんですけど・・・
フォカッチャのクリームソースがまだ胃の中に残ってるんですけど・・・

翌朝。
昨晩の胃もたれなどすっかり忘れ、いつもどおり朝食をとった私の胃に異変が!
「(うえっ・・・気持ちわりぃ)」
なんかムカムカ吐き気がするのです。
それは強烈なモヤモヤ、ムカムカで、たまらず胃腸薬を飲んだのですが(それも立て続けに2度)
なぜか治まらないのでした。
「(どーしたんだろ??)」
体はだるいし、お腹に力が入らない。
食事の仕度もしたくないし、洗濯なんてこの際「どーでもいいや」状態。
連休で病院は休みに入っちゃったから胃腸薬飲んでしばらく様子をみるしかない。
食事を取ると余計ムカムカしてくるから、食べたくない。それだから余計体に力入んない・・・
お腹も空かないから食べなくてもいいや、ってなって・・・
でもそれじゃ、体力なくなって、こんなんじゃいつまでたっても良くならないだろうし・・・
少量でもご飯は口にしていたのだが・・・
一時、胃腸薬で良くなりつつあったのだが、なんだかイマイチすっきりしなくて・・・
熱はないから風邪でもなさそうだし・・・
この3,4日、私は寝てばかりいるようになった。
でも今では夜もムカムカがおさまらなくなってしまい、寝ることすら儘ならなくなってきたのだ。
「(これって・・・肝臓悪くした時と状況が似てるぞ・・・もしや・・・またぁ?)」

胃が不調になって5日目。
もしも胃ではなくて肝臓をヤラレていたとしたらおおごとだ。
私はこの胃の不調原因を探るため、いやホントは肝臓を疑い始めたので血液検査をしてもらうため、
病院に行ってみることにしたのでした。

(つづく)



2月18日(日)

「フォカッチャ、後編」

前回のつづきで・・・

原因不明の胃の不調。いっこうに良くなる気配がみられないまま5日が過ぎた。
肝臓がヤラレていることも考えられる。
いや、むしろ私の頭の中では肝臓以外考えられなくなっていた。
そんなわけで血液検査をしてもらうため病院に。
触診を始めて開口一番、医者が言った。
「腹、前からこんなに出てたっけ?」
う・・・ここでも言われた・・・(「自主トレ日記」1月参照)
「は、はい」
「んじゃ、レントゲン撮ってみようっか」
「(へ?・・・レントゲンなんか撮らなくていいからさ・・・血液検査してくれよ)」
レントゲンの撮影結果はすぐにパソコン上で見ることができる。
撮影したレントゲン写真を見て開口一番、医者が言った。
「なんだぁ?背骨曲がってるねー。」
「は、はぁ」
知ってます。もう10年くらい前だろうか。その時もレントゲン写真をみた医者に言われたことがある。
その曲がりようは、素人の私の目から見ても明らかな曲がりようで・・・
自慢じゃないがかなりなものだ。
それってダメじゃん!(←笑点の春風亭昇太で)
加えて最近では首の骨まで変形してることも判明。(「tuzi now」2006年10月27日参照)
それってダメじゃん!(←笑点の春風亭昇太で)
さて、胃のほうだがレントゲンを見る限り異常はないとのこと。
血液検査でも肝機能も正常だし、特に異常はないとのこと。
ただひとつ、コレステロール値が低すぎるのだと。
ま、それはこのところロクに食べてないからだろうと思うが・・・
だったら胃のムカムカはなんなんだ?
医者が言うには、「胃の働きが悪いのだろう」と。
だからさあ、それは何故なんだ??
「しっかり運動して」と。
へ?運動不足ってことかい??
その日、私は胃腸薬を持たされて帰ってきた。
「(運動不足・・・)」
日々の家事や母のちょっとした介護で一日が「あっ、」というまに過ぎていってる毎日。
立ち仕事が多い家事労働で、運動不足な日々を過ごしてるという自覚はないのだが。。。
検査の結果、異常がないとわかって安心したせいか、最近になって自然に胃痛は消えてきた。
「運動不足」というイマイチ腑に落ちない診断ではあったが、
体調も良くなってきたことだから好しとしよう。。。
思えばフォカッチャの消化不良が胃を傷つけてしまったのが長引いたのかも。。。
それというのも冬に弱い私のことだから案外、‘寒さ’がもともとの要因だったかもしれないぞ。。。
etc...
ま、言い出したらキリがない。
胃痛なんてものはそもそも疲れや、自覚のないストレスが引き金になっていることが多い。
不安材料や気煩わしさが絶えない私のような人間は、日常をストレスなしでおくること自体、
無理があるってことなのかもしれない。
それってダメじゃん!




2007.3

3月12日(月)

読者の皆さんから「胃の調子はどうですか?」というメールがヤケに届くなあ・・・と思っていたら
それもそのはず、久しぶりにhpのファイルを開いてみたら「フォカッチャ」以来更新してなかったのですね。
もう、すっかり大丈夫です。どうも、ご心配をおかけしました。
でも代わりに、歩けない母のちょっとした介護で手首を傷めてしまったようです。
ひと月ほど前から痛みだして初めは原因がつかめなかったのですが(ストレスによるものと思っていた)
今では親指を動かしただけでも痛むようになってしまい、日常生活にも支障が・・・いや困った。
といって「困った」と言ったところで痛みがなくなるわけでもなし。
もしかしたら本当にストレス(介護とは関係無しに、精神的に追い詰められた)による痛みかもしれないし。
この花粉症の季節、洟をかむのでさえティッシュを持つ手に痛くて力が入れられなくて。
しかも両手首だし!

・・・って、解決にならないグチはこれくらいにして本題へ。

「解散」

私はなんだかんだ言いながらも、相変わらず龍先生の書道教室に月2回通ってる。
以前にも書いたとおり、教室のメンバーは高齢者ばかり。
私が最年少で、その次は大きく跳んで70代後半。そして半数は80代後半・・・
会長さん初め、天候が悪いとお休みしてしまう人が多く、コンスタントにやってくるのは
私を含めせいぜい3、4名ほど。
そんなわけでこの3月をもちましてついに‘解散’と相成りました。

これまで「もうヤダ!」といい続けてきた私ですが、いざ解散となると今後誰先生に習おうか、
はたまた、最初のクラスに戻ろうか(また龍先生ってことだが)対処に困ってしまう。
9月までは龍先生にテキスト代を支払っているので、それまで以前の会に戻ろうか・・・
いや、これを機に新しい先生につこうか・・・といって、新しい先生のめぼしもないんだよねえ・・・

‘教室’といえば、私もこの4月から太極拳教室を開きたいと構想だけはあったのだが
具体的なところはまだ何も始まっていない。
会場を押さえるのは簡単だが、広告をどうするか、とか会場を押さえて募集をかけても
生徒さんが集まらなければ仕方ないわけで・・・
ウチのような田舎では一人も集まらないということも大いに考えられるわけでして。
そうなったら会場費は自腹。
私ひとりだけがだだっ広い会場で自主トレして帰ってくるだけ、ってことに。
これじゃ、運営にならないじゃんよぉ!
教室始めるなら利益が上がらなければ意味がないわけで。
地域の健康促進に貢献する気は満々でも、
ただ働きのボランティアするつもりなどさらさらありませんから・・・
そもそも田舎の人間は健康づくりに「月謝を払って」という感覚がないものなのです。
高齢者対象の‘体操’を公民館でタダで受けるのが関の山だもの。
そんな体操するくらいなら太極拳の方がよほど楽しいし、奥も深いんだけどね。
でもそう考える人は皆無だと思う。
それもこれも身近に太極拳がないし、太極拳というものを知らない、ってことなんだろうけどね。
だからこそ太極拳を広めたいんだけど、それが果たして軌道に乗るか反るか。
乗せるまでが大変ね・・・
いっそのこと、家に『太極拳教えます』の看板でも立てようか、と本気で考えてるとこです(←原始的)

3月も半分過ぎたってのに4月からの活動、なにひとつ決まらずじまいのまま。
こうして惰性で無為に日々を過ごしてしまっているこの頃なのでした・・・
(↑この頃じゃなくてずっとだろ!)



3月20日(火)

「手首」

両手首が痛みだしてほぼ1ヶ月。
いっこうに痛みが引くこともなく、茶碗を洗うのも痛くて思うようにならない。
白菜をマメに漬物にしていたが、それもできなくなってしまった。
母の介護はトイレまで手引きで連れて行き、服の脱ぎ着をするのが主なとこ。
手引きは前つんのめりになる母の体重がモロにかかってくる。
この動作が一日に5往復くらい繰り返される・・・
両手首にグキッグキッ・・という鈍い激痛が走る。それが不意にやってくるからやっかいなのだ。
初めの頃は母が私の手を「ぎゅっ!」と握っていたため、手の甲が痛くなっていた。
それ以来、私が母の手を「むぎゅっ!」と握るようにし、手の甲の痛みは解消された。
しかし、今回の手首はこの一年間の手引きの蓄積であり、そう簡単に治りそうもない。
原因が分からず痛みに耐えていたが、介護による痛みではないかとハタ!と思いあたった。
が、だからといって何もしないわけにもいかず、この痛みはかなり長引きそうである・・・

困ったことに、手首が痛いと太極拳もできない。
健康な時には想像もつかないほど太極拳では手首を使っているのだった。
特に親指を開くとそれだけで激痛が走り、それで捻った日にゃあ・・・(泣)
ガマンできず病院に行ったら‘関節炎’らしく「できるだけ動かさないほうがいい」と言われ、
これまで散々逆効果なことをしていたことも判明!
危うく痛み止めの注射されそうになった。(←断固拒否しました)
(その日、血液検査と尿検査も受けているが、その結果をまだ聞きに行っていない。
関節の痛みはもしかしたら‘痛風’によることも考えられるので、まだ‘関節炎’と断言はできない)

「太極拳のない生活なんて・・・」と教室に行っても、手首グリグリの準備体操ができないときてる。
準備体操をやりすごして、制定拳をどうにかごまかせても、自主トレの孫式ではそうはいかない。
手首を90度倒してグリン!と回す動作があるし、開合手は90度に立てて開いたり閉じたり。
「(これはツライで〜・・・(泣)」
注射はイヤでも痛いのだけはどうにかしたい。
そこで、最近の大相撲力士に見るテーピングでも真似てみようか・・・と思うこの頃なのでした。

最近私は、太極拳教室を開く準備として『太極拳教えます』のチラシ(A4版・・・小さっ!)を
手始めに自宅玄関に貼ってみたりしている。先日は近くの図書館にも貼らせてもらった。
今日は病院の薬局にも貼らせてもらうことに成功。
だけど、この3ヶ所だけの宣伝じゃ地味すぎて宣伝になりそうもない・・・
病院の薬局といってもお年寄りばかりが薬をもらいに来るような場所がら。
お年寄りは「ボーッ・・・」と一点を見つめ薬が出来上がるのを待つのみ。
たかがA4版のちっこいチラシなど目に入るわけもなく・・・
事実、問い合わせの電話はまだ一本もない!
近所のバス停留所の掲示板(屋外)にも貼ってはみたが、
そこがまた1日2往復の廃線寸前の超ローカル路線ときている。
あくまで地味な宣伝に徹するしかない現実。私の「太極拳教室」実現はほぼ遠いとみゆる・・・
ま、この際ほぼ遠くても構いやしない。
だって、こんな手首で4月開講は無理やで・・・(泣)




2007.4

4月5日(木)

手首の痛みは検査の結果、関節炎もしくは腱鞘炎ということでした。
関節を動かさないようにして休ませるしかないようです。
でも、背中に回らなかった手も少しはまわせるようになりましたし、
親指がまったく開けなかったのですが、少しなら開いてもあまり痛まなくなってきました。
完治はまだ先みたいですが、お蔭様で快方に向ってるような気がします。

「囲碁」

桜の季節となりました。
4月は入学の季節。
私も3年ほど前に一度挫折した囲碁に再挑戦することにしました。
囲碁は、それこそ太極拳と同じように昔から興味があったことで、
でもなかなか始められない、覚えるきっかけがなかったもののひとつでした。
3年ほど前「えいっ!」と一念発起して覚えようとしたのですが、
テキスト(NHK放送)だけ買って読んでもイマイチ覚えられず、あえなく挫折。
今思えば、囲碁の道具がなかったせいかも・・・

今回もテキスト(NHK放送)囲碁講座4月号を書店で手に取り
「囲碁かぁ・・・また始めようかな・・・」と購入してきた。
「やっぱ、道具がないことには・・・」と今度こそ道具をそろえて始めることに。
テキストの広告欄に出てる初心者向けセットで手ごろなのが1万円。
「碁笥(ゴケと読む)がプラスチックじゃあねえ・・・」
高級品ともなれば、白石は本蛤、黒石は那智石、しかも厚みによってお値段様々・・・
碁盤だってそりゃ、ピンからキリまで。いっそのこと碁笥もあったほうがいい。
あれこれ眺めて、お手ごろ価格で3万円てとこ。
「入門者にはちょっと高い買い物よね・・・」
「 ! 」
そうだ!中古でないものかしら!リサイクルショップ!
以前、父と行ったリサイクルショップ(何でもあるガラクタ市みたいな店)にだったらあるかも・・・
さっそく父を誘って行ってみた。
残念ながら一軒目のリサイクルショップにはなかったが二軒目で碁石だけは見つけた。
ガラスケースの中に大事に納められていた碁石は私が想像していた以上に大きく、
1万円の値段がついていた。
「(ふーん、結構大きいんだ・・・)」
それにしても中古に1万円は高い気がする。
店番はアルバイトのお姉ちゃんひとり。
「碁石はあるけど、碁盤はないの?」
「たぶん、入り口の所のあれは違いますか・・・?」
お姉ちゃんは囲碁のことは道具のことも知らないらしい。
玄関先に横になってホコリにまみれていた碁盤には1500円の値がついていた。
が、私が見たところタダも同然のような代物だ。
「ねえ、この碁石、数は揃ってるの?」
「さあ・・数えてみますか?」
てか、ハッタリかましたけど、私も碁石がいくつなのか知らなかったのだ。(←悪い奴)
「いや、別にいいけど・・・ね、この碁石まからない?」
「えーっと・・・」
「碁盤も買うからさあ」
「んじゃあ、碁盤(1,500円)も入れて1万円で」
そこで父が「うん!それでいいじゃないか。買っちゃえよ!」と横で耳打ちする。
納得してない私は1万円で‘即決お買い上げ’しようとする父を無視して
「高いよー、碁盤は別としてこの碁石をまけてくれない?」
「・・・うーん・・・じゃあ、店長に聞いてみます」
お姉ちゃんは携帯から店長に電話した。そして店長から言い渡されたお値段は・・・
「8,000円までだそうです」
碁盤の1,500円をプラスしたら9,500円になっちゃうじゃないか!
またも父が「いいよ、いいよ、それで決まりだ!」と騒ぎ始めた。
でも、まだ納得いかない私はそれでも怯まず
「わかった!碁盤もコミコミで8,000円ね!」と食い下がる。
中国仕込みの値切りのtuziは粘りが信条だ。
お姉ちゃんは「碁盤の分、500円だけ足してくれませんか?」
「てことは8,500円?」
父は「オッケー、オッケー!」とはしゃぎ始めたが、
「そんな端数切捨てて8,000円ちょうどにしなさいよっ!」と押した。
お姉ちゃんも「わかりました」ということで手打ちとなった。
煩い父がいなければ、7,000円から交渉するところだったよ。
これが中国なら半額から始めるところなんだけど!
父に散々「おまえは悪どいなあ」と呆れられたが、家に帰って石を数えたところ、
白石は欠けてるのが2個、黒石にいたっては初めから2個不足していた・・・
こんなだから安い買い物なんだか、高い買い物なんだかようわからん!

道具も揃ったところで、早速ひとりで本を片手に3年前のおさらいをはじめた。
その時のテキスト(梅沢由香里さんが講師、夏木ゆたかさん、女性のなつきちゃんが出演してた)は
行方不明になってしまったが、図書館から入門書を数冊借りてきて再挑戦を始めた。
ルールであやふやな所は、ダイソーの100円ゲーム囲碁で確認したりしてます。
(3年前のテキスト解りやすかったので、もしお持ちの方で譲ってもいいという方ご一報下さいませ)


まだ、考えなしに闇雲に打って「わからんっ!」と首を捻ってる状態なのですが、
いつかテレビの囲碁対局が理解できたら・・・と遠い明日を見てるtuziなのでした(笑)
・・・てか、その前に挫折しないようにせねば!(汗)



4月10日(火)

「清掃デー」

8日の日曜日は地区の清掃デーだった。
いくつかの班に分かれて地区全体の清掃を行う日だ。
「連絡してなかったような気がして」と前日の夕方区長さんが来て告げていった。
今回、我が家の班は集会所の草むしりだという。朝7時集合。
父がひどい風邪をひいていて行けないので私が行くことになった。
私がこういう地区の行事に行くのは初めて。
私「ズボン履かなきゃなんないの?」
父「あたりまえじゃい!スカートなんかで草むしりができるかっ!(怒)」
母「鎌を持って軍手をはめて・・・」
その夜、私は目覚ましを6時にセット。参加しないと取り決めで罰金なんだそうだ。

ザーッ・・・
早朝5時、外はもの凄いどしゃ降りだ。
「中止かなあ・・・」
父も母もまだ寝ている。
私はひとり起きて、歯磨いて顔洗って、合羽をはおって鎌持って・・・準備万端だ。
雨も小降りになってきた。7時10分前。
「まだ早いかな?」
外を自転車で行く近所のおっちゃん発見。
「あ、行った!」
やっぱり中止じゃないみたい。私も向うことにしよう。

集会所に着くと数人の人が既に草むしりを始めていた。
どの人がどこの家の人かわからない。
幼い頃に顔見知った近所のおっちゃん、おばちゃんなら分かるけど、
若いお嫁さんともなるとさっぱり・・・

私も袋を持たされて草むしりを始めた。
そこへ2人の女性が寄ってきた。2人とも知らない顔だ。どこかのお嫁さんに違いない。
向こうも私を知らないだろうから「どこかのお嫁さん」だと思っただろう。
おしゃべりするでもなく私たちは黙々と草むしりをしていた。
私たち3人がむしっていた一角は、あるヶ所にゴソッと太い草が密集している所があった。
ひとりのお嫁さん(A)が「そこだけ草が密集して生えてますね」と言う。
私も密かにそう思っていたところだ。
そして、その密集地帯は別のお嫁さん(B)の領分なんだけど、
なぜかB奥さんはそこだけ残して取り進んでいる。
誰かが刈らねばならないのだ。私はその密集地帯の草に挑んだ。
「(はは〜ん・・・)」
刈ってみて私には密集して生えている訳が分かった!
密集地帯の中には犬のウンコが隠れてあったのだ!
ウンコが肥料になって草が密集して生えたというわけ。
それにしても密集地帯で大変だからって、そこだけ残していくなんてB奥さんもひどいじゃないか!
私たちはフードをかぶったまま屈んだ姿勢で1時間も草むしり・・・
雨上がりで草は抜きやすいけど土がたくさんくっついてきて重いし、
手は濡れて冷たいし、腰は痛いし。
B奥さんは草についた土をそのまま袋に詰めちゃうから重いのなんのって!
しかもその袋、私のところに置いたまま行っちゃうし!
「(んもうっ!)」
B奥さんが取り残した細かな草なんか取っても取っても、取りきれないし。
「(もうやだっ!)」
次回の清掃デーではB奥さんに近寄らないようにせねばなんねぇな!



4月20日(金)

「たこ焼き」

ずっと前から台所の食料庫の中に、封を切って置きっぱなしになっている‘たこ焼きの粉’がある。
我が家のどっかで‘たこ焼き’プレートを見た覚えがあるのだが、
探しても出てくるのは‘お焼き’プレートばかりで‘たこ焼き’プレートが見つからない。
「どっかで見た覚えがあるんだけどなぁ・・・」
‘お焼き’プレートの見間違いだったのだろうか・・・?
ところで、その封を切って残っている‘たこ焼きの粉’を使って‘お好み焼き’をしたことがあった。
「‘たこ焼きの粉’で‘お好み焼き’は上手くいかないもんだ・・・」
粉だったら何でもいいというわけではないらしい。
それからというもの、また‘たこ焼きの粉’は戸棚に置かれっぱなしになった。
それにしても気になる・・・あの粉を使い切りたい!
そうだ!
100円ショップにたこ焼き器はないものだろうか?
果たして、何でも揃う100円ショップでたこ焼き器を発見。でもさすがに100円じゃなかったけどね。
あとはタコを買って・・・よしっ!と。
さっそく、たこ焼きに挑戦!
初めての私にも上手く丸くすることができる優れものだ!
焼きあがったらお手製のソースをかけて、かつお節と青海苔をかけてできあがり〜♪
家でたこ焼きが食べ放題♪

お客さんが来たときも、お茶菓子代わりに、酒のつまみに、たこ焼きを焼いてだした。
近所のおっちゃんは「うまいな〜」と言って食べてくれていた。
そのおっちゃんが、おもむろに私に話しかける。

「tuziちゃん・・・(もぐもぐ)・・・今度、お祭りで・・・(もぐもぐ)・・・」

「(お祭り?・・・てことはお祭りで太極拳を披露してくれって話しか?・・・へっへっへっ・・・)」

「5月の神社のお祭りで・・・(もぐもぐ)・・・」

「(いよいよ来たな〜・・・神社でかぁ・・・どの表演服着ようかな・・・)」

「たこ焼き売りしろ!」

「( ・ ・ ・ ・ ・ )」

「こんなに美味いんだから露店出せ!わっはっは・・・」

「・ ・ ・ (涙)」




2007.5

5月1日(火)

「入門」

3月で解散になった龍先生の書道教室。
以前いたクラスに出戻るのも億劫で、4月は独学。
昇段試験という試練も自分で書いて勝手に提出。
・・・この先どうしたものか考えていた時のこと。
太極拳の練習場探しにあちこちの公民館を回っていたら偶然、書道教室のチラシを発見した。
その先生、現役バリバリの女性の先生ということは噂に聞いていた。
その先生がこんな近くで教室持っていたなんて・・・(驚)
学校帰りの子供たちを対象に小学校の近くで教室を持っていたのだ。
そこへ私が行って書いてもよいものか、まずは伺って聞いてみることにした。
月に2度ほどでお願いしたいと申し出たところ、それは受け付けていないという。
受講料は1回1,000円で月額4,000円。
「(さすがに高いねー。)」
それに比べ私の太極拳なんかタダみたいなもんだよ!
ま、高いとは言っても、お稽古事はどれもこのくらいはするものだ。
私が以前通ってた邦楽の教室も月4回、一回ものの30分ほどの稽古で月謝が6,000円だった。
太極拳だってカルチャーセンターとかで習えば入会金だけで数万。
月4回で一回休み休み1時間ほどで月謝が2万くらい。こんなの当たり前だ。
話しを書道に戻すと、これまでと比べ私の出費も倍になるわけで、少し躊躇したのだが、
このままズルズル龍先生についていても結局‘捨て銭’になってしまうことを考えると、
新しい先生に習ったほうが今後のためと思った。
‘厳しい先生’と評判の方だけにナマケ者の私がついていけるかどうか心配であるが・・・
ひょんなことがきっかけで、新たな先生との出会いがあった。
そんなに導かれながら、心機一転、新たな先生の下、
いよいよ本格的に書道が学べる喜びに心躍るtuziなのでした・・・(でもちょっと怖い)

5月1日。大安。
新しく入門した晃先生に初めて習いに行く。
‘厳しい’と聞いていたが、そんなことはなかった。(初日だからか?)
私が行くことにしたその曜日は、学校帰りの小学生相手の教室で、
私はその小学生にまじって書くことになる。私が行った時はまだ小学生はやってきてなかった。
先にお手本を書いてもらって、私は先生の隣に席をあてがわられ練習を始めた。
そうこうするうち小学生らの元気な声が・・・
「センセー!こんにち・・・は・・・
ドアをいきよいよく開けると、そこに見知らぬ女がいることに小学生らは驚いたようで(笑)

ところで、
書道の腕前は、お手本を見る限り龍先生の方がずっと上だった。
ボケても龍先生の腕は確かだった。
だからといって、龍先生についていても先がない。私の腕は上がりそうにない・・・
多少のジレンマを残しながらも、今後は晃先生の下で修業していくことにした。
お手本はお手本、最後は本人次第。
太極拳だっていっしょじゃん。
老師は老師。達人の弟子だからといって達人になれるとは限らない。
そりゃ、お手本が一流であることは大きな要素ではあるが、与えられるばかりが勉強ではない。
自分から積極的に吸収していく姿勢が何より大事なこと。
いくら一流の先生でも、本人がその先生の教えを吸収できる技量を持っていないことには
どうにもならない。
私はこれまで龍先生の下で毎月の提出のためだけにダラダラ書いてきた。
技術を学んでなかったように感じている。
私のことだから、これからもそんなダラダラペースは続くかもしれない。
でもま、そんな中からひとつでもふたつでも何か学びとっていけたらと思っている。
「継続は力なり」



5月7日(月)

「中国鉄道」

私は中国が大好きなので中国に関する番組には即反応してしまう。
番組欄に‘中国’の文字を発見し嬉々としてチャンネルを合わせたら
‘(日本の)中国地方’に関する番組だったり・・・そんなこともある。
最近では‘激流中国’なるドキュメンタリー番組が何週かにわたって放送され興味深く拝見した次第。
とても良い番組だ。(これからも続くのかな?)
パンダ番組だってもちろん見逃せない!
そして極めつけは関口宏の息子で関口知宏の中国鉄道一筆書き縦断の旅。
この番組「中国鉄道大紀行」は「日めくり版」として毎日10分間だけ放送されている。
ウチはhiビジョン放送が映らないので、目下のところ「日めくり版」の10分間だけが
私の楽しみとなっている。行ったことのない中国が毎日見られるのが魅力だ。
ご存知のように中国は広い!その全土を旅するなんて私には到底ムリな話しだ。
だからこそ、この番組を見るのが楽しみでならない。
涙がでるほど中国はいい!
私は毎日ウルウルしながらその番組に映る中国を眺めている。
本人は何かと大変かもしれないが、それなら私が代わってやりたいぐらいだ!
いや、代わって欲しいっ!
とにかく羨ましくってしょうがない!
中国全土が回れるなんて、なんて幸せ者なんだろー、と思う。
通訳の人がついてるようではあるが、関口君も中国語が少しは話せるし、
現地の人たちとコミュニケーションがとれてるようす。
加えて日増しに発音がよくなってきているのには驚かされる!
帰ってくる頃には中国語ペラペラになってることだろう。
はー、やっぱり羨ましい!
私の経験では、日本で勉強してできた中国語が、現地に滞在したことで倍倍とできてくるもので
関口君もグングン上達すること間違いない。
なのに、私ときたら久々に中国語と接したのが昨日。
テレビの中国語一斉テストに参加して2,000番代・・・(泣)
発音や子音母音のような全問正解すべき基礎的問題ばかりなのに・・・anとangの聞き取りほぼ全滅・・・
いいなぁ・・・関口〜・・・(←呼び捨て)
ゴールデンウィークの楽しみ、年に一度の楽しみ太極拳講習も終わって、
残る楽しみは、10分間のこの番組を見ることくらい。
そんな毎日です。
・・・ってそれじゃダメじゃん!(春風亭昇太で)



5月23日(水)

「相性」

先日、書道の龍先生から「どうしてるか?」と電話をいただいた。
私が書道を続けないのか心配してくれていた。
「以前いたクラスに戻らないのか?」とも聞かれたが「それはちょっと・・・」と濁した。
「ウチに来てもらっても構わないが?」ともおっしゃってくれたが、それには答えなかった。
先生のお宅の教室は師範以上の人たちばかりで気が引けるし、月に2度だけの教室は日曜日だし。
それにもう新しい先生についてるし!

・・・でも、その晃先生のことで気がかりなことが。
どうも合わないのだ!
なんというか気性が合わないのだ。相性が悪いとでも言うか。先生だって人間だ。
合う合わないはあると思う。向こうだって私を「気に食わない新生徒」と思ってるかもしれない。
私は最初から何気ない一言にカチンとなったりしていた。
だから私はなるべく雑談はなしで黙々と書いている。
そんな私に「今日はかなを書くの?」と。その言い方にカチンときたりする。
いかにも‘どうしてこの人はここでかなを書くのかしら?
(そんなの家で書いてきたらいいじゃない)’とでも言いたげに。
いかんのかい?(怒)
それに道具にやたらうるさい。
「その紙はかな用じゃないでしょ」「こんな安物の紙に書くの?」とか。
「筆が減ってるんじゃない?」「初心者じゃないんだから道具も吟味しないと」(←蔑んだ感じで)とか。
いちいちうるさいんじゃ!(怒)
そんなの言われなくても分かってるっちゅうの!
金に糸目をつけなきゃそりゃ簡単な話しさね!
そこで「私なんかまだまだ初心者ですぅ」と本音で言えば言ったで、
「有段者は初心者じゃありません!」とピシャリ!
ムカツクんじゃい!(怒)
龍先生はそんなこといちいち言わなかった。
むしろ「よくこんな筆で書いてるね」と感心さえしていた。いやほんとに。
気の毒がって黙って筆をくれたくらいだ。

私が晃先生とどうして合わないのか考えてみるに、
その1.これまで龍先生の下、自由に野放し状態で書いてきたから・・・
その2.先生が常に自信満々自分中心に地球が回ってると勘違いしてる中年女だから・・・
他にも気に食わない点がふたつ。
小学生が来るまでの1時間ほど、私ひとりだと部屋の電気を点けないのだ。暗くってしょうがない!
私が点けたのを消されたことさえある。なぜだか理由はわからない・・・
もうひとつは、小学生には毎週飴をあげている。
別に私は飴が欲しいわけではないが、いい大人なら「tuziさんもいかがぁ?」くらい言うもんだ。
袋で持ってきてるんだろうに、そんな一言もない!ケチくさくないか?!
私はこれまで龍先生に提出に行った度、バナナやらリンゴやら剥きだしのパンやら、
やや湿気り気味のせんべいやら何かしら持たされたもんだ。
私が先生の立場なら、やっぱり龍先生のようにするだろう。
(実際、太極拳教室に私自らおやつを持っていって差し入れている)
やっぱり晃先生とは性格的に相容れないものがあるとしか思えない。

やっと近くに新しい先生が見つかったと思えば、イラつく先生だったなんて・・・
この先、晃先生のもとで書道が続けられるだろうか・・・前途多難である。



5月24日(木)

「マスコミの対応」

両国国技館での大相撲10日目、これまで9勝の横綱朝青龍が安美錦に敗れた。
私もテレビでその取り組みを観ていたが、横綱の怒り様は相当なものだった。
会場は座布団が舞い、朝青龍は花道に落ちていた座布団に八つ当たりし大きく蹴った!
怒り爆発だ。
アンパンマンみたいな顔して、去りながらなんだか叫んだりもしている。
取り組みは一気に攻めた安美錦が朝青龍を寄り倒して勝ち。
朝青龍が油断したんだと思う。
私が思うに、朝青龍が負けるときはいつも‘油断’したときだ。
格下の相手を甘くみて・・・が敗因。
テレビの映像は、朝青龍が負けて→安美錦が軍配を受け→カメラが切り替わって→
→朝青龍がなにやら叫びながら怒りに任せて座布団を蹴る。そんな順番で映っていた・・・

翌日のニュース。
朝青龍の‘不覚’が取り上げられ、昨日の模様が読まれていた。それによれば。
「安美錦に負けた横綱朝青龍は礼をせずに(「礼を忘れた」と言ったかもしれない)立ち去り、
花道に落ちていた座布団を蹴飛ばし「なんで‘物言い’がつかないんだっ!」と話していた」
マスコミは座布団を蹴飛ばすのは横綱の品格としてどうか、なんてことが
延々と声高に語られていた。
「そうかぁ?」
それから‘物言い’だが、私がみても確かに安美錦の手が土に着いたのは早かった。
でも、その時点で朝青龍は土俵の外、しかも土俵の下に落ちていくのだから、高さが違うのだ。
素人の私でも「物言い」がつかないのは不思議ではない。
負けは負け、文句のつけようがない。
それよりもだ。
私が気になってしょうがないのは、‘座布団’でも‘物言い’でもなく、
ニュースでは何事でもないかのように、サラッ、と流していた、‘礼をしなかった’なのだ。
だって、こっちのほうがよっぽど問題なんじゃないのぉ?
取り組みが終わって軍配があがって、負けて面白くないからと言って
‘礼’をしないで帰るなんてことがあってよいものなのか!?
だったら‘礼’はしてもしなくてもいいものなのか?どうなんだ?!
「忘れた」と言ってるからそうだとしても、‘忘れた’で済ましていいものなのか?
大相撲ファンとして「礼をしないで帰った」なんてこれまで聞いたことがないぞ。
しかも横綱で・・・
私がマスコミなら‘座布団蹴飛ばすこと’と‘礼を忘れる’ことの、
どちらで品格を比べるかと問われたら、迷うことなく‘礼’を取り上げるけどなぁ・・・
朝青龍の礼をしないで帰ったにはビックリさせられたけど、
それ以上にマスコミの対応には大いに驚ろかされた。
「座布団・・・って・・・そっちかよっ!
負けて面白くないから、怒りに任せて、相手に礼をしないなんて。
そんな奴が横綱でいいのか?!って思わんのか?
私、納得できません。
ま、朝青龍だからありがちな話しで、想像できる反応ではあるのだけれど、
マスコミの対応にはぜんぜん納得できない。

横綱は取り組みで勝てばいいってだけじゃないんでしょ?
品格だなんだ言うんなら、
感情に任せて怒りを爆発させるような気持ちの弱さが露呈するような関取は
横綱にふさわしくないんじゃないのぉ?
ねえ、どうなのよっ!




2007.6

6月5日(火)

「ふれあい」

私は猛禽類が好きだ。
小鳥には興味がないが、フクロウやミミズク、タカ、ワシ。その類には目がない。
可愛いともカッコいいとも思っている。
元来動物好きである。捨て猫もよく拾う。犬より断然猫派だ。
だから猛獣にも目がない(?)
トラやピューマ、ヒョウが大好き♪(ライオンはそれほどでもない)
とにかく可愛いと思う♪
ラクダちゃんも大好き♪
乗るなら馬より断然ラクダちゃんだ!
それが叶わなかったら象でガマンしようか、って感じ・・・

地下鉄の地下道を歩いていた時のこと。
両脇の照明広告に動物園の広告が並んでいた。
照明パネルになった動物達が地下道を照らしていた。
中には私の大好きなフクロウちゃんパネルも♪
思わず近寄って見た私の眼に見逃せない文字が!
「ふれあいコーナー」
土、日、祝日の1時間だけ動物の体調が良くて、天気が良ければの催しだった。
えっ!?
フクロウちゃんに触れ合えるの?
行きてー!
フクロウちゃんに触ってみた〜い!
動物園には子供の頃以来、行ってない。
これまで行く機会もなければ行きたいとも思わなかった。
でも、フクロウちゃんに触れ合えるとあっては行きたいと思う。
しかし、我が家からは遠いしなぁ・・・

6月3日、とうとう動物園行きが叶った。
数十年ぶりに訪れた動物園は昔のような独特の‘動物臭さ’もなく、綺麗に様変わりしていた。
私はフクロウちゃんに触れ合うためにやってきたわけだが、久々の動物園を満喫。

 お昼ね中のスマトラ
 カワイー♪
 毛の生え変わり時期で
 ボロボロのラクダちゃん
 せまく、ぬる〜いお風呂で
 入浴中のホッキョクグマ
 おなじみ動物園の人気者、
 おサル。ちっこいのが遊ぶ
 いつ見ても綺麗なフラミンゴ
 やっぱ天然色は最高!
 大空を飛びたいだろうに・・・
 オオワシくん・・・(涙)

ふれあいコーナーはフクロウちゃんばかりでなく、
所々場所を変えてヘビやウサギなどでも催されている。
フクロウちゃんやヘビはその展示場所ではない所で行われている。
看板を見逃すと、たまたま通りかからない限りふれあうことができない。

私たちは時間前から張り込んでフクロウちゃんの到着を心待ちにしていた。
今日は天気も良いし、フクロウちゃんの体調さえ良ければ・・・
果たして約束の時間。
飼育員のおじさんが止まり木ごとフクロウちゃんを連れてやってきた!
もうひとりのおじさんが工事現場で見かけるポールを設置し、助手のお兄さんが消毒液をスタンバイ。
「順番に並んでねー!」

うわ〜!フクロウちゃんだぁ♪
檻に入ってないフクロウちゃんだぁ♪



すぐさま子供たちが3人ほど群がり、フクロウちゃんを手荒に撫で回す。
逆毛まで立ててゴシゴシ撫で回す!
それでもフクロウちゃんはなすがまま、飛び立とうともせず大人しいものだった。
子供たちの若いお母さん達は、手荒に撫で回す我が子を写真におさめるのに大忙がし。



オラにも早く触らせろー!
やっと、子供らが離れ私の番・・・
ふわふわ〜♪
とにかくふわふわ〜♪
可愛い〜♪



ここにやってきたフクロウちゃんは思いのほか小さくて、
「(これなら家でも飼えそうじゃん♪)」と思わせた。
小さいから若いのかと思い、「何歳なんですか」と質問したところ「9歳」と答えが返ってきた。
「え?9歳?・・・え?9歳?・・・9歳?と意外な答えに何度も確認してしまった。
さらに「人間だと何歳になるんですか?」と聞いてみたら
「そうですねえー・・・1歳で卵を産みますから・・・相当な高齢ってことですね」と。
そっか。
おばあちゃんだったのね。
てか、肝心の質問し忘れた!
フクロウの寿命って何歳よ?



私は一度触って、またもう一度ならびなおし触って、
人が途切れていなくなるのを見計らってはまた触り・・・どっか見て回ってからまた戻って触り・・・
飼育員のおっちゃんたちに「(あ、奴がまた来た・・・)」と不審に思われるほど
フクロウちゃんとのふれあいを楽しんだ♪
とにかくフクロウちゃんは可愛いかった♪



6月8日(金)

「噴火口」

私がフクロウちゃんとのふれあいを楽しんでいた日。
ウチのチロぽんは、ケンカの傷が膿んで大変なことになっていた。
初めは小さく丸ハゲだけだったのに、小さな傷がだんだん大きくなってきて。
バイキンが入り込まないようにと赤チンキをつけて応急処置していたが、
その応急処置で傷口をふさいでしまったせいか、
膿が中で瘤(こぶ)になって盛り上がってきてしまった。
「こりゃ大変だー!」
それに、またも噛まれた所からウイルスが入り込んだのか、グッタリして珍しく小食だったし・・・
ついにスエナガ先生のお世話になることに。

「これは切開して膿を出しきらないとね」
と、麻酔もなしにいきなり切り始めた。チロは痛がって泣いたがおかまいなし!そして注射2本。
切開した所は大きな‘噴火口’みたいになっていたので、ガーゼを当てられ
たすき掛けにテープでぐるぐる巻きにされて帰された。
注射が効きすぎたのか、車の中でハーハー、ハカハカ・・・息が上がってるチロ。

‘包帯ヤロウ’のくせに夜ともなると外に出たがるチロ。それがチロぽんの性(さが)なのだ。
ちょっとの隙を見つけて逃亡!
一晩明かして帰ってきたありさまがこれだ・・・


たすき掛けの包帯はズレて噴火口が丸見えに・・・
帰るなり好物の‘黒缶’を3缶食べつくす勢いのチロ。


食欲は旺盛だが、だからといって元気になったわけではない。
今日だってホントはスエナガ先生の所に行かなければならないのにチロは不在。行方知らず・・・
ジャック・スパロウのように自由を愛する、ってか。
食べたら家には用はない、とばかりに外を愛するチロ。
自然は厳しいものだ。
ボス(猫)に全戦全敗であろうとチロは挑み続けているのだろう。
たとえ‘包帯ヤロウ’になろうとも・・・
そんなチロの行く末を思うと、ねえちゃんは悲しいが、(こっちがハゲそうだ・・・)
チロが望むならそれはそれで受け入れる覚悟はできてるからね。思う存分生きてくれチロ!
・・・それとも、おとなしく‘オカマちゃん’になるかい?チロ?



6月16日(土)

「兄」

私には兄がいた。
その兄はこの世に生まれてたった4日で亡くなってしまった。
せっかく生きて生まれてきたのに、時代が時代だったのか、たまたま不運が重なったのか
かわいそうに長く生きられなかった。
逆子だったのか、今で言う前置胎盤だったのか、今となっては知りようもない。
その頃はまだ産婆がいて、自宅で出産も珍しいことではなかった。
母は初めての出産だったのだが、その産婆で手に負えないと分かって病院に駆けつけるも
不運は重なり、医者が不在・・・
幸い母は一命を取り留め、数年後に私が生まれた。
そんな兄のことがあったので、私は早々に帝王切開で取り上げられた。
私からすれば「気持ちよく寝てたのに!」ってもんだ(笑)
兄が重い出産だったので、兄が元気だったら私はこの世に存在していなかったかもしれない。
そんなふうに考えることもしばしばだ。

今年はその兄の50回忌だった。
名前もつけられないうちに水子となった兄を供養するため塔婆をたてて弔うことにした。
近くにいる親戚だけ呼んで、お墓参りすることにして。
6月16日が命日なので、その日に塔婆をたてることにした。
前日は仏壇を掃除して、家の中を掃除して、料理して・・・
仏間で皆で兄と一緒にささやかながら私の手料理を食した。
お寺に供養に行けなかった母が「供養してもらって喜んでいるだろうね」と言った一言が印象に残る。
ふつうならお墓でお経をあげる方丈さんが、本堂で丁寧にあげてくれたし。
天気も良かったし。
兄に名前もついたし。
いい供養になったと思う。

私には兄弟も子供もいない。
50回忌など夢のまた夢。
この先独りになって、病気になったといって誰が看てくれる?
誰が看取ってくれる?
亡くなったといって誰が悲しむ?
誰が墓に参ってくれる?
「死ぬことなど若いうちは考えないだろ?」と私に言う年配者がいるが、
子孫や家族がいて後継に恵まれて心配の要らないその人たちより、
もしかしたら私のほうが何倍も「死」に対して若い頃から敏感であったのでは、と感じている。
私はまだ死ねない。
しなければならないことがまだ残されているからだ。
それが済んだら、その後のことは・・・誰にも分からない・・・私にも分からない・・・(どよ〜ん)