2016年1月-8月
1月1日(金)
「さる」
明けましておめでとうございます。
災いがさる・・・
病いがさる・・・
厄がさる・・・
今年が良い一年となりますように。
本年もどうぞ「飛ぶtuzi」をよろしくお願いします。
1月8日(金)
「‘おせち’のようなもの」
我が家のおせちは、ほぼ私の手作りです。
母から受け継いだレシピをもとに毎年完全復元してます。
いやいや、そんな大したことではなくて、ただメモってただけのことです。
しいたけと、にんじんの甘煮、ゆり根の煮物にレンコンの炒め物。
昆布の煮しめ、下の段は買ってきた鰊の昆布巻きと伊達巻き。
お膳には、なめたの煮つけと、お刺身。キクを使ったお吸い物が付きます。
我が家は母を喪って、父と私のふたりきりです。
たったこれだけのおせちを食べきるのに、七草までかかります。
ですから、七草がゆを食べるまでは、なんとなく正月気分が抜けません。
七草まではお膳を作って、神棚と釜神様に供えて、
それから母にあげて、一緒にお神酒をいただきます。
今年も一年健やかに過ごせますように。
1月27日(水)
「落札」
私は携帯電話を持ってないし、これまで一度も持ったことないし、持ちたいと思ったこともない。
そもそも携帯という言い方が古いですね。スマホ、って言うんですか?
それに、パソコンだってwindowsXPを使っていて、とっくにサポート終了・・・
昨年末に、ダイヤルアップ接続のくせにyahooオークションで「ホ・ジュン」をクリックしたら
インターネット接続がおかしなことになってしまって、メールも送受信できなくなってしまった。
インターネットは使えなくても構わないが、メールが使えなくなったら命取りだ。
「これはインストールし直した方が早くね?」
そう決意し、バックアップを取ってインストールし直した。
「さてと」
メールは好調。
インターネットも繋がった。
けど、ブラウザが古すぎて、これまでできていたお買い物は全滅。
楽天も、アマゾンも見れない・・・。
インストールし直す前は、サポートが効いていたので、新しいブラウザをインストールしていた。
なので、同じようにブラウザだけインストールしようとしたら、サポートが終わっていた。
迂闊にも、終了していたことの確認までしていなかった・・・。
そこで、いつものパソコンブレンに相談してみると、別のブラウザを紹介してくれた。
が!
今度はパソコンのバージョンが古すぎてインストールできない。
そこで、ますはバージョンアップの作業をせねばならない。
で、
ようやく、アマゾンでなら買い物ができるようになった。
だが、
一難さってまた一難。今度は仕事で送られてくる圧縮ファイルが開けない。
ソフトのバージョンが古いのだ。
これはもう、仕方ない。
ノートパソコンの登場だ。
と思ったら、
しばらく(半年くらい)電源を入れてなかったのがいけなかったのか、突然壊れた!
ノートは夏場の暑い時期にしか使わない。
冷房のない仕事場から、冷房の効いてる茶の間に避難した時用に購入したからだ。
すぐに中古のノートパソコンを注文した。
windous7だから、こっちからインターネット使おう。
そういう狙いもあった。
なのに、
ダイヤルアップのモデムが内蔵されてなかった・・・
「もうダイヤルアップも限界ね・・・」
と言いつつ、まだダイヤルアップでデスクトップからインターネットしてます。
バージョンあげて、別のブラウザ入れてなんとか繋いでます。
でも、楽天はログインできません。
かろうじてアマゾンの買い物ができるくらい・・・。
先日、思い立ってアマゾンの中古本で編み物の本を調べてみました。
その本は、私が編み物を始めたばかりの頃、購入した一冊なのですが、
なぜか自分の気に入ったページだけ3枚ほど残して、廃棄してしまったんですよね。
「なぜ、ページを破いてしまったんだろう?」
以来、何年もその本のことが気になっていました。
「他にどんなデザインがあったっけ?」
気になりだすと、気になるのがやめらなくなって、頭から離れなくなってしまった。
これまで気になっていただけに、すぐにでも欲しい。
アマゾンでは該当なし。
だってね、84年版なんだもの。
えーと・・・32年も前?!
そんな化石のような本残ってないよね?!
次に私がとった手段は、出版社に直接問い合わせてみることだった。
その会社は、結構バックナンバーを売り出していたからです。
でも見たところ、私が探している84年版だけが抜けていたのです。
メールで問い合わせたら、在庫なし、再販なし、
「中古本かネットオークションでお探しください」と返信。
オークションには苦い経験がある。
またパソコンがイカレちゃったらどうしてくれる?
ま、だめもとで調べてみた。
「あったー!(喜)」
500円・・・希望落札価格が550円
「買いでしょ!」
このチャンスを逃したら二度とお目にかかれないかも。
クリック・・・即落札された。
「私、落札したんだ・・・」
で?
どうすりゃいいの?
いいや、もうお金振り込んじゃおう!
支払う・・・支払った!
で?
あと、どうすりゃいいの?
・・・とまあ、初めての落札で勝手が分からずオロオロしながらも無事商品到着。
「これこれ!懐かしぃ〜・・・」
32年前の本とは思えないほどキレイ。おそらく新品だと思う。
いやあ、ラッキーだった。探してみるもんだねー。
「それにデザインだって逆に斬新で使えるわ〜・・・」
インターネットって、使いようによっちゃすごいよね!
「ダイヤルアップしてる場合じゃないわ・・・」
しかも、買い物するだけで、高速接続並みの過料金発生!
だったら高速接続のほうが絶対お得、ってもん。
やっと高速接続を本気で考え始めたtuziでした・・・
(↑ダイヤルアップ接続並みに遅すぎる、っちゅうねん)
2月18日(木)
「袋のねずみ」
衛星放送の番組で、「日本の名城」をめぐる特別番組が時折放送されている。
その「日本の名城」を紹介する番組は大抵2時間ものであったり、3時間の長時間だったりしている。
先日などは2時間の番組が終了して、別のチャンネルで3時間番組というように、
立て続けであったりもする。
もしかして密かなブームなんだろうか・・・?
もともと私は城好きではあるが、メジャーな例えば姫路城などには、なぜか興味がなく、
特別行ってみたいとも思わない。それに、「日本の名城」番組には必ずといっていいほど登場して
紹介されつくしているので、もう飽き飽きしているところでもある。
先日も番組をみていたら、名古屋城が登場した。
尾張名古屋は城で持つ、でおなじみの名古屋城であるが、
そういえばまだまともに観た事がなかった、と思い、どのような城なのか観てみたら、
もろ近代建築じゃん!
いや、近代建築というほどではないが、煌々と誘導灯が光り、天井には蛍光灯、床はクロス張り。
階段は緩やかに広々、最上階にいたっては、サッシ窓に空調完備。
もはや天守にあらずっ!
石垣に沿ってカバーの付いた見苦しきものは配線を入れた配管と思われ・・・
空調があるということは、屋外機も存在するわけで・・・
そもそもだだっ広い階段がある時点で可笑しいし・・・
名古屋も終わったな。
尾張名古屋に城はなし、が正解。
思えば大阪城もそうだった。
忘れもしない、台湾からの帰りに関西空港から伊丹空港までの途中、
せっかくなので大急ぎで大阪城に寄った。
入場して思いました。展示館でした。
だってエレヴェーター完備。大阪城こそ鉄筋コンクリート造の近代建築よ。
だったら、外から眺めたほうがよほど時代に浸れるというもの。
概して、復元とかいうのはそういったもので、ほとんどの城がそういった状況だということを
名古屋城や大阪城は物語っています。
そんな番組の中で、高知城が紹介されました。
高知城といえば日本で唯一、天守と本丸御殿が現存(寛延2年再建)していることで知られています。
なーんて、あたかも知っていたかのように語ってますが、実は春風亭昇太師匠の受け売りです。
もう何年か以前、高知放送開局何周年かで笑点が高知がを訪れたとき、
お城好きの昇太師匠が熱く語っていたのを覚えていただけのことです。
お遍路に行った時も、安芸市泊まりだったため、高知城は眺めることさえできませんでした。
番組は、高知城に攻め入るといった設定で紹介され始めました。
まずは追手門を突破。
だいたい、どこの城でもいくつもの門を突破しながら天守を目指すものです。
門に櫓を合わせて櫓門として強固にしたり、門こそが城の最大の防御といってもよいくらいです。
高知城で次に現れたのが、黒鉄門。そして詰門(つめもん)。
その先には天守が間近に見えています。
詰門に突入!
ところが、この詰門を抜けると、天守の裏手に出てしまうのです。
え?
しかも、詰門の内部は直線で出口がなく、斜に出口が付いているので、
勢いよく突入しても中で戸惑ってしまうという造り。
ドヤドヤと流れ込んで袋のねずみ状態。
抜けたとしても、天守には行けないで、裏手に出てしまう。
またも袋のねずみ状態。
だったらどこから天守に行けるのか?
それはなんと二の丸を通るのが正解なのでした。
「それは分かんないわ・・・」
しかも、二の丸の中通って行くと、なんと!
さっきの詰門の2階部分が渡り廊下になっているのでした。
「すっげー!(絶句)」
こんな造りの城は観たことない!
最強かも。
まさか詰門の2階を通ろうとは!
これは間者でも潜んでいない限りこの造りは分かんないよ。
だから私みたいに詰門突破しようとした者は、上から攻撃されてしまうのさ。
そして、門を出たとしても袋のねずみでやられてしまうのさ・・・。
「いやあ、これは凄い城だなー、てか、この詰門が凄いー」
二の丸通って、詰門の2階を通ると、本丸御殿に出る。
その先は天守。
本丸御殿内部は、地味だけど一枚杉の板戸が何枚もあってさすがに隠れて豪華?
地味だけどオシャレ?
そして、本丸御殿内からも天守に繋がっている。
天守は小ぶりなんだけど、子顔で締まっててバランスがよいです。
それよか、詰門にはビックリです。
誰だって間違いなくそこを通ろうとするさ・・・。
いつかは実際に高知城で‘袋のねずみ’になってみたいニャ〜♪
3月5日(土)
「サラバ!」
西加奈子著の「サラバ!」を読み終えました。
上巻の三分の一まで丁寧に読み進めてからは、下巻の最後まで一気呵成に読み終えた。
本屋大賞の本作は確かに面白かった。
面白かった、というのでは主人公の深刻さが伝わらないだろうが、、、
本題の「サラバ!」はエジプトに滞在した小学生の主人公が、
現地の男の子(ヤコブ)と出会い、言葉が通じなくても心通わせた呪文のような言葉である。
ヤコブといる時だけは心が和み、怖いものなしになれた。
ヤコブといれば複雑な家族のことも忘れられた。
そんな思いと相まって、’サラバ’は主人公にとって救いの言葉になった。
大人になってからも‘白くて大きな化け物’は主人公を苦しめ続けていたし、
その存在があったから今があると思えるようになるまでは、だいぶ時間がかかった。
‘白くて大きな化け物’は白骨化した過去だろう。
過去は生きているうちは大きくなり巨大化を続ける。
鴻上という女友達はは若くして姉を亡くした。
その鴻上は「捨てられないことが恥ずかしい」と語った。
それは恐らく生きていくこと、自分だけが生きていることの恥ずかしさを指していたのかもしれない。
文体は軽いが、重すぎる内容だった。
宗教、家族、他との比較、容姿・・・
自分は自分以外のものにはなれない。
そんなことは分かりきったことだ。
だけど、私も含めて他人を意識して生きているのではないだろうか。
特に私などは競技だったり展覧会だったりと、常に他人と比べられる所に身を置いている。
太極拳の競技で自分の演技をして点数が低かったら負けてしまう、とか
書道の展覧会では巧く書かねば、落選してしまう恐怖に苦しみながら書いている。
自分は自分と押し通すのは不可能だ。
その不可能さえ自分なのだと認めねばならない、受け止めなければならないと思っている。
結局、太極拳で負けたくないのも、書道で賞が欲しいのも、みんな対外的になのだ。
私の場合、自分の為ではないのです。
常に外に向かっている。特に家族に対して・・・。
母が亡くなって、本気で全部辞めてしまおうとさえ思ったほどだ。
主人公の姉が見つけた「信じる何か」とか「すくいぬし」とか、主人公の「サラバ」のようなものは
私にはありません。
本作に中にある「不安定で、揺れている」のかもしれないが、それでも私は生きているし、
これからも他人を意識しながら生きていくことになるだろう。
喪失感と失望で外に出たくない、人と会いたくない、という無気力も何度か経験したが
そのときは時間が癒してくれた。
「自分が信じられなくなる」ということは確かに恐ろしいことです。
だからといって、何かを信仰するとか祈るとかもなかったし、もちろん「すくいぬし」も現れない。
「サラバ」のような唱えれば安心できる呪文の言葉も私にはない。
私の場合、ただただ時間が過ぎるのを、嵐が去るのをひたすら待つしかありませんでした。
・・・本題から、話しが大きくそれてしまいましたね。
つい「サラバ!」の中に自分を置いて読んでいたもので。。。
「サラバ!」は152回直木賞受賞で話題になった本です。
西加奈子さんの著書は初めて読みましたが、イラン生まれの著者にも興味が湧きました。
もしかしたら、「サラバ!」は西加奈子さんの脚色した自叙伝だったかもしれませんね。
ご本人曰く「100%虚構です」とのことでしたけど・・・。
153回直木賞「流」も台湾生まれの東山彰良氏が著書で、同じく台湾が舞台でした。
どちらも海外生まれで日本で活躍する作家です。
世界をまたにかけて語られる「100%虚構です」が熱い!
4月5日(火)
「幸せに生きる」
東京は桜満開、春ですねえ。
私の家では梅が満開です。そして私は花粉症がはじまりました、、、
先日、テレビを見ていたら、ウルグアイの首相の(伝説の?)スピーチが放送されていました。
現代の政治のありように警鐘を鳴らす、要は「人生は幸せでなくてはならない」とするもので、
お金を得るために人生を送るようなことになってはいけない、とし、
もし、そのような生き方しかできない世の中であれば、それは政治の責任だ、とするものでした。
おー、ようやっと私のテーマに共感する人が出てきたな・・・。
と思いながら、聞いておりました。
私は数年前にも、ここ「tuzi now」に書いたと思いますが、私の「人生のテーマは幸せ」です。
そして、最近になってもう一つ加わりました。それは「人間は自由でなくてはならない」です。
これまで呪縛まみれで生きてきた私でしたが、
人生を半分ほど生きて、ようやく言えるようになりました。
ところで、もう一人テレビで見た人がいます。
その方は、元朝日新聞社に居られた女性で、退社されて現在はシンプルな生活をなさってます。
とても羨ましく、私も独りならああいった生活がしたいものだと思っていたところでしたので、
あー、私の思い描いた生活を実践されてる人がいた・・・。
と思いながら、見ておりました。
村上春樹さんの本の中で、「大切なことは小さな声で語られる」といった一文がありました。
ウルグアイの首相のスピーチも響く人には聞こえますが、
共感できない心と無関係の人には聞こえていかない、現に居眠りいてる人もいました。
心のアンテナに引っかからなければ、それは見えてこないし、聞こえないものです。
それはそれで良いのだと思います。
だって、私にだって無縁なこと興味のないこと、たくさんあります。
それは私には引っかかってこないからです。
むしろ世の中のほとんどのことが、私にとっては目を背けたくなることばかりです。
ですから、ウルグアイの首相や元朝日新聞社に居られた女性とは、
私の中の何かと繋がっている貴重な存在なのだと感じています。
もしかしたら、まだ少数かもしれませんが、みんな心のどっかで思っているんじゃないか、
ただ、潜在的なだけで、現代の社会で通用しないから忘れているだけの感情なのかもしれません。
誰しも「テーマは幸せ」で、それが大多数の人にとっては「幸せ=お金」で、
人生をそのために送っても後悔がないんじゃないかと・・・。
だけど、私は違うんだな。
消費せずに暮らしたい。
ね?無理でしょ?そう思うでしょ?
だから、現代社会が住みにくいっつーの。
電子レンジもいらないし、なんなら車もいらない。
携帯電話持ってて当たり前、通信費に月なんぼ掛かってんのよ?
無駄だと思わん?
そのために働くのよ?
働きたくないわけじゃないけど、支払いのために働くのはヤダー。
テレビだってさ、地デジでテレビ買い替えでしょ?強制じゃん?
買わせる気満々じゃん?
おかしくない?
そのために働くのよ?
働きたくないわけじゃないけど、支払いのために働くのはヤダー。
つまるところ、私は電話もテレビもホントは要らない、ってことです。
そのくせ、私が必要な本は無くなりつつある方向に向かってる。
電子書籍に移行しようとしてるじゃん。
こういう方向性が、私を住みにくくする社会の要因なのです。
ま、これは程度の低い一例なんですけど・・・。
消費させようとする政治。消費が支える社会。
お金主義、お金がないと始まらない、生活が成り立たない社会。
そのために働き続けなければならない社会。そして私たちは人生を終えていく・・・。
それで満足ですか?
幸せですか?
4月10日(日)
「新しいメガネ」
桜前線北上。こちらも今年は10日ほど早い開花となりました。
家のまん前にあるお寺の桜が、まるで我が家のためにあるような木なのですが、
昨日から咲き始め、暖かさで一気に咲きました。
私の老化は足からではなく、頭から襲ってきました。
もはや髪の毛はマメに染めないと、みっともないほどの白髪頭です。
ものぐさな私は、よほど染めるのはやめて白髪頭にしようと思うのですが、まだ踏ん切りがつかず、
少しでも若く見せようと、ついつい染めてしまいます・・・。
目は近くは老眼鏡、遠くはもともとあった乱視が進んだのか見えずらくなっていました。
どちらもメガネがなくとも裸眼でがんばれるのですが、老眼鏡をかければ楽ですし、
乱視用はテレビの字幕もクッキリ見えたりと何かと便利です。
乱視用のメガネはこれまで3本作っています。
1本目はもはやかけてもかけなくても、もはや変化なし。
2本目は少し変わる程度なので、父にあげました。
3本目は高級ブランドのフレームなので外出用としてとっておきたい。
どのみち3本とも、見え方としては裸眼と大差なくて、テレビはアナログで見てるようなもので、
普段使いとして1本欲しいと思っていました。とにかく字幕が見えなくて困っているのです。
これまで乱視だけで、まさか近視があるとは考えもしなかったのですが、
視力には自信があってのぞんだ数年前の運転免許の更新で、
あまりの見えなさに愕然としたのがきっかけでした。
でも裸眼でクリアしましたので、いまのところメガネは必要ないのですが・・・。
1本5,000円で作ってくれるメガネ屋がありまして、用事で出かけた帰りに寄ってみました。
「検査だけでもいたしましょうか?」という女性店員さんの誘いもあって検査したところ、
左目は乱視、右目は近視、という意外な結果が。
自分でも右目と左目は見え方が違うということには気づいていましたが、まさか近視とは!
そこで目にあわせてメガネを作ることにしました。
「今でしたら開店10周年記念でお安くなっております」
「3本だと7,500円(税別)ですのでいかがですか?」
いやいや3本は多すぎるし・・・。
というわけで、1本を4,000円(税込)で作ってもらうことに。
後日、仕上がったという連絡をもらって受け取りにいったところ、かけたらクラッときました。
近視が入ってるからか?クリアに見えすぎるからか?
(強すぎるかも〜)
家に帰ってきて、父にかけさせたら、「よく見える、前のよりいい」って言うので
父にあげることにしました。そりゃ、2本目よりずっと強いんだもん。
私の目にあわせて作ったのに、父の目に合う、ってどうなんだろ?
その父が、花見に出かけることになりました。
といっても、近所の同級生4人(いつものメンバー)で同級生宅に集まっての飲み会です。
同級生宅に午後2時集合。
その日はザンザン降りの雨で、仕上がったばかりのメガネをかけて父は出かけました。
その2時間後・・・。
「お〜い・・・」
酔っ払って帰ってきたな。そう思って玄関に出てみると、なんと!
顔面血だらけの父が2人の同級生に抱えられながら帰ってきました。
「ひえー!」
「どーしたの?!」
転んだんだそうです。
顔面から血が滴っています。
「うっわー!」
鼻血は出てるし、額からも血が落ちてくるし、頬も切れて・・・とにかく血だらけです。
顔面から転んだ、ってことみたい。
骨折もないし、他に怪我も無い。
とにかく、タオルで血を拭き取って、絆創膏で応急処置。
観察すると顔の右半分に怪我が集中している。
「ん?メガネは?」
送ってくれた同級生のおじさんが、落としたのではないか、というので傘をさして見に行った。
道路わきの流血事件現場は、すぐに分かった。
事故現場にはまだ、流血があったからだ。
「ここだな・・・」
メガネは泥んこになって現場に落ちていた。
「・・・あちゃー」
ドリフのようにひん曲がって、とてもかけられたものではない。
しかも右のレンズ全体が傷ついて白くなっている。
フレームはひん曲がったばかりでなく、すれて色がはげている。もはや使い物にならない。
購入して3日でオジャン。。。
「明智光秀か!?」
明智光秀だって、5日くらいは逃げ延びたはず・・・。
そして、当の父はといえば、猫とケンカして負けてきたようになっています。
それにしても、顔面の傷ぐらいで済んでよかったと思わニャ・・・。
4月18日(月)
「護摩祈祷」
2年前高野山に行った際に、母の供養をお願いして来ました。
以来、年に何度か護摩祈祷等の案内が届くようになりました。
これまでお願いする機会もありませんでしたが、父が転んじゃったりして、
なにかとタイムリーでしたので父の無病息災を祈祷してもらおうと思い立ちました。
ついでに私の、書道の展覧会での最高賞獲得の野望もお願いしちゃおうかな、と・・・。
でも、願い事の欄に〔書道の展覧会での最高賞獲得〕て記入するのは、
かなり厚かましいし、具体的過ぎるでしょ。
書き込んでから思い直し、わざわざホワイトで消して、上から〔心願成就〕と書き込みました。
今度は、漠然としすぎてる感が強くなってしまいましたが、
これなら何でも願い通りになっちゃうという、ある意味ズルイ願い方です。
〔心願成就〕の心は〔書道の展覧会での最高賞獲得〕なのですが、
実際は肝心の作品をまだ一枚も書いてないというありさま・・・。
祈祷の申し込みを済ませて、そのままメガネを直しに直行しました。
あの3日で壊れた、いや父が転んで壊したメガネには1年間の保障がついていました。
とはいっても半額の割引保障なのですが。それと、毎月のメンテナンス券が付いていました。
父は「このままかける」と言いますが、レンズはもちろん右目は完全に白くしか見えないし、
フレームだって大きく歪み、鼻当ても変形して、とても使い物にならない。
私の想像では買い換えたほうが安あがりだと思います。
かけるかけないは別にしてメンテナンスでフレームの歪みだけでも和らげられたらそれでいいし・・・。
担当してくれた若い店員さんが店内にいてくれたので話は早かった。
まだ、私の顔を覚えていてくれていて、「先日はありがとうございました」から始まり・・・。
「それでね、買ったばかりなんだけど・・・こんなことになっちゃって」
「これは・・・派手に歪んじゃいましたね」
「でね、右目のレンズだけ交換してもらえたらと思って」
「そうですねえ・・・、フレームの歪みを直すといっても割れてしまう危険がありますので。
フレームを換えないと新しいレンズが入れられませんので・・・」
「ううっ、、、そうなの?」
電卓をたたく店員さん。
「保障がありますので、レンズが半額で・・・」
結果、4,000円(税別)ほど。
「買った時より高くなっちゃうのね。どうしようかな・・・
とりあえずメンテナンスだけしてもらってこのままかけようか」
「ん〜、でしたらお客様、購入されて間もないこともありますので、
キャンペーン期間は過ぎましたが特別に(電卓をたたく)4,000円で2本お作り致しますが」
「へっ?」
「これはこのままメンテナンスだけ致します。その他に2本お作りします」
「それいいじゃん♪」
1本は父用にして、もう1本は少し弱めに作ってもらい私が使うことにしよう。
・・・結局、3本作ることになっちゃった。
新たな2本が出来上がったという連絡をもらって、後日受け取りに行った。
壊れたレンズの方は強めなので、新たに一段弱めに作った方をかけてみたら、
おおっ!(驚)
ぼやけて見えていた世界が見事にクッキリハッキリ!
今の私の目には、こちらのレンズがベストでした。
1本目は急激に見えすぎたため、クラッとしたのですね。
家に帰って、父に新しいフレームのメガネをかけさせたら、開口一番
「もっと見えるめがねは無いのか!?」と。
これは私の目ですからー!
あなたの目じゃありませんからー!
私じゃ見えすぎるくらいですからー!
他人のメガネ横取りして、挙句に壊して、新しくしてもらって言うセリフか?
どうか、この父に強めの護摩祈祷をお願いします・・・。
4月21日(木)
「グータラの報い」
先日、古い友人から一本の電話があった。
彼は建築、ふたりともフリーで設計の仕事をしている者同士。
向こうから電話が来るなんて珍しいこと・・・。
「tuziさん、今忙しい?」
私は今月に入ってまだ仕事の依頼も無く暇にしていた。
「ぜーん、ぜん暇」
「今度ね、○○大学を取り壊すことになって、複数ある構内の建物の図面を起こすことになってね。
小さな建屋は図面が残ってないから、現地で測って図面を作らなきゃならないんだ。」
「ふむふむ・・・」
「それでね、tuziさんが現地に行ってその建物を見てきて、図面描いて欲しいんだけど」
「それは無理!私ね、もう何年も図面描いてないんだ。
仕事は積算ばっかりでCADのソフトも入れてないし。図面もらって積算ならできるんだけど・・・」
「そうか・・・、じゃあ俺が図面を描くとして、原稿になるようなメモ書き程度しに行ってもらえる?」
「うっ、うん、、、それなら・・・。でも私なんかで出来るかな?」
「ふたり一組で作業するから、一人が測って、それをtuziさんがスケッチしてもらえばいいよ」
「ん〜、初めてのことで自信ないけど、行ってみます」
うっわー、受けちゃったよ・・・(汗)
成り行きで受けちゃったけど、自信ないし・・・(汗)
私なんかで役に立つかな・・・?(汗)
一応、建築出身といっても建築図なんて試験の時以来描いてないし。
そんな頼りない私に電話してきたということは、彼は相当忙しいと思われる・・・。
私はこれまで、出かけたら仕事にならないということもあって、
引きこもり状態で仕事(=アルバイトみたいなもん)をしてきた。
図面は宅急便で送られてきて、あとはパソコンにへばりつく・・・。
こんなグータラな生活を何十年も続けている。
新しい事務所との繋がりもないし、新たな出会いもない。そもそも営業というものをしたことがない。
依頼がなきゃないで、元々のグータラがさらにグータラになるだけ。
だから、今回の現地調査は、それを受けた時点で私にとって大変なストレスになってしまった。
(私なんかで務まるんだろうか?)
(どんな人と一緒に組むんだろうか?)
(どんな服装で行ったらいいんだ?)
(持ち物は方眼紙でいいかな?)
などなど・・・。
日に日に不安はつのる。
そのうち、胃が痛くなってきた・・・。
食後は胃薬を服用するようになって・・・。
外の世界に出て行くなんて経験がないから、とにかく不安で仕方がない。
胃が痛いよ〜。
しかも重度の便秘。
なんで、受けちゃったかな〜・・・(泣)
最初に「暇だ」と言った手前、受けないわけにいかなくなっちゃったし・・・(泣)
「とりあえず名刺でも作っておこうかな」
これまで名刺なんて出す機会もなかったので、持ったこともなかったのですが、
今回初めてパソコンで作ってみました。
「5枚もあればいいかな?いや、ついでだから10枚プリントするか・・・」
最終的に、忙しい彼も初日だけは同行してくれることになって。
そして当日。
緊張のあまり、待ち合わせ時間間違えて30分も早く着いちゃった私・・・。
「お腹痛いよ〜」
この歳になって初めての仕事を体験するtuzi。
これはもしや、これまでのグータラ生活の報いなのか・・・?
さて、現地に到着して、もう一人の助っ人と合流。
ほぼほぼ同年代と思われる3人。
それから依頼事務所の代表取締り役の人と対面。
その後も、いろんな人と会ったので、名刺作ってきてよかった〜・・・。
今日は3人なので、2人は建築のスケッチ。私は設備関係のスケッチをすることになった。
本日のノルマ、3棟は小規模の建屋なので半日ほどで終了。
お昼ごはんを学食で取って、午後から追加でもう一棟の調査。
昼休みにしばし、代表取締り役の人と二人きりになった。
「事務所には何人くらいいらっしゃるんですか?」
「現場管理もされてるんですか?」
・・・などなど、結構会話ができちゃう自分に驚く。
本日の作業が終了して、依頼先の事務所に寄ることに。
予定では、今週4日間、調査に通うはずだったが、事務所側から
「tuziさんには家で図面作業して欲しいんだよね」
という話しになり、「(いやいや、私図面描けませんから。言いましたよね?)」
それでも成り行きで作業をする羽目になってしまった。
一応その場で、説明されたけど、すぐにキャパがいっぱいいっぱいになってしまい、
頷いてはいるものの「(あー、明日パソコン持って来よう・・・)」と考えていた。
どうせ、作業に使うソフト入れなきゃなんないし、その時にメモしながら覚えようと・・・。
5月末まで1,000枚の図面を差し替えしなきゃならないらしいのだが、
とりあえず120枚ほどのデータを持ち帰った。
手順はすぐに慣れて「(単純作業だな・・・)」と思いながら始めて、すぐ終わっちゃった。
「(これって、いくらもらえるのかなあ?それとも請求するのかなあ?)」
請求するにしても相場がまったく分からない。
これも長年のグータラの報いなのね・・・。
しかも、終了したデータを送ったが、先方からなんの連絡もない、というのは
使い物にならなかったということだろうか?
グータラには悩みは尽きない・・・。
(ちなみに、作業に問題はなく、後日追加のデータが送られてきました)
5月6日(金)
「routine&celebrity」
五郎丸のルーティン、琴奨菊のルーティン、tuziのルーティン・・・。
tuziのルーティンは、太極拳の講習会帰りにはサーティワンアイスをダブルで食べること。
街に行ったらランチは決まってモスバーガー。
GWのお楽しみ、2日間の太極拳講習会に今年も行ってきました。
練習後はもちろん、サーティワンアイスをダブルで。
昼食はモスバーガーには行かず、コンビニで買ったランチパック(=某製パンの)を持参しました。
初日、午前中の練習が終わって、昼食を取ろうとロビーの椅子に座ったら、
「tuziちゃん、こっちこっち!」と大先輩に呼ばれた。私は呼ばれるままそちらに移動した。
この講習会には全国から太極拳愛好者が集っていて、
毎年参加されてる首都圏にお住まいのおふたりもおられました。
前泊もされて2泊3日でいらしてるおふたりと、大先輩と私。なぜ私が呼ばれた?
大先輩は現在も教室に通われて習っていらっしゃいますが、私はもはや一般の部外者。
ずいぶん昔のことなので、記憶も定かでないのですが、大先輩と私は李先生loveつながりでした。
ともかく、この年に一度の講習会では、いつも声をかけてくださっている大先輩なのです。
李先生loveつながりだから?
その大先輩は、いつも大量のお弁当をこしらえてきてくれていて、
本来は遠くからいらしてるお二人のためだと思うんですが、なぜか私にも分けてくださって。
初日の今日は、おいなりさんでした。デザートのフルーツもたくさん。お茶まで・・・。
紙コップもお皿も、お箸までちゃーんと用意されている。
「(・・・なんか恐縮なんですけど)」
2泊3日のお二人は、毎年のことなのでお土産持参で来てまして。
「(私、なんもない・・・)」
持参してた、コンビニの黒糖モンブランパンをとりあえず分けちゃいました。
「(こんな、コンビニのパンなんて食べたことないんだろうなぁ)」と思いながら・・・。
案の定、大先輩は「tuziちゃん、美味しいじゃない♪馬鹿にできないわねー」と。
でしょ?恥ずかしながら、庶民はね、これでも十分美味しいのよ(笑)
「tuziちゃん、明日はサンドイッチだからね。昼食何も持ってこなくていいからね」と言われても、
セブンイレブンではGW中おにぎり100円なのだ。
これもまたtuziのルーティンでおにぎり2個を持って2日目。
ご馳走になりっぱなしなので、セブンイレブンのココアドーナツを人数分買っておいた。
私は今年、初めての種目に挑戦していて、忘れないうちにテキストに書き込みをしていた。
「勉強熱心ねー」と感心する人もいますが、そんなんじゃない。
初めての種目だし、書いても忘れるというのに、書かなかったら帰る頃には
すっかり忘れてしまうからメモってるだけで・・・。
お昼食べる前に書き終えようと復習に夢中になってる私に、
「tuziちゃん、あそこに陣取ったからね!」と、わざわざ呼びに来られた大先輩。
「(こりゃ、待たせちゃいかんな)」と復習を後回しで向かった。
「わあ♪フルーツサンドだあ♪」
昨日はおいなり、今日はサンドイッチ。しかも大量。
今日は雨降りなのでタクシーで会場に来たという大先輩。さすがセレブです。
大先輩「昨日ね、三越寄って予約してた△△のパンでね作ったのよー。
△△じゃないと美味しくできないから」
2泊「△△のパンて午前中で売り切れちゃうのよねー」
tuzi「(へー、そーなんだ・・・、てか△△て知らないし)」
大先輩「ジャムは伊勢丹の××じゃないと、美味しくないしね」
2泊「でも、××もなかなか手に入らないでしょ?それより長野県の○○のジャムも美味しいわよ」
tuzi「(・・・全部分からない・・・会話がチンプンカンプンですー)」
それよか、きゅうりとチーズのサンドウィッチのチーズがやたら美味しいんですけど。
チーズの話題は出なかったけど美味しい・・・このチーズは特別じゃないのか?
チンプンカンプンなセレブな奥様方の会話にまったく付いていけない私は、
「ふむふむ・・・」と分かってるんだか分からないんだか、曖昧に頷きながらチーズサンドを頬ばる。
超高級な奥様はコンビニのドーナツなんて食べたことなど無いんだろうな、と確信し、
いやコンビニになど行かないんだろうと思った。
恥ずかしながら、ドーナツを出して「おやつにどうぞ・・・」と小声で渡す私。
大先輩には家からハーブティを持ってきた。といっても頂き物ですが・・・。
いやあ、なぜに私がこの場に呼ばれてるのかが分からない。
分からないけど、フルーツサンドは何年かぶりで食べたし、チーズサンドのチーズ美味しかったー♪
来年こそは、コンビニドーナツじゃなく、ちゃんとお礼できるように何か用意して行かねば。
と、思うtuziでした・・・。
「SoftBank&Saizeriya」
年に一度のお楽しみ、太極拳三昧の2日間が終わってしまった。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう・・・。
さてと、駅前のディスカウントショップで切手でも買っていこうかな。
ついでに近くの大型電気店でも覗いていこう。
ハッピを羽織って祭りのような店内。
「(祝日だしね)」
祭りの店内を進んでエスカレーターに乗ろうとした私に、ハッピ姿のお姉さんが
「ルーレットして行きませんか?」と声をかけた。
「はあ・・・」
言われるがまま、大きなルーレット盤を回した。
「おめでとうございます。3等です!」
「はあ・・・」
「こちらへどうぞー!」
「はあ・・・」
「クリアファイルです!3種類ありますが、どちらにいたしましょう?」
「んー、じゃこれで・・・」
「アンケートよろしいですか?」
「はあ・・・」
「携帯電話はどちらをお使いですか?」
「(あー、そーきたか・・・)」
「持ってません」
「お持ちになりたいとお考えですか?」
「いいえ」
「・・・それはなぜでしょう?」
そういう反応されるのは、もう慣れっこになってる私。
「必要ないからです」
「ガラケーですと、1500円くらいから持てますが、お時間3分くらいでお手続きできますが」
「考えてませんので・・・」
クリアファイル要らないから、無罪放免して欲しい。
いまどき、携帯持ってないってだけで罪人のような扱いするのやめてもらえません?
ようやくエスカレーターに乗って、上の階で降りたとたんに
「ビンゴカードをどうぞ!」と元気なお兄ちゃんに持たされた。
「え?」
「こちらのボードの数字が当たりです」
「はあ・・・」
なんだか知らんけど、ビンゴふたつでノートをもらった。
そしてお決まりの勧誘が・・・。
「インターネットはされてますか?」
「はあ、まあ」
「プロバイダーはどちらで?」
今度はインターネットの勧誘だった。
「考えてませんので・・・」でまたも放免となった。
もう・・・、私ってなにやってんだろう。
こんな面倒くさいことになるんだったら、クリアファイルもノートも要らないし。
いまどき、ダイヤルアップ回線ってだけで罪人のような扱いするのやめてもらえません?
なんか疲れちゃって、何かを見るつもりで来たはずなのに、気力がなくなっちゃった・・・。
店を出て、どっかで一息つこうとしてモスバーガーに向かった。
「(んー、酒が飲みたいなー・・・)」
モスバーガーの隣のビルの地下にファミレスがあったはず。
「(ファミレス・・・?)」
ファミレス、ってここ10年近く行ってないかも。
しかも、ここのファミレスには入ったことがない。
サンガリア・・・?
それは飲料メーカーでしょ?
サングリア・・・?
それはスペインかどっかのワインの名前でしょ・・・?
ファミレスの名前はサイゼリア・・・?
ん?サイゼリヤだっけ?
たぶん、サイゼリヤ。
店内は高校生っぽい若いお姉ちゃんたちがいっぱい。
私のような年配者が来るような店じゃなかったかも・・・。
でもま、飲めればいっか。
ワインの・・・デカンタ・・・200円んんっ!?
1番人気のミラノ風リゾットが・・・300円んんっ!?
500円もあれば飲んで食べられちゃうの!?
中高生のおこづかい感覚だわ。
よーく見ると、お独り様ゾーンに、オタクっぽいおじさんたちがチラホラ・・・。
そしてここにも、なーんか怪しいおばさんが、デカンタでワイン飲んでるし・・・。
だったら、デザートも注文しちゃおう、っと。
お会計〆て700円ほど。1000円におつりがきちゃう。
モスバーガー素通りして、隣のサンガリアに来てしまいそう・・・。
違った!
サイゼリヤ・・・だよね?がルーティンになってしまいそう。
それにしても、いい歳して高校生たちに囲まれて酒飲むなんて、何やってんだろ私・・・。
5月8日(日)
「淡墨(たんぼく)」
昨年からK書道展に2種目で挑戦を始めました。
新たに挑戦している種目は、2文字までを大きく書くもので、私は淡墨を使っています。
何年も前から憧れていた種目でしたし、上手になりたい分野でもあって、
挑戦できるだけで嬉しいです。
それで昨年初めて淡墨を作ってみたのですが、正式な作り方を知らないので、
適当にブレンドして作ったのですが、これがまた簡単に上手くできてしまい、
また評判もよく、墨が良かったからか、いつもの即日仕上げで作品もすんなりできてしまった・・・。
そして今年はM書道展でも同じ種目を追加して提出することにしました。
家で数枚書いて見てもらおうと、昨年同様、適当にブレンドして作ってみたのですが、
なーんか、墨色が悪い。
何度作り直しても、イマイチ墨色が上手くでない。
「(昨年のはマグレだったのか・・・)」
色の悪い淡墨で、もう1種目も書いてみたのですが、やっぱり滲みが気に入らないし、
第一、色が薄すぎて、気に入らない。
でも、せっかく書いたのだから、一応持っていってみよう・・・。
濃墨でも書いていたので、淡墨を使ったバージョンと併せどちらも持参した。
講習会で提出となるが、当日はとにかく‘大字’を書かねばならない。
講師の先生に見て貰い、淡墨の墨色をうかがうと、悪くないとのこと・・・。
「(そーかあ・・・?)」
自分としてはどうしても気に入らない。
ずっと、正方形の用紙に1文字を書いていたのですが、
「長方形の用紙に変えてみようか」と先生、2文字のお手本を書いてくれた。
「(ゲッ!ここにきてガラッと変えるの・・・?)」
墨色も試行錯誤を重ねて、ようやくものになってきたところだったのですが、
書く気力も低下してきていたし、作った墨も切れたので、結局2枚だけ書いて提出をしてしまった。
「(もう、これ以上書いても・・・)」と思うところもあったので、諦めました。
墨色もどうにか、私の理想に近くなってきたし、奇跡の一本松(陸前高田)ならね、
奇跡の一枚です。
M書道展は半数が落選する厳しい書道展です。
2枚だけ書いて、入選したらそれこそ奇跡じゃん・・・。
あ〜あ、もうちょっとガンバルべきだったかな?(←もう遅い!)
他の1種目の方も、淡墨で書いたのが選ばれてしまいました。
墨色も、線も気に入らない1枚が選ばれてしまったわけで・・・。
入選したらこれも奇跡じゃん・・・。
あ〜あ、もうちょっとガンバルべきだったかな?(←もう遅い!)
毎年、入賞を、最高賞を狙ってると嘯いていながら、結局今年も即日仕上げの提出・・・。
自分が納得いかない作品を、決して安くない出展料支払って、何やってんだろ私・・・。
5月10日(火)
「永い言い訳」
西川美和著『永い言い訳』を読んだ。
冷んやりしていて、どこか無機質な文体で、それは主人公の‘ぼく’を彷彿とさせていて、
‘ぼく’は「まるで私だ」と思いながら読み進めていました。
2015年、直木賞候補だったという本作は、今年の秋に映画が公開されるとのこと。
著者の西川美和氏は映画監督もする、脚本家でもある、エッセイストでもある・・・というように
多彩な女性のようです。
ところで、小説『永い言い訳』は、私が誰にも言えずにいたことが暴露された感じがしました。
近しい人の死に遭ったとき、その反応は千差万別であるはず。
悲しみに変わりはなくとも、その表れはみんな違ってくるのでは、と漠然と思ってました。
泣き叫んで悲しみに暮れる・・・そんな判で押したような反応を誰もが表すわけではないと。
事実、私がそうでした。
私の反応には私自身でも驚いたほどだったのです。
そして、私はいまだに私の「永い言い訳」が継続中です・・・。
本編p306、「あのひと」を喪って、私が無気力になったことは自覚しています。
世の中が白黒のモノクロ世界に見えました。それは、現在でも少しひきずってるのですが・・・。
でも、私にはもうひとりの‘他者’が存在しています。
その‘他者’までも喪った時、私にどんな感情が生まれるか、私自身にももはや想像がつきません。
だって、無気力すら想定外の反応だったのですから・・・。
本編p304−6行目〜8行目、後悔したくないと頭で思ってても、
てんで違った行動を取ってしまうのは、ホントどういうわけなんだろう?
それが身近であればあるほど・・・。
本編p304−10行目、それはまったく私そのもので「舐めてたね」です。
舐めてた・・・。もう遅いけど。
私にできることは仏前に花を絶やさずに、月命日は決まってお墓参り。
毎日ごはんあげてお経あげて、話しかけて・・・でも何も聞こえてこない。
「tuziちゃん、お母さんいなくなって寂しくなったでしょ?」って決め付けたように言われても、
ヘラヘラ笑うことしかできない。
母がいなくなってしまったことを認めたくないんだろうか?
「(いなくなった?・・・そうなの?)」ってな感覚。
やっぱり認めたくないのだ。
実は生きているのだ、と思いたいのだ。
父が母のことを「死んだ」とダイレクトな言い方するときは、思わず耳をふさぎたくなる。
でも、突然すぎてふさぐより前に耳に入っちゃうんだけど、私は父のその言い方に吐き気を覚える。
まる2年経っても、母の物はそのままで、靴下とかたまに借りたりするけど、
なんだか「(借りるね)」って感じにしかなれない。
私、病んでますか?
死の以前、数週間は布団の中で泣きっぱなしだったけど、
亡くなってからはピタッと嘘のように涙がでなくなった。火葬場で泣いたくらい・・・。
「(今は葬儀やらで忙しいから四十九日過ぎて日を追うごとに寂しくなるのかな?)」と自分で思ったり、
親戚にも「今は人の出入りも多いし、忙しすぎて・・・寂しさがジワジワやってくる」、って
言われたりしたけど、不思議に寂しくもならないし、涙もでない・・・。
私、冷淡すぎますよね?
たったひとりの母を亡くして、あんなに大事に育ててくれた母を亡くして、寂しいと思わないなんて。
私、おかしいですよね?
自分でも「こんなはずじゃなかった」と思いますよ。
人として間違ってるんじゃないか、って。
感情を司る脳の部分が壊れてるんじゃないか、って。
ですから、本編p305-p306、「背中にいやな汗をかいて」生きています。
今になってみると、複数の‘他者’がいたらよかったのに、と後悔しながら・・・。
上橋菜穂子著『精霊の守り人』がドラマになって、今後も‘守り人’シリーズが
数年に渡って放送される予定だそうです。
『精霊の守り人』の次がたぶん、『闇の守り人』で、そのまた次が『夢の守り人』と続くはずなので、
『闇の守り人』を読むことにしました。
‘闇の守り人’の正体は・・・
無念を残したままの死者。伝えたいことがある死者でした。
弔い。
生きている者は死者を弔い、恩恵が授けられる。そして死者に生かされてゆく・・・。
儀式でなされる‘剣の舞’は「死者との対話」に他ならなかったのです。
私は近しい人を喪って、もはや弔うことしかできなくなりました。
「死者との対話」はファンタジーの世界に任せるしかない。
私に残されているのは供養を怠らず、祈ることだけ・・・。
なんと愚かなのだろう。
「舐めてた」代償がこれだ・・・。
5月22日(日)
「‘開かずの間’とヘモグロビン」
母は買い物が好きで、家の中は生前母が購入した物であふれかえっている。
‘足の踏み場もない’とは我が家のような家をいうのだろう。
数ある部屋も、ぜんぶ物であふれかえっているため、
使える部屋がごくごく限られてしまっている。
テレビのある居間と、もう一部屋。あとは母のいる仏間くらい。
それだって、葬儀の際に片付けてようやく空けた貴重な二部屋だ。
家中、あっちに行っても、こっちを見ても、物であふれかえっている。
庭に物置が3ヵ所もあるのに、どこも満杯状態で、取り出すことすらできない状態。
それ以前に、何が入っているのかも分からない・・・。
「いつかは手を付けねば・・・」
と、思いながらも、あふれかえった物を見ただけでゲップがでてしまう。
見て見ぬふりしながらやり過ごしてきた。
「だって、片付けたところで、私が独りになるなら、いっそこのままでいいじゃん」
そんな風にも思っていた。
残してくれたのはありがたいけれど、その整頓されていない大量の衣類や台所用品は
私がどうにかせねばならない。
そう考えただけでゲンナリしてしまう、が本音・・・。
そして連休明け、父からヤイノヤイノ・・・うるさく言われて、渋々手を付けた。
父はヤイノヤイノ言うだけで手伝ってもくれない。
2009年以来の力仕事に嫌々ながら着手・・・。
20kgはあるだろう漬物樽を外に出すだけでも重労働。
ひとつやふたつで終わらないから、泣きたくなってくる・・・。
そればかりでない。
漬物部屋の、その奥〜の‘開かずの間’から運び出す
ウン十年も昔の食料品などなど・・・。
箱に入っていたはずの物は、ことごとく底が抜けてしまうし。
昔の物が出るわ出るわ・・・
なんでも捨てずに取っておく性分らしく、その点は私も同様なので
気持ちはよーく理解できるのですよ。
それに母は母なりに種類別に分けて、法則だって整理していたらしい痕跡がみてとれるし。
ですが、その量がハンパないのです。
大量の鍋、フライパン、すき焼き鍋だけでも4個もある。
どーしろというの?
大量のサランラップ、大量の洗剤、石鹸、大量の食器、昔流行したタッパーの類、
大量のポット、やかんは少なくとも8つはある、炊飯器が3台、すべて新品だ。
これだけでもスーパーの品揃えに負けない量がある。他にもまだまだ・・・。
私が一生かけても、使い切れないでしょう。
ですので、12畳分のヒマラヤ山脈はそう簡単に攻略できるものではありません。
‘開かずの間’でしたから、軍手にマスクの完全防備でのぞんでも、
なぜか鼻穴真っ黒、手も真っ黒。髪はザラザラ。
長時間作業していると、気分が悪くなってくる。
「ペストになりそう・・・おえっ」
午前中動いただけで、汗で気持ち悪いから、水風呂に入る・・・。
「いつになったら片付くんだろう・・・」
山になっていた物を崩しながら片付けて、ようやく畳が見えてきたら、
すでにベトベトでぬかるんでいた。もう畳は使い物にならない。
「こうやって人が住まない家は朽ちてゆくもの・・・」とつくづく感じた。
まだ一部屋も片付けられないまま、すでに二週間が経過・・・。
あと同じような部屋が二部屋も残っている。
タンスも動かしたいし、庭の3ヵ所の物置の中も片付けたい・・・。
いつになったら終わるか検討もつかない。
「こうして家の片づけがエンドレスに続いて、私は生涯を終えていくんだろうか・・・」
あっちのものをこっちに移動するだけの不毛な時間。
「こんなことに何の意味があるというのだろう?」
‘開かずの間’はそのままそっとしておくべきだったんじゃ?と思われてならない。
でも登り始めた山を途中で下りるわけにはいかない。
いや違った、崩し始めた山を途中でやめるわけにはいかない、だった。
粗大ごみの日は車で3往復せねばならないほどの量でした。
だけど、このところ重労働が続かなくなってきて、一日置きに作業がペースダウン・・・。
そんな時、4月に受けた健康診断の結果が昨年同様、
「指導を受けないと渡せません」と相変わらず上から目線の通知が届きました。
結果は行かないともらえないので、どのくらいの数値なのかは分かりませんが、
肥満、高血圧、高脂質、新たに高血糖が加わってるようです。
で、同じタイミングで献血車のハガキも届きまして。
午前中は‘開かずの間’の片付けをして、午後から献血しに行ってみたんです。
献血の検査だと、いつも正常値内なので比較してみたいなと思います。
献血車では、献血の前に検査がありまして、ヘモグロビン値判定があります。
それがまさかの
「ヘモグロビン値が低すぎますので、今回の献血はできません」と。
「ええっ?」
私が?・・・ショック〜。
「こういったことは初めてですか?」
「・・・はい、初めてです」
思いがけないことが起きて、クラクラしてきた。
「疲れてますか?」
そりゃ、疲れてるけど、特に具合悪くないし。
これは、‘開かずの間’で疲れただけ。そうよ、疲れてるだけ。
「・・・他にどんなことが原因なんですか?」
「栄養が足りてないとか、あ、でもそんなに深刻な数値ではありませんから。
日常生活には支障はありません」
なんか昨日からふらふらするな、と感じていたのよね。
血圧が高いのかと思っちゃった。
ヘモグロビンだったのかあ。
一過性のもの、と自分では思ったのですが、半年間献血止められちゃった。
血が薄いだなんて、歳とると思いもよらないことが起こるもんです。
献血しに行って、できずに帰されるなんて私としたことが、
献血回数20回以上を誇る私としたことが。
信じられません。
なんだか私って、めちゃめちゃ不健康じゃん。
こうして信じられないことが重なって人は老いてゆくのね・・・。
5月25日(水)
「ゴミ問題」
漬物部屋と‘開かずの間’を片付けながら、大量のゴミが出た。
ほとんどが燃えないゴミ=鍋、釜など。
他に、大き目のザルとか、プラスチックの蓋とか、
ポリエチレンの大きな樽やバケツとか・・・。
「これって、燃えないゴミの粗大ゴミとして出していいの?」
分からんから、ダメもとで出してみようか・・・?
車で3往復分でした。
結果、見事に置いていかれました。
「プラスチックとか、ポリエチレンて、なんだろ?燃えるゴミ?」
ゴミ集積所に置いていかれた大量のゴミは私が出したものの残骸。
私の住む地域では、燃えるゴミ用とプラスチック用の2種類の袋があります。
「もしかして、プラスチック用なのかな?」
考えても分からんから、役所に電話して聞いてみた。
置いていかれたゴミは、燃えるゴミなんだって。
さっそく袋を持って集積所に行った。
残骸は、燃えるゴミ用の袋で2個分になりました。
「ビンに入ってるんだけど、さび付いて開かないのはどうしたものか・・・?」
缶に入っているのも同様で、古すぎて開かないのです。
中身を取り出すこともできない。困ったものだ・・・。
さて、今日はダンボールや古布の回収日でした。
これまた底の抜けた大量のダンボール。
ボロボロでしたが、なんとかごまかしながら十字に縛って出しました。
結果、それらはキレイに回収してくれてましたが、問題は古布です。
しっかり置いていかれてました。
古布といっても、ボロボロのマットレス3枚です。
十字に縛ったらなんとかなるかな〜、と思ったのが甘かった。。。
これも、燃えるゴミ用の袋にギュウギュウに詰めて3個分。
私が袋詰めに悪戦苦闘してたら、近くを通りかがったオバちゃんに、
「袋に入れてないから持って行かないのね」と声かけられた。
「ふふ・・」って頷いてごまかしたけど、そうじゃないと思うのよねー。
だって、今日は十字に縛れば持ってってくれる日のはず。
でも、置いていかれたっていうのはさ、
単純に私が分別に失敗したせいだと思うんですが。
なんとか押し込んで、袋に詰めてきました。
「フウ・・・疲れた〜」
集積所には回収してもらえなかった我が家の残骸が5個も取り残されています。
果たして次回、持って行ってもらえるでしょうか?
お願いですから持ってって欲しいー。
それにしても相変わらずゴミの分別、わからんわー。
分からんのは全部、燃えるゴミ、ってことでよろしいのかな?
6月7日(火)
「煮詰まってます」
6月に入ってからK書道展の作品作りに取り掛かりました。
書けば書くほど分けわかんなくなるのはいつものこと・・・。
しばらく時間をあけてから書けばいいものを、気になり始めると書かずにはいられなくなる。
そして煮詰まっては作品にならない、の悪循環・・・。
短期決戦型の私にとって、それは時間があればあるほど厄介で、紙と墨の無駄遣い。
分かっていてもやめられない。
もう、完全に煮詰まっています。
挙句にインターネットで字書まで衝動買いしてしまうありさま。
しかも届いた字書は見当違いで、大失敗・・・。
判断力もなくなって、完全に迷走し始めました。
今朝は、仏壇のお茶とお湯を取り替えようとして、
いつものように、お茶を飲みながら片手に冷めたお湯を持ってコーヒーメーカー向かったところ、
昨日の冷めたお湯を頂いてコーヒーを淹れるのが毎朝のルーティンなんです。
・・・のはずが、何を思ったかコーヒーメーカーに、お茶ガラの方を入れてしまったのです!
「あわわ・・・」
寝ぼけたにもほどがある。
「何やってんだ?私・・・」
コーヒーメーカー洗いながらド〜ンと落ち込みました・・・(涙)
6月15日(水)
「外交員」
保険の外交員など、ただの‘脅し屋’と変わらない。
「病気になったらどうします」
「病気になってからでは遅いんですよ」
あたかも、病気になるを前提に脅してくる、私にはそうとしか聞こえてこない。
縁起でもない。
私の生徒だった人が、押しかけてきて、まがいなりにも先生を脅しにやってくる。
私は仕事中断してお茶だしたり、お茶請けのお菓子も添えて・・・。
それで脅されるなんて私もよほどのお人よしだと自分でも思う。
しかも、そういう輩はしつこくて、なかなか帰らない。
こっちだって暇じゃないんだ。だけどそんなのお構いなしで何時間も脅し続ける。
たまったもんじゃない。
先生宅に押しかけるだけでも失礼千万なのに、外交しようなんて厚かましいにもほどがある。
これまで何度となく付き合って話しを聞いてきたが、先日はついに堪忍袋の緒が切れた。
話しの端々に聞き逃せない失礼の数々・・・。
「(それで契約が取れてるの?)」と思う話し振りに怒りを覚えた。
たとえばこうだ。
私が‘開かずの間’の片づけをしているという話しになった時、母の大量の衣服に話が及んで・・・。
「アフリカやアジアの国々に寄付できるんですよ。
役所で受け付けてるはずですから送ったらいいのに」
その押し付けがましい言い方。
さも寄付するのが最良の方法のような言い方にカチンときた。
なんで寄付しなきゃいけない?
そもそも寄付だなんて言われる筋合いじゃないし、私の母が気に入って購入した衣服の数々を
なんで寄付しなきゃいけない?
心情を完全無視したその言い振りは大人の対応とは思えない。
そればかりではない。
ある病気の話しになって。
私は病院でたくさんの患者さんを見てきたし、少なからず治療に携わってきたから、話しているのに
意見が食い違った挙句、完全に素人呼ばわりされた。
医者じゃなきゃ素人は素人でしょうけど、
はっきり「素人が何を言ってもね」と言い切る奴の神経が理解できない。
自分は素人じゃないのか?と言い返してやりたかった。
これだから「(それで契約が取れてるの?)」と思うのだ。
私でさえ相手がどう思うか考えながら話すのに、外交員としてあるまじき完全に無神経でしょ。
次回こそはキッパリ訪問を断ろう。
こんな不毛な時間を過ごした上、‘お邪魔しました’‘ごちそうさまでした’の一言もなく、
「これが私の仕事なんです」と訳の分からない一言を言い残して去っていく。
それも、あっちの都合の言い時間に。
あんたの仕事なんて、こっちの知ったこっちゃないし、
それ言うなら、こっちの仕事の時間を返して欲しいよ(怒!)
あんな‘脅し屋’に長々付き合ってる私がバカだ!大バカだ!
時間を無駄にして、お茶出して、神経逆なでされて、バッカじゃないの!?私。
6月30日(木)
「無職になった日」
仕事を請けている会社に呼び出された私。
ある料理屋の一室。
そこで「今後付き合いをしないことになった」と社長に昇格したばかりの元所長に通告された私。
「え?それって今後仕事がなくなる、ってことですか?」と聞き返す私。
「そうだ」といけしゃあしゃあと答えるN氏。
これまで長年安い時給に甘んじてきた私に平然と言ってのけるN氏に怒りを感じた。
きっと、昨年辞めたT女史が、密かに一年の説得の甲斐あって事務所に復帰したため
私がお払い箱になったのだと推察。
T女史は「婚活します」と会社を辞めたにも関わらず、水面下で復帰していた。
いまや公と正社員となり、しかも部署長として出世も果たしていた。
私はその復帰を何ヶ月も知らず、今も本人からも何の連絡もない。別の人経由で聞かされていた。
それにもってきて、今回の通告である。
破れかぶれになった私は、「これまで散々安い時給で使ってきて、その上にこの仕打ちか!」と
N氏に殴り掛かった。
「コンビニと同じような時給で、これまで値上げだって一度もなかったじゃないか、その挙句に・・・」
店内に響き渡るほど叫びながらN氏に殴り掛かる私。
叫びながらも、頭の中ではどっか諦めていて、「(こんなところで仕事してても無駄・・・)」と
冷めた部分も。また一方では「(新しい仕事探さなきゃ・・・)」とも。
どうせ通告は覆らないのだし、長居は無用だ。
料理屋を出て憤慨しながら歩いてたら思い出したことがあった。
「あ、まだ未清算があったっけ」
私は料理屋にとって戻り、まだ個室に居たN氏に言い放った。
「未清算がありますから、それは時給値上げで清算してもらいます!」と言い放って店を出た。
家に帰ろうと駅に向かって歩いていたら近道らしき通路を見つけた。
通路に入って進むと道はだんだんに開けて、あたかも京都のような雰囲気の佇まい。
もみじが色づいて美しい。
「それにしても駅ってこんなに遠かったっけ?」
ようやく駅らしき建物が見えてきた。でもそれはどう見てもS駅ではない。
「ここはどこ?」
私の呟きが聞こえたのか近くを歩いてた女性3人組の観光客が教えてくれた。
「ここは福井です」
「・・・福井?」
私は太平洋側の県にいたはず。
なんで日本海側の福井県にワープしちゃったんだろう?
ま、せっかく福井に来たんだから、丸岡城を見て行かねば。
その考えが伝わったのか、3人組の観光客も私に付いて行きます、ということで4人で宿泊して、
明日いっしょに丸岡城に行くことになった。そして夕飯を食べに街の料理屋に入ることに。
たまたま入った料理屋の店主が片岡鶴太郎で、そこは新鮮な魚介を提供する料理屋だったのでした。
2人が海鮮膳、私ともう一人はアナゴ膳。
食事をしながら店主の鶴太郎さんに「丸岡城へは歩いて行けますか?」と聞くと、
「行けないことはないが電車の方が便利かな」ということだったので、
旅館に戻る前に駅で朝の電車時刻を調べる私・・・。
・・・という、前半は超リアルな夢をみました。
仕事がなくなる、というかここ何ヶ月も仕事がないのも、復帰の挨拶もないのも現実なのですが、
はっきりと通告されたわけではありません。
もし通告されたとしても「はあ、そうですか」とグッと怒りを抑え、
実際には殴りかかったりは間違ってもしないでしょう。
怒りをぶちまけることをしないで後悔する口で、その怒りはどこにも行き場がなく、
私の体の中でグツグツと煮えて増幅してくる、というのがいつものパターンです。
でも夢の中の私は感情むき出しに叫んでいました。
現実、無職なんだけど、夢の中のようにはっきりと「もう、仕事出さない」と通告されると
それはかなりショックで。言われずに‘待機’しているのと‘無職’では趣がまったく違うものです。
実際は‘待機’も‘無職’も同じで状況で、無職に変わりないんですけど・・・。
後半の展開は、夢っぽい夢でして、会ったこともない見知らぬ3人の女性が登場。
4人で旅館にチェックインしたところで目が覚めてしまい、丸岡城を見ることはできませんでした。
現実に福井に行って、丸岡城を夢ではなくこの目で見るしかなさそうです。
それにしても、なんで福井だったんだろ??
7月11日(月)
「格差」
3月から苦しめられてきた、ふたつの書道展への提出が終わって、
前々から決めていた飲み会が待ち遠しくってたまらない。
メンバーはいつもの3人なのだが、私以外のふたりは、いつだって多忙で
飲み会どころではない人たちだ。
そんなふたりに「今日の飲み会が楽しみで、昨晩は眠れなかった」と語ったところで、
私のこの開放感を理解してくれるはずもなく。
決まって、携帯電話=スマホを持ってないことをなじられ、
いまだにダイヤルアップでインターネットしてることをコケにされ、
壊れていないからってwindows xpを使い続けていることに目を丸くされ、
「デジカメ忘れた」と言えば「‘写るんです’があるじゃない」と小バカにされ、
あれほど楽しみにしていたはずなのに、なんだか楽しくない・・・。
ふたりからすれば、私がこんな状態だということにイラだっているようでもあるし、
携帯に関しては持ってないことが「迷惑」なんだそうです。
数年に一度の飲み会で、携帯ないとそんなに「迷惑」なもの?
話しを聞いていて、価値観が違うことに気がついた。
正誤をつけるとしたら、きっとこの現代では私が社会から逸脱してるのだと思う。
・・・だけど、それは正誤なの?
私がスマホなり、携帯なりを持ってないことで、人との付き合いに関係する?
そういう世の中なの?
そういう世の中なんだね。
「待ち合わせ場所が変更になっても、連絡つかないからtuziを拾って行かないといけない」
って言われたけど、拾うのがそんなに面倒と思う人間と飲み会しなくてもいいんじゃねえ?
私としては、相手が待ち合わせに現れなかったら、
私の方から相手の携帯に電話しますって。拾われなくてもね。
それで連絡付かなきゃ、それまでよ。携帯持ってるからって連絡付くとは限らないしね。
だって、読まずにメール消されたことが2度もあるんですから。
「何のためのメールよ?」って、私が言いたいくらいです。
インターネットに関しては、そりゃ早いに越したことはないし、
私自身何とかしなきゃ、って自覚もしてるけど、
だからって、周りからとやかく非難されることじゃない・・てと思ってたんですけど。
そういう世の中なの?
そういう世の中なんだね。
とにかく、ふたりの生活水準に私が達してないってことはハッキリしていて、
それはイコール、「常識がない」に限りなく近いということらしく。
私が思う「常識がない」の判断基準とはまったくリンクしないのです。
今後の飲み会が何年後になるか分からないけど、
それまでに生活水準はこれまで以上に開いていると思われ。
多様性を認めない社会から置き去りにされ、
こんな私が再び飲み会で楽しく飲める日がやってくるのだろうか・・・。
7月15日(金)
「恐ろしい夢とリベンジの方法」
私の夢はいつだってリアルで「お告げ」に近いものがある。
例えば、仕事の依頼が今後一切なくなるとか、書道展で良くないことが起こるとか・・・。
どれも現実になってることばかり。
先日の夢は何を物語ってるのか・・・。
とある田舎の古民家に居る私。どうやらそこに移住した模様。
庭に散らかってる空き缶やプラスチックゴミを掃除している。
古民家は借家のようで「大家さんの家だから」と訪ねてきた太極拳の先生と話している。
そうこうするうち、空模様が怪しくなってきた。今にも雨が降りだしそう・・・。
灰色の雲が低く垂れ込めて暗くなってきた。
よーく見ると、それは雲ではなく、枝豆だった!
空一面みどりの枝豆!
手が届きそうなくらいまで低く垂れ込めてきた枝豆の空。
私は手を伸ばして枝豆をつかんだ。取っても取っても分厚い枝豆の雲・・・。
「はっ?」
目が覚めてから恐ろしくなってきた。
「こんな奇想天外な恐ろしい夢で、何を告げようとしてるんだろ・・・?」
今年のK書道展で落選した。
2年目は決まって落とされている。
落選はこれで2度目だが、今年は別のもう一部門が入選したせいか、以前ほどの落胆はない。
落胆は少なかったが、時間経過とともに不甲斐なさに怒りが湧いてきた。
短い出品年数でこれだけ落選してるのは私ぐらいではなかろうか・・・。
もう大金はたいて出品するのは、バカらしいのでやめようかとさえ思った。
でも、そんな理由で、しかも落選したままやめてしまうのはシャクにさわる。
落選の理由を私なりに考えてみた。
1、草書体で書いたはいいが、果たして読めただろうか?
先生は「読める」とおっしゃったが、もしかしたら誤字だったかもしれない。
2、私は墨色重視で選びたかったし、線質も豪快で好きだったが、
先生が線質重視で選んだほうは墨色が悪かった。
3、最終的に二者選択になった時、自分の勘を通すことができなかった。
誤字だけでも致命的なのに、その上、墨色まで悪かったら、そりゃ落とされるわな。。。
本当の理由は分からないが、何をどう言ったところで今年は終わった。
いつまでもグズグズ言っててもしょうがない。
どっちにせよ、私の実力が無かったのだ。
来年はリベンジの年。
今年書いた、もう一方を出品してみようか!?
7月27日(水)
「めまいとジンギスカン」
朝、起き上がったとたん、強烈なめまいが襲った。
ぐるんぐるん目が回ります。
「これはいかん・・・」
と思って、すぐ横になった。
しばらく深呼吸をしておさまったようなので、そろり、そろりと起き上がってみたが、
やはりまためまいが襲ってきた。今度は吐き気も伴って・・・。
「だめだ・・・」
また横になっていたが、今度はめまいよりも吐き気のほうがおさまらない。
なんとか着替えをすませ、階下におりた。
でも気分が悪く、歯磨きどころではない。
居間に行って血圧を測ってみたが、正常だ。
徐々に起き上がっているのも辛くなってきた。
その場で横になって休む。
そんなこんなで2時間経過・・・。
気分の悪さは相変わらずだが、やっとのことで歯磨きして顔を洗った。
体調が悪くなっても、心配してくれる人も介抱してくれる人もいない。
今後もっともっと高齢になったら、きっとこのまま家の中で野たれ死んでしまうのだろうと思う。
今日は以前から計画してた、太極拳教室の生徒さんたちとの食事会がある。
羊の肉を食べに行くのだ。
お昼を過ぎても気分が悪かったが、2時頃になって空腹を感じる良い兆候が見えてきた。
体調不良でキャンセル連絡しようかと迷っていたが、軽くパンを食べても大丈夫だったので
黙って食事会を決行することに。
ジンギスカン食べたら元気を取り戻せるかも・・・。
今日予定しているジンギスカンは、普通の羊肉ではなくて、サホーク種の羊肉です。
地元にいながら、ぜんぜん知りませんでしたが、サホークを食べさせる店があるのだそうです。
私の住む地区は平野ですし、太極拳教室は山沿い地区です。
さすがに地元民は詳しいです。
そのサホークとやらを食べに、さらに山の奥へ進みます。
食べてみての感想は、あっさり系かな・・・?
お店の人に聞いてみたら、裏の小屋でサホークを飼っているらしいです。
「見れますか?」
「今は犬を放しているから見れない」との返答。
外からでも、と思って行ってみたけど、犬に吼えられてビビッた。
それに壁も高いし、中も暗くて、結局チラとも見ることができなかった。
「どんな羊なんですか?」
「頭が黒くて体が白い・・・」
「ああ!ショーンだ」
「羊のショーン」というイギリス製作のアニメ番組があります。
羊のショーン
ショーンはサホーク種の羊だったんですね。
放たれた犬はさしずめビッツァてとこでしょうか。
体調はイマイチ、パッとしなかったけど、お肉を美味しく頂きまして、
しっかり体動かして練習してきました。
いつだって太極拳は万能薬。
ジンギスカン食べて体力回復♪
お店の隅でホコリをかぶってたカワイイ羊の置物
8月1日(月)
「年金と横綱」
朝の番組で、年金のあれこれを取り上げてる番組をみていた。
独りもんの私としては老後の心配事の第一位が生活費。
年金は今後、減額の一途を辿る事は確実のようだ。
60歳から支給が始まるが70%支給77歳まで受けて初めてプラスに転じる。
65歳まで据え置いて初めて100%、さらに70歳まで支給を据え置いて143%。
計算上はそうだとしても、どうだろう?
何歳まで生きるかなんて、誰にも知ったこっちゃない。
ある意味、博打だ。
支給を遅らせて、たくさんもらおうとしても、それまでに寿命が尽きたら、
結局一銭も支給されずじまいということになるのだから・・・。
国側としては、それで年金制度がまわってるのだと言うのだろうから、
「金は天下のまわりもの」を現代風に「年金は天下のまわりもの」と言ったところか・・・。
また、独りもんは、子育ての苦労もなかった、という理由でさらに減額される方向に。
「好きで独りもんになったわけじゃないのに・・・」
非正規で働く人が4割に上り、好きで非正規になったわけじゃない、という意味で
なんちゃら、という呼び名が付けられたというが、
だったら、独りもんも、好きで独りもんになったわけじゃない人に別の呼び名を付けて欲しいもんだ。
そんなことを、ぼんやり考えながらテレビのチャンネルをかえた私を突如衝撃が襲った!
昭和の大横綱、国民栄誉賞の千代の富士の訃報。
異名はウルフ。
高く脚が上がる土俵入りはもちろん、塩を撒く姿もカッコよくて大好きだった。
脱臼に苦しみながらも、土俵の真ん中で豪快な投げで真っ向勝負する横綱。
「えっ?(焦)」
「なんで?(焦)」
すい臓がんだそうで。
61歳。
先ごろ、還暦の土俵入りを現横綱白鵬を従えて行ったばかり。
「早すぎるよ・・・(涙)」
相撲協会理事長になってもおかしくない逸材。
本場所の解説だって、これから楽しみにしてたのに・・・。
今後も、舞の海の‘やんべ’(=いい加減)な解説を聞くことになりそうだ。
ショック〜。
千代の富士を「横綱の横綱」と尊敬してやまない朝昇龍が、
はるばるモンゴルから成田に到着したとの報道もあった。
いやあ〜・・・国葬だべ!
人の寿命は神のみぞ知る。
もしや、千代の富士は年金を一度も、もらうことなく逝ってしまったのではなかろうか・・・。
8月11日(木)
「粘り勝ち」
リオデジャネイロオリンピックが開催されている。
これまでで一番印象に残ってるのが、卓球の丹羽選手だ。
1ゲームも落とせない、崖っぷちからの逆転。
その粘りの精神力に脱帽した。
「(最後まで諦めるもんじゃないね・・・)」
私はといえば、今年も書道展の夏がやってきて、何年かぶりで行ってみた。
膨大な点数の展示を見てて、やっぱり入賞とただの入選の違いがよく分からない。
「(こっちが入賞で、こっちが入選止まり・・・その差はなに?)」
まずは入選するだけでも大変なのだが、最高賞を狙う野心をもつ私としては
入選は‘入選止まり’の感がどうしてもぬぐえない。
それなのに何が賞の決め手になっているのか、さっぱり分からない。
時の運だけのような気にもなってくる。
でも、展示された自分の作品を見て、大胆さに欠けると感じた。
「(まだまだだな・・・)」
反省を踏まえて、今後も諦めず粘り強く出展を重ねようと思う・・・。
てかさ、本当はそんな悠長なこと言ってる場合じゃないんだよね!(怒)
そもそも、母に最高賞を捧げようと、それこそ柔道の井上康生(現柔道監督)のような思いで
一時は辞めようと思った書道を、供養に頭を切り替えることで辞めずに続けてきたはずなのに・・・。
なのに、もう三回忌すぎちゃったじゃん!
いつまで、もたもたしてんだか・・・(焦)
悔しさと反省を含め、帰りに独りで飲んだ。
初めての独り居酒屋である。
開店まもなくだったので、客もいなくて、カウンターで独りで飲んでいた。
1時間もすると、店内に連れのある客の声がしだして、そうなるとさすがに寂しいものを感じ店を出た。
外はまだ明るくて、少しうろたえたりして・・・。
来年こそは独りでも、最高賞の美酒を味わいたいものだ。
8月19日(金)
「亡き父と母の奇跡」
卓球男子団体が初の銀メダル。
決勝戦で中国には敗れてしまったが、水谷選手が一勝を挙げた。
さすがはエース。オリンピックの試合を通じて、さらに強くなった、って感じ・・・。
試合後のインタビューで、またも「天才3人の集合」を言って、丹羽、吉村選手の失笑をかっていた。
水谷先輩のコメントに、ふたりの苦笑いが面白かった。
それにしても、馬龍選手はイケメンだった。
「(何歳なんだろう?)」
こんな時はインターネットが便利だ。
10月20日生まれ27歳、遼寧省出身。
そして日本の石川選手が公然と「好きな卓球選手」と語ってるとも。
これは私の憶測だが、石川選手は面食いだと思われ、中国語が堪能な福原愛ちゃんに頼んで、
ツーショット写真を撮ったという話・・・。
なんだか私の李先生に対する思いと完全にかぶってるようで読みながら笑ってしまった。
馬龍選手には彼女がいるらしく(そりゃ、そうだろ)シングルスの優勝した時、
手でハートマークを作ったのは、彼女へのメッセージなのでは、と噂になっている。
イケメンで、強くて無敵なのに、律儀で礼儀正しいと書いてあったけど、
確かにイケメンだが、団体の第4試合で優勝を決めた時のリアクションはなんだかいただけない。
それからもうひとつ。解説の松井さんが大変良かった。
どのような人か分からないけど、声のトーンも良かったし、解説も的確で分かりやしかったし、
何より、選手にかける言葉が良かった。
冷静に、「ラリーに付き合わないほうがいい」「我慢できずに打ってしまう、いつかチャンスがきます、
それまで我慢」という解説もしながら「さあ、まだまだ」「ドンマイ、ドンマイ」「まだわからないです」
「さあ、ガンバレ」といった熱くなりすぎない激励がとても聞きやすかった。
レスリング女子は4階級で金メダル。伊調馨選手はオリンピック4連覇。
決勝戦は残り4秒ほどでの大逆転だった。
お母さんを亡くされており、試合後に遺影を受け取り大事そうに抱えていた。
「お母さんが助けてくれた」と語ったのが印象的だった。
「(そうかもしれない)」と私も思った。それほど奇跡的な大逆転だったのだ。
霊長類最強の吉田選手は決勝戦で惜しくもアメリカの選手に敗れてしまった。
準決勝まで、相手に1点も許さない順調な勝ち上がりだったので、まさか・・・。
「父のいない初めてのオリンピック、助けてくれると思ったのが間違いでした」と語った。
でも、お父さんは応援してたに決まってる。
もしかしたら、お父さんは引き際を示してくれたのかもしれない。
銅メダルを獲得した37歳の選手のように、勝つまで辞められない選手がいる中、
負けたことのない絶対女王吉田は、負けるまで辞めることができなかっただろうと思う。
それにしてもだよ。
吉田選手は「すいませんでした」とか「ごめんなさい」とか言いすぎ!
いったい誰に謝ってんの?
私にはわかんない、聞いてて違和感を覚えました。
朝のワイドショーで「3日後には胸張って帰って来ることでしょう」って言ってたけど、
「(そうかなあ・・・?)」
私だったら、隠れてこっそり帰ってきて、家の中に隠れちゃうかも・・・。
もちろん誰にも会いたくないしね。
金メダルの4選手だって、なんて声かける?なにか言葉ある?
会場のお母さんは、負けて「お父さんに怒られる〜」と泣き崩れる娘に
「泣くことはない、大丈夫大丈夫・・・」と言って背中をさすっていた。
泣きじゃくりながら、お母さんに抱かれていた吉田選手が普通の娘にみえた。
きっと、試合直後はお母さんのこの言葉が一番の力になったのだろうと思う。
日本に帰ってテレビ番組にでたら、一様に「おめでとう」「ありがとう」と吉田選手を讃えるだろう。
それは嘘ではないにしろ、なんだか無難で意味のない言葉のような気がしてならない。
吉田選手にとって、心が安まる言葉ってなんだろう・・・。
8月21日(日)
「shock!」
今朝の男子サッカーの決勝戦、ブラジル対ドイツ。
pk戦の末、ネイマールが決めて、地元の劇的優勝に終わった・・・。
表彰式で踊るブラジルに対し、ドヨ〜ンと沈むドイツ。
他の競技でも銀メダル選手は大抵ドヨ〜ンとなるみたい。
ニコリともせず、憮然としたままメダルをかけてもらっている。
以前の大会ではすぐに外した選手もいたっけ。
私もその気持ちが分からないでもない・・・。
踊りながら入場するブラジルに対して、ポケットに両手を突っ込んで無表情で歩いてくるドイツ。
もちろん、銀メダルをかけてもらってもニコリともしない。
その間もブラジル選手は待ちきれず片足を台に乗せていた(笑)
圧巻は会場6万人のブラジル国歌斉唱。さすがはサッカー王国、感動的でした。
その前日、土曜日の夜10時30分頃、オリンピックの中継見ながら、ふと思い出したことがあった。
その日も普段どおり、夕飯食べながら梅酒を飲んで6時頃には風呂に入り、
ゴロッと横になりオリンピックを見ていた。
男子400mリレーで銀メダルの模様を何度も何度も繰り返し・・・。
入場シーンの刀を抜いて鞘に収めるポーズから、たった36秒ほどのレースを
何度繰り返し見たことか・・・。
はじめは「(何度見てもいいな・・・♪)」と思っていたのに、
夕方にはさすがに飽きて「今日はこればっかだな・・・」と寝ようとして、ふと思い出した!
「(ありゃ・・・?)」
そう、今日は楽しみにしていたコンサートがあったのだ。
バンドネオンのコンサートで、チケット欲しさにCDコンサートに出かけ、抽選で当たったのだ。
「(せっかく当たったのに・・・(涙)」
夕方5時からの開演だった。
その時間の私は、コンサートのことをすっかり忘れてて、夕飯食べながら飲んでいた。
「(なんたることだ・・・うわあ〜・・・ショック〜〜〜・・・)」
突然思い出したのが夜の10時30分・・・。
「(忘れてたなんて信じらんない!)」
もちろんコンサートは完全に終わってます(泣)
せっかく当たったチケットも無駄にしてしまいました(泣)
いつも、父の物忘れを笑ってた報いでしょうか・・・。
父の用事だけ貼り出したり、カレンダーに記していたので、
自分の用事にはまったく気が付きませんでした。
それにしても、ゴロッと横になってテレビ見てて、なんで突然思い出したかなあ?
・・・とにかく私は忘れてたショックを引きずってます。
ドヨ〜ン具合はまったくドイツです・・・(涙)
8月22日(月)
「火の粉」
今年の夏、私はオリンピックと読書を楽しんでいます。
上橋菜穂子の「守り人」シリーズ全10巻から始まり、勢いづいて無差別にかなり読みました。
初めて聞く作家の作品も手当たりしだいに・・・。
中でも、図書館に来年の書道展のネタを探しに行って、偶然見つけた「火の粉」が衝撃的でした。
以前、ドラマで一週だけ見たことがありました。
何週目かで、話の筋も分からず、深夜の放送だったため、続けてみることができず、
それっきりになってしまいましたが、
ユースケ・サンタマリアと伊武雅刀が出演していたことだけは覚えています。
以来ずっと気になっていたのですが、これまた偶然図書館で見つけ
「(ああ、これだ・・・)」と借りてきて読んで、すっかりハマりました。
主人公の武内役がユースケ・サンタマリアだったんですね。伊武雅刀は元判事役・・・。
それにしても、武内のような人物、架空の設定にも関わらず、「(いるいる・・・)」と思ってしまうのは
あれほど極端では無いにしろ、なんていうか・・・屈折して執念深い人間。実際いますよね。
性格が悪いならそれまでだけど、そうじゃなくてタチ悪く歪んでいる人・・・。手に負えない人・・・。
関わらないのが一番だけど、火の粉のように飛んできて、そしてまた飛び火する・・・。
「火の粉」を読んで初めて知った雫井脩介という作家。
情景がありありと浮かぶ、まるで映画を観てるかのような臨場感。
他の作品も読みたくなってインターネットで2冊注文しました。
その一冊、「クローズドノート」・・・何の意味があるのか万年筆の長いくだりが続く。
早く先が読みたくなるようなザワザワ感がたまりませんでしたが、最後まで事件はなく、
結局、ホンワカした恋愛小説でした。・・・なあんだ、こんなんもあるんですね。
ザワザワ感はこっちが勝手にサスペンスを期待しすぎたせいでした。
現在、「虚貌」にとりかかったところです・・・。
題名からして、これこそはサスペンスでしょう。
・・・というか私、別にサスペンス好きじゃないんですけどね。
他に印象に残ってるところでは、プラナリア(2000年)直木賞。
短編5編が収められていますが、中でも「ネイキッド」がよかったな・・・。
空中ブランコ(2004年)直木賞では、「(私って、脅迫症かも・・・)」って・・・。
多少は誰にでもあるのかな?
例えば、駐車場に車止めて、慌てて新幹線に乗った時などは、
「(車の鍵掛けたっけ?サイドブレーキ掛けたっけ?)」と、新幹線の中で不安になる。
もはや、どうしようもないから、気になってもそこで諦めるんですけどね。
ワンちゃん(2008年)文学界新人賞、芥川賞候補は中国人の作家の著でしたが、
ベースのストーリーとは一転、しだいに哀しすぎる主人公像が意外で目をみはるものがありました。
・・・などが、良かったです。
買いだめしたストックが、まだまだあります。
このまま読書の秋に突入しそうです。
無差別に読みふけって、また同じ本を買わないようにせねば・・・。
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