2004年忘年特集〜春
哀悼
いかりや長介様
2004年3月20日(土)午後3:30、いかりや長介さんが亡くなった。
何気に開いた翌日の新聞で私はその訃報を知った。
ショックだった。
いかりやさんといえばドリフターズのリーダーで、ドリフターズといえばいかりやさんだった。
私の中で特別な存在だ。
子供ながらにも、いかりやさんにはドリフの家長であり大黒柱的存在感を感じていた。
加藤茶さんも仲本工事さんも言っておられた。
「大黒柱のオヤジをなくしたようで、これからは子供たちだけでドリフを守っていきたい・・・」と。
そう、加藤茶、仲本工事、高木ブー、志村けん。
この天才児たちをまとめ上げるのは、さぞや大変なことだっただろう。
「8時だヨ!全員集合」のコントで‘貧乏家族コント’があった。
いかりやさんがお母さん役で4人のいたずらっ子たちを叱りながら、振り回されながら笑わせる・・・
ドリフターズはあのコントさながらだったのではなかろうか。
‘ジャングルコント’でもそうだ。
隊長のいかりやさんをメンバー4人があれこれいたずらを考えては困らせる・・・
いかりやさんがインタビューで言っておられた。
「会場の子供たちが‘カトちゃんガンバレー!シムラ、ゴリラをやっつけろー!’って叫ぶんですよ。
それを聞きながら、狙いどおりハマってるなって思った(笑)」って。
そのいかりやさんが亡くなった・・・
いかりやさんは、他のドリフのメンバーのようにギャグを言って笑わせる役ではなかったが、
「8時だヨ!全員集合」のコントのすべてを考えるのはリーダーのいかりやさんであり、
毎回必死の思いで搾りだしていたものだという。
毎週生放送なので失敗は許されないし、失敗や笑いがとれないとなれば
路頭に迷うということにもなりかねない、そんな重圧との闘いでもあったという。
そんな緊張のなかで苦労して生みだされたコントとは知らず、
子供だった私は毎週「8時だヨ!全員集合」を楽しみにしていたものだ。
いかりやさん、お疲れ様でした。
たくさん楽しませてくれてありがとう!
いかりやさんはそもそも音楽がしたくてこの世界に飛び込んだジャズベースマンだ。
音楽で成功したかったという思いを生涯持ち続けていたという。
カントリー時代はジミー時田さんというボーカルの後でベースを演奏していた。
そのボーカルは素晴らしく、それが聴けたことは幸せだったといいます。
でも、音楽の才能はなかったようで、コミックバンドへの転向となる。
そこで集められたメンバーが加藤茶さんはじめ、ザ・ドリフターズの面々だった。
荒井注さんは顔をみこまれてのメンバー入りだった。
「ディス イズ ア ペン」「なんだばかやろう」のギャグ。
志村けんが登場する以前のメンバーである荒井注さん、私は大好きだった。
柄が悪く、ふてくされ顔の荒井注さん。
彼も2000年亡くなってしまった。
葬儀で長さんがとてもステキな弔辞を詠んだ。
「出発前のあわただしい時に引きとめてなんだけども・・・・・
そっちでのもうや、場所はあんたが決めておいてくれ・・・・・いづれまた」
今頃いかりやさんと注さんは待ち合わせの場所で飲んでるんだろう。
(注)「案外早かったじゃないか、バカヤロウ」
(長)「いやいや、待たせたね」
いかりやさんはコントを一人で考え、毎週の放送に間に合わせるため大変な労力と心労を伴っていた。
注さんはドリフメンバーでいかりやさんより年上だったので、仕事を離れては兄貴のように慕っていたとも聞く。
そんな注さんがドリフを去って、いかりやさんはさぞかし心細かっただろう。
その後は子供たちを引き連れ新生ドリフとして活躍する。
いかりやさんも注さんの弔辞の中で言っておられた。
「これから食えるって時に辞めるって言い出した。あんたらしい・・・」って。
人の下に就いているときは早く人の上になりたいと思うものだが、
いざ、上に立ってみるとそこにはそれまで知らなかった‘孤独な世界’が広がっているものだ。
‘ドリフター’という言葉は「漂流者、流れ者」という意味らしいが、
いかりやさんはジャズマンとして挫折し、その先にコミックバンドに行き着いた。
食うために流れ着いた先だったのだろう・・・
しかし、その場その場で精一杯頑張った。努力を惜しまなかった。
ドリフで成功し、やがて「8時だヨ!全員集合」終了。
そして役者の世界へ。
はじめはドリフのいかりや長介のイメージが世間から抜けなかった。
しかし、やがて現在の‘役者いかりや長介’が確立されていく。
それは、とりもなおさず、いかりやさんの努力と謙虚さが流れ着かせた地位であろう。
全身でその場その場を踏ん張ってこられた姿勢が感じられる生き方ではないか。
「粉骨砕身」の人生だ。
まだ、いかりやさんがお亡くなりになる前に私はドリフのDVDが発売されているのを見つけた。
「うっわー!!欲しいっ!!」と思ったものだった。
が、待て。
私にとってのドリフは子供の頃子供の私が感じた笑いだったはず。
子供の夢であり、楽しみだったはず。
それを今更懐かしいという思いだけで金に物いわせてDVDを購入して見たところであの頃の思いは帰っては来ない。
私にとってドリフは子供時代の楽しい思い出であり、犯しがたいものである。
現在の目で見て「こんなことで笑っていたんだ、楽しんでいたんだ」と思いたくはない。
いかりやさんの葬儀に参列された一般のファンの言葉が私の思いを代弁してくれた。
「小さい頃は、ドリフに入りたかったです」
「大きくなったらドリフに入るのが夢でした」
「土曜8時には、何があってもテレビの前に座っていました」
「たくさんの楽しい思い出ありがとうございました」
私もそうなんです。
ドリフ世代だなんてひとくくりにされたくはありません。
同時代にはコント55号もおりましたから。
ドリフ一色だった私にはその記憶がありませんけどね。
今回の報道で「8時だヨ!全員集合」の裏番組が欽ちゃんだったことを知ったのです。
だからドリフ世代なんてないのだと思います。
ひとりひとりの心の中にドリフがどう関わったか、それだけなんだと思います。
少なくとも私も弔問に出かけたかった。
いかりやさんに子供時代、いえ大人になった現在でさえ「ドリフの大爆笑」等お笑い番組でお世話になっていました。
そのお礼を言いたかった。
私にとっていかりやさんは永遠に‘ドリフのリーダー’いかりや長介なのです。
役者でどんなに評価されても、やっぱり‘ドリフのリーダーいかりや長介’なのです。
最後の言葉は「だめだこりゃ」で、死んだと思ったら生き返って・・
を繰り返し加藤茶ドリフメンバーにツッコミされるというコント仕立て。
遺影はもちろん「8時だヨ!全員集合」のはっぴに頭には豆絞りを巻いている・・・
そんなシチュエーションしか浮かんでこないのです。
ジャズベース持った渋いいかりやさんの遺影にツッコミをいれたくてウズウズしてしまう、そんな私なんです。
TBSの追悼番組では(土曜に放送がニクイ、さすがTBS!)遺影が私のイメージどおりのはっぴ姿。
「こうでなきゃ!」
番組最後はいかりやさんが「8時だヨ!・・・」でストップモーション・・・
次いで、子供たちの声で「ぜんいんしゅうごう!」の声。
泣きました・・・
長い間、♪ほんとにほんとにほんとにほんとに御苦労さん♪
そして、たくさんの笑いをありがとうございました。
心からそう思う私です。
ドリフの笑いよ永遠に。
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