2015年
1月3日(土)
「乙未」
喪中につき年始のご挨拶ご遠慮申し上げます
本年も変わらぬご交誼のほど宜しくお願いもうしあげます
四国霊場 弘法大師像
|
1月22日(木)
「御一人様」
近頃、なんでもかんでも「御一人様」(おひとりさま)と称して、
小金(こがね)を持った女性を狙った新手の商法が話題を集めている。
一人じゃないと参加できないツアーとか、いうのもあるんですよ。
おかしくないすか?
わざわざ一人に限定しなくたって・・・それが商戦なんでしょうけど。
それらは、ひとりでも楽しく参加できる旅行から始まり、御一人様のためのウンヌン、と命名して
様々な催しを企画販売。飛びつくのは大抵が女性。
だから自然と女性をターゲットにした企画が大流行(おおはやり)話題に。
今朝もワイドショー番組で、「ソロウエディング」なるものが紹介されていた。
結婚相手がいないのも関わらず、ウエディングドレス姿になって写真を撮りまくる、という企画。
ついにウェディングまで「御一人様」が出てきちゃった(笑)
メイクもとっても素敵に仕上がって、ヘアスタイルもセンス良くバッチリきめて、
モデルさながらに、カメラにおさまる。
・・・だけど、ひとり。
ただの記念撮影にみえなくもない。
取材された彼女は、38歳独身。結婚願望あり。
だったら、ひとりで撮影しなくても、これから結婚して本当の記念撮影になったって
おかしくないじゃない?
それまで待てないの?
・・・いやあ、さっぱり分からない。
ウエディングドレスを着ることが憧れ、みたいにも言われるが、
その心境すら私にはさっぱり分からない。
ひとりでウェディングドレス着て、写真撮ってなにが楽しいの?
まあ、私のことはさておき、「ソロウエディング」に参加した彼女は、
友人に奨められての参加ということでした。
さて、1泊2日の参加費用は・・・
「う〜ん・・・5万円?いや、レンタル料もあるし、撮影もあるし・・・1泊2日だしね。10万円くらい?」
なんのなんの、30万円だった!
「30万んんん!?」
ウェディングとはいえ、1泊2日にしては大金だねー。
なおさらのこと、本当のウエディングにとっておくべきでしょう・・・。
まずは結婚相手みつけて、その時の費用に当てるべきなんじゃ?
そんな心配はおせっかいだったかしら。
撮影だけに30万出せる人は、本当の結婚の時はその時で、また出せる人なんでしょうから・・・。
それにしても奨める友人も友人だよね。
本人が満足してるんだから私がどうこう言うことでもないんですけど。
もし、私に自由に使える30万があったなら、香港で1ヶ月暮らせちゃうね・・・
北京だったら2ヶ月は大丈夫かな・・・
インドに3回くらい行けそう・・・
日本のお城、国宝、重要文化財、ぜ〜んぶ見て回れそう・・・
父ちゃんとふたりでイタリアにも行ける・・・
30万円て夢が膨らむわ〜♪
2月4日(水)
「捻挫」
ここ最近、「旅行記」を見直しております。
過去に書いた文章があまりに拙なくて、呆れています・・・。
ですから、調整も大変な作業です。
年明けに『ロサンゼルス』から取り掛かって、やっと『台湾』まで進んだところです。
『台湾』を読み返していたら、2001年当時の私は腰痛がかなりひどかったみたいです。
2001年といえば、太極拳を始めて4年ほど・・・。
現在、太極拳を続けて18年・・・いつのまにか、腰痛は消えていました。
太極拳効果でしょうか?
・・・「旅行記」はまだまだ納得のいく文面ではありませんが、
少しずつ訂正作業を進めて行きたいと思っています。
作業は、パソコンの前に正座です。
足が痺れて、感覚がなくなってもおかまいなしで進められます。
痺れたまま立ち上がっても、すぐに歩きはじめられましたので、過信していたのかもしれません。
先日、立ち上がろうとしたら、足首がふにゃふにゃのあまり、危うくよろけてすっ転びそうに(驚!)
まるで漫画のシーンのようで、可笑しいやら、情けないやら・・・。
それは一瞬のことでしたが、太極拳効果でしょうか?反射神経は良かったみたいで、
すっ転ぶ前に、近くにあった書棚に捉まったのです・・・が、
グキッ
足首が捻れたまま体重が乗っかったようで、痛めてしまいました。
まるで‘年寄りの図’ですよね(涙)
歩けるので骨には異常がないと思いますが、足首を痛めて太極拳ができなくなったら大変です。
でも2,3日、シップをしていたら、痛みが消えたので安堵・・・。
何事もなく、教室に行き、準備体操で足首グルグルをしたら、
なんと、まだ痛みが取りきれていないことが判明。
こんなちっぽけな捻挫が長引くなんて、認めたくない現実です(泣)
これからは、よほど慎重に立ち上がらねばなりません。
腰やら頭やらを打って病院通いなんて冗談じゃない。
だって、「足が痺れて転んだ」なんてシャレになりませんて・・・。
2月10日(火)
「瞬間湯沸器」
冬は寒さで、いろんなところが不調に陥る。
我が家の暖房便座などは、水洗用の配管が凍結したのか、暖房便座側から水が流れっぱなしに。
我が家にはトイレが2ヶ所あるのだが、あまり使わないほうのトイレが、そんな状態になってしまい、
気がつかないでいるうちに水浸しになってしまった。
とにかく、冬は凍結に用心しなければならない。
昨年の冬などは、お風呂の湯沸しが凍結して、水道代が数万円にもなってしまったりした・・・(泣)
今年は、暖房便座だけじゃなく、台所の瞬間湯沸器も使えなくなってしまった。
我が家の台所の瞬間湯沸器は、もう10年以上使い続けている。
寿命といえば、寿命なのだが。
真冬だというのに、なんだか調子悪い。
一番、お湯が欲しいときにお湯が出ないなんて、これほど困ったことはない。
朝の歯磨きだって、お湯・・・
顔を洗うのだって、お湯・・・
お茶碗洗うのだって、お湯・・・。
とにかく洗い物するにも、炊事をするにも、冬はお湯がないと『別提了!』お話しにならない。
それなのに、点火しない。
乾電池を換えてみたけど、やっぱり点火しない。
だいたい、カチカチッ、っていわないのが気にかかる。
ウンともスンともいわないのだ。
電池が切れてたら、カチカチッ、とだけはいうはず。
沈黙なのは、カチカチッて点火するところが磨耗しちゃったとか・・・?
どっちにしろ、そろそろ寿命だろうから、新しいのを買わなければと考えていた。
だって、この真冬にお湯がないほど、不便なことはないのだから・・・。
メーカーに電話してみた。
型番を告げると、古すぎて取替え場所によってはもう部品はないとのこと。
そうだろうなあ、とは思ってた・・・。
新しく取り付けるのと金額的に変わらないとも言われた。
我が家から、瞬間湯沸器を扱っている家電量販店までは、遠いし、雪道を走るのなんてヤダ。
次にガス店さんに電話してみた。
ガス店さんは、すぐに見に来てくれて、分解して点検してくれた。
点火のところは、そう簡単に壊れる箇所ではない、とのこと。
原因は他にあると言う。
分解してみたら、中のバネの利きが悪くなっているということが分かった。
直すより、やっぱり新しく取り付けたほうが早いし、金額的にも変わらないからと薦められた。
今日は父が病院の診察を予約をしていたので、時間までに乗せて行かねばならなかった。
新しいのを取り付けるにしても、改めて連絡することにして、
「とりあえず水でも構わないので、出るようにだけしておいてください」と元にもどしてもらった。
すると、
カチカチッ・・・
「おおっ!?音がしますね?」
カチカチッ、って可愛い音がするではないか・・・。
ガスを出して、水道を出して。
プッシュ!
カチカチ・・・ ボッ!
「うわあ♪お湯だ〜、お湯がでた〜♪」
よかった♪
これで、また使える・・・。
不調の原因は、実はバネではなくて・・・
「もしかして、長年のホコリやゴミが詰まったせいではなかろうか?」
もしくは、「寒さのため・・・」と推理する私でした・・・。
3月1日(日)
「父の耳」
私の父は耳が遠い。
どれだけ遠いかといいますと、例えばテレビの音量。
私がボリューム8〜9で聞こえていたとすれば、父は20〜22じゃないと聞こえない。
私の頭がガンガンするほど高い・・・
だから、お互いの話し声など聞き取れない。
先日、昨年亡くなった高倉健主演の映画が、追悼テレビ放送された。
池辺良、藤純子が共演の「昭和残狭伝」だった。
父に、「高倉健の映画が放送される・・・」と言ったら、題名を聞かれたので、
「昭和残狭伝」と答えた私に、父が、
「昭和三兄弟?」と・・・。
だんご三兄弟じゃないんだからさあ。
高倉健の映画ということは、父の耳に正確に伝わっていたはずなのに、
なぜ、高倉健主演で「三兄弟」になってしまうんだ?
久々に爆笑してしまいました。
高倉健主演の「昭和三兄弟」て・・・。
それじゃあ、話しの内容がぜんぜん変わっちゃいますから〜。
「残狭伝」と「三兄弟」・・・似てるかなあ?
4月1日(水)
「復刻版」
春ですね。
東京は桜が満開で、テレビではお花見の中継が盛んです。
こちらでは梅が咲き始めました。
桜はもう少し先になります。今日は冷たい雨が降っています。
2月末の頃からキジが鳴いています・・・
今年の仕事初めはキジが鳴き始めてからでした。
それまで仕事依頼がなかったので、なんとなく正月気分を引きずって過ごしておりましたが
今は、3件ほどかけもちで仕事に追われています。
毎日仕事ばっかりで、どこにも出かけないし、これといってネタがありません。
ネタ切れの代わりといってはなんですが、
2008年まで連載していた「自主トレ日記」と「競技大会」の復刻版を公開しました。
2009年以降の記録はありませんが、今後記録だけでもお知らせしていきたいと考えています。
それから、しばらく前からだと思いますが、表紙から目次へのリンクが全部消えてました。
私も偶然気がついたのですが、なにもいじってないのに、どうして消えちゃったんでしょう・・・。
申し訳ありませんでした。
どうか、何か不都合がありましたら連絡下さい・・・
て、メールへのリンクも消えてちゃ、連絡のしようもないですよね。
というより、一日に3人ほどの訪問なら、不都合もなかったのでしょうか・・・(泣)
4月8日(水)
「淋しがりやな女」
ネタ切れと言いつつ、家のチロぽんですが・・・。
冬場は外にも出かけず、ずっと家の中で過ごしていたチロぽんでしたが、
3月後半から外に出かけていくようになりました。
ある日、庭先で茶トラ女子と鼻を突き合わせていましたが、
歯も無くヨダレが垂れる高齢ネコのチロぽんは相手にされず、
茶トラ女子はそっぽを向いてどっかに行ってしまいました・・・。
どこからやって来たものやら、初めて見るネコでした。
我が家の庭にはチロぽんの喧嘩相手なのか、パンダのような男ネコがうろうろしてたり・・・。
黒くて大きなコワモテの男ネコがうろうろしていたり・・・。
春ですね。
そんなことがあって2,3日後、あの茶トラ女子が、いつのまにやら我が家に居ついてしまったのです。
野良ネコにしては、馴れ馴れしくて、というかちゃっかりしてるというか。
女は魔物だ。
チロぽんも家の中にまで入り込まれて、初めは威嚇していたのですが、
おとなしいチロぽんは、女の押しにあっさり負けてしまい、遠慮がちにさえ。
チロはほとんど鳴かない、無口なネコなんです。食べ終えると黙って外へパトロールに・・・。
茶トラ女子は外に出せば出したで、ニャーニャー泣いて、入れるまで泣き止まないし、
とにかく、うるさくて仕方ない。
お腹が空いてるのかと思えばそうでもない。
初めは外でご飯を食べさせていたのですが、チロと一緒に家に中に入り込んできて、
ただただ私の後をくっついてくる。
姿が見えなくなると、またニャーニャー泣きはじめる・・・
座ったら座ったで、手で揉み揉み・・・揉み揉み・・・をして乗っかってくる。
本当に野良ネコなんだろうか?
あまりチョロチョロしてうるさいから追い出されたんだろうか?
それにしても、突然現われて居ついてしまったこのネコ。
いったい何処で生まれて、何処で育ったんだろう?
これまで一人で暮らしてきたんだろうか?
不思議なこともあるものだ。
頭は三毛猫、しっぽはトラ猫。
母ちゃんは三毛猫、父ちゃんはトラ猫なのか?
可哀想にこのネコ、目が悪い。そのせいか、いつも鼻が詰まっている。
だから、やはり野良ネコだと思うのですが・・・。
飼うともなしに居ついてしまったので、そのままにしてますが、
私の姿が見えないとニャーニャー泣いてばかりいてチョロチョロうるさいので、チョロと呼んでいます。
チロにチョロ・・・紛らわしいです。
「姉ちゃーん、私をひとりにしないでー(泣)」
4月10日(金)
「仏滅な大安吉日」
桜の季節になっても、ミゾレが降ったり、都心でも雪が積もるほどの寒さ。
4月10日(金)こちらでは冷たい雨が降っています。
仕事が一段落ついたところで、今日は大安吉日でもあることなので、
冬物をクリーニングに出して、食料品の買い物でもしようと午後から車で出かけました。
クリーニングを出し終えて、信号を左折・・・の右手に薬局があります。
「(そうだ。胃腸薬を切らしてたっけ・・・)」
父も私も親子そろって胃腸が弱く、市販されている漢方の胃腸薬を愛用してます。
それが無くなっていたので補充しようと、すぐに右折して駐車スペースに車を止めた。
買い物をして、車を出そうとバックしようとしたが、あいにくの雨。
私の乗ってる普通車は後ろにワイパーが付いてなくて、
いつも雨が降ったり、天気が悪いと雲って後ろが見えにくい。
左後方には大きなトラックが路上駐車していた・・・。
そちらに気をつけながら、ハンドルをきりながらバックしたところ、
ドンッ!
「(は?なにごと?)」
てか、ぶつかった?
・・・じゃなくてぶつけた。
なんと、信号待ちしていた車のドアにぶつかってしまった。
・・・じゃなくてぶつけてしまった。
あちゃー。
すぐに降りて謝ったはいいが、許してもらえるはずもなく、当然弁償することに。
80代のおじいさんだが、一見して性格が意地悪そうで、なんだか面倒なことになりそう・・・。
私の知ってる車店で直すことに。
なのに、工場にいた修理人が「ドアごと代えますか?」とか余計なことを言いだしたりして。
ちょこっと凹んだくらいなのだから、板金で十分だろ!?と思っていたのに。
意地悪なおじいさんも、
「とにかく、ちゃんと直してさえもらえばいいんだから」と言っていたのに・・・。
身元を聞かれたりして、私が結婚もしないで独りだと知ると「変わり者だ」扱いされて、
そっちのほうがメチャメチャ傷ついた。
事故のダメージより、そっちのほうがメチャメチャ落ち込んだ・・・。
意地悪なおじいさんは言いたいことを言って、代車で帰っていった。
あー、この事故処理、早く終わらせたい。
私、こういう事故は初めてじゃないけど、事故の時って見えないもんなんです。
以前は、自販機に商品を補充していたトラックに、私の方からぶつかったにも関わらず、
私はそのトラックが全然見えていなかった・・・。
相手はトラックなのでほとんど傷まなかったが、私の車の左ドアが開かなくなるくらい大破した。
今回だってそう。
左後方のトラックに気をとられていたということもあるが、全然見えなかった。
まさか、そこに車が止まっていたなんて・・・。
それでも、幸いケガがなくてよかった。
これ以上、後日になってから面倒なことにならないことを祈る。
車を直して早いとこ終わりにしたい。
ハー・・・
それにしても、これじゃ、いくら働いても、修理代に持ってかれるだけじゃん(泣)
四国遍路のご利益はなく、特に最近はなにかとツイテない(泣)
今日は大安だから出かけたのに、私だけ思いっきり仏滅じゃん(泣)
まったく、えらい高額な胃腸薬だよ・・・(泣)
つーか、さっそく飲まなきゃ・・・(泣)
4月20日(月)
「城下の桜」
輓馬と書いてバンバと読みます。
輓営競馬(ばんえいけいば)と言えば、北海道どさんこの帯広を連想します。
重いそりを引いて障害物のふたつの山を越える、その速さを競う競馬です。
テレビで見たその競馬は足の太い道産子と呼ばれる大きな馬で、
中央競馬会で見るサラブレットとは体格がまったく違います。
ふたつ目の山を越える前に、一旦立ち止まって息を整えて、休んでから登り始めます。
このテレビ番組で私は初めて、北海道の輓営競馬(ばんえいけいば)を知りましたが、
その運営は大変厳しく、細々と続けているものの、採算が取れなく、
いよいよ閉鎖の危機に陥ってる、という悲しく寂しい内容のものでした。
一度は見てみたい、そう思ってはみるものの北海道まではるばる見に行くには遠すぎる・・・
結局、北海道に行く機会もなく、あれから、何年も何年もたちました・・・。
今年も全国で桜の季節となって、各地で桜祭りが催されています。
私の住む北の田舎でも満開となり、早くも桜吹雪となっています。
私は毎日仕事ばっかで、花見をするでもなく・・・。
一緒に花見してくれる友人がおるわけでもなく、誘う相手もいなければ誘われもしない・・・。
ちょっと事故ったくらいで、意地悪なおじいさんに、修理代の他に示談金ふんだくられて、
花見の気分でもなく・・・。
そんな時、毎月配布される「県政たより」を何気に眺めていたら、「輓馬競技大会」の文字が!
え?
北海道以外でも輓馬があるの?
私の家から30kmほど離れた町に、お城がありまして、お城といえば桜の名所。
その桜の時期に城下の河川敷で「輓馬競技大会」が催されるとの情報。
え?
毎年開催されてたの?
ぜんぜん知らないし・・・北海道行かなくても見れるんじゃん!
行くしかないでしょ!
仕事が始まっちゃうと、どこにも出かけられないので、今度の日曜日は久々に休みにして
出かけよう。週間天気予報でも週末は晴れそうだし♪
仕事をしている時の私の息抜きと言えば、郵便局に書類を発送しに行く時ぐらい。
田舎の小さな郵便局なので、すっかり顔なじみになっていて、局員の人がお茶出してくれたり、
お客さんがいない時はちょっとおしゃべりしたり。
「輓馬競技大会」のことを話したら、局長さんが赴任したことがあったということで、
道を教えてもらったり、なぜその町で輓馬大会があるかの経緯なども教えてもらったり・・・。
なんだか楽しみになってきた。
輓馬みたら出店屋台でなにか食べて、お城にも登って・・・。
初めて行く町だし、お城も歴史いわくのある城なので、一度は行って見たいと思っていた所です。
父を誘ったら、「行かねー」って断わられたので、仕方ない独りで行くことに。
年に一度だもんね。
桜の季節は短い・・・。
事故ったばかりで車の運転はトラウマになってましたけど、雲ひとつない青空、いざ出陣!
初めて行く町でしたが、分かりやすいまっすぐ道で、1時間足らずで迷うことなく到着。
駐車場は河川敷で、その先にはお馬さんトラックがズラーーーリ。
地元で飼ってる家もあるそうですが(たぶんポニー)、多くは北海道、東北各地から集まってくる。
ポニーがいる、ってことは、お祭りだから、お馬さん子供たちのふれあいコーナーでもあるのだろうか?
ゴム長靴の馬主、博労トラックを抜けるとコースが見えてきた。
コースの一つ目の山には地鎮祭用の笹竹とコース枠の旗が備えられていた。
満開の桜並木をすでに出走予定の馬が足慣らしに歩いていた。
すでに多くの観客がお城下の土手に集まっており、「どちらがゴールなんでしょ?」と聞いた私に
「こっちがスタートで、向こうがゴールだから、見るなら向こうがいいよ」と教えてもらい、
私は、ふたつめの障害の山の前列に陣取った・・・。
それでは、当日のアナウンスで知った情報を少し説明しよう・・・。
ここの輓馬大会は昭和14年に、地元の農耕馬の力自慢を競うために始められたのが最初とのこと。
昭和42年から地元に限らず、東北各地から集まった馬たちで競われるようになり、
以来、名称も「東北輓馬競技大会」と改まり、今日にいたる。
コースは全長120m余り。
途中、ふたつの障害を越えて、制限時間は5分。
5分以内でソリの最後尾がゴール線を超えてゴールとなる。
5分以内にゴールをした馬がいない場合は、時間切れの距離が勝敗となる。
ソリの重量は、階級別となる。
C級で約500kg、B級で約600kg、A級で約800kg、特A級で約1tにもなる。
他に2歳馬、3歳馬、4歳馬の種目もある。3歳馬までですと、サラブレットのような体格です。
もちろん、重量はありまして、2歳馬が300kgくらい、3歳馬で400kgだったかな?
4歳馬で500kgくらいだったと思います。
ポニーのクラスもあるんですよ。
子供たちのふれあいコーナーのポニーかと思っていたらとんでもない。
めちゃめちゃ選手だったんですよ。
ポニーの階級は小型、中型、大型に分かれます。
小型で150kg、中型250kgくらい、大型になると2歳馬と体格も近いので300kgだったと思います。
今日は快晴で、馬場状態も良好ですが、輓馬では湿っているほうがソリのスベリも良く
馬は荷を運びやすいのだそうです。
朝9時半。
出走予定の馬主、町関係者で地鎮祭。そして開会式。
10時。
いよいよ競技開始。
最初のレースはC級からです。
積載重量はコンクリート片を載せて走ります。
鼻先を操る御者と、助手のふたりがレースに加わります。もちろんソリに手を加えてはいけません。
C級の次がB級のレースになります。
坂の途中で、引ききれずに前足が挫けて起き上がれなくなる馬もいます。
見てると、爪の先で坂を登るんですよ。
力がない馬だと前足がプルプルになっちゃって、折れちゃうんですね。
膝を付いちゃって、座りこんじゃう・・・。
そこから立ち上がって、また頑張るんだけど、重すぎてー、またヘたっちゃったり・・・
そうして馬がうずくまってしまうと、コースに穴があいてしまうので、
ひとつレースが終わるたびに、スコップ持った整備員たちが地ならしにやってくる。
ゴールしたソリは、コンバインで引いて持ち帰る。
そしてスタート地点でクレーンで重量を載せ換える作業をする・・・
その間、出走の馬は何度も行ったり来たりしながらイメトレを繰り返す・・・
次の出走の受付、コースの抽選が入る・・・
お車の移動アナウンスや迷子案内もある。
2歳の男の子と84歳のおばあちゃんだか、おじいちゃんが迷子になった・・・
・・・とまあ、いろいろあって次の出走まではかなり時間がかかる。
私は、かわいいアニメのレジャーシートを広げた、小さな子供たちを連れた親子連れに挟まれて
見物していたのですが、ひとりなので、その場を離れることもできず、
じっと座って次のレースが始まるのを待つしかなかった。
若いお父さんが、屋台で美味しそうなイカポッポを買ってきたり、
焼き鳥や焼きそばを買ってきたりして、楽しんでるのに、独り者はツライね・・・。
・・・とまあ、終わったら食べようと思って、じっとレースを見守っていたのでした。
昼も近くなってくると、暖かさを通り越して暑くなってきた。
サングラスも車に置いてきちゃったし、日焼け対策もしてきてないし、帽子も持ってきてない・・・。
紫外線が〜(泣)
顔が熱っつくなってきた〜(泣)
眩しいし、顔は日焼けるし・・・すでに顔が熱くて堪らん。
何かないかな・・・
大きなタオルハンカチを持っていたので、堪らず頭にかぶった。
だいぶ楽になった。
レースはB級。
先頭のピンクのリボンを編みこんでる馬がメチャメチャ強い。
見てると、御者のリードも上手だ。
B級の次はポニーのクラス。
さっきのピンクの編みこみの厩舎のポニーが150kg積んで、ぶっちぎり38秒で駆け抜けた!
厩舎の人たちは、親子で輓馬に携わっていて、子供の頃から博労。女性の博労も。
ある種、独特の雰囲気をかもし出している。
男も女も、子供まで博労気質とでもいうか、豪快な雰囲気、賭博師のニオイが・・・。
それは、私の好む雰囲気でもあって・・・
憧れの世界でもあって・・・
ポニーのクラスが終わったところで、表彰式があった。
ピンクの編みこみの馬の厩舎の兄ちゃん、この人の馬、全クラスで勝ってる。
見た目、普通の兄ちゃんだけど、しゃべると賭博師のしゃべりになっちゃうのよねー。
いいわあ♪
表彰を受けた馬は賞状、トロフィー、副賞に高級ベットパット。ベットパット、ってなあに?
2位の馬には賞状、トロフィー、副賞に電子レンジ。2位のほうがよくねえ?
3位までが表彰なんだけど、賞状、トロフィー、副賞が高級タンスだよ?どういうこと?
午前中に全レースが終わると思っていた私が甘かった・・・。
お昼の表彰式が終わって、2歳馬、3歳馬、4歳馬があって、
それからいよいよ重量級のA級、特A級が始まる・・・
これじゃ、一日がかりじゃん。
私は終わってからゆっくり、屋台で買い食いするのを楽しみに、呑まず食わずで見ていたのですが、
隣りの2歳の子供がお菓子をくれたので、かじってしのいでいた。
その両隣りの親子連れは、子供がたちが待ちくたびれ、飽きちゃって帰っちゃった。
そりゃそうよね。最後は何時になるか、分かったもんじゃない。
もしや、3時くらいになっちゃうんじゃないだろうか・・・
A級のレースが始まった。
さすがに800kgは重過ぎるでしょ。
坂の前で息を整えて、というか、一つ目の坂だけでも越えるのがやっとだったんだよ?
もうハカハカ・・・してんだから。
登り始めても、一気になんかムリムリ・・・。
ムチが飛んで、引っ張るけど動かない。
バケツを持ったおじさんも登場してきてるけど、何が入ってるの???
一旦、後ろにバックして、ムチが飛んで、グッと引っ張って・・・の繰り返し。
そのうち、前足がプルプルになってきて、ヘタっては起きて・・・
重いよ〜
制限時間5分を過ぎても、ゴールできない。
それでも、最後までレースをやめない。
なにがなんでも、ゴールさせるのだ。
厳しい〜
馬としてはなんとしても800kgを引っ張りあげて登るしかないのだ。
く〜っ
ガンバレーッ
あと少しだー。
観客からも大きな声援が飛ぶ。
私も応援に熱がはいる。
最後のメインレース、特A級。
あのピンク編みこみが再度出場。2階級でも3階級でもエントリーできるんですね。
1t積んで走るって・・・。
凄すぎるでしょ。
もうそれだけで感動ですよ。
ほらね。
やっぱあのピンク編みこみ強いよ。坂で追い越して1位になったもん。
あの威勢のいい兄ちゃんは優秀な調教師で、優秀な騎手なのでしょう。
一方で、重い荷を懸命に引いてる馬をムチで執拗に叩く御者もいます。
観客席からも、ブーイングをもらってますが、その厩舎の方針なのかも。
だけど、叩かれた馬は大抵、動く気をそがれヘタってしまいます。
重いんだってば!
それにしても、特A級は、どの馬も5分ではゴールできませんでした。
それでも競技は終わりません。馬に時間制限はないのです。
登りきるのが使命なのです。
これが「輓馬」なのですね。
関係者総出で最終レースを見守ります。もはや男たちの、馬に携わる女たちの世界です。
我々観客が立ち入ることのできない世界って感じです。
馬に人に、感動しかありませんて。これぞ人馬一体の醍醐味。
初めての「輓馬」体験は、その馬の大きさ、積載重量を聞いただけで驚き、
馬体のデカさ、レースの迫力に圧倒されっぱなしでした。
制限時間はないものとして最後まで続けられる粘り。
「馬力」(ばりき)という言葉の意味がよーく分かりました。
だって、1tて!
力持ちですよね。牛ではムリでしょ?これが「輓馬」というものなんですね。
ここの地域ではその昔は林業の担い手として馬が働いていた経緯があります。
いわゆる「木挽き」(こびき)です。東北の民謡にも「木挽き唄」がたくさんあるんです。
さて、屋台で、イカポッポ食べよう・・・
あれ?
屋台は店じまいしてました・・・
んじゃ、お城登ろう。
ん?
みんな考えることは一緒のようで、ぞろぞろと人だかりしてるではありませんか。
はー・・・
また日を改めて出なおそう・・・
そんなわけで、輓馬だけ見て帰ることに。
案の定、渋滞にはまって、しかも前を走る軽トラ、同じ方向に帰るらしく、
20km以上延々前走ってるんだけどブレーキランプ点かないし!
ふ〜
慣れない運転に疲れはしたけど、天気にも恵まれて、仕事一辺倒だった私もいい息抜きになった。
日に焼け、紫外線をたんまり浴びて薄汚れた顔で、パソコンに向うtuziでした・・・。
5月3日(月)
「ヤクザなじいさん」
私が事故を起こしてしまった相手の意地悪なおじいさんは、事故処理が片付く前から、
恐らく居場所を確認したかったのだと思うが、我が家にやって来て、お茶して行ったり、
たぶん嘘じゃないかと疑ったんだと思うが、電話をかけてきたり、
とにかく用もないのに毎日のように我が家にやって来た。
車の修理状況などを私よりも頻繁に、出向き、逐一私に報告してくる。
煩いくらいに・・・。
私、逃げも隠れもしませんて。
もうすぐ、修理が終わるという頃、今度は電話で「示談するから」と言ってきた。
示談?
示談してるから、修理してるんでしょうに・・・?
それに、示談書なら、私のほうから言いだすならともかく、向こうから言いだすって、おかしくない?
そう思ったけど、示談示談・・・ってしつこいから、
書面で交わしたほうが間違いないと思って、私は黙って聞いていた。
修理が済んだら、お互いに確認して、その場で書面を交わせばいいか・・・ぐらいに。
車を確認しようと考えていた私の先回りをし、私が仕上がりを確認する前に、
意地悪なおじいさんは示談書を持って我が家にやって来たではないか!
私は私で、うるさく言うから用意していたのだが、とにかく意地悪なおじいさんが持参してきた。
その示談書は第三者に人にお願いして書いてもらったのだという。
だから、その人にお礼をせねばならないのだと無理押しをしてくる。
「あんた、今晩空いてるかい?」
というから、正直に
「はい」
と答えたら、なんと酒の席を設けろ、という。
それは、ちょっと・・・。
「だったら、○○万円用意して」と言う。
なんだか狐につままれたような話し。
示談て、修理代を持ちますよ、ってことじゃないの?
結局のところ、これって示談金よこせ的な話しですよね?
ヤクザな人の手口ですよね?
なにか言うと、いちゃもんつけてきて面倒になりそうな気配、ここは穏便に済ませたい。
そもそも、このおじいさん私の目から見て、人相が悪い。
悪人顔に見えてしょうがない。
歯向かったらとんでもないことに発展しそうな気配がする。
事実、茶のみ話しで聞いてみると、若い頃からまともな仕事に就いたことがないらしい。
ブローカーまがいのことをして、泡銭をたんまりふんだくって生きてきたらしい。
大阪などを転々として、蛇の道をくくってきたようだ・・・。
それは80歳を越えた今でも、雰囲気に現われているし、悪人顔だ。
競走馬にも関わっていたらしいぞ。裏家業にも深く関わっていた気配がうかがえる。
まっとうじゃない胡散臭い生き方をしてきたのが顔に表れてる。
一番ひっかかったのが、お金に敏感に反応する、ということ。
この人がお金を持っているかどうか、探るような話し方。
この人がどれだけお金になるか、値踏みしている・・・。
きっと、人にタカッて飲み歩いているに違いない。
常にカモを探している目つき・・・。
頭の中で金の計算ばかりしているような・・・。
示談も済んで、やれやれこれで縁が切れたと思った矢先。
意地悪なおじいさんは、またも我が家にやって来た。
なんの用かと思いきや、なんと私の縁談だった。
縁談話しは嬉しいが、この意地悪なおじいさんは、一銭にもならないことはしないだろうから、
尻の毛まで抜かれるほどふんだくられるに違いない。
しかも、私のことを馴れ馴れしく‘ちゃん’付けで呼びだした・・・。
私もエライのにぶつかっちゃったものだ・・・。
5月17日(日)
「山菜汁」
山菜祭りの季節が今年もやってきました。
毎年、暑いくらいの晴天に恵まれて、私は年に一度のお楽しみ、
山菜汁をごちそうになりに行って来ました。片道25kmのドライブです。
10時からの開催に、列を作って山菜を求める人たち。
私は、10時までに間に合いませんでしたので、すでにウドは売り切れてました。
限定販売のシドケはなんとかゲット。他にアイコとタカドも買いました。
今晩は山菜のおひたしと煮付けです♪
帰りがけ、ご無沙汰してる叔母の家に寄ろうと思いたち、お土産にワラビを買いました・・・。
テントの中では天ぷらや、冷たい飲み物、ヤマメやイワナの串焼きなどあります
先着の抽選会にも参加できませんでしたが、山菜汁をごちそうになりました。
相変わらず美味しいことは美味しいのですが、
昨年の方が味が濃くて、より美味しかったように感じました。
そして、恒例の餅つき大会、今まで2回は搗いていたのに、今年は一度しか搗きませんし、
ゴゴッパ餅でもなく、白餅でした。
新しい区長さんになって、かなり簡素化したように思えたのは気のせいでしょうか?
あんこでいただくか、山菜汁へ白餅入れていただくか。
私はもちろん、山菜汁へ白餅を投入。
おいしいよ〜♪
お腹いっぱいです。
貧乏暇なしの私、日曜日は輓営競馬(ばんえいけいば)行って以来、久々に休めました。
空は青く、山は新緑。
今月末には、山のふもとで別の山菜祭りがあります。
天気が良かったら、気晴らしに出かけたいものです。。。
5月20日(火)
「アナログ党」
いきなりですが、デジタルって便利ですか?
代表的なところで、テレビ。
デジタル化してよくなったと思われますか?
はっきり言います。
私、むちゃくちゃ不便なんですけど!
だって、チャンネル(←チャンネルって言わないのか?)はなかなか変わらないし、
最近は、表示の文字が出てこなくなって、なおさら変わらないし、イライラしてしょうがいんですけど!
BSなんて、ちょっと雨が降っただけで、映らなくなるんだよ?
どういうこと?
ちょっと、雷がゴロゴロ言っただけで、映らなくなるんだよ?
どういうこと?
それで、聴視料取るって
どういうこと?
泥棒と変わらないじゃん。
アナログ時代の方が、便利だったんですけど!
どうして、デジタル強制なの?
選択制にしてよ!
テレビに限らないでしょ。
CDだってそう。
LP盤の針が無くなって、針飛びが無くなって便利とか、ひっくり返さなくて便利、とか・・・。
そうかあ?
針(←針じゃないだろうけど)飛びするし!
LP盤だったらおとなしくしてれば飛ばないのに、
CDはおとなしくしてても飛ぶし!
どうなの?
なんでデジタル?
写真だってそうよ。
デジタルで便利な面もあるけれど、そればかりじゃない。
フィルムなら、大事に撮るし全部現像になるでしょ?
デジタルだとさ、不要なものまで撮りまくって、整理つかなくなって、結局現像しなかったりする。
私なんか、1年前の写真もやっと現像して、おかげで400枚くらいまとめて出し。
もうこうなってくると、思い出もなにもあったもんじゃない・・・。
写真撮った意味無いじゃん。
あと、電話。
アナログ回線から、光ケーブルに換えると、基本料金が倍近くになるんだよ?
どういうこと?
インターネットを使うことを想定すれば、当然のことなのかもしれませんよ?
だけどさ、高齢家庭に、「代理店です」を名のって、勧誘の電話寄こされてさ、何気に受けたら
とんでもないことになってしまうじゃん。
ほんと、世の中油断も隙もあったもんじゃない。
ウチなんか、ほとんど電話もかけないから、基本料金だけのようなものなのに、
うっかり、「光ケーブルに換えてもいいです」なんて承諾しようものなら、
ムダに出費が増えるだけじゃん。
その代理店の言い方もさ、さも当たり前のように、何も従来と変わらないかのように言うんだよね。
危ない危ない・・・。
私から言わせると、オレオレ詐欺と同じ手口ですから!
は〜・・・。
やだやだ。
どれもこれも私にとってぜんぜん便利じゃないんですけど!
デジタルなんて大っキライだーっ!
5月22日(金)
「中国四千年」
先日、近くの大型スーパーに買い物に行った時のこと。
その日は週に一度のお買い得の曜日。
買い足さなきゃならない物があって、たまたま出かけたら、生卵の特売があって行列ができていた。
私も、最後尾に並んだはいいが、遥かに遠い・・・。
まだ、鮮魚コーナー。
その中に、始めて見る魚があった。
なんとかのカマ(頭)なのだが、聞いたこともない名前だったので忘れました。
カマといえばマグロとか、ぶりとかですよね?
でも、それは見たこともない、チョット見グロテスクなカマでした。
「(どうなんだろ?)」
たぶん、後ろに並んだ親子連れも気になってる様子。
そこへ、ある女性がやって来て、なんの迷いも無く、大きなカマを上手に選んで袋に詰め始めた。
食べ慣れているのだろう。
私はその女性に声をかけた。
「この魚、初めてじゃないんですね?」
相手の女性はキョトンとしている。
そして、中国語が飛び出してきた!
え?
中国人?
意外だった。
私も、中国語で話し始めたが、とっさのことで、なかなか伝わらない。
でも、その女性はこの魚を食べ慣れているらしく、砂糖、みりん、醤油で煮る、のだそうだ。
「ほほう・・・」
私は、カマといえばカマ焼きというくらいで‘焼く’ことばかり考えてしまうけど、さすがは中国人。
‘煮る’のだそうだ。
後ろに並んでいる人も感心していた。
さすがは、中国四千年の歴史、中国料理にしても奥が深い・・・。
5月25日(月)
「逆ギレ」
2012年以来、3年ぶりに健康診断を受けました。
またもや、異常がありました。
メタボ症候群とか言うんじゃなくて、肝機能に異常があったんですって。
他にも血液検査で3項目くらい正常値を外れていたみたいです。
だから指導を受けに行かないと、結果を渡さないとのこと。
どの程度の異常なのか見当もつきませんし、
外れていたにしても高い値なのか下過ぎるのかも分かりません・・・。
おかしくないスか?
異常があるなら、むしろ早く結果を知らせて、医療機関を受診させねばならないでしょうに!
「結果を取りに来い」的な上から目線でいる役所の体制に腹が立っています。
だって、深刻な異常だったら、なおさら結果を知らせるべきなのでは?
それに、有料で受けてる健康診断なのに、結果を知らせない、ってどういうこと?
私みたいに、「わざわざ出向いてまで結果なんて知らなくてもいいや」って思って
行かないでいるうちに、命に関わるような深刻な事態に陥ったら、町で責任とってくれるのかよ?
健康診断の結果は、異常あるなしに関わらず、通知するべきだと思います。
そこから先は本人が考えるべき事だと思います。
「異常があるから、指導(=説教)してやる。それまで結果は知らせません。」
という、町の保健課の考え方には納得できかねます。
何のための健康診断だろう?
役所がそこまで干渉してよいものか?
2012年にも‘余計なお世話’と言いましたが、‘過干渉’にも思えます。
指導(=説教)といっても役に立たないし。ただ理想論の展開にすぎない。
結果に異常があったからといって、‘呼びつける’保険課の考え方は間違ってると思うし、
これだから、健康診断なんて受けるんじゃなかった、と私は悔やんでいます。
指導ですむならまだしも深刻な事態なら、わざわざ呼びつけないだろうし、
私はこのまま放っておくつもりだ。
もし、深刻な事態の人まで呼びつけているのだとしたら、
それこそ町の保健課こそが深刻な事態と言わねばならないだろう。
呼びつけて説教してやらねばなんねぇ。
6月2日(火)
「ツガルさん」
何年も前になりますが、偶然、動物園にいる‘ふたこぶラクダ’の番組を見ました。
長寿日本一。あと2年で世界一(番組放送当時)そんなありがたいラクダちゃんである。
ラクダちゃんの名前は「ツガル」
メスです。
ツガルという名前の由来は、青森の津軽から名づけられました。
ツガルさんが住む動物園は、横浜の野毛山。
青森で生まれ、横浜の野毛山に来て30年ほど。
そこにラクダはツガルさん1頭。
番組を途中から見てしまったため、どうして東北の寒い青森にラクダが?
しかも‘ふたこぶラクダ’が?という疑問が残りましたが、幸い再放送があって納得。
ツガルさんは、もともと青森の私営牧場で生まれたそうな。
両親が、動物園に(売られて?)行ってしまい、ひとりぼっちになってしまったという。
ひとり青森に残されたツガルさん・・・。
冬は猛吹雪の中で立ち尽くすラクダ、ツガルさん・・・。
食べ物は、近くの人たちが、りんごや野菜、パンなどを持ってきてくれて、それで生きていたという。
幼い頃から独りぼっちで生きてきたツガル。
のんびりした性格と、食いしん坊が幸いして、長寿。
好物はりんごと柔らかい青草・・・。
私は桜木町に滞在していた時期があり、野毛山に動物園があることは知っていたし、
いつかは訪れたいとも考えていました。
ツガルさんがいるとなれば、なおさら行って会いたい気持ちが強まります。
ツガルさんのようすは、飼育員の方のHPを愛読していました。
「お世話体験」もあって、行ってみたい気持ちがますます強くなってきます。
でも、よほどの用事でもないかぎり、なかなか・・・。
そんなこんなで、数年が経って・・・。
私も、ここ1、2年は忙しくしてまして、ツガルさんのようすをチェックしておりませんでした。
「元気にしてるかなぁ?」
久々に見て、ショック〜・・・
なんと、ツガルさんは昨年の5月に亡くなっておりました。
一周忌が済んだばかり・・・。
ああ、なんとなんと。
生前のツガルさんのビデオを見せてくれてるようですが、
もう生きたツガルさんには会えないんですね。
幼い頃からずっと独りぼっちで生きて、お友だちは、気まぐれにやって来るインド孔雀。
子孫も無くひとりぼっちのまま死んでしまったツガルさん。
・・・他人事には思えません。
38年の長寿世界一おめでとう。
6月15日(月)
「つながらない人生」
今朝、NHKの番組に漫画家の蛭子さんが出てました。
‘つながらない’推奨。
‘友だちがいなくてもかまわない’みたいなことも。
ついに時代が私に追いついたーっ♪
先日、図書館に行きました。
毎週、太極拳の教室の前に近くの図書館に寄ることにしている。
私の住む町の図書館ではCDは3枚まで、本は10冊まで借りることができる。
でも、こう毎週毎週では、いい加減借りたい本もなくなってきた。
「(そうだ、漫画でも借りようかな・・・)」
漫画にそれほど興味もなかったので、これまで一度も借りたことがありませんでした。
漫画コーナーに足を踏み入れるのも初めてのこと・・・。
「バガボンド・・・?」
聞き覚えがある。
とりあえず2巻借りることに。
ボーッ、と眺めていたら「毎日がおひとりさま。」の帯が目に飛び込んできた。
ふふ・・・私みたい・・・でもきっと似ても似つかないんだろうな・・・。
だいたい、自虐的なのはタイトルだけで、実際はメチャメチャ社交的だったりするものだ。
とりあえず、おひとりさま。シリーズを3冊を借りてきた。人気の本らしい。
さっそく、読んで笑った。
漫画で笑ったのは「少年アシベ」以来かも。
てか、私そのものではないか!?
世の中にはいるんだね。
家仕事で、忙しけりゃ一週間も外に出ない、出かけられない・・・。
そんなに忙しいのに、ビール飲めずに発泡酒で晩酌・・・。
私はビールがダメなので、ボックスワインで1本500円換算で安上がりで酔っ払っている。
でも彼女、私と違って外に出かけることに意欲的だし、
初めてのことに、例えばバンジージャンプとか、美容サンプル請求とか、
挑戦しようとしているだけ人生に積極的だ。
おひとりさま、と称してても、なんだかんだ飲み友達にもこと欠かないし、
なによりも何冊も本を出して社会と繋がっている。
それに引き換え、私は社会とも繋がっていないし、そりゃ、仕事はしてるけど、
最近気付いたのですが、「これは仕事じゃないっ・・・時給制のアルバイトだ・・・」
20年もしてから気付くって遅すぎました・・・(涙)
私はおひとりさまの上に繋がらない人生・・・。
スマホはおろか携帯も持ってなくて、文字通り‘つながらない’人生。
おひとりさまなら、せめて優雅でいたいところだが、20年間時給が上がってないアルバイト生活・・・。
むしろ不景気で時給が下がった感も。
そして物価だけは着実に上がる一方だ。消費税アップも大きい。
「(1,000円台かな?・・・)」と思ったら税込み2,500円にもなってたり、もう、いよいよ計算できません。
もはやレジは予測不能です・・・。
人間関係希薄で、社交性ゼロ。
「これじゃダメじゃん!」
(↑春風亭昇太で)
そーいえば、昇太師匠と私は城好き‘つながり’・・・
6月25日(木)
「皮膚科の待合室で」
父が全身に痒みを訴えるようになった。
見ると、蕁麻疹のような、あせものような赤いポツポツがある。
私の住む田舎町に皮膚科の専門医院がない。(正確にはなくなったのですが・・・)
私はタウンページを開いて調べてみた。
隣りの市にはかなりたくさんの皮膚科があります。
父は眼が悪いので、私が運転して行きます。
だから、交通量が多い道は走りたくないし、第一時間もかかる。
それで、一軒だけあった、隣り町の皮膚科に行くことにしました。
隣り町といっても片道14kmも離れています。
距離的には隣りの市よりも遠くなります。
でも時間的には、信号もほとんどないので早い気がするのですが・・・。
待合室で待ってる間、隣りに座った奥さんと少し話したら、
実はここの皮膚科の先生は知る人ぞ知る名医とのことで、たくさんの患者さんで込み合っていた。
父の診察が終わって、薬待ちしていたら、
見た感じ、知能が遅れているのだろう、中学生くらいの女の子が待合室の中を歩いていました。
全身ジャージの女の子は診察を受けに来たのでしょうが、
待合室の壁づたいを待ってる患者さんたちを囲むように内側を向いて、横歩きしています。
「(なぜに横歩き?)」
患者さんたちを見てるか見てないか、その表情からは分かりませんが、
椅子に座って待ってる患者さんの至近距離になっても動じることなく、横歩きで行きつ戻りつ・・・。
正確なリズムでカニのように横歩きする彼女を見ながら、
私はそのマイペースぶりが、なぜか羨ましく思えた。
彼女の頭の中では、この世の中をどのように捉え、どう感じているのだろう?
私とは違う世界観だろうと思う。
同じこの世に生きながら、違う次元の世界で生きている彼女。
そう考えると、人それぞれの世界があるんじゃないか。
私が見てる世界と同じ世界は、私以外に存在しないのではないか、と思えてくる。
だとすれば、真の共感や共有って、果たしてできるんだろうか・・・。
7月12日(日)
「風呂に入れず十日あまり」
父の皮膚病はいっこうに良くならず、薬を変えたほうが良いのではと思い、
2日後に再度隣り町の病院に行った。
診察が終わって、ちょうど昼だったので
皮膚科の近くでみた‘ラーメン’の赤いノボリの店に飛び込みで入った。
父と私は冷やし中華を注文したのだが、その味にびっくり。
こんな不味いラーメンで商売ができてることに驚き、恥ずかしげもなく客に出してることに驚いた。
私が家で作る中華の方が、まだマシというもの・・・。
第一、金糸卵が手抜きの出来合い物。
生卵から手作りしていない。
チャーシューは、賞味期限をはるかに過ぎたような、私は食べて吐き出したほど・・・。
散々なラーメン屋だった。
しかも、皮膚科から変えてもらった薬も父には効かず、痒みで眠れないほど悲惨な目にあっている。
痛みまで伴うようになってきたと言っている。
「(帯状疱疹ではないだろうか?このままでは体力が消耗するばかりだ。病院を変えよう)」
私の住む町には、皮膚科はないが、外科なら一軒だけある。
そこに行ってみる事にした。
そしたらなんと看板に、外科、内科、皮膚科と書いてあるではないか。
「(なんでも屋だったのか・・・)」
父はその日、血管注射されて、飲み薬と塗り薬を持たされた。
その塗り薬はビンゴだったらしく、ようやく父は快方に向い始めた。
なにも、遠くのヤブ皮膚科に行くこともなかったのだ。
おまけに不味い冷やし中華のお昼を食べることもなかったのだ・・・。
そんな、皮膚科騒動の最中、我が家の風呂が壊れてしまった。
これには私も参った。
清潔に保ちたいこの時期に風呂に入れないなんて。
それに、ボイラーもずっと前から壊れてて、シャワーも使えない。
もうお手上げ状態なのだ・・・。
我が家の風呂は薪と石油が使える風呂釜だった。
それが、5年ほど前から石油が使えなくなって、追い焚きができなくなっていた。
薪で風呂を沸かし、ぬるくなっても追い焚きができないため、ガマンして入る・・・。
しかも、煙突が詰まってるだけでなく、釜自体30年以上も使い続けている骨董なわけで、
毎日家中煙だらけにならないと風呂が沸かない。
私などは台所で燻製になりそうな毎日・・・。
なんとも原始的な我が家。
それでも、不思議に不便とは思わなかった。
でも、今回こそはもう限界だ。
だって、風呂の水が抜けるんだもん。
貯められないんだもん。行水すらできないほどヒタヒタの5cmくらいなんだもん。
それは風呂じゃないじゃん!
水抜き栓を新しくしてみたり、漏ってそうなところに水中でも使えるボンドを買ってきて
詰めてみたりしたけど、結局は無駄だった・・・
幸い、寒い日が続いていたので、汗もかかなかったが、父の背中は毎日熱い湯で拭いていた。
いよいよお手上げということで、風呂屋さんに電話したら、循環パイプが壊れたため、とのこと。
30年も前なら、銅管だろうということで、現代のステレンレス製に交換することにした。
だったらついでに、風呂釜も煙突も変えちゃえ!ということに。
ずっと気になってたので、この際にためらうことなく新しくすることにした。
薪で風呂を沸かし、ぬるくなったら石油で追い焚き・・・。
それで十分。シャワーはもう使えなくてもいいや。
そう考えていたところへ、父がボイラーの話しを持ちかけてしまった。
風呂屋さんは、どちらも一緒に工事したいものだから、合わせて見積りを作成。
「(んもうっ!余計なことを・・・!)」
結局、金額は倍増。
風呂釜は私が新調するにしても、ボイラー分は念頭になかったことだから、
父が支払いを持つということにしたが、結局私が全額一括払い。
そうなったら父が私に入金してくれるはずもなく、もちろんウヤムヤにされた。
それにしても、風呂釜が新しくなって、煙突も新しくなって、煙ひとつもれずに風呂が沸く。
換気扇要らずである。
しかも、これまでの三分の一の時間で沸いてしまう。
これだったらもっと早く新調すればよかった・・・。
今回水が漏れちゃうという事態になって、循環の配管だけ変えれば済むところを
釜を新調し、ついでに煙突も・・・という事になったわけだが、ケガの功名(?)とでもいうか
ほんと快適♪
ボイラーも、「要らない」って思ってたけど、新しくなったらなったで快適♪
いまは夏だから、それほどお湯が必要じゃないけど、
冬になったらこの快適さをさらに実感するに違いない。
・・・とまあ、原始時代から昭和初期くらいになった我が家です。
見て。
煙突が接続されたところには煤が詰まって蓋がされていた。
これじゃ、煙が抜けるはずもない。
ピカピカの新しい釜が設置されました。
よこっちょには欲しかった追い焚き用の点火装置も付きました。
7月13日(月)
「サボテンの花」
私は観葉植物が好きで、これまでいろいろ育ててきたが、
寒さにヤラれて枯らしてしまったのも数知れず・・・。
その点、サボテンはけっこう寒さに強いのだが、水やりが多すぎて腐らせてしまったりしていた。
サボテンは、その形が面白くもあるが、時には花が咲いたりするのが楽しみでもある。
どんな花が咲くのか・・・?
でも、サボテンの花を目撃するのは奇跡的なことでもある。
ここのところ暖かいので、アロエやサボテン2鉢を外に出しっぱなしにしていました。
すると、サボテンの頭にちっちゃな蕾らしきがポコッとできてる。
「(花が咲くのかな?)」
と思って観察していたが、いっこうに咲かない。咲く気配もない。
「(不発だったかな?」)
そうこうして2週間も過ぎただろうか・・・。
ニョキ・・・ニョキ・・・ニョキニョキニョキ・・・
伸びる伸びる・・・
「(伸びただけで、やっぱり不発?」)
咲く気配がない。
茎だけ伸びて、蕾らしき物がないのだ。
なのに、ある朝起きたら花が咲いていた!
デカイ!
淡いピンクの見事な花が一輪。
サボテンの体ほどの大輪だ。
いや体より大きい。
こんな地味で、何の変哲もないサボテンに、これほどゴージャスで華麗な花が咲くとは
想像ができない・・・
上から
横から
そして上から
明け方から咲き始めたのだろうか・・・
命短し、その日の夕方には萎(しお)れてしまいました。
7月20日(月)
「書道展と窓拭き」
今年も書道展の賞レースの季節がやってまいりました。
恒例の講習会に、部外者の私にも声をかけていただき、今年も出品すべく参加しました。
初めて参加した時などは、そりゃ極度の緊張とストレスで、
午後から腹痛を起こしてそりゃ大変でした・・・。
2年目も、やはり借りてきたネコ状態の私は、極度の緊張とストレスで、
翌日はこれまで経験した事のない妙な筋肉痛に見舞われていました・・・。
そんな筋肉痛になりながらも、短い提出期限まで、連休の前半を費やし、
車を飛ばして提出しに行ったものでした。
なのに、今回は・・・
午前中に講師の先生にお手本を書いていただき、午前中に5、6枚書いて、即日提出という早業。
社中の皆さんは、すでに20枚、人によっては50枚ほど書き込んできており、
その中から、候補を絞っていただき、
さらに講習会当日に書いて選んでもらうという段取りで臨んでいる。
すでに、スタート地点で大きく遅れをとっている私。
だって、私は・・・
その日に書いた、たった4、5枚の中から提出。
半日仕上げ。
て、クリーニングじゃないんだからさあ・・・。
これじゃ、落選も入選もないよね。
最高賞狙うなんて、うそぶいてる場合じゃないっての。
いやあ・・・結果を見るのが恐ろしい。
結果。
半数が落選という厳しい審査を幸運にも通って、入選はしたものの、全国での入賞はならず。
書いた枚数を振り返れば、当たり前っちゃあ、当たり前なんだけど、
それはそれで悔しい・・・。
そして、もうひとつの展覧会が今日審査。
こちらの書道展には今年、2部門に提出をしました。
‘すべり止め’じゃなくて、これまで憧れだった部門にようやく提出することができたのです。
このことは私自身嬉しく思っています。
「(どちらも、好成績でありますように(願)」
「(どちらかでも、入賞しますように(祈)」
「(どちらも最高賞の快挙達成できますように(望)」
相変わらず欲深な私・・・。
とはいうものの私、2部門に提出して2部門とも落選した人を知っている・・・。
「(怖いよ〜)」
「(そんなのヤダよ〜)」
まさに今頃、審査が始まろうという時間。
もはや運を天に任せ、通知を待つ・・・。
ふたつの書道展の作品は、一畳(90*180)ほどの大きさに書きます。
昨年や一昨年などは、それこそ一生懸命書き損じの山をこしらえたものですが、
今年は計3作品ですが、即日仕上げなので、ほとんど書き損じがありません。
ですが、物が捨てられない私は、3年も前からの書き損じの山を、まだ作ったままなのです。
高級で高価な紙を捨てるのはもったいない・・・。
何かに再利用できないだろうか・・・?
床が墨で汚れたときの拭き取りに使ってみたりしてますが、そんなんじゃなかなか山はなくならない。
最近、家の風呂釜を新調しまして、これまでの燻製状態から解放されました。
(7月12日「tuzi now」)
きれいにしてもすぐ煤で真っ黒になるんだから、って諦めていた窓拭き。
煤で向こうが見えません。いや、見えなくはないけど、曇って見ずらい・・・。
気になってたんです。
ずっと気になってたんです。
薪を置いてる空間を取り囲んで、ガラス戸が6枚。
書き損じの紙を使って拭き始めました。
いやあ、見事にピッカピカ☆になりました。
超高級和紙で窓掃除。
スッキリ☆
クッキリ☆
超気持ちいいです♪
こんなに見え方が違うってのに、ウチの父ときたら目が悪いからか、
鈍感だからか、気づいてない様子・・・。
ひとりスッキリ感を満喫している私です♪
7月21日(火)
「父の耳U」
父は眼が悪く、最近は車の運転もおぼつかない。
そして耳も遠い・・・。
遠くの壁掛けカレンダーをみながら、父が私に聞いた。
「今日は何の祝日なんだ?」
7月20日は祝日‘海の日’だから、私は
「海の日」
と即答した。
「ん?ごみの日?」
「ブハハ・・・(爆笑)」
ごみの日が祝日なら、週に2日は祝日になってしまうではないか(笑)
「父ちゃん、ごみの日はあした!(火曜日)今日は‘うみの日!’」
一文字違いで大違い(笑)
でも、父にしては惜しかったな・・・
そして父は今朝、ごみ出しに行きました。
8月15日(土)
「箱の中のチロ」
チロを介護してます。
突然、足が立たなくなってしまったのです。
「(骨折?)」
でも両足とも骨折するようなこともなさそうだし、
「(熱中症?)」
チロは自分でトイレにも行けないし、食事も取れなくなってしまいました。
‘寝たきり’です。箱に入れて介護してます。
歩けなくなって半月ほど経って、だんだん体が汚れてきました。
顔も黒ずんで・・・
上半身だけ懸命に起き上がらせてペロペロするのですが、
猫はキレイ好きだから、暇さえあればペロペロしてるじゃないですか。
チロは、少し起き上がっただけで疲れてしまうので、思うようにキレイにならないのです。
初めは食事も取れなかったので、一時は私もチロの死を覚悟したのですが、
持ち前の大食漢ぶりを発揮し、量は減ったものの食べたり飲んだりしているので
とりあえず命に別状はない様子で一安心。
でも、立ち上がって歩くのはなんだか、もう無理みたい。
そんなチロを見ててつくづく思うことがあります。
人間も動物も、生きることは食べることなんだな、ということです。
人間は食べられなくなっても、処置をすることで栄養が補給される手段があるけど、
といっても意識があろうがなかろうが、いやおうなく補給されて。
意識がなくとも生きていることに違いはないけど、食べることに関しては自発的とはいえませんよね。
一方動物は食べられなくなったら、それは直接死を意味しているでしょう?
チロだって、私が食事を運んで介護しているから、なんとか生きているのであって、
これが野良猫だったら、とうに死んでいるはず。
食べられなくなった当人にとって、生かされ続けることが苦痛であるとすれば
私のしていることは罪悪なのかもしれない。
それでも、チロが食べて飲んでくれるかぎり、私は食事を運び続けるつもりでいます。
体を起こして本人が食べるしぐさを見せているうちは、食べさせて飲ませて・・・。
チロが再び歩けるようになることを・・・奇跡を信じて。
8月23日(日)
「みんないっしょ」
今日は処暑です。夏の暑さが落ち着く頃・・・そんな日曜日です。
チロが我が家へやって来てから12年ほどが経っていました。
食べることに目がなく、好物はマグロ、牛乳(ヨーグルトやチーズなど乳製品全般)、うどん。
とにかく何でも食べるグルメな大食漢でした。
そのくせ、病気がちで生傷も絶えない。
その度に持ち前の大食漢で乗り切ってきた。
夏どんなに暑くても冷房の部屋には入らず、暖かい(?)所が好きでした。
チロの足が立てなくなったのは先月末のこと。
暑さで脱水症状になったのだろうと、私は冷房の部屋に入れて寝かせた。
それ以来、立ち上がることはできず、寝たきりになって私の介護が始まりました。
寝たきりになっても、チロの食欲は衰えませんでした。
大好きな牛乳を飲んで、のどを潤してから缶詰を食べる。
グルメなチロの好きな黒缶を用意したので、喜んで食べていました。
立秋も過ぎて、少し暑さも和らいだので、チロを私の習字部屋(実質2畳ほど)に移して
面倒を見ていました。
・・・そうして3週間。
ついにチロが缶詰を口にしなくなりました。
そこで牛乳とスープタイプの食事に変えたのですが、急激に衰え始めたのです。
時々、弱った体を起こして、外を見たがります。
暑かったので部屋の中央に置いていたチロの入った箱を窓際に寄せてあげて。
食欲も食べる量もそれほど変わらないのに、体力がなく、痩せて弱ってきていました。
2日前。
ついに味のついたものは口にしなくなり、めったに飲まなかった水を飲んだ。
昨晩。
牛乳をちょっと飲んだらむせた。
今朝。
呼吸がゆっくりになったいた。
昨晩までおしっこがでそうになると手を動かして鳴いて知らせていたのだが、
もはや鳴く声にも力がなかった。
10時。
何か飲まないだろうか、と思って様子を見に行って話しかけたら、
チロは弱弱しい息の中で、大きく伸びをして呼吸が止まった。
私の目の前で・・・。
「姉ちゃんを待っててくれたのかい?(泣)」
チロは前日まで大好きな牛乳を飲んで逝った。
チロの目に最期に見えたのが私の顔で、声を聞きながら逝ってくれたことに私は安堵しています。
私にとってチロの最期を見届けるこができたことは、チロからの最高の贈り物です。
チロポン、いままでありがとう。
我が家の東のブロック塀の上で鳴いているチロを母が発見。
茶(先代)が残した‘猫元気カリカリ’をあげたら、飛びついてきた。
大食漢は生まれつき。(生後3ヶ月くらい?)
白かったので、チロと名づけた。
小さいころから無口で、手のかからない子猫でした。
子供の頃から暖かい所が好きで、この頃のお気に入りはテレビの上でした。
家の中を走り回ることもなく、おとなしい子供時代でした。
大人の貫禄がでてきても、性格は相変わらずおとなしくて優しい。
最期まで手のかからない、‘め〜んこちゃん’な猫でした。
チロの亡骸は、やってきた方角に土葬することに決めてました。
台風の影響でしょうか、朝からどんより曇って雨が降っていましたが、
父が将棋番組を見ている隙に(見つかると面倒なことになりそうだから)埋葬しました。
大好きだった牛乳と、マグロスープ、黒缶と一緒に・・・。
生きることは食べること。
食べられなくなったらおしまい。
人間だって動物だってみーんないっしょ・・・
9月12日(土)
「同級生」
中学時代の同級生が、近くの大型スーパーで働いてる。
ずいぶん前からその姿は目にしていたが、買い物しに行った私が声をかけようと思っても
向こうは仕事中だし、第一覚えてくれているかどうか・・・。
ある日、ポイントのハンコをもらいにサービスカウンターに行った。
同級生の彼女、仮にMちゃん、としよう。
その日はカウンターにMちゃんひとりが担当だった。
ほんの20cm前でMちゃんはハンコを押してくれている。
私だと気がつかないのだろうか?
私は思い切って「・・・Mちゃん?」と声をかけた。
Mちゃんは顔を上げ「tuziちゃん?」と。
見れば分かるんじゃん!
「変わりない?」
「うん」
「みんな変わっちゃってね。いろいろあるのよー」
「ふうん」
「私もね、2年前に病気になって、後遺症で目が見えないのよ」
そんな風に見えないけど・・・?
「モザイクがかかったようにしか見えなくて、細胞が壊れちゃったから治らないのよ。
ほんとに近くじゃないと見えないの。全体がぼやけてて」
「そうだったんだ」
「それに更年期障害がひどくて大変なのよ。tuziちゃんは?」
「なーんにもないの」
「いいわねえー、羨ましい」
彼女は、年齢的に大変なことを次から次と述べた。
確かに私はこれまで、一般の人が年齢的に経験すべきことを飛ばして生きてきた。
結婚、子供、家族間の問題、子供の心配、PTAの付き合い・・・。
なーんにもない。
唯一経験したのは、介護くらいなもの。
苦労らしい苦労は「なーんにもない」
そして、浮いた話しひとつなく、どこにも「つながってない」
「なーんにもない」のは、ある意味幸せなのかもしれない。
「つながってない」のは煩わしさから解放されていて、面倒くさがりやの私には
合っているのかもしれない。
でも、「なーんにもなくて、どこにもつながっていない」私は、
今後、独りで強く生きていけるか、行く末の不安ばかりが
どっざりある・・・。
・・・さて、どっちが幸せだろう?
10月3日(土)
「鹿の王」
もう何年も本を読まなくなっていました。
その代わりと言ってはなんですが、漫画をかなり借りて読んでいました。
なかでも「バガボンド」は続編が待たれます。
そうこうするうち、今年の芥川賞やら直木賞やらが発表になって、
今年の芥川賞は芸人さんが受賞ということで、何かとメディアに上ることが多かったですよね。
といっても、読みたいとは思わないので、もう一作の受賞作、「スクラップアンドビルド」を
読んでみることにしました。
介護をしている若者が主人公ということで、なんとなく興味がわいたからです。
それほど長くはないので、書道展を観に行く高速バスの中で読んだのですが、
ずっと下を向いていたせいでバスに酔ってしまった。
けど、話しの展開に引き込まれて、行き帰りで酔いながらも読み終えてしまった。
このことがきっかけで、以前から気になっていた「鹿の王」を読み始めました。
上下巻の上巻を読み終えて下巻を借りに行った時、図書館に勤めている同級生が
「児童書だから読みやすいでしょ?」と言っていたが、果たして児童書なんだろうか?
児童が読むにしては内容が複雑すぎると思うのですが?
それはさておき、長編にも関わらず読むスピードにも加速がついて、下巻は一気に読み終えた。
身に病いを宿した男が、人間の関われない山奥へ同じく病んだ獣を先導していく主人公。
多くの人間を救うため、自らが人間界に別れを告げる。
それは、もはや男が人間ではいられなくなることを意味する哀しい結末・・・。
なのかな?、と思いきやそうではなかった。
男を慕う女の子が進む。
種族を超えて家族となった若者たち、役目を放棄して男の元に進むことを選んだ女。
この人たちはきっと男にたどり着けるだろう。
希望ある結末で本当によかった・・・。
次に読みたいと思っているのは、直木賞受賞の「流」です。
芥川賞も直木賞もこれまで期待ができなかった私ですが、そうそう捨てたもんじゃない、と
「スクラップアンドビルド」を読んで思いました。
一方、本屋大賞は長編が多くて、なかなか読み始める踏ん切りがつかなかったのですが、
「鹿の王」はお奨めです。
「鹿の王」は、登場人物や情景が浮かんでくるかのような世界がダイナミックに描かれています。
映画化するなら、ほら、あのほら・・・なんつったっけ・・・カスピ・・・角笛・・・
タンスの中に・・・ライオンの王が出てくる・・・題名忘れたんですけど、あんな感じ?
全体に流れているのは‘哀しさ’、その哀しさの背後には政治が絡んでいて、
死生観に医療と宗教がどう寄り添うか、はたまた寄り添えるのか、といったことの問題提起も。
自然界と人間との関わり、その根底に流れているのは生きる者の‘哀しさ’
そんなことを感じながら読んでいました。
とまあ・・・今年のtuziは久々に読書の秋を楽しんでいます。
10月25日(日)
久々の更新です。
めっきり寒くなりましたね。
「浮世のバカ」
父が夜寝る前に決まって言うセリフ。
「寝るより楽は無かりけり〜、浮世の馬鹿は起きて働く〜」だ。
私などは「浮世の馬鹿」なので、夜も起きて働いています。
ところで、
今日は地方県議会議員選挙の投票日でした。
私と父は近くの公民館に投票に行ったのですが、帰りがけ車に戻ろうとしたら、
私の車のすぐ前の地面に、お守り袋が落ちていました。
投票前には気がつきませんでしたし、なかったように思います。
「どうしてこんな所に?」と拾って見たら、なんと高野山のお守りでした。
私が昨年行った際、父に購入したのは紺色のお守りを買ってきたので、
父が落としたわけではなさそうです。
(そのお守りは、色褪せた赤でした)
弘法大師を拾った私に、父が、
「捨てる神あれば、拾う神あり」と言いました。
「・・・ん?」
それって使い方が微妙に違うんじゃ・・・?
落とし主は「捨てた」わけじゃないし、拾った私は神とは真逆の「浮世のバカ」だし。
11月12日(木)
「煩悩」
我が家には渋柿の木があります。
毎年、父が収穫し皮をむいて干し柿にします。
紐に通して吊るすのは私の係りです。
「今年は何個になるだろう・・・二、四、六・・・」
数えながら紐に通していくと、百八つ。
煩悩の数でした・・・。
煩悩、といえば、今年、菩提寺の大和尚が亡くなって、葬儀やら何やら一切合切、
私たち檀家が負担せねばならなくなりました。
お寺の葬儀は我々檀家が出すということ。
各戸が2万円という大金を負担し、六百数十万の葬儀代金を工面することに。
そもそもなんで六百数十万も懸かるんだか、懸けるんだか・・・。
不足分はお寺の家で負担しますとのことだったが、
負担金のほかに、葬儀当日にお悔やみをお持ちしたからそれで、間に合っちゃうじゃない?
おつりが出るくらいです。
私たち一般はお悔やみをいただいても、お互い様でお返ししていきますが、お寺はそうじゃない。
葬儀には法名代と称して大金を手にし、法事の食事もただ食いで、
おまけに仏様のお膳までいただきだし、当事者がなくなっても檀家に全額を負担させる。
お寺は我々各戸から巻き上げるだけで、‘坊主丸儲け’とはこのことだ。
暴力団よりひどいや・・・。
袈裟を着ただけで無税だなんて、とんでもないから。
お経なら私だって唱えられる、っての。
ありがたみもあったもんじゃない。
ここは田舎だから、それが当たり前のようにまかり通っているが、
果たして仏に仕える身が、こんなことでいいのだろうか。
煩悩まみれは僧侶のほうだと思う私は、罰当たりでしょうか。。。
11月17日(火)
「父の耳U」
お昼ごはんを食べながら、父とふたりテレビ番組をみています。
どこだったか忘れたけど、その日は‘生ハム’つくりをしている農場が映ってました。
肉の塊に塩をすり込んで‘生ハム’が出来上がるまでの工程を見せてくれていました。
出来上がった‘生ハム’をレポーターが試食して、その美味しそうな味をレポートしようとしたその時!父が「あれは何だ?」と私
に聞きました。
食品ということは一目瞭然・・・のはず。だって、今まさに食べようとしているのですから。
私が画面を見つめながら「生ハム」と答えると、
「なまはげ?」と父。
ブハハ・・・
残念〜。
たった一文字違っただけで、大笑い。
あやうくご飯吹き出しそうになっちゃた(笑)
それにしても惜しかったな〜。
父ちゃん、「なまはげ」は食べられませんから〜(笑)
12月1日(火)
「ふたり花巻」
結婚して岩手県に嫁いだ友人がいます。
盛岡での結婚式で会った以来、長いこと会えずにいました。
「温泉に行きたいね」と年賀状のやりとりや、メールなどで話していましたが、
なかなか実現できずにいたのです。
そんな今年、同窓会の連絡がきたのですが、なんせ卒業生全員が対象の同窓会。
同級生になら会いたいのですが、会えるかどうか、参加するかどうかも分からない。
参加を思案して、岩手の友人に相談すると「温泉に行こう」ということで話しがまとまり、
同窓会を見送って、ふたりで温泉に行くことにしたのです。
場所は、花巻の奥にある台温泉に決まり。
というのも、実は私が花巻で行ってみたい場所があったからなのです。
花巻温泉もあるけど、少し前にお昼のテレビで紹介されてた台温泉が、
昔ながらの温泉街で興味が沸き、そこにも行ってみたいと思っていたし、
あと夕方の情報番組で取材していた、巨大ソフトクリームが食べられる地元デパートの食堂にも
行ってみたいと思っていたし・・・。花巻はマイブームだったのでした。
宿はインターネットで検索。
マツタケの土瓶蒸しが名物の‘吉野屋’さんに決めた。
残り3室。さっそく申し込んだ。翌日には満室になっていました・・・。
「11月27日(金)」
花巻へは私の家から車で15分ほどの駅から、新花巻駅まで新幹線で30分か40分くらいで到着。
のはずですが、私は‘どん行’で3時間弱かけて行こうと考えています。
乗換えが2回。一ノ関で結構待たされるのは、新幹線が入ってる駅だからだと思う。
3時間もかけて‘どん行’で行こうと思ったのには訳があります。それは読みたい本があったからです。
てか、こういう機会でもないと本が読めないからね。まとまった時間が取れていいかな、と思って。
今回は直木賞の「流」を読もうと思っています。
カバンに「流」を入れて、朝の6時に家を出発、7時発の‘どん行’に乗り込んだ。
くっちょ(友人の呼び名)と花巻駅で10時に落ち合う約束だ。
本を読みながらの3時間は退屈もせず、あっというまに過ぎた。
今日の予定は、高村光太郎をめぐる観光です。
花巻といえば、イーハトーブの宮澤賢治でしょう。
けど、私あんまり宮澤賢治好きじゃないし・・・。
高村光太郎は7年間も花巻に疎開してたんですよ。その場所が見たくてね。
それで花巻に来たかったんです。
書道の展覧会の作品を、近代詩部門で出品する時、私は高村光太郎をよく題材にします。
つーか、ほとんど高村光太郎です。
彼の詩には骨があって、他の詩人とは違うように思います。
書も一流で、彼の文字は何者にも媚びない、孤高さが感じられます。
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の碑は光太郎が揮毫したはず。ほんとか?なので、碑も見たいです。
というわけで、本日の観光は、まず「雨ニモマケズ」の碑を見てから、マルカン百貨店で昼食。
午後、疎開してた「高村山荘」を見学して、宿の吉野屋直行。
2時半か3時には温泉に浸れるでしょう♪
「光太郎」
11月は暖かい日が続いていたのに、急に寒くなって、今にも雪が降りそうな気配。
花巻は雨でした。
迎えに来てくれた、くっちょの車にはナビが付いていました。
まず「雨ニモマケズ」の碑が目的地ですが、私が調べた住所が間違っていたらしく、
おまけに電話番号も間違っていて、探しながら走っていると、
なんか石垣が見えるんですけど!
白い塀も見えるんですけど!
テンションがあがりました。
「あれ何ー?お城?花巻城ってあったっけ?」
「あそこ、行ってみよう!」
いきなりのワガママ全開!予定外で、あの高台に向かわせたのでした。
しかも一方通行無視して、
「対向車来ないから大丈夫!go!」
途中、通りがかりの人に「雨ニモマケズ」の碑の場所を訪ねたら、
私の調べた住所とぜんぜん違ってたし・・・。
私が見た石垣は、花巻城跡で、そこには小学校や武道館が建っていました。
とりあえず、武道館の中を見学させてもらうことに。
「武徳殿」の道場は趣のある木造2階構造の武道場でした。
説明してくれた館の男性は「東北一の武道館」とおっしゃってましたが、
まじめに、本当ではないかと思うほど立派でした。
で、そこで詳しい花巻の地図などいただいて、ほんと偶然でしたが、助かりました。
まずは歩いて、花巻一の神社におまいりに行きました。
途中、城門跡があったはずなんですが、門は現存しておらず、跡だけのようです。
お参りから戻って、いよいよ本丸跡に行ってみました。実際は小学校を含む全体が城跡なんですけど。
「武徳殿」の先奥は広場になっていて、ちょっとした櫓門だけが残ってました。
私が石垣の上に見つけたのはこれだったんですね。
はしごを登ってみましたが、2階の櫓の戸は開きませんでした。
屋根にはシャチが乗っていたり、佐間がたくさんあって、防御の備え十分の櫓門でした。
さてさて、寄り道しちゃいましたが、光太郎の碑に戻ります。
やや・・・賢治の碑がいつの間にか光太郎の碑と呼ぶようになってしまった。
駐車場は、同心屋敷の前でした。
かわいい同心屋敷で、ひとつ門から入って、並んで2軒建ってます。
左が今井さんち、右のかわいい双子屋根が平野さんちです。
碑までは賢治ロードなのでしょう。遊歩道みたいな道に賢治の詩の碑が並んでいます。
ベンチにはふくろうちゃんや、ねずみちゃんや、ねこちゃんといった、
賢治の童話に登場する動物たちの石造が並んでいます。
細い小道に矢印が向けられていて、奥に入っていくとようやく碑らしきが見えてきました。
いよいよ雨も本降りになってきたところで、「雨ニモマケズ」の碑に到着。
詩の後半を光太郎が揮毫して、のちに加筆修正した数行が刻まれていました。
光太郎らしい、尖った、それでいて温かみのある文字が並んでしました。
実物大なのでしょうか、思いのほか大きかったです。
碑の正面は遠くに北上川。
私たちは雨が強くなってきたので、東屋でしばし雨宿り。雨ニマケテ・・・。
地図に‘桜地人館’とあった建物が碑から少し離れてありました。
そこに行ってみることにします。
私、「桜他人(たにん)館」って読んでたし・・・。他じゃなくて地だったんじゃん」
くっちょ、「地人(ちにん)て読むのかな?それとも(ちじん)て読むのかな?」
私、「う〜ん・・・?私なんかずっと他人(たにん)だと思ってたし」
「桜地人(ちじん)館」は賢治の羅須地人協会と住所の桜町から名づけられたのだそうで、
この記念館は賢治、光太郎と親交があった佐藤隆房氏が開館したとあります。
「へえー・・・」
館内には賢治の直筆原稿や、写真、光太郎が書いた「雨ニモマケズ」の全文。
ほかにも光太郎の書やブロンズなどなど。
これから行こうとしている疎開していた小屋の写真もありました。
岩手生まれの画家、萬鉄五郎の油絵も展示されていて、「猿ヶ石川当楽図」の色彩の鮮やかなこと、
深みのある新緑の山襞のきれいなこと、川面の明るさ。素晴らしかったです。
「雨ニモマケズ」の碑の除幕式のようすが映像で残されていて、見てたら事務所の人が
お茶を淹れてきてくれました。あったかくて美味しかったです。
もう12時を過ぎていたので、お昼を食べに行くことに。
私が情報番組でマルカン百貨店を見たときは、昔ながらのナポリタンと巨大ソフトクリームが
紹介されてました。
くっちょのお母さんが、私が遠くからやってくるというので、御馳走するようにとおこづかいを
いただいてきたというので、ここはありがたくご馳走になることに。お気遣いいただきまして恐縮です。
私はオムライス。くっちょは海老カツとナポリタン。
私までナポリタンもらっちゃった。
美味しかったよ〜♪
私は巨大ぐるぐるソフト、くっちょが以前にもここに来たことがあるということでミニソフト。
「ひとりでは食べきれないよ」
「箸で食べるんだよ」
と指南してもらい、いざ巨大ソフトに挑戦!
ぺロッ。
おいしー♪
ぺロッ。ぺロッ。
おいしー♪
3分の2食べきったところで、さすがに苦しくなってきた。
でも、もう少し・・・、って欲張ってがんばっちゃったのがいけなかった。
胃の中が冷え冷えになって苦しくなってきた。
「ギブアップ〜」
コーンまでで、あと残しちゃった。
もう、胃の中が冷たくなって、足から指先から変に痺れてきた。
目の前もクラクラ暗くなってきたし・・・。
「具合悪い〜」
あまり熱いの飲んだら、胃がびっくりすると思って、少し温めのお茶を飲んだ。
それでも、胃の中が温まる気配が無く、エレべーター降りて少し休んだ。
お湯を飲んできたのが良かったのか、休んだら良くなってきた。
一時はどうしようかと思ったぜ。
マルカン恐るべし。
いくら美味しいからって、ソフトクリームをムチャして食べてはいけない。
ふう〜、お腹いっぱいじゃー。
次なる目的地は念願の「高村山荘」
‘山荘’なんて言うと別荘みたいな優雅な建物みたいに聞こえはしまいか。
とんでもない。
四畳一間の小屋です。
壁も薄く、冬は中にいても凍死してしまいそうな小屋です。
私は写真でしか見たことがないのですが、たった独りで花巻に暮らしてたというので、
その場所が見てみたかった。どういう小屋だったか見てみたかったのです。
想像するに、かなり寒かっただろうと。雪だってハンパないでしょ・・・。
愛する智恵子を看取って、花巻に独りで暮らして。
きっと、独りだけど、智恵子がそばにいて、寂しくはなかったんだと思う。
智恵子を偲んで、何をしてても智恵子を感じながら暮らしていたんだと思う。
私の想像ですけどね。
光太郎が疎開といって7年間も暮らした花巻の家を見てみたかった。
くっちょの運転する車が、何もないアップダウンの山道を走る。
橋を渡り、田んぼが広がる、集落らしきも見当たらない、だだっ広い田んぼの中の林の中に
山を背にして、光太郎の住むその小屋はありました。
「これじゃ寒いよ・・・まわり何もないし・・・」
近所のおばちゃんたちが、お惣菜やらを差し入れに来ていたということだったが、
集落があったんだろうか・・・。
私たちは記念館を見る前に、山荘に行ってみることにしました。
私、「四畳一間なのに、大きくね?」
くっちょ、「住んでた小屋を、保存のために建物で囲ったんだって」
私、「あー、なーるほどねー。どおりで大きいなと思った」
さっきの「桜地人館」で見た写真で、雪囲いしてる光太郎の写真がありました。
これじゃ、藁で囲わなきゃ、冬は寒くていられないよ。それくらい粗末な小屋でした。
今は本が残ってるくらいで、何もないからガランとしてるけど、
実際は四畳の半分は家財(布団とか)が壁に積まれて、実際に使えたのは二畳ほどじゃないの?
しかも、畳はなくてござだかむしろが敷いてあるだけだったみたい。
東京生まれのお坊ちゃんで、アメリカ、ヨーロッパに留学してたお坊ちゃんが、
独りでこんな山ん中に・・・。7年も。
もともと、賢治の弟さんと親交があって、初めは賢治の家に疎開してきたんだけど、
花巻空襲で賢治の家も焼けてしまって、それから有志の村人にこの小屋を建ててもらったみたい。
ま、光太郎大先生だから、花巻で文化人として活動していたんでしょうけどね。
1Kの住まい。冬は寒かったろうに・・・。
障子に日時計が書いてあった。さすが〜。
土間の外に井戸がある。水汲みして自炊する光太郎大先生。
入口の扁額「なんて読むの??なんとか得無?」
トイレの中から。明り取りに彫った‘光’。オシャレ〜。
小屋の前には畑。自給自足なのだ。
小屋の裏は熊が出そうな山で(実際、熊よけの鐘があった。栗林だからだね)、
よく散策したのだそうです。
そこが遊歩道になっていて、私たちも雨で滑りそうになりながら丘を登ってみました。
少し歩くと展望台になっていて、そこの説明を読んでみると、
「遥か遠くの安達太良山に向かって、智恵子の名を叫んでいたそうです」と書いてある。
くっちょ、「智恵子ぉー!(叫)」
私も、「智恵子ぉー!(叫)」
智恵子の泉もあるのですが、そこまでは行かずに、
展望台から下りて「雪白く積めり」の詩碑を見て記念館に向かいました。
光太郎自筆の原稿
記念館は光太郎の彫刻や書や遺品が展示されていて、まず驚いたのは光太郎が長身だったこと。
当時としては珍しく180cm以上の背丈。
皮靴がデカイこと!記念館の人が教えてくれたんだけど、30cmだってよ!?
「ヨーロッパに留学したでしょ?日本人として向こうに行っても見劣りしなかったでしょうね」
「背も高いけど、顔も長いのよ」とも(笑)
智恵子の切抜絵も2点ほど展示されていて、その出来栄えは芸術作品だと
光太郎に言わしめただけのことはあった。
魚もイチゴもよかった。初めてみました。評判どおりです。
魚もイチゴも並べるところが、私のような凡人にはない発想だなと思って。
光太郎は智恵子が好きで、病んでなお智恵子を愛して、智恵子を亡くしてさらに好きでたまらず、
智恵子と共に生きていたのだと思います。
いったい智恵子の何に惹かれたのだろう?
・・・そんな野暮は光太郎に通用しないだろうな。一喝されそうだ。
「典型」
今日も愚直な雪が降り、小屋はつんぼのやうに黙りこむ。
小屋にいるのは一つの典型、一つの愚劣の典型だ。
三代を貫く特殊国の特殊の倫理に鍛えられて、内に反逆の翼を抱きながら
いたましい強引の爪をといで、みづから風切の自力をへし折り
六十年の鉄の網に蓋はれて、端座粛服まことをつくして唯一つの倫理に生きた
降り止まぬ雪のように愚直ないきもの。
今放たれて翼を伸ばし、かなしいおのれの真実を見て、三列の羽さえ失ひ、
眼に暗緑の盲点をちらつかせ、四方の壁に崩れた廃墟に、それでも静かに息をして
ただ前方の広漠に向かふといふ、さういふ一つの愚劣の典型。
典型を容れる山の小屋、小屋を埋める愚直な雪、
雪は降らねばならぬやうに降り、一切をかぶせて降りにふる。
高村光太郎
(昭和25年)
「吉野屋」
光太郎をめぐって、宿の‘吉野屋’に着いたのは4時近かった。
最近、私のパソコンはインターネット接続の調子が悪く、宿の手配ができませんでした。
それで、コールセンターに電話して、予約を入れていたはずなんですが。
疑い深い私は、わざわざ‘吉野屋’さんに、本当に予約されているかどうか確認の電話を入れていた。
念の入れようにもほどがある、ってもんだ。
その際、3時からのチェックインだが、「少し早くなってもかまいませんか?」とお願いまでしていたのだ。
ところが、早くなるどころか、3時をゆうに過ぎて、4時になろうという到着だった。
テキパキした親切で美人の女将さんに迎えられ、すぐにお風呂で温まって、部屋で食事。
女将さんが、隣の部屋にお膳をしつらえてくれた。
「土瓶蒸し〜♪土瓶蒸し〜♪マツタケの〜土瓶蒸し〜♪」
私はこれまで、マツタケの土瓶蒸しを食べたことがない。
それで、インターネットで宿を探していた時、ここの宿の名物‘マツタケの土瓶蒸し付コース’に
予約したのでした。
お刺身も上等で、美味しかったですし、このあたりの白金豚の蒸し焼きもありましたし、
かぶってしまいましたが、ぶりの照り焼きの切り身が大きくて。
美味しそうだったけど、お昼からの満腹感が続いてて手がつけられなかった・・・。
「明日の朝ごはんに、このブリでいいのにな・・・」なんて思っていました。
人生初の土瓶蒸しは、私が想像していた味とは違っていました。
というか、私がこれまで持っていた土瓶蒸しのイメージが間違っていたのですね。
土瓶蒸し=酒蒸し
ではなくて、
土瓶蒸し=ダシ
なのですね。
くっちょは、以前にも食したことがあって、土瓶蒸しに酒は入らないことを知っていました。
「ふうん・・・そーなんだー、知らなかったよ・・・」
ともあれ、吉野屋さんのお料理は美味しかったです♪
ネット上は満室のはずなのですが、お客さんの気配がないのが不思議、っちゃあ、不思議でしたけど、
午前中に寄った「武徳館」のおじさんが、忘年会は吉野屋さんだ、と言ってましたから
これからの忘年会シーズンは賑わうのでしょう。
朝食、夕飯にそっくり残した、ブリ出ないかな〜?
なんて、出るわけもなく、サケでした。
これまた大きな切り身で、またも私は手を付けられず、そっくり残してしまいました。
若ご主人が、コーヒー付けてくれました。
和洋あって、筋子もあって、私的には豪華な朝食でした。
吉野屋さん、美味しかったです♪
「滝」
宿を出た私たちは、徒歩で温泉街をぐるり一周することに。
温泉街といっても、何軒あるだろう?
大きな宿ほど、閉めて廃墟になっていたりして、小さな宿が10軒ほど。
円形にぐるっと回ろうと思って歩き始めました。
昨晩、「雨が止まないね」「すっごい雨音してるよ」と話していたのは、近くを流れている川の音でした。
台温泉の台川なのだと思います。部屋のすぐ近くを流れていたのでした。
天気雨の中、歩いていても、温泉街はいたって静かなもので、すれ違う人もありません。
一周回って滝を見たら、この先にある日帰り温泉に入っていこうと考えていましたが、
一周どころか、すぐに温泉街は途切れてしまいました。
それでも、地図上はグルッと一周できることになっているので、
そのまま何もない吹きさらしの道を(風が強かった)進みます。
本日の予定は、散策→釜淵の滝→日帰り温泉=そば店「かみや」で昼食→おみやげを買う、です。
温泉街の奥には木造3階建ての豪華なお宿。
ボーンと飛び出した屋根の連続で、外観だけ見てると、内部が迷路になってそうな造り。
明治?大正?
こんなに豪華な建物は久々にみました。
泊まってみたい気もするけど、それよか食事が美味しいほうがいいな、なんて思ったりもする。
私は部屋より食事なのだ。
結局、温泉街はこの先で終わってしまい、一周のうちほとんどが吹きさらしの道でした。
長かったです・・・途中トンネルも通りました。もちろん歩きです。
車が一台も通らないんです。
ただ時折、「なんでこんなところに?」と、運転手が不在の軽トラが何台か止まってたりしました。
不思議じゃ・・・。
それにしても遠かった。
一周してから、滝を見に坂を下って行きました。
かなり下りました。長い・・・、予想以上に遠い・・・。
途中、神社の前を通りかかったら、ポリタンクを数個並べて水を汲みに来た老夫婦が。
名水なのでしょうね。
訊いたら、飲み水に使うそうです。
滝をみた帰りに喉が渇いたので寄って飲んだら、柔らかくて、温かくて飲みやすかったです。
ここ羽山神社は、鹿踊り、神楽・・・神楽といえばここは南部藩。
南部神楽といえば、快活で見ごたえ十分。
北上では神楽大会が3日間にわたって開催されるほど盛んな土地柄。
私も機会があれば神楽三昧で大会見物したいと思う。
定期的に早池峰の方で、神楽が開催されているようですし、とにかく神楽が盛んな土地なんです。
鹿踊りも見てみたいし。
吉野屋さんの箸袋に、台温泉の名物が書かれていて、その中に羽山まんじゅうがありました。
さっき通った温泉街には、お土産を売ってる店がなく、私たちはまだ、台温泉のお土産がありません。
くっちょ、「どうなってんの?」
私、「せっかく台温泉に来て、台温泉のお土産がないなんて」
くっちょは、観光案内所を見つけたのですが、そこは郵便局。
私、「今日は土曜日だから休みだよ」
くっちょ、「だって観光案内所だから、土日こそ案内でしょ!」
私、「いやいや、郵便局だからー」
私たちは延々、坂を下り、ようやく滝への入り口に到着。
もはや、花巻温泉近くまで歩いて来ていたのでした。
遊歩道になっている階段には落ち葉が雨で濡れて滑りやすくなっていて、慎重に降りて行きました。
今回、台温泉に決めた時、この滝を地図で偶然見つけて、行って見ようと計画したのでしたが、
その数日後に、偶然テレビ番組で、この滝を見てしまったのです。
「うっわー、楽しみにしてたのに見ちゃったじゃん・・・そりゃないよ(涙)」
見てしまったのは仕方ない。
楽しみが半減してしまった、と思いましたが、こうして実際に目にすると、
テレビとは比べようもない迫力。
「おおーっ!」
「すっげー!」
見ごたえ十分!
紅葉の時期は最高かも。
いまは、枯れススキがなかなかいい感じでした♪
公道に出てからもう一本滝を見つけました。
名前は分からずじまいでしたが、お寺さんの不動明王が奉られていましたから不動の滝?
お寺に鳥居が、不思議ですが、不動明王の後方には菩薩様が控えておりました。
滝三昧して、散策というには遠出でしたが元の吉野屋さんまで一周。
後日、くっちょからの報告で、万歩計は1万歩を超えていたそうです。・・・それって多いの?
さて台温泉街の日帰り温泉に。
同じ台温泉でも、ここは泉質が微妙に違うようで、硫黄の匂いがしていました。
くっちょの指輪が、緑青になりかけました。
吉野屋さんは硫黄分が含まれていないのかもしれませんね。
無味無臭透明なお湯でした。
ここは、同じく無味透明ではありますが、少し硫黄が入ってるっぽい。
同じ建物に蕎麦屋さんがあるのですが、温泉入って、蕎麦食べて、また温泉入って・・・。
は、できないシステム。
なので、私たちは先に昼食をとることにしました。
上品なさらしな蕎麦で、くっちょはそばの豆腐、私はそばのムース。
基本、どちらも同じ。豆腐のほうが柔らかい。でも基本同じ。
まあ、美味しかったです。
日帰り温泉は無人で自販機でチケット購入、というか、蕎麦屋さんが厨房から管理している。
だったら、つなげて蕎麦も温泉も楽しめるような造りにすればいいのにー。
だって、温泉側には休める所がないんだよ?
これじゃ、一回入ったらハイおしまい、それまでよ。になっちゃうじゃない。
一つだけ椅子テーブルはあるものの、入り口の扉が開いたら、冷たい風が入ってきて
休めるどころじゃないし。こういう所にこそ台温泉限定のお土産コーナーでも作ればいいものを、
飲料の自販機しかないなんて。銭湯より劣るじゃん。
温泉入りながらお蕎麦も楽しめて、畳の六畳もあって、湯上りにゴロッと横になれて、
帰りがけには、台温泉の思い出にお土産が買えて・・・。
って造りにすればいいのにねー・・・って、私は妄想したわけよ。
そんな妄想が膨らんでいた私に、くっちょがコーヒー牛乳をごちそうしてくれました。
これがまた美味しかった♪
さすがは小岩井農場。
それから私たちはもう一度湯に浸って温まって台温泉を後にしたのでした。
「おみやげ探し」
それにしても、台温泉のお土産がないんですけどー。
困ったよ・・・売ってるお店がないのだから、どうしようもないんだけどね。
お蕎麦屋のお姉さんに尋ねたら、花巻温泉の大きなホテルの売店を教えてもらった。
あとは花巻駅前のお店で、ということだった。
花巻温泉のホテルに台温泉のお土産が、たとえば温泉饅頭とか置いてそうにないけどねー。
とにかく、私たちは、その花巻温泉の超大きなホテルに車で乗りつけ、売店にまっしぐら。
ロビーの大きな売店をグルッと一回りしてみたけど、やっぱ台温泉のお土産はない・・・。
箸袋に書いてあった、台焼きという焼き物(=せともの)も見てみたかったけど、それもない。
台焼きはなぞのまま幻となるのか・・・。
結局、私は台温泉に泊まったにも関わらず、関係ない平泉と花巻温泉のお菓子を買ってしまった(涙)
それほど期待もせず、教えてもらった駅前のお土産店に向かうことに。
ところが、なんとそこには私が探し求めていた、おせんべいや、宮沢賢治のグッズ(買わないけど)や、
思いがけずに台焼きまで見つけてしまった。それに台温泉の羽山まんじゅうまで揃っていた。
品揃えが豊富でビックリしてしまった。
「さすが駅前・・・」
しかも、女将さんがひとつひとつ説明してくれて、
「このおせんべいは、花巻に来ないと手に入りません」とか、
「羽山まんじゅうはこしらえる人がいなくて、数が少ないんです」とか、
「台焼きも、先代が亡くなってから、なぜか白色(本来は緑のぼかし)になってしまって」とか、
陸前高田の一本松とコラボで宮沢賢治の雨ニモマケズが英文で書かれた絵葉書を眺めていたら、
「新作なんですよ」と教えてくれたりとか・・・。
とにかく、古くからの付き合いがあって、どの品物もここだけには卸してるみたい。
さすが女将さん、長年の顔が利いてます、って感じ。
「よかったよ〜、台温泉のお土産が買えたよ〜」
くっちょも、私も、やっとストレスから解放された感じです。
「次回は洞窟」
楽しかったな〜。
花巻は見るところも盛りだくさんで、よかったよ〜。
くっちょ、来年も温泉旅行しようね。
私の候補としては、行ってみたい洞窟があります。
その洞窟は、流しそばが近くにあって、洞窟にはヘルメット着用で、洞窟の奥に滝があります。
帰ってきてから早速「洞窟・流しそば」で検索してみたところ、
ありました。
またも、花巻から奥〜です。山の中です。辺鄙すぎます。
むしろ海側です。
釜石とか、陸前高田、宮古とかそっち方面です。といってもそこからもかなり遠いです。
「行けるかなー?」
だって、鉄道はつながってる?
隣県なのに前泊しなきゃ行けないかも。
くっちょのリクエストは、洞窟風呂ですから、洞窟つながり、ってことで、
洞窟風呂になるか、洞窟になるか・・・どっちもか・・・場所はゆっくり考えるとして、
来年のテーマは洞窟なのだ!
おわり
花巻駅ホームの鹿踊り
12月10日(木)
「流」
今年の直木賞は東山彰良氏の「流(りゅう)」でした。
長編なので、花巻への往復6時間では読みきれませんでしたが、最近読んだ中では最高でした。
舞台は台湾。原点は大陸中国山東省。
大陸から台湾に移り住んだ人たちの思い・・・。
生粋の台湾人との関係性・・・。
など、これまで私が持っていた疑問がハッキリして勉強にもなりました。
クスリと笑える場面も随所にありながら、全体に影のようによりそう‘哀しさ’が感じられます。
その状況にならないだけで、誰もが持っている黒い感情。
抑えられない‘哀しさ’を超えたところにある懐の深い人間同士のつながり・・・。
黒い感情のすべてを飲み込んで流してしまう人間の許容・・・。
そんな意味での「流」ではなかったのか?と感じた私です。
スケールの大きさといい、登場人物の活き活きとした躍動感が、
まるで映画を観ているかのように描かれていて、読む速度がどんどん加速していきます。
壮絶なストーリーから離れて、ラストシーンも気に入ってます。
主人公がこれから迎えるであろう‘別れ’ではなく、時間を遡った‘幸せ’な情景で結んでいる。
映画で言えば、「ブロードキャストニュース」と同じ、私の好きなラストシーンだ。
希望あるラストでした・・・。
小説「流」は希望あるラストというのとは少し違いますが、‘幸せだった記憶’を描いて終わる・・・。
素敵じゃない?
そう、‘幸せだった記憶’は実際に起きたことで、誰にも犯されることのないものなんだから。
そして、幸せでも不幸でも人生はこれからも続く・・・。
ラストまで、まるごと愛しくなる一冊でした!
12月15日(火)
「ふたり花巻〜後日談」
台温泉の唯一のお土産「羽山まんじゅう」文字通り羽山神社が由来になっている温泉饅頭です。
包み紙には花巻温泉と印刷されてましたが、台温泉の領域にある神社です。
私たちが神社の前を通りかかったとき、手前の手水場で老夫婦が水を汲んでいた、あの神社です。
私はお土産の羽山まんじゅうをコタツにあたりながら食べていました。
温泉饅頭にしては珍しく、白あんでとても美味しいです。
皮もなんだか美味しいです。
温泉饅頭にしては破格の美味しさに、同封されていた栞を読んでみました。
「なになに・・・?」
「(省)・・・ここ羽山神社は、奇祭蘇民祭で知られる・・・」
はあ?
えー!?
あの蘇民祭?
あの・・・男どもがマッパ裸で・・・何するか分かんないけど・・・
何やら怪しげな・・・暗闇の中・・・何するか分かんないけど・・・
数年前、ポスターが話題になって全国的に有名になりましたよね?
私もそれで、蘇民祭の名前だけは覚えていたんですけど。
あの蘇民祭が?
ここでー?
そうだったのー?
看板には神楽と鹿踊りしかなかったじゃん・・・
蘇民祭だなんてチラとも書いてなかったじゃん・・・
奇祭で知られる神社だと知ってたら、また違った見方ができたかも・・・?
追記
あとでインターネットで調べたところ、蘇民祭は岩手県各地で行われており、
そんな驚くことではなかったようです。
12月26日(土)
「今年の漢字2015」
清水寺で発表される今年の漢字は「安」でした。
安全保障の「安」だそうですが、そんな不穏なイメージは「安」からは受けません。
どちらかといえば、平安とか、安心とか安定とか・・・私が持つ「安」のイメージはそんな感じです・・・。
そしてtuzi的今年の漢字は・・・
「悼」
追悼のトウ
悼む
母を亡くして2年目、この漢字は私の現在の心境です。
母にはもう会えませんが、いつも母を感じながら過ごした一年でした・・・。
夏にはチロぽんも逝ってしまいました。
つい最近、夜中にトイレに起きた父が、母の仏前の座布団に座っているチロを見たと言います。
「えー!?私も見たかったな〜」
父はそのチロを追っ払ったといいます・・・。
「きっと土の下は寒いから、座布団に座りに来たんだよね・・・」
|