2014年

1月20日(月)

「年末年始」




本年もどうぞよろしくお願い申し上げます
tuzi


昨年は私にとりまして、書道展での入賞、太極拳の全国大会での好成績、
虫歯の治療もほとんど痛まずに完治・・・と、良いこと続きの一年でした。
そんな時こそ気を引き締めて・・・そう覚悟していたものの、好調のツケが年末にやってきました。
母の体調が悪くなったことで、私の年末年始は、あってなかったような感じで過ぎてゆきました。
気の抜けない毎日は現在も続いておりまして、仕事も抱え、病院と家の往復でバタバタしております。
ただ忙しいだけならまだしも、心配な日々を過ごしているので、気が休まらない・・・眠れない・・・
初詣のお願いは、もちろん両親の「健康、長寿」
私もこれまで散々あがいて生きてきましたが、もういいかげん悟りました。
私は両親のために生まれてきたのですね。
私がどんなに好調でも、天涯孤独になったら、その好調がなんになるというのだろう?
もう、なんの張り合いもなくなるんじゃないだろうか?
家族がいなくなったら、私は何のために生きてるかもわからなくなるんじゃ・・・
正月早々、そんなことを考えて恐ろしくなってしまいました。
ですから初詣のお願いは、両親の「健康、長寿」の次に私の「孤独回避」
クリスマスに届いた「真景累ヶ淵」はチビリチビリと読みおわりました。
この世は‘因縁’ということです。
私が両親の元に生まれてきたのも‘因縁’なら、この先出会う人との縁もまた‘因縁’。
良縁ならよし、そうじゃなくとも縁は縁。‘因縁’といえましょう。
「真景累ヶ淵」は、そんなお話しです。
ともかく私は今年も「行雲流水」流れに任せて逆らわずに生きていきます。




7月10日(木)

「大予想」

ワールドカップ、ブラジル大会も3位決定戦と決勝戦を残すのみとなりました。
日本チームの不甲斐ない試合と違って、決勝リーグは延長、PK戦の連続で見ごたえ十分。
それにしても、早々に敗れた日本は、なぜまたも外国人監督を招こうとしてるんだろ?
日本人監督にして団結しよう、という考えはないのだろうか?
外国チームに所属して、そこそこ活躍している選手が代表になってるにも関わらず
大人と子供の試合を見てるような、あのぶざまな負けよう。
第一、。あれじゃ、勝てるわけがない。
それに、クも悪い
毎回の試合、ゴール決めるための作戦は立ててるんだろうか??
守りつつも、隙あらば一瞬にして攻撃に転じゴールを狙えるのがサッカーの醍醐味ではないのか?
守って精一杯でヘトヘトになってるようじゃ、話しにならん。
前回大会より後退してるじゃないか。
いったい、どういう練習してんの?
たいしたことない相手チームにビビってんじゃん。

私は出場32チームの国名を見たときから、の決勝戦を
予想していました。そして、。これが私の予想でした。
予想通り、ドイツもオランダも準決勝まで勝ち進み、
昨日はドイツがネイマールとキャプテンを欠いたブラジルに7得点の大勝。
万全じゃないブラジルには申し訳ないけれど、こうなったら二桁10点ゴールが見たかった・・・。
インタビューに答えるネイマール見てて気になってたんですけど、
キャップのつば、まっすぐすぎません?
日本ではダサいということになってますよね?

今朝はもうひとつの準決勝オランダ対アルゼンチン。
昨日、今日と朝5時起きで、もー眠いです。
でも、生で見ないと、ニュースを耳にしちゃうし、そのニュースを耳にした父に
バラされでもしたら楽しみが台無しになってしまう。そんなわけで早起きしてテレビ観戦です。
両チームとも鉄壁の守りで、ゴールなし。延長でも得点できず、PK戦へ・・・。
オランダは準々決勝戦でもPK戦だった。その時はPK戦に強いキーパーに代えて勝ち進んだ。
でも、今日はすでにカード3枚切っているので、キーパーそのまま。
まだ、PK戦でストップしてないキーパーらしいのですが、もう止めてもらうしかありません。
だけど残念ながら今日もアルゼンチンシュートを、止めることができず、
オランダは敗退してしまいました。
延長戦に向うところまではロッベンも勝ちを意識してたのでしょう、ずっと笑顔でしたが、
さすがにPK戦となると険しい表情に変わって・・・。
試合後、すぐに客席に向ったロッベン。そこには妻と抱っこされて泣いている息子の姿が。

決勝戦は3時起きかぁ。
優勝はドイツ、最優秀選手はロッベンで決まりでしょ。
・・・というのは予想じゃなくて、私の希望なんですけど。



7月25日(金)

「tuzi、石を拾う」

私が子供だった頃、家の近くを流れる川は、海水浴場のような砂浜になっていて、
水遊びもできて夏休みには親子で‘子供会’と称した、今で言うバーベキュー大会のような催しが
毎年の恒例だった。
砂浜でお母さんたちが大きな鍋にジャガイモを煮て、熱々を塩だけでいただく。十分美味しかった。
小学生の高学年が下級生の面倒を見て、川遊び。
同じ地区だけの集まりなので、学年が違ってもみんな知ってる仲間だし、
お母さんたちも、みんな近所のオバチャンということで、気兼ねもいらない。

そんな川だったはずが、河岸工事をしてからというもの、川には近づくこともできなくなってしまった。
原因は工事によって、川が遥か遠くになってしまったことにある。
よって、葦だかなんだか、とにかく背の高い雑草に覆われて、ツタが絡むジャングルと化して
しまったのだ。おまけに地面はぬかるむし・・・とても川に近づけたものではない。
砂浜なんてあるんだろうか・・・?
お盆の時期は、盆だなを川に廻す(流す)のであるが、川辺に行けないから、断崖絶壁のような
一歩間違えばヘドロの川にドボン!覚悟で投げ込まねばならない。
不便極まりない。
私はそんなふうに遠くなってしまった川の、整備された後の公園で太極拳練習をしているが、
時々遠くに魚釣りの人のテントがあるのを見かけていた。
彼らは、ジャングルを抜けて、川辺にたどり着いているのだろう。

ところが、そんな昔の面影のかけらもない河原が、最近になって復活したのだ。
しばらく前から大型トラックがやってきては、河原で工事をしていた。
どんな工事なのかは分からない。その間、私は河原に太極拳をしに行かなかったからだ。
工事も終わったようなので、しばらくぶりで行ってみると、なんと、ジャングルがきれいさっぱり。
これまで見えなかった地面が。そこには以前のような砂地が広がっていた。
川辺まで行けそうじゃん!
ぬかるみもなくなった砂地を川辺目指して歩きはじめた。
砂地を抜けると、一段低くなって石ころの河原。たしかに川辺は昔よりだいぶ遠くなっている。
しばらく石ころの賽の河原を歩いていると、色とりどりのきれいな石がたくさん。
翠だったり、赤だったり、黒だったり、紫だったり・・・シマシマだったり・・・
「綺麗・・・」
形もさまざま。まんまるのもあれば、ほとんどは底が平たくて安定している。
「文鎮にできそう・・・」
いくつか拾って帰ってきた。
そんな石たちを眺めていると和みます・・・
形もさまざま、色もさまざま・・・
この石たちは一体どこからやってきたのでしょう?
みーんな別々の所から流されて、転がって、この河原でたまたま一緒に落ち合って打ち上げられて。
そこへ通りかかった私に拾いあげられ、今はここで見ず知らずの石たちとご対面。
そんなことを考えながら眺めていると、
いつまでも飽きません・・・


洗って乾かしてるところ。
ペーパーウェイト、習字の文鎮として大活躍の石たち。




8月3日(日)

「末廣亭」

私は落語が好きですが、もっぱらCDで聴いています。
図書館からはカセットテープを借りて聴いたりもしました。(古っ)
以前は、といっても中学、高校の頃ですが、桂枝雀さんの面白さが理解できませんでしたが、
最近になってその凄さが解るようになりました。
何度聴いても飽きませんし、何度聴いても新たな面白さがあるのです。
歳をとる、って不思議なもんですね。
もちろん、三笑亭可楽(八代)は不動ですし、古今亭志ん朝の品の良さ、ったらない。
でも、好きな噺家さんたちは、みんなあの世へ旅立ってしまわれました。
生きている人の中では、柳家小三治、が絶品。と思っていたところ、
ついに彼は人間国宝になってしまわれました。
そんな雲上人では独演会にでも足を運ばねば聴けまいに。
ま、人間国宝になる前からそうでしたけど・・・
寄席に行ったところで、まさか柳家小三治は出演していないだろう。

ところで、数年前の太極拳の全国大会。
上野で時間があったので、神田明神に詣でようかと思い立ち、
秋葉原方面に歩いて行ったことがありました。途中、寄席上野鈴本の前を通りかかったのです。
「ああ、ここだったんだ・・・」
出番の看板を眺めていると、ぴろきの名が。
なにを隠そう、私はぴろきのファンなのです。
ぴろき見たいなぁ・・・」
でも、かなり前のほうの出番でしたので、もしかしたら、もう終わってるかもしれません。
呼び込みのお兄さんがおったのですが、聞いてみる勇気もなく、私はその場を立ち去りました。
いつかは寄席に入ってみたいものです。

それから数年たって、今年の全国大会。
昨年は8.6台にギリ乗っかり、順位も一桁台に入ることができました。
なのに、今年は8.5台に下がり、順位も二桁台に転落・・・
一度でも好成績で喜びを感じると、人間は欲が出ていけません。
その落差に、ガッカリ感は増幅するものです。
悔しさでいっぱいの千駄ヶ谷から新宿に出て、さてどこに行こうか・・・
そうだ。まだ一度も行ったことのない新宿末廣亭を見に行こう。
思い立ったその時は、建物の外観を見るだけのつもりでした。
ところが。
ぴろきが出演してるではありませんか!
「・・・みたいなぁ、ぴろき
気持ちがグラグラ揺らいだ。
夜の部は始まったばかりで、いま入場してしまえばぴろきが見れる。
でも、まだ夕飯も食べてないのに、最後まで聴いたら9時になってしまうし・・・
迷うところだ。
「あの、ぴろきだけ見て出るんですけど、まけてもらえません?」
「(冷ややかに)そういうシステムはありません」
「・・・うっ。」
っっ
以前、鈴本で入り損ねた寄席というものに、ここで入らねば後悔しそうに思えてならず
私はぴろき見たさに、入場することにした。
座敷に上がって、太極拳の大会で疲れた足を伸ばす。
「ふ〜」

おまちかね、ぴろき登場。
ぽろろろ〜ん(←ウクレレの音)
「こうみえても私、妻と子供がいるんですぅ」
「ぇえ!?」
「実家に姪がいるんですぅ。かわいいですぅ」
「親兄弟、妻子あり・・・」
私は勝手に、自分と同じで、小汚い部屋に独り暮らし、年老いた母との孤独な毎日。
唯一の楽しみは人間ウォッチング、ネタを作っては寄席にかけ糊口をしのぐ・・・
・・・って、それは私だけだった。
私の勝手な思い込みは、無残にも打ち砕かれ、おなじみのフレーズ
「寝る前に必ず私のことを思い出してください。
に、まんまと騙されていた、バカな私でした。
そりゃ、リップサービスというか、営業というか、仕事だもんね。
実際、あんな格好であんな髪型してウクレレもって生活してるわけないもんね。
本気にするほうがどうかしてるわ。むしろぴろき
絵に描いたような幸せな男だった。
きっとプライベートのぴろきは、寄席の彼とは似ても似つかない洗練された男なのだろう。
「落ち込んだ時、どうか私のことを思い出してください。なにもできませんけど」
なにもできませんけど、ってなんだか保険かけてるように聞こえてきちゃったわー。
インターネットで高価なウクレレ買っちゃうし、人一倍幸せだったなんて、なんかガッカリ感増幅だ
中入り後はナイツだったんだけど、空腹に耐えかねて結局すぐ出てきちゃいました。
第一、ガッカリ感がハンパなかったもんですから・・・。

看板を見つめ悩むtuzi 7月4日pm5時頃




8月8日(金)

「tuziの欲」

人間は生活全般にしても、精神的なことでも、ひとたびレベルが上がってしまうと
そこから以前に戻れなくなってしまう。
冷房のある生活から、扇風機だけの生活に戻れないとか、
某高級アイスを食べちゃったら、10個500円のアイスに戻れないとか、
一度でもファーストクラスに乗ってしまうと、もうエコノミーに乗りたくないとか・・・
私に関して言えば、書道の展覧会の成績。
昨年は入賞して表彰式に出席した。
一度でもその味を知ってしまうと、入選では満足できなくなってしまう。
落選もありの展覧会で、入選だって立派な成績だ。
事実、「落選だけは、落選だけは、ご勘弁願いたい」と祈っていたのに、
実際、結果が届くと「なーんだ、入選止まりかぁ・・・」なんて気分になってしまうのは、どうしてだろう?
に他ならない。
入賞で喜んでいる場合ではなくて、最高賞をを狙っている。
それに加えて昨年より成績が落ちた、というガッカリ感だろう。
今年の太極拳の全国大会での成績だってそうだ。
昨年より、得点を0.02落として、順位も二桁台に落とした。
落とした、と思うことがそもそも間違いの元なのだ。
頭の中では「一年きり」のことで毎年リセットされ、「ゼロからの挑戦」と考えているのに
どっかで、昨年の喜びが強く残っていてガッカリ感が大きいのだ。
過去の栄光を(栄光でもなんでもないが)引きずっているのだ。消し去ることができないでいる。
すべては心の欲に他ならない。
なんとも情けない話しだ。
欲に踊らされ、惑わされ、煩わされている自分。

でも、言い訳に聞こえるかもしれませんが、人間生きてる間は
欲から逃れられないのではないでしょうか。欲があることが生きてる証とでもいうか。
食欲、なんて言葉もあるくらいで、「食べること=生きること」とすれば、「生きること=欲」なのでは?
極端な話しに発展してしまいましたが、食欲は誰しもの欲でしょうが、
物欲の方は、だいぶ個人差があります。

私の欲は「人に褒めてもらいたい欲」のようで、だから書きますし、競技もなかなかやめられない。
だからといって、実際は褒めてくれる人はもはやなく、誰も褒めてなどくれない。
どんな好成績でも自己満足で終わってしまう・・・
無力感
これまで書道も太極拳も昨年までは自分のためで、
「人に褒めてもらいたい欲(野心)」はあるものの、
所詮、自分の中だけで完結するものですから本気度が低かった。
それが今年から、捧げるための書道、太極拳に一変。
一時はすべてが無意味に感じられ、「捧げるため」といった名目がなかったら、
きっと書道はやめていたと思いますし、太極拳の全国大会にだって出場していなかったと思います。
おかしなもので、捧げる相手ができたことで私のは、さらに強くなりました。
どうしても、最高賞を贈りたい、報告したいという気持ちが強くなったのです。

残念ながら今年は、どちらも好成績を捧げることができませんでしたが、
続ける原動力になる意欲、これもまたでしょうか?



8月18日(月)

「カレーとインド人」

先日、出品した書道の展覧会を観に行ってきた。
百数十枚も書き損じて、自分も納得の一枚を選んだはずなのに、展示されたそれは
「アチャー・・・(恥)」
百数十枚の書き損じの山を作って、選びに選んだのがこれかよ?!
これじゃ、入選しただけでも良しとせねば。そう思わせる作品だった。
「書き直したいよー」
自己嫌悪の塊となって会場を後にした。
来年からはバカみたいに書きまくる紙のムダはやめよう!

そんなこんなで2時間近く会場内をさまよい、いや、鑑賞してまわり
お昼になってお腹もすいてきた。
モスバーガーか・・・いや、混んでるからやめよう・・・
喫茶ルノアールでパスタもいいな・・・クリームソーダが飲みたいな・・・
お?
インド。カレーかあ・・・
久しく食べてないな。
飛び込みで入ってみることにした。
本格、インドカレーなんて中野で食べた以来、何年も口にしていなかった。
店内に入ってすぐ、厨房が見えた。料理人はインド人ばかりのようだ。
ランチの野菜カレーとチャイを選んで注文した。
案内されたテーブルは、二人用に3つ並んだ、真ん中のテーブル。
左隣のテーブルにはインド人。ずーっとスマホをいじってる。いじりながら食べていた。
右隣には、テレビのアナウンサーがふたり連れで座った。
テレビといっしょで、オヤジギャグを飛ばし、注文を聞きにきた店員さんに
ニコリともされず「だいじょうぶです」とあしらわれていた。
彼らも、評判を聞いて初めて来店したようだ。
テレビ関係者が来店するくらいだから、そう悪くないお店なのだろう。

そうこうするうち、私のところに熱々のナンとカレーが運ばれてきた。
ひとくち食べるなり、
辛ーっ!(汗)
もちろん思っただけで口にはしませんが、とにかく痺れるような辛さだ。
辛さを通り越して苦くもある。
まわりを見回しても皆、平然として食べている。
「どーなってんの?」
「みんな、辛くないの?」
隣のインド人は相変わらず、スマホをいじりながら黙々と食べている。
インドでは、こんなに辛いのは当たり前なんだろうか?
聞いてみたくて仕方がない。
だって、本場インドのカレーって、そんな辛くないって聞いたことあるんですけど。
数年前、中野で食べたインドカレーもインド人が調理人だったけど、
こんな辛くなかったし、マイルドで美味しかったよ。
私は「ねえ、辛くない?」ってよほど聞きたかったんだけど、
スマホに釘付けだから聞くに聞かれない。
アナウンサーたちは、「ナン、熱っ!」「結構辛いね。」と言ったきり、やっぱり平然と食べていた。

私も仕方なく、水を飲み飲み食べていた。
食べているうちに少し慣れてきたけど、やっぱり辛い。
辛すぎるよ・・・(汗)
鼻の頭に汗が滲む・・・(辛)
チャイが運ばれてきた。
シロップを全部入れて飲んだら、今度は甘くなりすぎちゃった。
甘っ。
変な味のチャイだっただけに、せっかくのチャイが変な味になっちゃった。
甘かったり、辛かったり・・・うわ〜ん。
これでお腹こわさなきゃいいけど・・・。

会計をして、店を出てエレベーターを待ってたら、さっきのインド人もやって来た。
私は思わず「ねえ、辛くなかった?」ってふつうに聞いてしまった。
すると、日本語が分からないみたいで、でもなんかニュアンスは伝わったみたいで、頷いていた。
インド人「・・・hot」
tuzi「でしょでしょ?so,very spaisy. but everyvody pokar face, why?」
私は油断すると、中国語が交じりそうになりながら、拙い英語で言ってみた。
それを聞いたインド人、英語でなんたらかんたら・・・
「level 1!」
はあ?そうだったの?
しかもレベル1かよ!?

tuzi「そうだったんだー。I know」
辛さの調整が利くんだったら、初めに言ってくれよなー。んもうっ!




9月1日(月)

「魔女」

「魔女」にどのようなイメージをお持ちでしょうか?
中世ヨーロッパでは「魔女狩り」で裁かれ、火あぶりの刑に処されたという
歴史があったりするようですが、私、詳しいことは何も知りません。
ですからこれは勝手な想像ですが、「魔女」と呼ばれる人たちは、医術を身につけ、
いえ、医術というよりはむしろ薬学に長けていたのではないでしょうか。
それは体調の不調を治す薬に限らず、恋愛までも操るホレ薬やら、
なんだか怪しい薬から、ヤバイ薬から毒薬までも・・・
ですから、善しにつけ悪しきにつけ、目をつけられてしまったのでしょう。
「魔女」は人里はなれた森の奥深くに住まい、薬草近くに居を構えていたに違いありません。

似たような呼び名で「美魔女」というのが、少し前までテレビから聞こえてました。
(そーいえば最近聞かない)
実年齢よりずっとずっと若く見える女の人・・・若く見えるだけではなくて、
キレイなオネエサンにしか見えない女の人のことを言うようです。
でも、キレイなことはキレイなんでしょうけど、それなりに実年齢にしか見えないんですよねー。
(だからテレビから消えたのか)
本当の魔女だって、長生きの薬はできても、それなりの容姿で歳をとっていくもの・・・
不死の薬や若返りの薬など、どこにもあるはずない。

ここ最近私は、自分が「魔女」的になってきたように感じるようになりました。
知り合いも友人もほとんどいない、私的には人里はなれた田舎に住み、
父が長年緑内障を患い、最近めっきり悪化してきた眼に、少しでもいいようにと
メグスリノ木を煎じて飲ませたり、便秘で苦しいといえばセンナを煎じて飲ませたり・・・
煎じ専用のポットもあるんです。
化学薬品を信用しない私は、自然葉っぱや木の皮を煎じ薬を処方します。
母が風邪をひいて咳が止まらない時なども咳を観察。カラ咳なのか、痰が絡んでいるのか・・・
咳の種類によって、薬局から漢方を購入し対処してきました。
病院の薬では効かない咳もピタリと止んだものでした・・・
あ、いや。
ヤバイ草は持ってませんし、栽培もしてませんて。

私自身、病院も薬も極力避けてますし、もとより化学薬品は信用してません。
健康食品やサプリメントなどもってのほか、どれも説得力のない正体不明の品と思っている。
体調が思わしくない時は、まずは太極拳。
それでも改善しなければ寝る。
痛みがなければそれでもいいが、痛みが伴えばやはり私も薬に頼るしかなくなる。
特に腹痛は深刻だ。できるだけ漢方に近いものを服用す。
だが薬だけで改善しているうちはまだまだ健康のうち。
人間いよいよの時は悔しいかな病院へ行くしかなくなる。
放射線浴びながらあちこち検査され、針を刺されてベットに横たわる・・・
私はそんなのはいやだ。
いよいよになってから、魔女のように何かを煎じていたらいいなと思うこの頃だ。



9月5日(金)

「両替」

いつ行ってもガラガラにすいてる銀行があって、
待ち時間がないので、私は各種手続きなどはその銀行に行くようにしている。
先日も、用事があって行ったら、やっぱり誰もいなくて、手続きが済むまで座って待っていたら、
その日は珍しく、次々とお客さんがやって来て、あっという間に5、6人になってしまった。
その中のひとりに、私の家の近所のおじさんがいて、いやもう90歳だからおじいさんなのだが。
そのおじさんは、いつも自転車で病院行ったり、
自分の用事から買い物までを済ませているだけあって若いし、健康そのものだ。
二次大戦ではシベリア抑留されていた経験の持ち主なのだが、とてもそんな風に見えない。
この日も、自転車に大量の1円玉を積んでやってきたもよう。
狭い銀行なのでカウンターで話してることが筒抜けで、聞こえてきた話しでは、1円玉の両替のこと。
おじさんは私に気づかなかったし、私のほうでもあえて声をかけずにいた。
「手数料がかかりますがよろしいですか?」と聞かれたおじさん。
「ああ、いいよ」と軽く答えるおじさん。
両替機で数えたら5,000いくらあるとのこと。
1円玉5,000個もなんでためちゃったかな?
「手数料が2,000円ほどですが、よろしいですか?」
えっ!?
サラッ、っと言ってのけてるが、約半分じゃん!?
両替で5,000円ちょっとに対して手数料が2,000円近くする、って・・・
1円玉とはいえ、お金はお金。
私だったら両替辞めちゃうよ。1円玉のまま持ち帰るさ。
おじさんだって、まさかそんなに手数料がかかるとは思ってもいなかったはず。
でも一旦承諾してしまった手前、おじさんは「・・・仕方ないね、・・・ああ、ようがす」と渋々承諾。
5,000円ちょっとから棒引きされることになった。
「御掛けになってお待ち下さい」
と振り返ったおじさん。私に気づいて隣に座ってきた。
「両替ですか?」と私。
「1円玉だけ、えらく貯まったからもってきたのさ。5,000個もあると重いもんだね」
「手数料あるんですね」
「高いもんだなあ。あんなにするとは思わなかったよ」
「もったいないですね」
「家に5円玉と10円玉もあるんだけど、それはもう両替しないで使うよ」
「1円玉も少しずつ使ったほうがよかったんじゃないですか?」
「いやあ、5,000個だからねえ・・・両替した方がいいと思ったんだよ」
「それにしても、約半分が手数料ですよ?」
重いのを自転車でわざわざ運んできて、半分近く手数料で持ってかれるなんて、
バカバカしい気がする・・・
そりゃ、外国なんかに行って両替したって、手数料はある。
だけど、半分近くなんてした例がない。
ここ、銀行の1円玉両替だって、機械でババーッと数えちゃうんでしょ?
それなのに、手数料暴利すぎやしません?
手数料の高額なのに私も驚いちゃった・・・銀行なんて元々は両替商・・・名残でしょうか。

てなことを、家に帰ってきて父に話したところ、
「バカだなあ、通帳に貯金すればいいじゃないか」
「おおっ!・・・そうだよね!頭いいなあ!」
それは私も思いつかなかった。
ひょうたんから独楽状態の私。
「1円玉だってお金に変わりはないから、貯金にすれば減らずにすむじゃないか。
いったん積んで、1,000円札で落とせばいいじゃないか」
「そうだそうだ!その手があったよね!」
銀行で、そういうことを推奨しないってのも・・・
「そりゃ、銀行にしたら手数料が入ってくるわけだから。
だけどハンコさえあれば通帳なんて、銀行は喜んで作ってくれるよ」
もっともだ。
いやあ、参った参った、父には参りました・・・

だけど、そういう父も、パチンコで負けたといっては手数料どころの話しではなく、
全額お金を巻き上げられ、
勝ったといってはそれこそ両替に暴利な手数料をふんだくられている・・・
人の事ぜんぜん言えませんからー。



9月10日(水)

「木枯らし紋次郎」

中村敦夫主演のドラマ、「木枯らし紋次郎」が放送されています。
毎日観たいところですが、その時間帯は太極拳の教室に出かける時間と重なってしまい、
週に2日しか観ることができません。
現在、放送されてる「新、木枯らし紋次郎」は一部、主演の中村敦夫が自ら監督になってました。
やしきたかじんが歌うテーマ曲の作詞も中村敦夫です。当時から多彩な人だったんですね。
それ以前の、「木枯らし紋次郎」は‘市川崑劇場’といって、市川崑が監督で撮られたものでした。
ですから映像も脚本も素晴らしく、さながら映画のような出来栄えです。
以来、私は紋次郎の大ファンとなり、続けて放送されている「新、木枯らし紋次郎」も
楽しみにしています。
市川崑劇場の最後、お決まりの芥川隆さんのナレーション。
「上州新田郡三日月村の紋次郎、10歳で家を出て・・・(略)
なぜ無宿渡世の道に入ったかは定かでない」
思えば、
世の中、定かでないことばかり
なぜ、こうなってしまったのか?
なにがどうして、今に至ったか?
なぜ、このような生き方になってしまったのか?
人生は運命に翻弄され、定かでないことばかりです

長い楊枝は武器ではありません。
「これはただのクセってもんですよ」


無宿渡世の紋次郎は
「あっしには関わりねえことで」
「あっしには言い訳なんぞありはしません」
なにか頼まれごとされようものなら
「ごめんなすって」と言って立ち去ろうとする。
ことさら、他人と関わらないようにしているにも関わらず、厄介ごとばかり降りかかってくる。
紋次郎を斬れば名があげられるということで、むやみに斬りつけられたりとか。
義理あって具合が悪い女の旅人を負ぶってあげるはめになったりとか。
よく腹痛(刺し込み)を起こすし、不意打ちにあって生傷は絶えないし・・・
紋次郎の持ち物はそう多くはないが、傷薬の薬草と携帯食の小魚(火を起こし炙って食べる)
それと、裁縫セットは持ち歩いているようだ。
島帰り(三宅島送りで生きて帰ってきたものは希であったため、その世界では一目置かれた)
の紋次郎は我流だが剣もたつ。
強いばかりに、妬まれて悪事をなすりつけられることも多い・・・

紋次郎は生まれながらにして可哀想な身の上だった。
貧しい農家に生まれ、生まれてすぐに両親の手で間引きされるところだったが、
姉のオミツが祭りの日に「弟が生まれた」とふれ歩き、命が助かった。
昔は祭りの日に生まれた子供は間引きできないことになっていたためだ。
もちろん、それは姉オミツの方便だった(紋次郎は祭りの日に生まれたわけではない)
その後、姉は嫁ぎ先で、お産が元で亡くなってしまった・・・
天涯孤独、無宿渡世の紋次郎、なぜ島送りになったのかは分からないが
ドラマとはいえ、独り渡世で生きる紋次郎を可哀想だなあ、と思ってしまうのです・・・。

私もひとりで行動することが多いのですが。
先日、書道の展覧会を観に行って、昼食に回転すし店に寄ったときのこと。
ひとり、ということでカウンター席に通され、左隣は同年輩の女性、もちろんおひとり様。
右隣は80歳代くらいの年輩のおじいちゃん。耳には補聴器がかけてある。
そのまた向こう隣は30歳代前半のサラリーマン風の男性。
私が一皿食べ終えたところで、隣のおじいちゃんがソワソワし始めた。
どうやら、お会計をしたいらしい。
店員さんを呼ぼうとキョロキョロしはじめたが、いまやコンピュータ時代。
目の前のタッチパネルで‘お会計’をプッシュしなければ、どうにもならない。
おじいちゃんには、それができない。そうしなければならいことも知らない。
サラリーマン風の男性は「あっしには関わりねえこって」を決め込んでるし。
というよりも、隣のおじいちゃんがソワソワし始めたことにすら気づいていないのかも。
私は紋次郎のようにクールというかニヒルというか、になれるはずもなく、
「会計ですか?」と、いつものように不用意に声をかけた。
おじいちゃん「そうだ」というので、タッチパネルを操作してあげた。
帰りがけ、おじいちゃんは私に「んじゃ、ゆっくり食べていって下さいよ」と声をかけてくれた。
ひとりモンには、こういう一言が身に沁みるんでござんすよ・・・。





9月25日(木)

「帰ってきた紋次郎」

中村敦夫主演のドラマ、「木枯らし紋次郎」が放送されています。
ニヒルでクールで、喧嘩剣が強くて苦労人の紋次郎が大好きになりました♪
それで、笹沢左保の原作を読んでみようと思いまして。
確か・・・第一作は「赦免花は散った」という題名だったと記憶していたので、
図書館から借りて、さっそく読み始めました。
物語の始まりは、島送りになった三宅島の場面から始まっていました。
興味深いです。
紋次郎を慕って身投げした、お夕さんのこと。
紋次郎がただ一度気を許し、兄弟分の付き合いをした幼馴染みの左文治への仏心が、
無残にも踏みにじられたこと。
それらは、頼みごとは引き受けない、そうすれば裏切られることもないとする、
ニヒルでクールな紋次郎が出来上がったひとつのきっかけのようです。
「あっしには関わりあいのねえこって」と言うのももっともなストーリーでした。
だけど衝撃的だったのは、その結末で・・・
女だ!
女は魔物だ!
女はいかん!
女は信用ならねえ!
あれだけの剣の腕があって貫禄十分であったら、大親分にもなれる器なのに
紋次郎は亡霊となってさすらいの旅に出る・・・


孤独を癒してさすらう旅か、愛を求めてさまよう旅か。
(ナレーションより)

原作者の笹沢佐保が数年ぶりに書き始めたシリーズは「帰ってきた木枯らし紋次郎」である。
「木枯らし紋次郎」は初め27〜28歳の設定でしたが、
帰ってきたシリーズでは10年後の紋次郎38〜39歳でした。
若い頃は剣に明け暮れていた紋次郎も、歳をとり、しばし一所で落ち着くことに。
しばらくは何事もなく長閑に過ぎるのですが、田舎者の堅気衆は無宿者を白い目で見るように。
何か事が起きればなおさらだ。それが紋次郎と無関係であろうが、
悪事はすべて無宿者の紋次郎に疑いの目が向けられる。やるせない、とはこのことだと思った。
・・・とまあ、この一冊はとてもよかった。
さて、「赦免花は散った」で始まる紋次郎の話しですが、どの作品が最後なのだろう?
「最後の峠越え」というタイトルがそうだろうか?
と思って読んでみたが、見当違いだった。
それで、「帰ってきた紋次郎 最後の峠越え」という本を読んでいるところです。
それと、紋次郎の生まれ故郷、三日月村に紋次郎のテーマパークがあるのだそうです。
もはや40年も経ってるテーマパーク、どうなってることか定かでありませんが行ってみたいです・・・
ほんのちょっと前までは、寅さんの生まれ故郷、柴又に行ってみて〜、って騒いでたのに
こんなに紋次郎にのめり込むとは・・・。

先日のニュースで、女の「おひとり様」が老後を考えて、というか死後までを考えて
自分の棺を買う、というようなことが増えているということが取り上げられていました。
そんな人ですから、きっとお葬式も生前にプロデュースして葬儀社に依頼しちゃうのでしょう。
もちろん、老後のことも考えて、保険にいくつも入っているのだそうです。
誰にも迷惑をかけずに老後を過ごすためとのことです。
だからといって結婚を諦めたわけでもなく、とりあえず40代半ばで今がひとりなので
準備しているのだそうです。
私も死ぬまでは周りに迷惑かけずにボチボチ生きていこうとは思いますが、
最後はやっぱり紋次郎と同じで、ひとりで誰にも看取られずに消えてゆくことになるでしょう。
だからって、棺買ったり、葬式の準備までは考えてはいません。この先もおそらく考えないでしょう。私はこの家で風化すれば
いいだけのこと。
そう思ってますから。
死後のことは、どこ吹く風です・・・


頼れるものはただひとつ。己の腕と腰のドス。
(ナレーションより)




11月27日(木)

「四国遍路2014」

ずっと以前、何年も前から四国遍路にはいつか行ってみたいと考えていました。
今年2月に母を亡くし、年内に行くことを心に決めました。
ただ、四十九日が過ぎて百か日が過ぎて、新盆を迎え、お彼岸が過ぎるまでは、
家を空けることができません。
となると、10月か11月の出発・・・。

本当であれば、徒歩で廻りたかったのです。
だけど、目の不自由な父のことを考えると、50日も一人で暮らすのはムリでしょう。
こっちだって、心配です。
ですので、今回は譲りに譲ってバスツアーに参加することにしました。

準備としては、納経帖、身影帖、白装束を事前に用意しました。
金剛杖は持たない予定です。
金剛杖というのは、お大師様と同行二人、という意味です。
私は母と同行二人ですので、勝手な解釈で必要ないかなと。
輪袈裟は四国に着いてから選ぶつもりです。

新盆にお経があげられないので、写経をして母にあげました。
何枚か書いているうちに、読めるようになったので、お彼岸の頃から
少しずつ長くしていきながら、ついに暗唱しました。

11月14日に家を発ち、11月27日に帰って来ました。
これから年内に喪中のハガキやら、一周忌の準備などで慌しく一年が過ぎようとしています。

少し先になるかもしれませんが、写真を整理しながら報告したいと思っています。
とりあえず「ただいま帰りました」の報告でした。





11月30日(日)

「四国遍路2014外伝」

弟子某甲 尽未来際 (略) 不妄語 不綺語 不悪口 不両舌 (略)
「悪事は、行う時に悩み、した後にも後悔する」

ここに悪事をなしても自覚がなく、後悔どころか他人のせいにする女のことを書きます。
私もここに掟を破って、書かせていただきますことを、お許し下さい。合掌。



事の発端は、10泊11日の旅なのに、迂闊にも相部屋にしてしまったことに始まります。
まさか、お遍路に出ようという人に不徳極まりない、ふとどき者がおろうとは・・・。
そりゃチラと考えないでもありませんでしたが、その想定をはるかに超えた女が現われようとは・・・。

その女は私が通路側、その座席の窓側だった。
これから11日間一緒の座席なのだ。
一足遅れて、空港から乗り込んできたその女は、おそらく私より年下と思われる。
子供3人、うち働き始めた娘を持ち、送り迎えしてくれる旦那さんもいるという、
典型的な幸せな家庭の主婦。自身も仕事をしているという。
通路側の私は、座席を立ち、その女を座らせた。
第一印象は、愛想がよく、明るい感じだった。
が、少し話しているうちに、早くも違和感を覚えた。
人の話しを頭で聞いていない。
うわべだけ聞いた振りして、愛想がいいだけ。
実は聞いていない。
「(無神経かもしれない・・・)」

お寺を訪れて、バスに戻るたびに、その女は私より遅く、通路側の私は、
いちいち立って席を空けねばならない。
どうして、早く来ようと思わないのだろう?
立たせて悪いと思うそぶりも、言葉もないのはどういうことなんだろう?
しごく当然という態度で乗り込んでくる彼女に私は苛立ちを覚えていた。
下車する時もそうである。
即座に立たないとせっつくのだ。
ある時などは「トイレに行きたいんですけどっ!」とせっつかれた。
そんなにガマンできないのか?
だからといって急いでトイレに駆け込んだ風でもない。
まったく気ままな女だ。自分の思い通りでないとヒステリーを起こすのである。

夜、相部屋は3人。
京都の奥様と無神経女と私。
これからの10泊はずっと一緒。私は座席もずっと隣り・・・。
1泊目、その女は真ん中の布団に寝ることになった。
私は奥の布団だったのだが、その女、通路いっぱいにスーツケース広げて
歩くスペースを塞いでいる。仕方なく反対側を歩く私。
「(やっぱり非常識な女だった・・・)」
その夜は私もほとんど眠れなかったが、そんな無神経な女でも眠れなかったようで。
翌朝、ふたりともぐったりしていた。
でも、お寺参りでは1号車の人たちとも談笑し、同じ2号車の誰とでも仲良くなれる人気者。
「(ふしぎ〜)」
みんなあの愛想のよさに、人当たりのよさに騙されてる。私はそう思った。
私は、話しかけられない限り黙ってるほうだし、お世辞もうまく言えない不器用者。
彼女の愛想の良さがふしぎで仕方ない。

2泊目。
やっぱり眠れない。
彼女も眠れないだろうが、私もなんだかうつらうつらしただけで朝を迎えた。
ついに彼女はバスでも具合の悪さを全面アピール。
みんなに心配してもらっている。
私は半ば、彼女の演技もあるだろうと思っていたので請合わなかったのだが・・・。
私はできるだけ彼女と話しを合わせていたが、京都の奥様と私は自然にうまくいっていた。
その奥様も、彼女の異様さに気づき始めたようで、疑念を持ち始めていた。
私が、「無神経なところありますよね」と正直に吐露すると、
「そうなのよ!」と心当たりがあったのか、思わぬところで意気投合してしまった。

3泊目、事件は起きた。
彼女はしだいにそのワガママぶりを露見させはじめた。
一緒にお風呂にいた時、同じ2号車でワガママ女に肩入れしていた重鎮のおばさまが、
風邪薬と体温計を持ってやってきた。
私は、面倒なことに関わりになりたくなかったので、
その場から離れて風呂に浸かりにいったのだが、上がってきたら、
彼女がむくれて半泣きになっていた。
その彼女が言うには、「みんなにうつすといけないから、風邪薬飲みなさい」と言われたというのだ。
「寝不足だけで、うつらないのに!(怒)そんな風に思われてたなんて!(怒)」と怒っている。
そんなつもりで言った訳じゃないのに、と思ったんだけど、
とりあえず、「熱測ってみてね」とだけ言っておいた。
かなりオカンムリでカギを持って先に部屋に戻った彼女。

私は風呂場近くの足マッサージ機でくつろいでいた。
・・・とそこへ、添乗員さんが。
後ろにはスーツケース持った彼女が「tuziさーん♪」と甘えたよそ行きの声で呼んでいる。
マッサージ機に足をつっこんだままの私に、添乗員さんが
「今日、僕の部屋を空けますから、彼女に休んでもらおうと思います。
いったんリフレッシュしてもらって」そう言って部屋のカギを渡された。

カギを渡されて、部屋に戻ろうとしたら、廊下に京都の奥様初め2号車の奥様方が集まって
なにやら話している。
なんだか私を待ち構えていたかのように、「ねえ、彼女どうしたの?」と聞かれた。
「え?ああ、添乗員さんの部屋に寝るそうです」何気に答えた私に、「何があったの?」と。
「いやあ、よく分かりませんけど・・・」
廊下で立ち話しできる内容でなくなったみたいで、誰かのお部屋に集合。
せっかくマッサージでほぐれた足が、また立ち話・・・。
京都の奥様は、自分が彼女を寝かせなかったかのようだと、驚き、
その場で、相部屋の京都の奥様と私だけが知らなかった彼女のことが次々と判明。
まず、お寺でカラーの身影を買っていたこと。
「(だから、いつもバスに戻るのが遅いんだ・・・)」
全然知らなかった。
見せてもくれなかったし。
でも、バスの後ろの人たちはみんな知っていて。
知らなかったのは、京都の奥様と私だけ。笑える〜。
おばさまたちは「同室のふたりに何も言わないで、添乗員さんに直談判するなんて、
明日からどうする気かしら?」なんて話になったり、
「彼女カラーの身影買うのやめて、帰りたい、って話してたわよ」という声も。
それ聞いた私は「(やったー♪いっそ帰って欲しいよ)」と期待したんだけど・・・。

結局、翌日何食わぬ顔でやって来て、私の期待はずれに終わった。
彼女は決意も新たに、最後まで廻る気満々である。
今日は移動時間が長いので、私は前の席に座らせてもらった。
彼女から離れたかった気持ちもあったし、だって私だって気を休めたい。
でも、第一には「彼女に休んでもらうため」である。昨日の今日だからね。
その時に添乗員さんとドライバーさんとで、お城の話しで盛り上がり、車内では自己紹介が始まった。
私にとって、この日だけが天国だった。
彼女の顔色窺いながらの気の休まらない毎日・・・。
彼女は私に「添乗員さんにそんな特別扱いはやめてください、って言ったんだけど」なんて
いかにも自分を正当化して、私を非難してるけど、誰より特別扱いされたのはおまえじゃないか!
と心で思っていた。

彼女のワガママぶりはさらにエスカレートし、ひとりで行きたかった松山城にも
一緒に行くと言いだした。坊ちゃん列車に乗ってみたいのだとも言う。
「お城に興味ないでしょう?」と言っても「ひとりで行きたいの?(怒)」と、
どうしても食い下がってくる。
気をつかって、そうだ、とも言えず仕方なく、一緒に坊ちゃん列車に乗った。
そこでまた、いかにも自分が連れてきたかのように言い出して、とにかくワーワーうるさい・・・。
あーもう、うんざり。ひとりにして〜(泣)
「城壁に触りに行くからっ!」て勝手にどんどん行っちゃうけど、
そっちに行っても触れないと思うんですけど。
彼女を置き去りにするわけにもいかず、振り回される私。
私が登り口を見つけると、「早く行くよー!(怒)」って勝手にどんどん登って行って
ひとりで怖い思いしたとかで「あんたが先に行って、って言うから!(怒)」って。
私のせいにされても・・・。
先に行っていい、って言われたからって行くかぁ?そんなの勝手な言い分じゃん。
天守で会えるかと思えば、待ってもいないでさっさと下りてるし。
先に帰ってるかと思えば、ひとりでは帰れないくせに。
だからついて来て欲しくないんだよ・・・。
城から戻って、京都の奥様と道後温泉行こうとしたら
「もう、終わってるよ!私露店風呂行くから!」ってブチきれてたから、
しめしめふたりで羽根のばせるーって思ったら、なんと脱衣所に彼女が!
びっくりしたー。
いつの間に?
マークされてた?
そんで、私だけ置いてかれた、ってむくれてるし。訳わかんない。
帰り、浴衣の彼女に「寒くない?大丈夫?」って声かけても、むくれて返事もしやがらない。
とにかく、自分の思い通りにならないと、すぐむくれるのだ。
その態度はあからさまで、一方外面(そとづら)は良くて要領よく立ち回る。
言葉巧みに優しさを装える一面もあるが、そんなのはあくまで一面でしかない。
家庭ではどうなんだろう?
家族との電話は優しい妻、お母さんであったが、そんなの猫かぶってるとしか思えない私である。
病気としか思えません。かなりタチの悪い・・・。

翌日も自分が眠れないからって、夜中に大声で騒いでるし、携帯カチャカチャいわせてうるさいし。
あんたも寝てないだろうけど、私も寝てないのよねー。
私もいい加減体調悪いけど、あなたのように泣きついたりしないし、
他の人にも分からないように大人しくしてます。
それでも、「うるさいっ!(怒)」って起こすって、どういうこと?息しちゃダメってこと?
少しでも咳をしようものなら「マスクしてよね!(怒)」と夜中におっきな声で怒鳴る。
言われなくても、毎夜マスクして寝てますから・・・。
夜中に寝てる私たちに「まったく何しに来てんだか」と大声で罵る。
京都の奥様は就寝してますから気づいてないでしょうけど、私は毎晩しっかり聞こえてますから・・・。
どんな高尚な想いで来てるんだか知らんけど、あなたにそんな言われ方される覚えは、
これっぽっちもありません。そういうことを言ってのけるあなたの神経が私には理解できません。
一番うるさいのはあなたよ。
そんなに眠れなくてむくれるんだったら、ひとり部屋を希望すればいいものを、
「それは考えなかった」という。ひとりは怖いんだって。
そういえば、ひとりになるのを極端に嫌がってた。
こっちは離れたいんだけど、食事だってお風呂だって誰かとつるんでないと嫌がってたもんね。
依存してばかりのくせ、超自己中心。
思い通りにならないと癇癪を起こす。
この女、病気だ。しかもかなりの重症。
こんなんでよく、仕事ができてるもんだ。
京都の奥様が、「がんばってね」と彼女に含みをもたせて言うと、
「私、誰にも迷惑かけてませんから!(怒)仕事の人間関係もうまくいってますから!(怒)」って
ハイテンションで怒鳴りまくってたけど、絶対まわりは彼女に振り回されてると思う。
そして「私、自分に自信がありますから!(キッパリ)」
自ら言ってのけた。
あーもう、こりゃダメだ。
とどめの一言。私のめちゃめちゃ苦手な女の典型だ。
それにしても、その自信とやらは、なんの根拠があって言えるのだろう???

私は戦々恐々とした11日を送りました。
4日目くらいからは、話しかけられても聞こえないふりしたり、
とにかく‘触らぬ神に祟りなし’を装ってました。
それでも降りかかる火の粉を払うことはできませんでした。
それにしても、彼女が本性を隠してるからか、裏の顔を知らぬ男どもは彼女にめっぽう甘い。
F田さんなどは「彼女も自分を変えたくて参加したのかもよ」なんて言ってる。
人はこのようなことで、簡単に変われるものではない。
変われるのだとしたら、これほど都合のいいことはないではないか。
誰でも変身できちゃうよ。
バスの車中でひとりひとり最後の挨拶をした時、彼女の言い草が
「こちらに来る前と結願した今の私では変わりました」そう言い切ったのには耳を疑いました。
「(どこがぁ?)」
八十八ヶ所それこそ、何を考えて廻っていたのでしょう???
私の所作をマークしていて、あの時どうしたとかチェックしていたりして、真似したりしている。
それも、人に見せびらかすようにうやうやしく大仰にやって見せたりしてさあ。
いやらしいなぁ・・・って私は思ってました。
結願書(八十八ヶ所廻り終えた証書)だって「そんなのいらないっ!」とまで言っていたのに、
ひとりで密かにもらっていた、そういう女です。
会社のみんなに言って来ました、と言いながら、お土産ひとつ買ってないんです。
どういうこと?
私の診たてでは彼女は病気です。
そんな彼女と何の因果か四国八十八ヶ所で出会ってしまいました。
修業です。これぞ修業です。
母と同行二人だったのに、隣の席を空けず、相部屋にした報いでしょうか?
辛く苦しい修業でした・・・。

・・・て、こんなことをいちいち気にしてるようじゃ、私もまだまだ修業が足りないですね。
気になるということは、こういう女と同じ土俵に立ってるわけで、そのことが情けないです。
こんなことで気に病むような器の小ささが、人間できてない証拠っす。
てか、次回こそは、母とふたり部屋で希望します・・・。




12月12日(金)

「今年の漢字2014」

お遍路から帰って、驚愕の事実が。
私の父のことです。情けないにも程があります。
私のお遍路が「旅行気分で」と思われていたのです。
あんなに父のため一心に祈っていたことを思うと、もはや自分を呪ってやりたい気分です。
私は怒り心頭、血圧も急上昇。
これじゃ、修業もなにもあったもんじゃない。
遍路に行く前と何ら変わりない日常に逆戻り。

あの祈りの日々はなんだったのだろう・・・。
あの心穏やかな日々が懐かしい・・・。
あの心穏やかな日々が日常だったらどんなに喜ばしいだろう・・・。

この俗世での修業が一番苦しいということを思い知りました。

父になんと言われようとも、私は母のために兄のために祈り、父のために祈りました。
ことあるごと母の供養にお札をいただき、自分のお守りもそっちのけで、父のお守りを購入しました。
この事実は変えようもありません。
それでも、父は「半分旅行だろ」「極楽に行きたくてだろ」と主張します。
どうして、そういう発想になるのか私には到底理解できません。
年老いた憐れな父を優しく見守るほどの、お大師さまの如く徳は私にはありません。
暴言には暴言で返さないと気がおさまらない、不徳な私のままです。
父がそんな風に考えていたのなら、徒歩で2ヶ月かけてお遍路するべきだったとさえ思えてきます。
ひとり留守をさせては、という私の思いなど、波に砕けて散る藻屑となり果てたのでした。

という前置きもありで・・・
あ、そうそう。もうひとつ判明した事実がありました。
今年の運勢ですが、高野山の暦によれば、私は大凶だったのです!
しかも、3月が最悪ということでした。母の葬儀が3月・・・
しかもしかも、母も大凶だったのです。
私とはまた別の種類の大凶で、八方塞がりという最悪な大凶・・・(泣)

ふたりとも大凶で、母を亡くした今年の漢字は、いろんな意味でこれしかないでしょ・・・。



「哭」(こく)

慟哭の「哭」です。
犬が吠えるように泣くということなのでしょうか?
表面上、顔では笑ってても、心で哭いた一年でした。
心から笑える日がいつか来たらいいな、と思う年の暮れです・・・。



12月17日(水)

「ご利益?」

9月頃からだったと思いますが、左の親指が痛くて伸ばせなくなっていました。
親指の付け根から、関節まで固まってしまい、少しでも動かそう、伸ばそうとすると
たちまち激痛が走る。
特に朝はひどくて、靴下穿くにも激痛との闘い。
痛みは突然にやってくるので、指一本でもなんぎしておりました。
洗い物するにも力が入らないし、栓を開けるにも力が入らず日常生活も困難な状態。
ガマンしながら‘自然治癒’を待ち耐えてました。
太極拳の教室の女性には、
「それは‘バネ指’といって、簡単な手術で治るのよ」と聞かされていたのですが、
「‘自然治癒’を待って病院には行かないもーん」を貫いていた私に「それは無理!!」と。
確かに、指がビクンビクンしてバネのようになってましたから、‘バネ指’なのは確かと思います。
それでも、医者に行くくらいなら、このまま耐えていよう、と考えていました。
なので、太極拳する時も、指は曲がったままで・・・。

以来11月、四国にお遍路に行ってる間も、ずっと痛い状態は続いておりまして、
良くなる気配など、まったくありませんでした。
ところがなんです。
最近になってなぜか突然、指が伸ばせるようになって、痛みもほとんど無くなって
そりゃ、まだ完治とは言えませんので、油断できないのですが、
ほんとに‘自然治癒’しちゃいそうなんです。
自分でも諦めていただけにビックリです。てか、不思議です。
先日、太極拳の教室で「見てみてー。ほーら、この通り伸ばせるようになったのよー♪(嬉)
こんなこともできちゃうのよー♪(嬉)」って、グリグリ回して見せたりして。
「ありえなーい」「‘自然治癒’なんてありえなーい」ってビックリされました。
そして、「ご利益ですね・・・」と意外な一言が。
え??
それはないでしょ・・・。
だって、お願いしてないもん。
あー、でもなあ・・・2回ぐらい擦って訴えたかも・・・。
それよか、私の痛みが引いたのが‘ご利益’だとしたら、
父ちゃんの眼が見えるようになるのが先だと思うんですけど。
第一、徳のカケラもない私に‘ご利益’があろうはずが・・・。