2012年9月-12月

9月10日(月)

「ケニア」

ケニアのサバンナに住む人は視力がいい、ということを聞いたことがあった。
・・・ああ、そういえば、サンコンさんが言ってたんだっけか。
だけど、具体的にどれくらい見えるかまでは分かりませんでした・・・

先日、ある番組で、マサイの村を訪れていた。そこに嫁いだ日本人妻を訪ねて行く番組だった。
道中、その村で一番視力に自信のある青年が視力検査をしたんです。
日本ではオーソドックスな、あの視力検査です。
輪っかの一部が切れていて、上とか下とか、斜め下とか答えるアレです。
一番小さいのが見えれば、視力2.0。日本人で2.0は大したもの。そうそういない。
5m離れて片目で測ります。
マサイの青年は5m離れて、軽々一番下が見えました。2.0楽勝です。
てことは、もっと見えるはず。
50m離れました。
いきなり10倍かよ?!・・・そりゃ、いくらなんでも見えないでしょ・・・?」
50mよ?
一番上だって見えないでしょ。
てか、指してる棒が見えないでしょ??
片目をふさいでマサイの青年は構えました。
「!!」
・・・一番下が見えちゃいました。視力20.0!?
「うそー?!」
これがマサイの視力なのか?やらせじゃないかと疑いたくなるほど。すごすぎるでしょ!
50mよ?!それで一番下が見えちゃったのよ?!
ビックリだよ・・・

私がケニアで驚いたことは視力ばかりでなかった。
マサイの人たちは一夫多妻で、通い婚、財産は牛なのだそうです。
だから牛を川で洗ってあげたり、草の豊富なところを訪ねて放牧に勤しみます。
大事に大事に世話をするのです。
マサイの人たちの収入源は、ライオンや、象などの狩りです。
赤い服着てただピョンピョン飛んでるだけじゃないんです。
マサイの戦士の名の通り、彼らは毒矢を用いて、猛獣を狙います。
その毒矢がただものでない!
人間が触っただけでも、毒気にやられてしまうんだそうです。かなりの猛毒です。
そんな猛毒、何から抽出するのか聞いたところ、樹液を煮詰めて作るんだそうな。エライ技術です。
しとめた猛獣の代価で、彼らは牛を買います。
お金を持っていても使い道はないし、財産になりません。
なら、なぜ牛なのか?
それは、マサイの人の主食が牛乳だからです。
日本で例えれば、田畑を購入するのに似ているのではないでしょうか?
そこで米を収穫して主食にするみたいに。
牛乳は時にヨーグルトにしたり、牛から頂戴した血を混ぜて飲むこともあるそうです。
肉は年に数回だけで、滅多に口にできるものではありません。
祭りや、婚礼など特別な時にしか食べられないのです。
毎日の食事は牛乳のみ。
しかも一日一食。
一日に一回牛乳を飲むだけ、が毎日の食事。
ビックリだ。
それでいて狩りをするだけの筋力が付いている。
しかも、みんな背が180cm〜2m近くと高い。牛乳を飲むと背が高くなる、は本当みたいね。
高く飛べるし、速く走れる・・・
牛乳だけで、あの運動量を難なくこなす・・・
そりゃ、牛乳は動物性たんぱく質で、カルシウムも含まれているしで、栄養価が高いのはわかるが、
それにしても牛乳のみ、っていうのには驚いた。
牛乳のみで、あの体格が維持できるのだから、日本人がいかに飽食か、ということがわかる。
食事のバランスがどうのとか、それでも足りずにサプリメントの脅迫攻め・・・
マサイを見習うべき点もあるのではないかい?
日本人は食物の摂りすぎて病気になってるんじゃないのか?
最近、一日一食を提唱してアンチエイジングをアピールしている本が出版されているが、
あながち一食の方が、健康に良いのかもしれない。
一食は大げさとしても、やはり食べすぎはよろしくない。昔から腹八分目、っていうじゃない・・・

ところで、私はいまだに携帯電話を持っていません。これまで持ちたいと思ったこともないのです。
マサイの人たちはみんな携帯電話を持っています。
なぜかって?
そりゃ、大切な大切な牛のためです。
牛たちが草を食べつくしたら、草が豊富に生えているところに移動せねばなりません。
携帯電話がなかった頃は、とりあえず草を求めて遠くまで移動するしかありませんでした。
それは賭けです。博打みたいなもんです。
干ばつなどで、はるばる移動した先に草が生えてない場合もあるし、
別の人所有の牛たちが食べ尽くしたあとに到着する場合もあるからです。
そんな無駄足を避けるため、牛が食べる草が生えている場所を、遠く離れた知人に聞いて、
お互いに情報交換するためだなのだそうです。
便利になりましたよね。これぞ携帯電話の有効な使い道ですよね。

携帯の充電には電気が必要です。でも、マサイの村には電気がありません。
ですから、太陽光発電するようになったのだそうです。
携帯の充電のためで、家屋には電気はありません。
太陽が照りつける土地柄、ちっちゃなパネルひとつあれば、携帯の充電だけに使うのですから十分まにあいます。
それで、夕涼みにみんなでラジオも聞くようになりました。政治通でもあります。
外国人がマサイの村にパソコンを持ち込みました。
そのうち、パソコンでインターネットしながら狩りをするようになるのでしょうか。
でも、パソコンのしすぎで、視力が弱り、狩りができなくなったりして・・・本末転倒になりかねない。
時代の波とはいえ、バランスが崩れては豊かになるどころか、生活が成り立たなくなりかねない。
何事も、ほどほどが大事、ってこと。



9月11日(火)

「高倉健」

中学生のころ、私は自分の部屋に高倉健のポスターを貼っていた。
今になってみると、どこでどう手に入れたか思い出せないけど、
高倉健が好きだったことは確かだ。
映画「野生の証明」で薬師丸ひろこが相手役だった時も、彼女が羨ましかった。

昭和6年生まれ、今年81歳。撮影中の待ち時間も椅子に座らない。
ストレッチしていたりする。それは圧腿(太極拳の練習法のひとつ)だったり、
弓歩になって按していたり。そんな風に見える運動をしている。
「健さんと一緒に太極拳したいわー♪」と思ったりする。
健さんの立ち姿が美しいのは座らないせいなのかしら?
朝食をしっかりとって、夜まで食べないことで体重を維持しているとも。
好きな甘いものも我慢しているんですって。
健さんといいい、ケニアといい、やっぱり、人間食べすぎは不健康の元、なんですね。
どれもこれも先日放送された'プロフェッショナル'の請け売りですが、
撮影がお休みで、東京にいる時は毎日、床屋さんに行っているそう。
個室が用意されているが、本人の理想は、一番奥の席で隣り席のこれまた常連客と
雑談を楽しみながら頭を刈られたいのだと語る・・・わかる気がする。


炭鉱の町、福岡で生まれ育った。
法律は、どれもお母さんの言葉「恥ずかしいことしなさんな」
当時、夏祭りの後では必ずといっていいほど殺人が起こったという。
そんな荒い気風の土地で生まれ、東京の大学卒業後、食べるために俳優になったが、
その時は身を落としたように感じたと言う。
福岡のお父さんには「帰ってこなくていい」とさえ言われたという。悲しいですよね。
親に認められない仕事について、親が恥ずかしかっただろう、と自身が思っている、
というのは切なく悲しいことだと思いました。私にも理解できます。
親に認めてもらえない、褒めてもらえない子供が、どれほど不幸なことか。
万人に賞賛されても、親に褒めてもらえないというのは辛いことです。

俳優としては、孤独で不幸だったジャン・ギャバンを尊敬。
私生活では、年上の奥さんを亡くして、年下の秘書と再婚したイヴ・モンタンになりたい。
映画ではディア・ハンターが傑作、と語る。デ・二ーロとはお友だち。健さんは英語が堪能なんです。
6年ぶりに映画出演した健さんはちょっと老けたけど、高倉健のままでした。
これまで205本も映画があるんだそうです。
私が観た映画は、萬屋錦之助が武蔵、佐々木小次郎が高倉健が一番若いかも。
青年健さんのキリリとした目元が忘れられません。

そんな彼も80歳代。撮影中も若手育成の域に達しています。
これからの一本一本は最後の映画になりかねません。
健さんがいない映画界なんて考えただけで寂しいです。
存在してくれてるだけでいいんです。
スクリーンに現れなくても、どこかで存在している、と思わせてくれれば、それでいいんです。
やっぱ・・・これって、生きながらにして「伝説」ってことですね。


「伝説の男」と、言われることをどう思われますか、健さん?



9月13日(木)

「パラリンピック競泳」

私がチェックしている数少ない番組に「バリバラ」がある。ご存知ですか?
ホント言うと、バリバラがなんの略なのか私、分かってません。
バリアフリーなんとか・・・バリアフリーバラエティーですかね?
障害者のための障害者向け番組です。ある週に偶然見て、以来毎週見るようになりました。
私のような者を‘健常者’と呼んで区別していますが、彼らの悩みなどを聞いていると、
私となんら変わらないし、生き方に対する考えを聞いていると、
どちらが障害者なんだか分からなくなることさえあります。
さらに、私の悩みなど、悩みのうちに入らないし、なにを贅沢なことぼやいているんだろう、って
自分がいかにちっぽけな人間てことを思い知らされたりもします・・・
現状をあるがまま受け入れ、なお前向きに歩む彼等の精神に見習わねば、と思います。
なんて、その時は反省しても、私などは自分の境遇を受け入れられずに、癇癪起こしたり、当り散らしたり、ぼやいたり・・・
最低です。
パラリンピックは何年も前からチェックしていました。
もちろん、今年のロンドンも楽しみにしておりました。
NHKで毎日3時と夜8時に1時間だけ放送しています。
短い時間の放送ですが、日本選手を応援したく、できるだけ見るようにしていました。

もう、驚きの連続です。
競泳100M平泳ぎで中村智太郎選手が銀メダルに輝いた。
運動機能障害といってもランクがあるようで、SB7の中村選手は両腕がありません。
他の選手もそうだったか、よく分かりませんでしたが、たぶん片腕がないとか、片足がないとか・・・
じゃないでしょうか?手だけがなくて、肩から腕はある選手も一緒だったかも。
とにかく、中村選手は両腕がありませんでした。肩からないんですよ?両方とも。
腕がないのに平泳ぎて?えーっ?どーゆーこと?
だって、平泳ぎ、って、両手でガッ、ガッ・・・って掻いて足でキックして進むんでしょ?
でも、智太郎君には両手がない。腕がないのに、どうやって漕ぐのよ?
足だけで進むしかないじゃん?それって、むちゃくちゃ不利じゃない?
やっぱ、平泳ぎは腕がないとね・・・足だけじゃ大変だよ・・・
ゴールだって、手じゃなくて頭からいかないといけないでしょ?どう考えても不利だ、ってば。
でもって、その頼りの足を北京大会のあと怪我した、っていうじゃない。
半月板を損傷して車椅子の生活が1年も続いたのだそうだ。
足を思うように曲げられず「足が動かなくなったらどうしよう」と激しい恐怖感に襲われたともいう。
それでも「人生のパートナー」の競技とは別れたくなかった。
その智太郎君が足だけで銀メダルに(涙)腕のある選手に比べたら、そりゃむちゃくちゃ不利だってば。
智太郎君本人も「両腕がほとんどある選手と同じ条件で争う不利は、いつも感じている。
一蹴りの強さと伸びが僕の取りえ。手の分も足だけで進むのは大変なんだけど」
そりゃ、そうだよ。私だったら、不公平さに暴れたくなっちゃうよ。てか、平泳ぎはしないよ。
でも智太郎君は、その不利を感じながらも、平泳ぎなんだよね・・・偉いなー。
競技を「人生のパートナー」というスタンスで考えているから、怪我も物ともしないんだね。
表彰台で足を上げて喜ぶ姿に感動しました。

足サイズ28cmのキックで進みます

競泳チームのキャプテン、鈴木孝幸君。
あなたね、個人メドレーて?!どーゆーこと?
SM4の鈴木君には手がありません。片方は腕からないし、もう一方の手は指が不自由です。
そして両足が付け根からなかったように思います。いやあ、どうやって進むかなあ・・・
決勝戦。最終種目自由形まで8位でした。
最後自由形50mであれよあれよと言う間に3位にあがった。
すごいなあ・・・個人メドレーだよ?
てか、なんで進むか分からない・・・

自由形が強い。四肢がほとんどないのに、
メドレーに挑もう、って思うだけでもスゴイ

視覚障害100m背泳ぎ。秋山里奈ちゃんは生まれつき全盲で、3歳のときに水泳を始めました。
「なんとなく出た」アテネ大会で銀メダル。「金メダル取るまではやめられない、と思った」そうです。
大学受験に失敗。浪人して水泳から離れた時期もある。
大学入学後は自宅から片道2時間かけて大学に通い、帰ってから練習を続けた。
頑張り屋さんです。通学時間4時間だけでグッタリだと思うんだけど、それを毎日続けて、しかも帰ってから練習。
頑張り屋さんです。
あちこちぶつかりながら、ぽんぽんされてゴール。
笑顔が超カワイイ♪♪♪
里奈ちゃんはほんと可愛い。何度見ても可愛い。
絶対みんなに「里奈ちゃんは可愛いな〜」って言われてるに違いない。
通学時間4時間もあったら、ナンパされまくりだよね。
現在、大学院で刑法を学んでいるという彼女、ロンドン大会が終わったら就職活動です。
あなたのように可愛くて頑張りやさんは、心配ない。

かわうぃーね〜♪

知的障害100m平泳ぎ田中康大。まあ、速いこと!予選から世界新だったんだって?
決勝で更新して、世界新で文句なしの金メダル。2位で折り返してから伸びがあった。
最後は大きく離してゴール!
6歳の時、自閉症の息子の育児に悩んだお母さんが、プールに連れて行ったのがきっかけで水泳を始めた。
それにしても強かった。

圧倒的速さ、世界新!グーッ!

パラリンピック選手は競技選手ということだけではなくて、ライフワークなんだな、と思った。
「負けたからといって終わりではない。これからもずっと携わっていく」
そんなニュアンスの言葉がよく聞かれた。ステキなことだと思う。
人生の過程の中でのパラリンピック。競技だけが全てじゃない。
人生のパートナーとしてスポーツをとらえる。自分の生きる糧のような位置づけ。
競技として選手として臨む場合と、日々続けて楽しむスポーツでは、モチベーションの違いがある。
いいじゃない、その時々でモチベーション変えながら、楽しめば。
だって、年齢を重ねたら出来てたことが出来なくなったりしてくるんだもの。そりゃ、変わらなきゃね。
だからって止める必要はないじゃない?楽しく続けるのが一番。
人生をいかに楽しむか、
それを、体が不自由な中で競技を通して教えてくれるパラリンピックなのでした・・・



9月23日(日)

「したたかな女たち」

19歳〜22歳の学生たちと、あるテレビ番組の予選会で一緒になった。
会場のエレベーターの中で一緒になり、その時も携帯、いやスマホというのか?を黙り込んでいじっていた。
受付順ではそのスマホ3人組みの後ろが私で、私の後ろにも同じような年恰好の学生がもうひとり。
いわゆるいまどきのギャルに挟まれた感の私。
会場に入ると、既に80人ほどが集まっており、机に用意されたプロフィール用紙を熱心に書き込んでいるではないか。
「(えっ?なんで?)」
遅刻したわけでもないのに、最後尾。なんだか遅れたみたいじゃないか。とにかく急ぎ書き込んだ。
すぐにクイズ形式の筆記テスト。そのあと面接があって、写真撮影して終了。
筆記テストは15分間。面接は番号順。
「(・・・てことは、最後のほうじゃん。そんなあ・・・)」
せっかく街に出て来たんだから、(私は高速バスで1時間かけてやってきた)
お買い物を楽しんで、田舎にはない美味しいものでも食べて帰ろうかなー♪
なんて浮かれていたのだ。
なのに、面接まで延々待たされることになるなんて・・・あ〜あ。
隣に座っていた彼女に、何気に話しかけたら、案外盛り上がっておしゃべりしながら待っていた。
彼女は将来ナレーションや語りの仕事に就きたいという。
私たちが話しこんでいる間も、前の3人組みはスマホを放さない。一心不乱に何かを打っている。
たまに友人同士で話したかと思うと、だるそうにボソッ、と話してまたスマホにかじりつく。
話してても目はスマホをみたままだ。口調もやたら低音で生気がない。表情も無愛想。
「(なんだか感じ悪〜い・・・)」
待つ事1時間半、やっとのことで面接に呼ばれた私。
5人一組だったので、感じ悪いスマホ3人組みと私と隣りの彼女。たまたま全員女5人。
でも年齢差が・・・
「(やりずれー)」
だって、私以外の4人は若者よ?
「(めちゃくちゃ居心地わりー)」
面接は、先に書いたプロフィールをもとに、ひとりひとり質問されるらしい。
呼ばれて3人組を先頭に部屋に入る。
「宜しくお願いします!」
なんとスマホ3人組がシャッキーン!別人に早変わり!
「え?なんで?」
びっくりしたー。驚いたのなんのって!まるで就職試験の面接みたいだ。
姿勢だって、さっきまで丸くなってスマホいじってた時とうって変わって、
背筋シャッキーン!
私より頭ひとつ背が高い、しかもモデル立ち。
さっきまで話してた隣りの彼女も話し口調がまるで別人に!
声もおおきくハキハキ!
そりゃ、会場の中で、大声は出せないけど、明らかに口調が別人。
若者4人はお辞儀もシッカリして、どっかの一流百貨店の受付嬢並みの角度で丁寧なお辞儀っぷり。
「(女は魔物だ・・・)」
若者は聞かれた質問にもハキハキ!淀みなく答え、不動の姿勢でマジメそのもの。
受け答えをテキパキ!こなしてるではないか。
でも、その内容が私にはサッパリ・・・

面接してる人も、どちらかといえば年代は私と似たり寄ったりなので、サッパリだと思うんだけど。
たぶんアニメのキャラクターの名前だと思うんだけど、なにがなんだかサッパリ・・・
ドールメイクとか言われても・・・
「(なんのこっちゃ?そりゃ??)」の世界。
私の隣りの彼女も、さっきまで‘語り’‘ナレーション’とか言ってたのに、一転アニメに方向転換。
マイナーなキャラクター言われても・・・
若者たちは口をそろえて「マイナーなのでわからないと思いますけど」って言うけど、
「(それはオタクって言うんじゃないのか?)」
オタク、という言い方さえ古いのか??
とにかく、なんのこっちゃ?の世界。
そんなオタク的な話しを、礼儀正しくハキハキと・・・返事も大きく・・・

それに引き換え、私ときたら・・・
「太極拳を始めたきっかけは?」と聞かれ、
「ん〜・・・これといって・・・健康のため・・・というのでも・・・ありませんし」
「あ、ありません、ですか・・・(苦笑)」
相手を動揺させる受け答えの連続。返事はグズグズ・・・
これまで一度も就職活動したことないし(会社員になったけど、面接はその時一度きり)
面接時のマニュアルも知らないまま、この歳になった。
これぞ馬齢を重ねた見本みたいなもんだよ・・・
そもそもプロフィールの‘将来の夢’が「太極拳で中国留学」って書いた時点でダメじゃん。
なんで、そーゆーこと書くかなあ?
わかりきってるじゃん、今は「太極拳」て言葉じたいタブーだってことぐらいー。

部屋を出るときも、若者はお尻を向けないようにして深々と一礼してから出た。
しかも大きな声で
「ありがとうございました!」だって・・・
「(・・・そこまでしなくてもいいんじゃないのぉ?)」
ま、私も若者にならって軽く会釈したぐらいで部屋を出た。

いやあ、それにしてもあの豹変ぶりには舌を巻いたね。
今どきの若者ってみんなああなのかな?
あの‘したたかさ’に騙される大人も多いだろうにね。いや、あれが普通なのかな?
あのふてぶてしい態度で面接に向かう方がどうかしてる、ってか。
でも、私の目には‘裏表のある人間’のように映って・・・
そもそも私のような正直者がバカなのよね。キャラクターがひとつだもん。
それに考えてみれば、私と同年代の中にも似たような人はいたけどね。もちろん女で。
突然の豹変ぶりに「(凄いなー)」って舌を巻いたものだった・・・そして絶句。
でも、私は古い人間なので、不器用にしか生きられない。
そんな私には、女の豹変ぶりは驚きと共に恐怖でもありまして・・・。
女に限らず、いまどきの男の子たちだって、大人たちを手玉にとって陰であざ笑ってるのかもね。
立ち回り方が異常に巧い。生涯世渡り上手・・・言葉巧みに他人を丸め込む。
げに恐ろしいや〜・・・



10月10日(水)

「祭りの夜」

5年ぶりに、氏子になってる神社で神楽が奉納されることになった。
10月10日、秋の大祭。
待ちに待った神楽奉納♪
このことを知ったのは、買い物に行った先のスーパーに張り出されていたボスターだった。
ポスターといっても赤と黒の墨色で、神主さんが手書きしたものである。
今年は神楽奉納があることを知って、私は10月10日を首を長くして待っていた。
以前も書いたと思うが、私は神楽が大好き♪
そりゃもう、楽しみで楽しみで・・・
ほんと楽しみにして、指折り数えて10月10日を待っていた。
スーパーのポスターに書いてある時間もしっかり何度も何度も確かめた。
「夜6時半・・・夜の6時半だよね?・・・よっしゃ、6時半ね?」

私ひとりでも観に行くつもりでいたが、父も行くということになって、母を早々に寝かせた。
カメラの電池も新しいのに換えて・・・準備オッケー♪

車で神社の駐車場に到着。

あれ??
車が一台もない。おかしい・・・
神社の社務所に明かりがついていない。
神社も真っ暗。
だーれもいない。おかしい・・・
入り口のポスターには確かに6時半から、と書いてある。
えー?どうなってるの?
私は神楽がないこの状況が飲み込めなくてパニック、
父はブツクサ言いながら、暗闇の神社に消えた。
今日は10月10日だよね?
なんでだ??

私も父を追って暗闇の神社に向ったが、もう一度戻って、入り口のポスターを確かめた。



「ぎえーっ!」

10月9日前夜祭、神楽奉納。


前夜祭・・・そこ見てなかったし・・・ガックシ・・・終わってるし・・・
完全に私の見落としなのだが、なぜに見落とした・・・ガックシ・・・
5年待ってようやく奉納神楽が観れると楽しみにしていたのに・・・
てことは、次回は5年後ってことかい?
うっわー、泣けてくるよぉ。
なんだよー、昨日だったんじゃん。
昨日の晩なんか暇こいてたのにぃ!・・・んもうっ!
バカバカ・・・私のバカ!
神楽観損ねて、とにかく悔しくてたまらんです・・・
暇こいてた昨日だったかと思うと悔しくてたまらんです・・・

私はこのことを父に伝えに、また暗闇の神社に入っていったが、暗すぎて父の姿が見つけられない。
呼んでみたけど返事がない。
・・・と。


ゴーン!
ゴーン!

うっわー、父ちゃんだよ。


ゴーン!

暗闇に父の鐘の音だけが響く祭りの夜でした・・・



12月7日(金)

「バタークリーム」

私が幼い頃、クリスマスを祝うなんていう習慣も、まだ浸透していなくて、
家に子供でもいない限りなかったことだった。
お菓子屋のケーキといえば、その当時はまだバタークリームが主流で、
生クリームなんてのはまだまだ贅沢品。
それこそ、クリスマスケーキでもない限りお目にかかれない代物だった。
子供の頃、母は一人娘のために奮発してくれて、生クリームケーキとアイスケーキのダブル攻撃。
母に連れられて買いに行った菓子店は高齢夫婦が営んでおり、純和菓子店。
クリスマスにだけ洋菓子ケーキを作る。
老夫婦が母と同郷というよしみで、母は毎年その和菓子店からケーキを購入。
知る人ぞ知る名店だった。残念なことにその味は受け継ぐ後継者もなく、閉店となってしまった。
今は幻となったクリスマスケーキは、スポンジの中にいろんな果物が入っていて、今思い返しても豪華だった。
いちご、パイナップル、黄桃・・・今はなき‘文化’菓子店の思い出の味。
生クリームもとろけるようで美味しかった。忘れられない味のひとつだ。
あんなに美味しいケーキが食べられないことが残念でならない・・・



いまじゃ、年がら年中生クリームのお菓子で溢れかえっている。
もちろん、クリスマスケーキも生クリームは当たり前。
だから普段と変わりないケーキを食べることになる。

クリスマスケーキといえば、子供の頃もうひとつの主役は、アイスケーキだった。
懐かしいなあ・・・発泡スチロールの入れ物に入ったアイスケーキ。
今でもクリスマス時期、たまに、一人サイズのアイスケーキを目にすることはあるが、まったく売れる気配がない。
サーティーワンでだしてるみたいだけど、当時のアイスケーキはもちろんあんなに豪華なアイスケーキじゃなかった。
アイスの上に、ゼリーの固いような赤いデコレーションがあるくらいで、バニラ味一色。
ピンクに染まったクリームでお花で飾られた華やかさは満点だが、やはりバター風味の程度の巨大バニラアイスだった。



なんにしろ、今やケーキそのものに特別感がなくなったことは確かだ。
そのせいか、最近になって、久しく口にしていないバタークリームが無性に食べたくなってきた。
今じゃ、バタークリームのお菓子見つけることが難しい、ってんだから。
都合のいいもので、「バタークリームなんて美味しくない、生クリームじゃなきゃ・・・」
な〜んて思ってたのに・・・ノスタルジイですかね?

12月になって、クリスマスケーキ予約のチラシを何気に見てたら、
あるパン屋(メーカーなので大量生産)のクリスマスケーキにバタークリームを見つけた!
どっしようかなぁ・・・予約しちゃおうかなぁ・・・でもパン屋、って・・・



12月14日(金)

「tuziの会いたい人」

韓国ドラマは、やたら話しが長くて100話を越えるのはザラで、そのほとんどが復讐劇。
というのが、私がこれまで見てきた韓国ドラマで感じていることだ。
でも、見始めると面白くてなかなかやめられないのも本当だ。
中には「イルジメ」「王女の男」など20数話で終了するのもある。
良くできたドラマは映画を観てるかのようで、特に音楽のよさに驚かされることもしばしばだ。
「イルジメ」はサントラ盤を購入し、その年の太極扇の表演は「イルジメ」のサントラ盤から選曲した。
現在放送中の「王女の男」も音楽が際立っている。
最近サントラ盤を購入し、ヘッドホンで大音量で聴いている。
次回、太極拳でソロの表演がある時は、「王女の男」から選曲しようと思っている。
「イルジメ」も「王女の男」も、どちらもパク・シフが出ているドラマです。
「イルジメ」で一目惚れし、会いたい俳優さんの一人です。

「王女の男」の扮装で。
ストーリーはイマイチだったけど、最後に大どんでん返し。

一目惚れは、西島秀俊さんもそう。
ローソンのお菓子のCMに出ている西島秀俊さんを見るたびにドキッ!とします。
ステキですよね。
マジメな顔も、笑った顔も、どちらもステキ・・・
え?
大江千里が好きなんじゃなかったのか、って?
ええ、ええ、確かにそうだったんですけどぉ。
千里くんがN.Yに行ってしまって、日本不在のうちに、西島さんに逆転をゆるしてしまったんですよ。なんて。

それから、ドラマ、セカンドバージンに出演中の長谷川博己さんの顔もステキ。
来年正月に、西島さんと長谷川さんが二人そろって公開収録番組のゲストで出演。
観覧者を募集している。
「くぅ〜・・・惜しいなあ」
ちょうど、その収録日に、筝曲の演奏を約束しちゃったのよね・・・(涙)
その予定がなかったら応募するところなんだけどな・・・(涙)
てか、放送も見れないということになっちゃうのか・・・(泣)
西島秀俊さんに会いたいなぁ。

運命の出会いの機会が水の泡に(泣笑)

現在、私の注目ナンバーワンは、亀二郎改め、市川猿之助氏だ。
特に彼の踊りは天下一品!
芸に対しての姿勢のみならず、そのクールな考え方にも感服させられる。
勘三郎さんが、還暦も迎えられず56歳という若さで逝ってしまった。
早すぎる死に、「もったいない、」と私は思っていた。
それにひきかえ猿之助氏のコメントは潔くクールだった。
「我々は歌舞伎を演じ続けること、輪廻転生で勘三郎さんが生まれ変わった時、この世に歌舞伎がなくっちゃ。
早かれ遅かれ我々も死に逝く身、歌舞伎を伝承し演じ続けるのみです」
キッパリ言い切るカッコよさ。さすがです。どうしたら、ああカッコよくなれるんでしょう。

思えば私の会いたい人に共通してるのは、どの人も独身ということ。
独身は欠かせない要素です。これが結婚したとたん、一気に冷めてしまう。
ハッキリ言ってしまえば、どーでもよくなってしまう。
独身だから会いたいのであって・・・
え?
俳優さんなのになぜ会いたい、って?
会ったところでどーなるものでもなし、って?
ハイハイ、そうですよね。
分かってます、それが現実、ってもんです。
でも万が一、ってことだって無きにしも・・・西川きよし師匠も昔語ったじゃないですか。
「目と目が合ったその日から、恋の花咲くこともアル。
見知らぬあなたと、見知らぬあなたが・・・」(古)
ハイハイ、妄想ですよ!(涙)
こうなったらヤケです、妄想なんじゃ!(泣)

だけど・・・私の一番会いたい人は・・・
西島さんでも千里君でもなく、ましてやパク・シフでもないんです。

それこそ妄想でもなんでもなく、実は現実的でして、
目と目が合っても、恋の花が咲かなかった(泣)、李先生なんです。
会いたい、というより習いたい・・・できれば彼が独身のうちに。

いやいや、ここからは、まじめな話し。
私は李先生に習いたい、そりゃ習いたいです。
あまり李先生に習いたいことばかり考えているから、夢にみるほどです。
でもね、最近になって「こんなんじゃ恥ずかしくて習えない」とも思っているんです。
もっともっと体を作って、李先生に本気で見てもらえるように精進しないことには。
まだまだ、李先生に習えるほどの実力が私にはないのではないかと。
恥ずかしくて見てもらえない、畏れ多くて見てもらえない、そんなことを思うんです。
恥ずかしさを堪えて習えるなら、それに越したことはないのだけれど、習えなくてもいいから、ナマで李先生の動きが見たい。
それは表演でも、教室で生徒さんたちに教えてる風景でも、とにかく李先生の動きを目に焼き付けたい。
近くでその呼吸、息遣いを会得したい・・・
李先生の発する言葉の一言一句もらさず頭に叩き込みたい・・・
できれば見ていただき、ビシビシ厳しく指導していただきたいし、質問だって山ほどしたい。
(これまで緊張のあまり真っ白になってしまい、質問もできないでいる)
本気で私が一番会いたい人。
それは、李老師。



12月18日(火)

「今年の漢字2012」

清水寺管主が揮毫する今年の漢字はなんだろ。。。
「??」
「・・・読めないんですけど」
「重・・・??」

・・・じゃなくて‘金’でした。



さて、tuziの今年の漢字は。

らく・おちる


落選の‘落’
選挙じゃないですよ。
実は今年、ふたつの書道の公募展に応募したのですが、そのうちのひとつがまさかまさかの落選。
最高賞も狙えるかというほどの自信作だったにも関わらず、驚きの落選。
呆然・・・
ショックで、しばらく人と会うのも嫌だった。恥ずかしくて誰とも口さえききたくなかった。
ひどく落ち込んだ、の‘落’
題材も自分自身で選び、自分が納得した一品を提出したにも関わらず落選。
「落選しても悔いなし!」と、うそぶいていたのは、
まさかほんとうに落選するなんて思いもしなかったから・・・
この屈辱は一生忘れないでしょう。
忘れたくても忘れることはできないでしょう。
来年からトラウマになってしまいます。
落選が怖くて出品をためらってしまいます。怖いです・・・
こんな思いは二度とゴメンです。

それに、太極拳でも負け続けてる。
年季は私のほうがずっと長いのに、あっさり抜かれてしまった。
情けないことです。
私の孫式も見くびられたものだ。地に落ちたものだ、の‘落’
県大会では負け続けてるし、全国大会でも自信満々で終えたにもかかわらず
揚げられた審査員の点数見て目を疑ったほど点数低かったし。
だから、書道も太極拳も、どちらも自信満々で落ちた、の‘落’

今年一年を振り返ってみると、
努力(努力らしい努力をしたのか怪しいものだが)が実を結ばなかった一年だったように感じる。
であれば、来年は更なる努力をしなければならない・・・
実も結ばす地に落ちた、の‘落’

こうしてみると、散々な一年だったようにも思えてくる。
初めてに等しい公募展出展の敗北
そりゃ、シャレにならないほど落ち込んだが、それでも、散々なことばかりじゃない。
時間が経つにつれ、これも最高賞受賞へ向けての「百戦錬磨」の幕開けと考えられるようになった。
来年も再来年も・・・これにめげず挑戦し続けるしかないのだから。
一方、太極拳は、競技に挑戦し続けて10年が経った。
選手としての敗北はもうそろそろ終わりにしようかと考えている。
そろそろ、表演という形から、「自分と向き合う」太極拳を追及していこうかと。

書道にせよ太極拳にせよ、落選しようと、負けが続いても、やめる気はさらさらありません。
形を変えながら続けるのみ。
それしか道がないのです。
私の道は一本道。何があろうと前に進むしかないのです。
たとえ、落ち続けようが前に進むしかない。
一本道には谷もあれば、底かと思ったら、実は底なし沼だったりとか・・・
雨も降れば、照る日もあって、意気揚々として調子こいて歩いてたら日射病で倒れたり・・・
山があれば、頂上に着く前に、あまりに高くて酸欠になって下山を余儀なくされたり・・・
茨とまで言わないまでも、予想をはるかに超える過酷極まりない道が続いてます。
書道と太極拳だけに関して言えば、導いてくれる先導者もなく、
たったひとり蛇がでそうな薄暗い道を手探りで延々歩いてる・・・
今年歩いた道はさながら・・・座右の銘「千里の道も百歩から」を実践し、
テカテカの氷の道を、無謀にも普通タイヤの自転車で走ってすっ転んだ、って感じ?
・・・まだ、道半ば。
時に、道の傍らに花が咲いていたり、同行者が現われてくれると一息つけるんですがね。
来年は、ひとまず自転車をおりて、地道に一歩一歩、歩くとしましょうか・・・。



12月31日(月)

「クリスマスケーキ」

私の家は田舎の中の田舎、牛乳ひとつ買うだけでも車で行かなければならない。
もちろん、コンビニに行くにも車でないと行けない。郵便局に行くにも、車じゃないと行けない。
だから、極力家から出ないように買い物はまとめ買い、用事も最短距離で無駄が無いようまとめ、計画的に走る。
しかも、冬は天候に左右される。雪道を走るのは命がけである。
冬眠中の熊みたいに十分なストックを準備しておかなければ不安で仕方ない。
そんな生活を送っています。
それでも私は恵まれたほうで、毎日通勤のために朝早く出かけることがないだけでもありがたい。

23日。
晴れていたので、この晴れ間に熊のtuziが近くの大型スーパーに買い物しに出かけた。
中央入り口真正面に、早くもクリスマスケーキコーナーがドーンと設置されていた。
予約したお客さんへの受け渡しもあるのだろが、私のような予約なし飛び込みのお客さんも大歓迎のコーナーだ。
今年はバタークリームが食べたかった。
某パンメーカーでバタークリームケーキを大量生産してるのは知っていたが、
やはり町内の個人菓子店のバタークリームが食べたい、と思っていたから予約はしなかった。
大型スーパーに置かれてるケーキはメーカーの大量生産ケーキなのだろうが、
マロンケーキやら、チョコレートケーキやら種類は豊富だ。ちょっとのぞいて見た・・・
「!!」
バタークリームケーキ発見!・・・
ここで買っちゃおうっかな・・・
しばし迷っていたら、売り子のお姉さんが「景気よくケーキ買ってってー♪」と・・・
いきなりのダジャレです。
しかも、景気とケーキかかかってる使い古されたダジャレを言われちゃいました。
解ってしまった自分が怖かったです。
「あのお、バタークリームケーキは・・・」
最後まで言い終えないうちにかぶり気味に「6号ですよ、大きいですよー♪」
確かに大きい。明らかに大きい。
でも、思ったとおり某パンメーカーのケーキだったし、今日はまだ23日だしで、買わずに帰ってきた。
ここは最後の砦ということにして・・・

24日。
毎年なら24日に用意するのだが、今年は25日に用事があって出かけなければならないので、
その帰りに調達しようと考えていた。どこにも出かけず・・・

25日。
あいにくの雪、いやホワイトクリスマスと言うべきか・・・。
雪がもろもろと降ってるが、今日は天候関係なしに出かけなければならない。
実は、葬儀に参列するのだ。
その帰りに菓子店に寄る。一軒目、B花堂。ここのケーキを私はは町内一美味しいと思っている。
狭い店内に入ると、バタークリームケーキがあったにはあったのだが、それはバターチョコレートだった。
「う〜ん・・・」
「夕方までにお作りしますけど」
でもまた、戻ってくるんじゃシンドイ。肩を落として帰ろうとしたら、
「バタークリーム作ってるのはウチだけですのでね。
遠くからもわざわざ買いに来ますんですよ」と自慢げに言い放ったではないか。
・・・そーかぁ?
数年前だけど、私はS栄堂でバタークリームケーキを見たことがあった。
その時は目もくれず生クリームを購入したが、その当時は確かに作っていた。
もうやめちゃった、ってことだろうか?
私は感じ悪いB花堂を後にして、ダメもとでS栄堂に走った。
B花堂の奥さんが言うようにS栄堂で作ってなかったら、‘最後の砦’大型スーパーに走るしかない。
S栄堂で「バタークリームが食べたいんですけど!」と、意気込んで入ると、
店内にいたお兄ちゃんが「ありますよ♪」
ほらね、作ってるじゃん!(嬉)
「7号と8号があります」
「(うっわ、どっちもデカイ!)」
ここは迷わず7号でしょ。それにしてもデカイ。
7号に決めたところに奥からお兄ちゃんのお母さんが。
「半額にしますよ」と。
25日なのにもう半額にしてくれるの?それとも25日だから?
「嬉しい♪」
私は、昔ながらの美味しくないチェリーのシロップ煮にもお目にかかれて感激。
念願のバタークリームケーキに大満足♪


7号だとクリスマスが3日連チャン続きました・・・父と母にも好評でした♪

今日は大晦日。
あと12時間ほどで新年を迎えます。
今年一年「飛ぶtuzi」を、ありがとうございました。
旅行記はここしばらく更新がありませんが、できるだけ他のコーナーを充実してまいりたいと思います。
太極拳関係も「tuzi now」に書くだけにとどまっておりますが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。
そして、読者の皆さんの感想メールお待ちしております!
では、皆さんも良いお年をお迎え下さい。