2004.1

1月1日(木)

「2004年最初のご挨拶」



新年明けましておめでとうございます!

読者の皆様、どのような新年をお迎えでしょうか?
ご自宅でのんびりと年賀状を読む、はたまた書いている・・・お屠蘇とおせちでいい気分・・・

やはり、お正月は自宅でのんびりが一番ですよね!

私は大晦日に楽しみにしている毎年恒例のテレビ番組があります。
それは、「ゆくとしくるとし」です。
その時間まで「紅白歌合戦」を見て、集計結果の間に年越しそばをつくる・・・
(今回は家族でボブサップvs曙見てましたけどね♪)
これ、私の係りです。
番組が始まるまでにそばをセッティング。
毎年、年越しそばを食べながら「ゆくとしくるとし」をみる。

ゴーン・・・

この鐘の音とともに始まる番組が「ゆくとしくるとし」です。
全国各地のお寺さんの鐘の音を聴くのが私の楽しみなんです。
たった、30分の短い番組ですが、あの鐘の音を聴くと厳かな気分になります。
各地のお寺さんからの中継を年を越しながら伝えてくれます。
「やっぱ、京都のお寺の鐘は日本一やな・・・」
などと、小理屈をのたまったりしながらそばを食す・・・

ズズーッ

テレビの時計をカウントする。

あと3秒、2秒・・・

箸を置く・・・

0:00!

ゴーン・・・

「明けましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いします!」

家族3人ペコリ。
家族全員(といっても3人)みんな元気で新年が迎えられることを幸せと思う瞬間であります。

そして、
ズズーッ

と、そばを食すのでありました・・・ま、私の新年は毎年こうして迎えています。

皆さんの今年一年が健康で過ごせますようお祈り申し上げます。
人間、心身ともに健康が一番!
健康あっての幸福!
健康こそ宝!

本年も「飛ぶtuzi」をどうぞ温かい目で見守りくださいますよう宜しくお願い致します。




1月5日(月)

「新春初売り」

私の地元では2日、3日が初売りで、毎年福袋を楽しみに出かける。
その福袋、今年はどこのが良さそうかなあ・・・と膨大な広告の中から探し出す。
これもまた正月の楽しみのひとつである。
今年の初売り広告で、地元の宝飾店が出した笑えないチラシを発見!

元旦スタート!新春初売り
早いもの勝ち!!
恒例新春福袋

先着3名様 30,000円2割増商品券発売!!
プラス
タラバガニプレゼント!



なんで、タラバガニなの?
うちの地元、北海道じゃないよ・・・

先着13名様 正月大特価 13,000円均一
プラス
タラバガニプレゼント!



は?なんで13,000円なの?今年は2004年・・・どうせなら14,000円でしょ・・・
わからん・・・それになんで、タラバガニ?
ペンダント、リング、時計にタラバガニがついてくるって・・・

新春福袋 10万円
商品券10万円分
プラス
豪華景品パールネックレス他
プラス
タラバガニプレゼント!



おいおい、パールネックレスにタラバガニって・・・男爵芋にコシヒカリもつくのかよ。
そのうえ全国のラーメンまで・・・だから、ここはどこなんだって話だろ!
トイレットペーパーにボックスティッシュってかぶってるし・・・

エンゲージリングお買い上げの方へ
タラバガニプレゼント!!



おいおい、ダイヤにタラバガニって・・・

マリッジリングお買い上げの方へ
タラバガニプレゼント!!



いやだー、結婚指輪にタラバガニがついてくるなんて・・・(泣)



1月10日(土)

「破棄」

私は独身だが、結婚した友人知人には婚約の時期に悩んだ人が多い。
女性は特に心が揺れ動くのだろうか・・・

case1
その知人は、双方の両親にも会って、自宅に伺った時
「ここに住むことになるんだ・・・」
と思ったら、現実的に受け止められずに婚約破棄したと言う。
そこは、生まれ育ったところとは環境が違いすぎて現実味がなかったのだと・・・
ご主人になられる人を頼りに、という気持ちにもなれなかったというから
愛情も満ち足りていなかったのかもしれない。
それよりも、私も環境の違いは愛情だけでは計れない何かがあると思う。

結婚は愛情だけではない。
それは、生活であり、将来である。
ある意味、環境の違いだって軽んじられない。私はそう思う。
よく世間では「結婚は条件だ」ということが言われる。
条件が折り合わなければ、そして乗り越えられる力がなければ物別れに終わるだろう。
それで、白紙に戻るのであれば、いずれその結婚は長くは持つまい。
若いうちは、好きだ惚れたと熱くなって結婚に至るが、冷静に考えてみれば、
その影にほころびはいくらでも見つかるものだ。
そりゃ、勢いは必要だろう。だが、将来のかかった大事である。
冷静すぎて過ぎることはない。私はそう思っている。

この知人はその後、現在のご主人と出会い幸せに暮らしています。

case2
私の親しいこの友人は、独身時代クリスマスも女ふたりで楽しんだ仲である。
ふたりとも彼氏がいないもの同志、結婚願望が強かった。
その彼女がお見合いをした。
即行で気に入り、気に入られ、とんとん拍子に話しは進み婚約。
半年のスピード婚約だった。
彼女は彼からもらった、木箱に納められた婚約指輪を見せてくれた。
私も憧れる一粒ダイヤ!
巨大だった!

そして一月後・・・
彼女は以前から好意を持っていた男性から告白を受けたのだそうだ。
もちろん、男性は彼女が婚約したことを知らない。
お見合いしたことも、付き合ってる彼がいることも知らなかった。

皮肉なものである。彼女は悩んだ。
「どうして、もっと早く・・・」
このことを聞いた私は
「後から告白してくれた彼と結婚した方がいい」
ときっぱり言った。
なぜなら、お見合いの彼は持病を持っていて、長男だった。
後から告白した男性は公務員だったし、次男だった。
将来も心配がない。
指輪を返して婚約破棄したほうがいい、と私は彼女に言った。
順番が狂っただけ・・・

しかし、彼女は悩んだ末、いったんは好きになった見合いの彼と結婚してしまった。
「情みたいものがあってね、指輪ももらっていたし・・・」と彼女は語った。
指輪がそんなに重いかな、とその時私は思ったものだった。

彼女は旦那様のご両親と同居した。
「子供が生まれても見てもらえるし・・・」
と始めは前向きに考えた彼女だったが、
結局子供の面倒を見てくれるご両親ではなく保育園に預け働き続けた。
その後、嫁姑問題は深刻化し、ついには泣き暮らすようになり、
旦那様も折れてマンションを購入し別居した。
しかし、ご主人は仕事が長続きせず転職を繰り返す・・・
彼女は子供ができても働き続け(公務員)家計を支えている。
「私が養ってるようなものよ!」
二人目の子供が生まれても相変わらず働き続け、現在はご主人の借金に苦しんでいる。
「子供がいなかったら、とっくに離婚してたわ!」と友人は言い放つ。
「だから言ったじゃないのよ!
あの時指輪返してればこんなことにはならなかったのに!」と私・・・

しかし彼女のように「情に流されて」ということはこれまたありがちな話である。
結婚相手の選択ミスは命取り!
今時、結婚してからだって破棄(離婚)はあたりまえかもしれない。
でも、私は結婚してからの破棄はしたくない!
その分、妥協のない結婚を求めることだろう・・・
こんな私を忍耐強く応え支えてくれる男性が結婚相手ということか?

破棄した人、破棄しなかった人、破棄する相手がいない人・・・
それも人生、これも人生、これからが人生。

婚約でドタキャン、大ドンデン返しで驚いてはいられないって話し。
それはそれで運命。
映画の中だけの話じゃないってこと!「月の輝く夜に」
そして、お釈迦の言うとおり。
どんな辛いことが身に降りかかろうが「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」と思う。



1月15日(木)

「同窓会」

2004年元旦に同窓会があった。
80人ほどが集まった。
私は司会をすることになっていたので一次会はゆっくり再会を楽しんでいられなかったが
二次会、三次会は実に楽しかった!
同級生っていくつになってもいいものだなあ、とつくづく思った。

そんな同窓会でバツイチが多いことに気がついた。
しかも女性に多い。
そして、男性諸君は独身が多い。
これも時代なのだろうか、我もその数・・・

カッコよくなってる人、オヤジになってる人・・・
同じ年のはずなのに開きがでてくるのもお年頃だからでしょうか?
私も自分では若いつもりでも「tuziちゃんも老けたなあ」なんて言われてたんでしょうか?
まあ、人生これからでっせ!

それにしても、男性諸君はどうして酔うと女性の体に触りたがるんでしょうねえ・・・
油断も隙もあったものじゃありません!
こらあ!!
アルマーニのスーツ着て同級生の胸触ってるそこのデブ!
やめなさい!!
水割り作ってる隙に同級生の尻を触ってるそこのデブ!
いい年こいてやめなさいってば!!
こんなんばっかです・・・

若いお嫁さんもらって「tuziちゃん・・・俺、疲れてんだよ」ってこぼすバカ!
「たまにはオバちゃんもいいもんだ」って言って同級生のブラウスめくってるバカ!
でも、めくられた彼女が着ていた下着はラクダ色のババシャツ!
おいおい、もうそんなの着てんのかよ!
私もおもしろくて男子と一緒になってめくって、三段腹触りまくりました!
いやあ、実に楽しかったです♪

次回会えるのはいつのことでしょう・・・いいものです。
同級生って・・・

翌日電話してきて、「三次会にセカンドバック忘れた・・・tuziちゃん見なかった?」ってアホか!
だから、あれほど言ったのに、荷物はひとつにしとけよ!って・・・面倒見切れません。
でも、そんな同級生って大好きです♪
よほどご機嫌に酔ったのでしょう。

私も楽しかったよ。
また、元気で会おうね。
オヤジどもに告ぐ!それまでに痩せとけよ!
糖尿が出たらお終いだぞ!!



1月20日(火)

「電話」

私はどうも電話が苦手です。
設計事務所に就職して、事務所に女性が私だけという状況になって、
否応なく電話をとらねばならなくなった時になって初めて電話で話すようになった。
実家に住んでいた頃は家の電話は母に取ってもらい、
近くにいても自分から受話器を取ることはなかったほどだ。
一人暮らしの学生の頃も部屋に電話がなく、用事があるときは公衆電話から連絡をとっていた。
就職して引越ししても部屋に電話はつけなかった。
私に用事のある人は勤め先に電話をくれた。
とにかく、電話が必要と感じたこともなかったし、欲しいとも不便とも感じたことがなかった。

就職したての頃、事務所の電話が鳴っても私が電話に出なかったことがある。
周りの男性社員は、ひとり女性の私が電話に出ないのを不思議に思ったのだろう。
今でこそ男女同権で、女性だから電話に出るなんてことを言ったら
女性蔑視だのセクハラだのと問題になるかもしれないが、
当時はまだまだ封建的で女性が電話に出るべきが風潮としてあった。
事実、所長には「tuziちゃん、電話は女性の声で受けられた方がかけた方の印象もいいでしょ?」
なんてたしなめられたこともある。
男の声でも女の声でも用件さえ伝わればどっちゃだって同じことさ!
と心の中で毒づいていたものでした。

ま、そんな過ぎたことはどうでもいい。
とにかく、私は猫も杓子も携帯電話を持ってる現在でも、どうも電話が苦手です。
当然、携帯電話も持っていません。
必要と思わないのと、荷物が増えるのがこれまた嫌いだからです。

というわけで、極力電話で話さない私です。



電話で相手の顔が見えずに話していると、日本語がおかしくなります。
顔が見えないから電話が苦手で日本語おかしくなるのか、
顔が見えないと日本語がおかしくなるから電話が苦手なのか・・・?
そこんとこハッキリさせようではありませんか!
それは、顔が見えないから電話が苦手で日本語がおかしくなるんです。

受話器を手に持って、よそ事をする人がいます。
いや、これはまったく普通の事で、電話で話しながらよそ事ができるものなのでしょう。
例えば、仕事を続行させたり、器用にメモを取ったり、コードレスなら歩き回ったり・・・
でも、私こういうことができないんですっ!
受話器をとったら、たとえコードレスでも動けなくなるんですっ!
固まってしまうんですっ!
おかしいですか?
顔の見えない相手と話に集中しないと、いや集中して聞いてても頭に入ってこないんですよー(泣)
おかしいですか?
はいはい、おかしいですよ!
この際、笑ってやってください!
それに、トンチンカンな日本語になってしまうんです。
日本語が壊れるんです。

こないだも、お正月に友人と電話で話したのですが、友人「あけましておめでとう!」
tuzi「あけましておめでとう!こちらこそどうぞよろしく!(・・・あっ!正月早々やっちまった)」
だから、まだ友人は‘今年もよろしくね’ともなんとも言ってないって・・・
なのに、いきなり‘こちらこそよろしく’はないだろうによ・・・
友人はオトナなので聞き流してくれましたが、苦笑してたに違いありません。
クーッ!だから、電話は嫌なんだよー・・・(泣)

まだあるんです。
叔母から電話がきて、たまたま私が受け取ってしまったのですが、
「明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」というところを、
「明けましておめでとうございます。今年こそ宜しくお願いします」とつい口をついてでてしまったのだ!
‘今年こそ’って・・・これが本音、心の声だったのだろうか?
なんとか聞き違いということにしてごまかしたい・・・(泣)



1月25日(日)

「ウインナ・ティー」

街にはたくさんのジャンクフードの店や飲食店が溢れている。
だが、その中で‘美味しい料理店’‘美味しい酒をだす店’
‘美味しいお茶が淹れられる店’となると極端に限られてくるのではなかろうか。

昨今の不景気を受けて、街はすぐさま店が変わっていたりする。
ついこないだまで書店だったところが、マクドナルドになっていたり・・・
私の住む地方都市にもここ最近やたらと、マクドナルドや、ほらあれ(←すぐでてこない横文字)
あ、そうそう・・スター・バックス、ドトールコーヒー、最近知ったベローチェ、そしてあらゆるコンビニ・・・
こんなんばっかりがアメーバの増殖のように急激に増えている。
増殖はとどまる気配を見せず街を占領し始めている・・・あまりいい気分ではない。



私は酒ならBPが美味しいと思っているし、お茶ならMだと思っている。
Mは昔からある喫茶店で、さほど広くない店内にはクラシック音楽が流れ、
読書したり、静かに話す客がお茶を飲んでいる。
テーブルや椅子も木のぬくもりがある、使い込んだ家具が置かれている。
アンティーク、っていうんですか?

雰囲気ばかりではなく私が気に入ってるのは喫茶店Mのお茶である。
美味しいのだ。
いつも注文していたのが‘ウインナ・ティー’だった。ミルクティーに生クリームがのっかっている。
先に生クリームだけをスプーンですくって食べる。
ちょっとだけ冷たくって、おわりころになると紅茶に溶けて液状になってきて・・・
そしたら砂糖を少し入れてミルクティーを楽しむ。こんな飲み方を私はしていた。
一度頼んでからこればっか注文するようになった。

しばらく、Mに行かず数年が過ぎた。久しぶりにお茶しようとMを訪れた時のこと。
メニューも見ずに「ウインナ・ティー!」と高らかにお姉さんに言うと、
「お客様・・」
とメニューを押し付けられ、よく見ろっ!と言わんばかりに
「メニューの中からお選び下さい」と・・・
見ると、メニューからウインナ・ティーは消えていた。
ガーン!
私はメニュー選びが苦手で、一度気に入ってしまうと面倒なので毎回それに決めてしまう。
だから、この時は焦った。
また一から選び直ししなければならないではないか!
どれも、横文字でカタカナばっか並んでる。

「ウインナ・ティーに近いのはどれですか?」と聞けば、キャラメルなんとかというのだそうだ。
はあ?
キャラメルってなんだよ!?

流行り物なのだろう。
キャラメルって言われても・・・

ウインナ・コーヒーはあるのに、どうしてウインナ・ティーがないんだ?
よし、わかった!
「ウインナ・コーヒーを紅茶にしてください」
「お客様・・メニューからお選び下さいっ」(←プチ怒った顔のお姉さん)

私の好きな喫茶店Mから好物のウインナ・ティーが消えた。

融通の利かない石頭ニッポンなんかきらいだー(泣)

それ以来私はどこに行ってもさまよう亡霊のようにウインナ・ティーを捜し求めている。

つい最近、スター・バックスの前でウインナ・ティーによく似た写真を見つけた。
やっぱり、キャラメルなんとか、というネーミングだった。
「おおっ!これだ!」(嬉)
単純バカな私は注文してる最中にふと気がついた。
「これって、もしやアイス?」
「はい、お客様。こちらはアイスでもホットでもお召し上がりいただけます」
紅茶じゃなくてコーヒーなのかい?
「ええ、こちらはコーヒーのみとなります」
「ふ〜ん・・じゃ、これの紅茶を下さい」
「あ、あの・・お客様。こちらはコーヒーのみとなっております」
くいさがる私にレジのお兄さんは
「こちらはコーヒー用のシロップをお使いいたしておりまして・・・云々かんぬん・・・」
はいはい、わかりましたよ!できないってことね!

融通の利かない石頭アメリカなんかきらいだー(泣)

ミルクティーに生クリームの簡単な飲み物がなぜに作れないんだ??

ごねる私に一緒にお茶した彼いわく、「ここはコーヒー店なんだよ」と・・・

えっ?
そうだったの?
そうだっけ?
そういえば、スター・バックスに紅茶ってなかったっけ・・・・・?

・・・てことは、
スター・バックスにケンカ売ってまでもウインナ・ティーへの挑戦をしている私こそが

融通の利かない石頭tuziなんかきらいだー(泣)

ということだったのか・・・(ごめんなチャイ)




2004.2

2月1日(日)

「成人式」

新成人が成人式の式典で酔って暴れたり、
市長やご来賓の挨拶に殴りこんでいったり、最前列に陣取って野次を飛ばしたり・・・
このような光景が毎年全国のどこかで見られるようになって久しい。

今年もある県の酒に酔った新成人の横暴振りがニュースで流れた。

市長は刑事告訴する構えをみせている。
それはいい。
当然だ。

自分の欲求だけで場もわきまえず、相手の見境なく暴れられるのは赤ちゃんだけだ!

私が驚いたのは刑事告訴のことではない。

後日、市役所に陳謝しに来たその新成人に親が同伴してきたことだ!

親って・・・だって、成人したんでしょ?
親の保護義務は終了し社会人としての自覚と責任を持つ。
成人として大人として認める式典、それが成人式でしょ?

自分のおとしまえはおのれがするんじゃろがー!!
ぅわれ!なに甘えとんのじゃー!

おのれの行動のおとしまえはおのれ一人で負うんじゃろがー。
それが成人やないんか!
こらあー!
親についてきてもらっただとおー!

そーかい、そーかい・・・
おまえらはツルんでないと暴れることもできないんだもんね。
ひとりじゃ、暴れることもできない奴らさ!
情けない・・・
大人は自分の意志で行動し、その行動に自ら責任を持つもの。

それができない、おまえらは赤ちゃんか!

ま、ついて行く親にしてこの子あり、って話だ。



2月5日(木)

「逃げた母牛」

先日、テレビを見ていたら「身重の母牛が移送の際逃げた!」というニュースが流れた。

身重?

内容はこうだ。
1月25日、北海道から沖縄へ13頭のホルスタインが運ばれていた。
鹿児島でフェリーに移し変える際、一頭の母牛が逃げて、
高さ1.3mの防波堤を飛び越え海に落下!

ギエー!

足に怪我をしただけで済んだのが不思議なくらいだ。
ドブン!と海に落ちた母牛は、岸めがけて泳ぎだした。この日の気温6℃。
牛さんだって、逃げて落ちてしまって戸惑ったに違いない。
「まさか海だなんて・・・草原かもしれないと思ったのに・・・」
でも決死のダイブの先は海だった!
そこで牛さんは脳みそフル回転で泳ぐことに決定したのだろう。

身重だよ。冷たいだろうによー・・・

岸といっても、コンクリートの波止場なので陸へは上がれない。
またも牛さん脳みそフル回転!結局、母牛はウロウロしてまた、元の場所へ泳ぎ始めた。

ギエー!

身重だよ。冷たいだろうによー・・・

ついにクレーン車出動!

無事、母牛は救出された。
現在は3月の出産予定日を沖縄で待っている・・・

この13頭のホルスタインを運んでいた男性へのインタビュー。
「えんでないかい。あったかい鹿児島の海で海水浴したかったんだべ」

北海道らしい雄大なコメントありがとうございました!
いやいや、そうじゃなくて。
牛さん震えてたし、海の水は冷たいってばさ・・・

いやあ、無事で何より。

この話を感動を持って父にしたところ、我が家の父のコメント。
「牛も必死だったんだ。この牛のように必死になれば人間できないことはない」



(注)tuzi書ではありません

確かにそうだが・・・そういうことでよろしいんでしょうか?牛さん?



2月10日(火)

「C級グルメ道」

私は美味しい料理が大好き。
高級であることはない。
C級グルメだ。

例えば「マクドナルドのソフトクリームは100円だけど、150円くらいの値打ちはある」
とか、ひとり密かに楽しむのがtuzi流・・・。
初めてそのノボリを見たとき、その安さに目を奪われたが、ひとりで買う勇気はなかった。
だって、マクドナルドなんだもん!
あの手のファーストフード系の店はどうも苦手なのだ。
レジで「えっと、そうだなあ・・・」とメニュープレートを見て固まってしまう、
いつものパターンに私の足は遠のく。
だから、100円アイスに興味はそそられてても横目で素通り・・が長いこと続いていた。

そんなある日、友人とお茶することになった。
友人は臆することなくマクドナルドに颯爽とのりこみ、手際よく注文した。
私の理解できない食べ物の名前をスラスラと言いのける彼女が私には頼もしく思えた。
カタカナ語をつっかえないで言い切った彼女はまるで外国人だ。
私はその横で、モジモジ注文しあぐね、ついに言ってしまった!
「・・・ソフトひとつ」
もう、思考能力ゼロの私の脳みそには、以前から気にかかっていたソフトしか浮かんでこなかった。
友人がポタージュのようなスープを、私はソフトを食す。
「(普通のソフトではあるが、150円でもいける・・・)」
と思いながら真冬にソフトを食べるマヌケなtuziだった・・・(涙)

このマクドナルド100円ソフトの話をK氏にしたところ
「ヴェローチェのコーヒーゼリーは260円でソフトがのっていてゼリーとソフトが楽しめる」
との情報を得た。
「おおっ!」
と、その時は感激したものの。
待てよ・・・考えてみると、たかがコーヒーゼリーに260円はどうか?
「スーパーでよく売ってる3個ひとパック98円コーヒーゼリーにモナ王割って乗っければ、
たった200円でヴェローチェ風コーヒーゼリーが3杯になるよ♪」
と提案した。(モナ王は3つに割れる)
K氏は「負けた」と言いつつ、後日一緒にヴェローチェに行ってコーヒーゼリーを食した。

ごめんなさいっ!

モナ王と言ってしまった私を許して。
ヴェローチェのソフトは本格柔らかソフトだったのでした。
モナ王のっけてもヴェローチェ風にはならない代物でした。

箸にも棒にも引っかからない低レベル十円百円単位のC級グルメ道。
あなたもいかが?

・・・って、書いてるうちに悲しくなってきた・・・(泣)



2月20日(金)

「鼓笛隊の思い出〜小学時代」

私は小学生の頃、体が弱くしょっちゅう学校を休んでいた。
すぐ扁桃腺が腫れて高熱に冒され、血管注射を2本と皮下注射1本が定番だった。
学校で具合悪くなって、タクシーで病院直行ってこともあった。
学校を休むと、近くに住む友達が給食のコッペパンをわら半紙に包んで届けてくれた。
何度お世話になったか知れない・・・

胃腸も弱く、すぐ腹痛をおこしていた。小学生にして十二指腸潰瘍だった。
小学4年生になると希望者は鼓笛隊に入ることができる。
私は腰から立ち上げる鉄琴が第一希望だったが、じゃんけんで負けてなれなかった。
女子の憧れはバトンガールだ。
私はそんなのこっぱずかしくて柄じゃない。
それで私の第二希望はトランペット。
しかし、これは体が弱いということで先生から無理と判断されてしまった。
男子の憧れトップだったが、ミチヨちゃんは立派なトランペッターになった。
羨ましかった。
それで私は結局、小太鼓を選んだ。
上級生のオオトモ君が放課後教えてくれた。案外面白かった。
私たち小太鼓グループは女の子ばっかりで、覚えも早く優秀なグループだった。
私たちは得意になって、体育館の観覧席で腰からぶら下げて練りまわったりして遊んでいたりした。

その時!



アホな私は小太鼓を階段から落っことしてしまったのだ!

ベリベリ・・・

小太鼓の皮が破けてしまった。

ありゃー・・・

顧問の先生に謝りに行った。
先生は私を叱るでもなく
「仕方ないなあ・・・楽器がないからおまえ、中太鼓だな」

「はい・・・」

中太鼓は小太鼓より叩く回数がはしょられてつまんない。
小太鼓仲間は慰めてくれたが楽器壊しちゃったからしょうがない・・・トホホ。
中太鼓グループは小太鼓に比べて人数も少なく、まとまっていた。
私は小太鼓をしていたから、曲もすぐ覚えてしまった。
運動会のパレードに向けて私たちの練習は続けられた。

ところが!

そんな時、私の持病の十二指腸潰瘍が悪化した。

深刻な事態に陥り、運動という運動はドクターストップ!
こともあろうか、鼓笛隊活動までが運動とみなされてしまった!
中太鼓は重いし、それをぶら下げて行進するからだって・・・
メンバーが全員まとまってやる気になっていた中太鼓仲間に申し訳なかった。

私は図書委員でもあったので、放課後は図書館の貸し出しカウンターから
校庭で行進の練習をしている鼓笛隊を毎日眺めていた。

トラックの端からスタートして一周してパレードは華麗に進む・・・はずだった・・・
それが、何日経ってもなかなかスタートラインから進まない・・・

パレードの先頭は指揮者だ。
房がついた指揮棒を構えて、颯爽と鼓笛隊を先導する花形だ!
指揮者はバトンガールから選出されることになっていた。
それは仲間内で選ぶことであってバトンガール達に任されている領域だ。
ユカリちゃんがどのようにして決まったか私は知らない。
でも、ユカリちゃんは先導できないでいる。それは、図書館の中からでも分かった。
小太鼓、中太鼓仲間からも不満がもれてくる。
「ユカリちゃんが・・・」

ホームルームで担任の先生から指揮者を交代させたいと提案があった。
それはバトンガール達だけの話しで、私には関係ないことと上の空で聞いていた。
ところが、バトンガール達だけでは手に負えない問題のようだった。
だって一度はユカリちゃんに決めたのだから、
まさかバトンガールの中から二人目を選出するわけにはいかないらしいのだ。
それをしちゃうと、バトンガールに亀裂が入るというのか・・・?
小学生といえども人間関係は複雑だった。
バトンガールのように女の世界はことさらのようだ・・・

運動会まであと3日後に迫ってるというのに新たに指揮者を選出することになった。
私は鼓笛隊からはずされた人間なので他人事だった。
(3日後なのに、こんな切羽詰ってから、選ばれた人は大変だよ・・・)と思って聞いていた。

そんな暢気な私に・・・なーんか、クラスのみんなの視線を感じるんですけど・・・

「tuziちゃんがいいと思います!」

「そうよ、tuziちゃんなら曲も知ってるし!」

えっ?
だって、運動会は3日後よ!明日は総練習の日!

「大丈夫だって!先頭歩くだけだから!」

「適当に先頭を歩いてくれれば、俺達ついて行くからさ!」

先生までが
「そうだな。指揮棒なんて軽いしな。うん、決定だな!」

えー!?
そんなのありー?

指揮者が私ならバトンガールにヒビも入らないんだと!

だからって・・・

小太鼓壊して中太鼓になり、ドクターストップで見学していた私が
バトンガールのコスチューム着せられて指揮者だなんて・・・

わしは‘わらしべ長者’か?

(次回、中学編へつづく)



2月25日(水)

「部活の思い出〜中学時代」

中学生になって、小学校にはない楽しいクラブ活動と部活動が始まる。
友だちどうしで
「ねえねえ、中学に入ったら何クラブに入る?」
なんてことも話題になっていた。
私はテニス部に入部しようと意気込んでいた。
「エースをねらえ」の岡ひろみになるんだ!
宗像仁のような鬼コーチにしごかれて泣いてるところで藤堂先輩みたいな人と出会って・・・

なんて、安易なんだ!

そして、運動神経ゼロの私はそんなことを物ともせず「エースをねらえ」だけを目標にして
仮入部したのだった。
そう、初めは誰でも仮入部なのだ。
放課後コートに行って、基礎運動。玉拾いさえさせてもらえない。
初日
腹筋、腕立て伏せ、ランニング、反復運動・・・
テニスのテの字もない。

翌朝
全身の筋肉痛に起き上がれなかった。
情けないことに階段を下りることができなかった。
「根性なしtuzi」の仮入部は3日間で終わってしまった・・・
こんなことがいつまで続くのかと思ったら、もう岡ひろみになんてどうでもよくなっていた。

そして、私はブラスバンド部に入部した。こうなったら、応援する側になろう!
いや、そんな前向きの気持ちがあったわけじゃない。
友人が入っていて、「そんな部があったんだ」と思ったからだった。
ここでも、私の「根性なし」は相変わらずだった・・・
フルートに挑戦するも(ビジュアルから入る愚か者)唇が適合せずあっさり断念。
トランペットに挑戦するも(小学校の時、却下されていた)肺活量が足りなすぎて音がでない。
お話にならないままあっさり断念。
そして、クラリネット。
クラリネットはシの音が難関だ。シさえ出るようになれば大丈夫。
ちょっとしたコツさえ練習で掴んでしまえばシは出るようになる。
そして私はしばらくブラスバンド部に籍を置いていた。

でも、なんだか違う・・・
私が本当にしたいのは、クラリネットじゃない・・・

そうだ!部を作ってしまおう!

「根性なし」のくせに「大胆不敵」なのが私である。

中学2年の春、私は美術部を作った。
部を作るのは思いのほか簡単だった。顧問の先生をお願いして、最低定員を集めればそれでよかった。
美術をしたいと思っている人はいなかったが、幽霊部員でよいのだから人は集められた。

好きなことには労力も厭わない。
私は毎日ひとり美術室に行って石膏デッサンをしていた。
もはや部室の美術室は私の個室と化していた。
ひとりで石膏に向き合う時間は静かで落ち着けて集中できる充実した時間だった。
懐かしい・・・
部費は確保されていたから、先生は七宝焼きもさせてくれた。
七宝焼きは、色をのせたときと焼き上がりの色が違ってくる。
思い通りにはいかない。そこが面白かった。
形さえも熱で変わってしまう。
ぜんぜん思い通りにいかない難しいものだ。
そこが面白かった。

秋、文化祭の季節。
私たち美術部も作品を展示しよう!そう思って私は作品つくりに勤しんだ。
やる気のある部員も放課後残ってつくり始めた。
廊下にポスターを貼って宣伝もした。
それを見て初めて「美術部」の存在を知った人も多かったと思う。
色紙やしおりなども作って見に来てくれた人にあげたりして大盛況だった。

私は3年生になった。
私は2年生から部長だったが後輩はいなかった。
3年になったら、1年生、2年生の入部者があった。
後輩がいても私は相変わらずマイペースで活動をしていた。
部長らしく、後輩に何か教えるでもなく、一緒に活動する仲間としてつきあっていた。
運動部の友人に言わせると私は後輩に‘甘い’‘手ぬるい’のだそうだがそんなことはどうでもよかった。
美術部は作品があってなんぼの部なのだ。
各自のやる気次第だ。

そんなわけで、部を作ってしまった私にとって自由気ままな自己満足度満点の部活の日々でした・・・

(次回、高校編へつづく)




2004.3

3月1日(月)

「部活の思い出〜高校時代」
一、先輩

中学時代の美術部では、自分で部を作ってしまったので先輩がいなかった。
高校に行ったら「書道部」に入ることを決めていた私は迷うことなく「書道部」に入部した。
書道は小さい頃から好きだった。
初めて筆を持ったのは小学1年生だった。
毎週土曜日に希望者にだけ放課後学校で先生が手習いをしてくれていた。
私は書道のすべてが好きだった。
筆を持った感触、墨の匂い、硯で墨を磨る作業・・・
紙のさわり心地、文鎮の重み・・・
筆にたっぷり墨を含ませて持ち上げた時の感触、紙に下ろす時の緊張感・・・
紙を走らせる筆の息遣い、その集中力・・・
最後は自分の名前を入れる。この一連の作業がすべて好きだった。

もちろん、満足いかないことが大半だ。
でも好きなことに変わりはなかった。

中学校には書道の先生がいなかったので、顧問になってくれる先生がいない。
「書道部」を作ることはできなかった。
だから、高校に行ったら「書道部!」そう決めていたのだ!

歓迎会が催された。(私が入学したのは女子高だった)
人数の少ないマイナー部だから予算も少ないはずなのに私たち1年生を先輩はもてなしてくれた。
2年生の先輩はふたりだけなのに3年生の先輩はたくさんいた。
私たち1年生の新入部員もたくさんいた。
だが、後になって分かったことだが‘たくさんいる’ということは
活動しない幽霊部員も‘たくさんいる’ということなのだ。

3年生の先輩はそれはそれは個性的な人ばかりだった。
お笑い芸人、妖怪変化の宝庫だった!(笑)

入部してしばらく経ったある日、放課後練習していた私に、部長は突然話し始めた。
tuziちゃん!風呂敷はね、丸にもなれば、四角にもなる。
三角にもなるし、ほーら、こうすれば背負うこともできる、便利よねー!」

「・・・はあ、そうですね・・・」

その時は、「なにを唐突にこの人は!?」と思ったが、
私はそれ以来‘風呂敷愛用者’になってしまった・・・

とにかく、この部長はユニークだった。
持ち物は全部‘カエルグッズ’
‘ケロケロかえる’が大好きなのだ。

tuziちゃん!カエルは可愛いわよね♪キャー可愛い♪ねっ!」

「・・・・・・」

先輩ごめんなさい、カエルは好きになれません・・・

部長はとにかく変人だった。
好きな書体は「甲骨文字」




部長はこの文字を真剣に書きまくっていた・・・

一方、2年生の先輩は地味だった。
3年生の先輩が派手すぎて存在が薄まっていたのかもしれない。
とっても静かで声をかけづらい雰囲気を漂わせてもいた。
3年生の先輩は気さくで親しみも覚えた。
2年生の先輩は近寄りがたさがあった。
どんなに親しみがあっても先輩は先輩である。
私は自分の気を引き締めて、馴れないように尊敬をもって先輩をみていた。
事実、先輩は尊敬できた。それは作品を見れば分かることだし、練習を見ていれば尚更だった。

(つづく)



3月10日(水)

「部活の思い出〜高校時代」
二、授賞式

私たち「書道部」の活動は大きく3つ。
ひとつは「段級」のための毎月の提出。
ふたつめは「文化祭」のための作品作り。
そして、「高校書道展」への出品のための作品作り。

どれも大事だが、成果を残すという点では「高校書道展」の成績が大きな目標となる。
「高校書道展」は秋に催されるので、「文化祭」の作品と兼ねる。
作品作りは夏が追い込みだ。
「高校書道展」とは全県高校の書道コンテストである。

種目は豊富だ。
掛け軸に仕立てた漢字、前衛書、臨書、かな、篆刻などなど・・・
受賞者は授賞式に公認欠席扱いで行ける。
授賞式はさる大手新聞社で行われ、生徒だけで行けるのだ。平日に街に出られる!
とはいうものの、例年受賞者は3年生で占められる。
そりゃそうだ・・・
だが、奇跡的にも私は1年生ながら奨励賞を戴いた!

やったー!
これで、街に遊びに行けるー!

受賞の喜びより学校を誰の目をはばかることなく公認で休めることのほうが嬉しかった。
我が高校の受賞者は、3年生の部長と2年生の先輩と私。
3人で授賞式に向った。

受賞式は午後1時からだった。
田舎者の私は先輩に手をひかれながらキョロキョロするばかりだった。

部長は「先にお昼を食べましょう!」と迷わずお好み焼きの店に入った。
さすがは部長!
私はこの時の颯爽とした部長のリードに惚れ惚れした!
だって、私だったらただウロウロするばかりで、わけわかんないと思うもん。
店内でも、部長は「これとこれでいいわね?」とテキパキと注文した!
部長!ステキです!
いつもの、おちゃらけた部長じゃありません!
私はこの時、生まれて初めてお好み焼きを食べた。
うどんやそばが入った今になって思えば広島風だった。
私は初めてのお好み焼きに感激し、部長のリードに惚れ惚れしていた。
自分が3年生になったら後輩にしてあげねば!
後輩に惚れられるような先輩にならねば!と肝に銘じていた。

そして、先輩が卒業して私は2年生になった。
3年生の先輩はふたり。

先輩ふたりは本当に静かな人だった。
でも、書道に対する熱意は誰にも負けていなかった。
とにかく、勉強熱心だった。書くだけではなく、理論としての書道の勉強もしていた。
その先輩の文字は完璧に美しかった!

「書是人也」

先輩は書聖・王義之を好んで書いていた・・・




「高校書道展」の受賞者は3年生の先輩ふたりと私のまたしても3人。
この年は3人とも最高賞の受賞となった。
ふたりしかいない先輩がふたりとも受賞できて私は心から嬉しかった。

(つづく)



3月15日(月)

「部活の思い出〜高校時代」
三、合宿

私たちは先輩がいない3年生になった。
これまで真面目に部活をしていたのは私とフジコちゃんくらいなものだった。
みんな、作品は製作するが、日頃から放課後残っている人は少なかった。

私がアホ部長。
副部長にはしっかり者のフジコちゃんを従えているから心配ない。
部長の一番の仕事は、いかに多くの部費を獲得するかである。
私は生徒会長とマブダチだったから裏金工作で・・・いやいや、そんなヤボなことはできてもしないさ!
でもまあ、1円でも多くゲットするよう全力を尽くした。

なぜなら
私には計画があったからだ!
前代未聞!書道部発足以来初の合宿!
それを大義名分に掲げ、私は予算をゲットした。
私は本気だった。
秋の作品を作成する追い込みは夏だ!本来書道部は夏に休んでる場合ではないのだ。
私はこれまでの2年間夏休みでもできるだけ学校に行って書いていた。

冷房もない、机に囲まれた風を入れないようにした部屋で、ひとり書いてきたのだ。
私は書いているところを人に見られるのが嫌いだ。
練習してるのを見られるのを極端なまでに嫌う。
書いている最中に人の気配を感じると筆を置いた。
だから、人は私を「練習嫌い」と言う・・・

練習は人に見せるものではない。
結果(作品)だけを見てくれ!
そう私は考えている。

このことは今になっても変わらないようだ。持って生まれた性分なのかもしれない。
筝のお稽古も太極拳でも私は練習を見られるのを極端に嫌う。
人の気配や視線を感じるとやめてしまう。
結果(本番)だけを見てくれ!なのだ。
人は私を「怠け者」と呼ぶ・・・

ところで作品作りだが、半畳くらいの紙だから床にへばりついて書かねばならない。
これは大変な腹筋と腕に筋力がないことには書けない。
紙が飛ばないように無風でなければならない。
夏だから、そりゃ地獄だ。
汗が紙にポトリ・・・それで台無しになることもあった。
暑さで集中力がなくなることもある。
「書道部」はバリバリ体育会系なのだ!
体力がないと書けないし「気力を鍛える」意味でも武道系なのだ!

そして、この年の夏。
アホ部長(私)の一存で合宿を決行した!
大好きなスイカと書道三昧・・・
部費の私物化とも取られかねない合宿だったが、イヤとは言わせなかった。
忘れもしないソフトボール部と一緒だった。
夜も徹して書いていたが、涼しいのはいいが蚊や虫が入ってきてかなわなかったっけ。

後輩よ!
その後「書道部」の合宿はどうなった?

私は「高校書道展」に3年連続で授賞式に出席することができた。
私は中国古典を好んでよく書いた。
顔真卿は特に好きだった。
彼の文字は男らしく、豪快だ。
しかし、その内容は胸を締め付けられるほど悲しい。
晩年は蔵書を確立した大家でもある。
(詳しくは「企画集」故宮博物院・書、1997年西安、2001年台湾をどうぞ)

孫過庭の草書「書譜」も好きだった。


「書譜」

書道にはいろいろな種類があるが、臨書はその書いた人になれる素晴らしい練習法だ。
その時代の息吹さえも感じられる。
書いてある内容を踏まえることでその人の心情さえうかがえる・・・
筆運びは呼吸だ。リズムだ。
そして、気持ちを自由に開放しないことには書けない。
体も緊張していては呼吸が止まるから書けない。
要は「放松」(ファンソン)だ。
この当時、「放松」という言葉は知らなかったが、リラックス。
緊張していては書けない。
心穏やかでない時に書いても紙と墨の無駄なのだ。
このことは繰り返しの練習で私が体得したものだ。
うそじゃない。

私はのちに筝の稽古をはじめた時、書道と同じ何かを感じた。
太極拳をはじめた時も書道と同じ何かを感じた。
それは、リズムであり、呼吸であり、最後は「心」なのだということだった。

「書是人也」

筝の演奏も太極拳も高度な技術と柔軟で恵まれた資質だけでは
超えられない心の表現があるはず・・・
それは、隠そうとしても外に漏れてしまうものだ。
素人の目はごまかせても、見る人が見ればそれは隠しようがない。

だから全ては「修養」なのだ。
別に偉そうなことを言うつもりはないが、私はそう思っている・・・

(完)



3月20日(土)

「二周年」

「飛ぶtuzi」が3月20日、二周年を迎えました。
これもひとえに、読者の皆様のおかげにほかなりません。
お礼申し上げます。

再三言ってきているとおり、このhpは私tuziの個人的自己満足で作成されております。
でも、
皆様からの感想メールがどんなに私の励みとなってることか。
感謝です。

カウンターはとうの昔に捨てました(笑)
不人気で訪れる人が少ないとはいえ、ひとりでも読者の方がいらっしゃる限り
tuziはその読者の方を大事に考え、マメに更新を重ねてまいります。
本当です。

今後、自己満足だけでなく多くの人に親しんでいただけるようなhp作りを心がけたい。
そう考えております。
ただ増量を重ねるだけでなく、内容も充実したhpにしていきたいという野望も芽生えてきました。
とはいっても、当分は現在のスタイルで更新を続けるつもりです。
あしからず。

「初心わするべからず」
開設当初の二年前から変えていないトップページのあいさつ文のとおり、
‘ここはtuziが太極拳修業をとおしてみた海外旅行記のページです。
各国にちなんだ企画や、映画、日記などの連載もあります。
ご覧になられた方のお役に立てれば幸いです。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみください。

私の個人的hpが訪れた方のお役に立てて、長いお付き合いとなることを切に願っておる次第です!
どうぞ、なんなりとメールをお寄せくださいませ。

えっ?
二周年企画はないのかって?
よもや表紙の模様替えただけで、ごまかす気じゃないだろうなって?

(読A)聞き捨てならん!
(読B)ちょこざいなまねしおって!
(読C)成敗してくれるー!!

(tuzi)アイヤー、なにとぞご勘弁をー!アーレー・・・

ひとり芝居で始まる「飛ぶtuzi」二周年、
こんなtuziをどうかお見捨てなきようお願い申し上げます。

しからばごめん!




3月24日(水)
午後1時告別式

「弔辞」

私はドリフを見て育った。
オイッス!8時だヨ!全員集合」で育った。
伝説の生放送中停電して懐中電灯で続行したコントや、ジャングルコントの時、ステージで火事になり
消火器で消していたりという大騒ぎを当時子供の私はネタと信じきって見ていたのでした。
何が起こってもドリフならコントだった。

ドリフといえば荒井注の「なんだ、バカヤロウ」からのつきあいだ。
私の最近の口癖は「だめだこりゃ」だった。

ドリフを脱退した荒井注が若い奥さんをもらってカラオケ店を開いた時、
カラオケボックスのドアの幅が狭くてカラオケ装置が入らないということを
大真面目でやらかして大損をした時もあった・・・
いかにも注さんらしいと思ったっけ(笑)
そんな荒井注が亡くなった時もショックだった。

そして今度はリーダー、いかりや長介の死。
3月20日午後3:30
奇しくも「飛ぶtuzi」二周年の誕生日だった・・・

ショック。

確かにドリフ全盛は過去のことで、いかりやさんは俳優として、
他のメンバーもそれぞれの道を歩まれていた。
でもさあ、ドリフで育った私にとって長さんはドリフのリーダーだ。
私にとっても特別な存在で寂しさを感じずにはいられない・・・(涙)

小さい頃からお世話になっているドリフ。
そのリーダーの死。
お悔やみせねば!
告別式に参列せねば!

もっと上の世代ならクレイジーキャッツのハナ肇が同じような存在だったのだろう。
ハナさんが亡くなった時の報道もその功績を大きくとりあげていた。
それを聞きながら凄かったんだなあ・・・と思っていたが、きっと日本中のおじさん、おばさんは
その死を今の私のように寂しく感じていたに違いない。
ドリフ世代だって今や立派なおじさん、おばさんだ。
私のようにドリフに毎週笑わせてもらって、寝る前にはカトちゃんの言うことを聞いて
歯磨きを励行した子供たちは日本中にたくさんいるはず!
土曜日8時はテレビの前で夢中になって真剣にドリフを見ていた子供は私だけじゃないはず。

本当にお世話になりました。

ドリフコント最後のお約束だったセット崩壊、セット爆破・・・
毎週わかりきってる最後なのに毎回楽しかった。
ドリフは私の「お笑いの原点」です。

忍者コントで、長さんが登場してオイッス!
(子供たち)「オイッス!」
(長さん)「声が小さい!オイッス!
(子供たち)「オイーッス!」
(長さん)「まだまだー!オイーッス!
(子供たち)「オイーーッス!」
(長さん)「シー!静かにしろ!」

(子供たち)「(ドヒャー!!)」

「8時だヨ!全員集合」後は「ドリフの大爆笑」が楽しみになった。
ド、ド、ドリフの大爆笑♪
私は‘もしもシリーズ’が大好きで、オチの長さんの「だめだこりゃ」
一緒に言いたくて「(くるぞくるぞ・・)」ってワクワクしながら見ていたものだ。

私はお笑いが大好きで、テレビのお笑い番組の変遷を見てきた。
漫才ブームにもどっぷり浸り、ちょっとしたお笑いの歴史は見てきたつもりだ。
現在好きなお笑い番組は「笑いが一番」「笑点」(←若手がでてません)
今の一押しは、あした順子ひろし!(←超ベテランです)
でも、これからも辛いことがあった時、思い出すのはドリフでしょう。
私を励まして力になってくれるお笑いはドリフでしょう。
だって私はドリフコントのオチ、セット崩壊から人生なんでもありを学んだのです。
どんな辛いことも「だめだこりゃ」と笑い飛ばせるようになれ!と教わったのです。

・・・寂しくなります(涙)
長さん、長い間お疲れ様でした。

ありがとうございました。



3月30日(火)

「一周忌」

今日は愛猫、茶(ちゃ)の一周忌だ。
茶はノラ猫だったが、小さい頃牛乳の誘惑にあっさり引っかかり我が家に住みついた。
はじめ、母も父も反対だったが、やがては私も呆れるほど茶にメロメロになった。
茶は人見知りが激しいというか、人間が怖いというか、
神経質で臆病で他所の人には姿さえ見せない・・・
お客さんが来ようものならパニックに陥り、一度は行き場を失ってカーテンをよじ登ったことがある。
逃げる時も緊張しているせいで、転びながら走る始末・・
そんなわけで、茶の姿を目撃した者は家族以外に誰一人としていない。

どこに行くにも私から離れなかった。
トイレにまでついてきて「おいらも入れろ〜」と泣いていた。
はじめの一年は外に寝ていたほどで、私以外の家族にもなかなか慣れなかったほどだ。
私にとって茶がいない生活など考えられなくなっていた。

ノラ猫だったので耳ダニがいっぱいでまっくろ!鼻穴もまっくろ!
いつも鼻を拭いてあげていたっけ・・・

茶はとにかくいい奴だった。
そんな茶との別れは突然にやってきた。

茶が倒れてからのことは思い出すと辛くなるので書かないが2003年忘年特集〜春)
動物はその年齢が若ければ若いほど、ひとたび不調をきたすと命をあっさり落としてしまう。
日頃から体調を注意深く観察する必要がある。
定められた寿命を避けられないのは人間も動物も同じこと。
それでもやっぱり私は今でも茶を救ってやれなかったことを悔やんでいる。
たとえそれが茶の寿命だとしてもだ。

茶の死に私は責任がある。
そう思っている。

私は茶がやってきた方角、茶がいつも気にしていた方角である庭の西に墓を作ってそこに茶を埋めた。

お盆やお彼岸には茶の墓に水をあげたり、ご飯をあげたりしている。
今年もお彼岸には茶の毛並み色したオレンジ色のパンジーをお墓の周りに植えた。
茶は海苔やあさり、かつおぶしが大好物だった。

今日は茶の好物をたくさんあげるからね。
「デブになるから今日はおしまい」なんて言わないからね。
茶、たんとおあがり。
まだまだたくさんあるからね。

どれどれ、ハゲは治ったかい?
あー、ポヤポヤ毛が生えてきたね。よかった、よかった。


書類の上に乗っかって毛づくろいしていた茶。
おいっ、邪魔なんですけどお!(泣)


茶、いつでも会いに来てかまわないんだよ・・・(涙)
仕事の邪魔したってかまわないんだからね・・・(涙)
屋根から顔覗かせて「開けろ〜」ってないておくれ・・・(涙)
鈴鳴らして階段を駆け上がっておいで・・・(涙)