2003年忘年特集〜春

「追悼」

茶は私の親友でよき相棒だった。
茶はノラ猫で、2000年秋のある日私に拾われた。
人見知りが激しく、私にしかなつかなかった。
トイレに行くにもお風呂に入るにもついてきて私の後をくっついて離れなかった。
茶色のトラ猫だったので‘茶(ちゃ)’と名づけた。


我が家にやってきた頃


とにかく誰にもなつかない。
セールスやお客さんの車のエンジン音が聞こえただけで逃げ出してしまう。
いつかは茶の間で油断していたところへ近所のおばちゃんがやってきたものだから、
逃げ場がなくてパニックに陥りカーテンをよじ登って爆笑を誘ったこともある。
それ以来、夜暗くならないと茶の間には寄り付かなくなった・・・逃げる時も緊張しているせいで、転びながら走る始末。
そんなわけで、茶の姿を目撃した者は家族以外に誰一人としていない。
それほどまでに人が怖いのだ。
家族の膝に座ることもなかった。
私はそんな茶が大好きだった。
私にだけは物陰に隠れて驚かしてみたり、屋根に上って2階の私の部屋にやってきたり、
ドアをカリカリしてミャーとないてみたり・・・とにかく、ひょうきん者で、優しくて、おとなしくて。
決して、自分に与えられた以外の食事を欲しがらないし、テーブルに上がったり乱暴なことはしない、おりこうな猫だった。


ノラ猫だったので耳ダニがいっぱい・・・
鼻はいつだって真っ黒!


茶はオスだった。
周囲のすすめもあって、去勢手術を受けることにした。
ごめん、茶・・・
私は悩んだ。こういう人間の身勝手で自然の体を変えるのは嫌いだからだ。
でも、私は動物病院に連れて行くことにした。
私は茶をオカマちゃんにしてしまった・・・でもおかげでその時、耳ダニもみつかり、数回治療に通った。


西方が気になります・・・

茶は毎日のように私を笑わせてくれた。
猫なのに、雪の中でも平気で外にいられる茶だった。
とにかく毎日外で遊んでいたのだ。
そして夕方2階に上ってきては窓の外でミャーとないて、私が入れてやる、そんな毎日だった。
どんなに暑くても屋根の上で遊べるし、雪があっても日課であるパトロールは続けられる・・・
外の虫にでも食われたか、ハゲになったこともあった。
楕円のハゲはテカッていっけ・・・(笑)


灼熱の屋根もへっちゃら!



雪の中もへっちゃら!



ハゲができて赤チン塗られた茶


好物は、鰹節と海苔。
あさりも好きだった。
茶のいない生活など考えられなかった。
私が海外に出かけていても、茶のことばかり浮かんできた。
成田に着くと茶に早く会いたくてたまらなかった。
茶がいなくなるなんて思いもしなかったし、10年は生きるものと私は信じきっていた。


2003年3月28日(金)

茶が突然、ゲーゲー吐いてエサを食べなくなった。私は締め切りに追われてて、茶にかまってやれなかった。
外で、変なものでも口にしてしまったのだろう、と私は高をくくっていた。


茶は一気に体力が衰え、しんどそうだった。
普段なら茶の間にある自分の寝床で寝るのだが、珍しく私の部屋を訪問に来た。
後ろ足をひきずって、ヨタヨタとそのままバッタリ・・・私の布団に吐いては倒れ、冷たい床の上に倒れこむ・・・
「茶が・・・茶が死んでしまう!」
家族も起こして、起き上がれない茶を覗き込む。
こんなに重症だったとは。
こんなことなら昼に病院に連れて行けばよかった、と今更ながら後悔していた。
もう夜中の12時だった。
茶は、気を失って倒れては起き上がり少しもジッとしていない・・・昨日までの走り回っていた記憶が勝っているのだろう。
いつの間にか姿が見えなくなっている。

猫は死んだ姿を人間に見せないという。

ところが、いつの間に外に出たものか茶はいつものように2階の屋根に上り弱弱しく「開けろー」とないていた。
あんなに体力がなくなっているのに、どこに屋根に上る力があったものだろうと不思議でならない。
と同時にそんな健気な茶が憐れでならなかった(涙)


2003年3月29日(土)

茶はもう死んだようになっている。
手足が冷たかった。
でも、私は諦めたくなかった。
茶は人間の年齢でまだ20歳くらいだ。
死ぬなんて考えられない。
私は動物病院に急いだ。
以前、去勢手術をした病院にいこうかと思ったが、父が近くに新しく開業した動物病院があるという。
腕が良いかどうか分からないので迷ったが、結局近くに行くことにした。

獣医は茶の熱を計り、これでは手術は無理だと言った。
普通、猫は38℃あるらしいが、茶は35.2℃しかない。
診断は、尿管結石というものだった。血尿があったはずなのだが、見逃していたのだろうと思う。
茶は、外で用を足すことが多かったからだ。
手術をしないで薬を直接尿管に送って治療もできるが、茶は、緊張して尿管が出てこないのだそうだ。
だから、麻酔をかけるしかないのだが、それには体温が低すぎた。危険だという。
あすまで様子をみようと・・・治療もできず点滴だけでいったん帰されることに。
茶は診察台に乗せられて、怖かったに違いない。
だって、それまで人が怖くて逃げ回っていたのだから・・・でも、その力は茶には残っていなかった。
精一杯抵抗してなくものの、逃げることはできなかった。
おとなしいのではない。
体力がなかったのだ。
どんなに、嫌だったろうか・・・私は、そう思いながらも茶を助けるためと思って堪えていた。

その日、点滴をし明日まで体力が回復することを願い空戻りするしかなかった。



茶は弱るばかりで、体温も戻りそうにない。
「茶が死ぬはずない!私が絶対に死なせない!必ず治してみせるっ!」
そんな思いが強く、茶の事を考えてやれなかったかもしれない。


2003年3月30日(日)大安

病院を変えよう、と思い、以前行った病院に電話してみた。
今日は日曜日なので、完全予約で看て貰えなかった。
仕方なく、昨日行った病院へ急ぐ。
茶は若いので、心臓はしっかりしてて呼吸は強かった。
でも、体温が低くてはどうにもならない。
点滴を受けている2時間ほど、茶についていたが、苦しそうだった。
時折、口が半開きになって、今にも死にそうだった・・・どこからか、かぼそい鳴き声が聞こえた。
本当にかぼそい一声だった。
茶だった。
茶はしっぽを振ってないた。
これが意識のある最後だと私は思う。
茶の目に映った最後が私であって欲しい・・・

私は茶を覗き込み
「茶・・・ここにいるからね」と話しかける。
目には私が映っているだろうか・・・私はこの時、観念した。
茶は助からないかもしれない、と。
いやいや、そんなはずない!また元気に走り回れるはずだ!私がなんとしても治してみせる!
と茶がいなくなってしまう思いを打ち消した。
私はどうしても諦めたくなかった。
どんなに治療費がかかってもかまわない。茶が助かるなら、どんなことでもしてあげたかった。
点滴が終わって、茶を連れて帰ろうとしたら父が「入院させたらどうだ」と言う。
それなら医者もついているし、安心だろうと・・・でも、人見知りの激しい茶のことだ。
置いてきぼりされたと感じて悲しむに違いない。
私は迷った。
家に連れて帰っても、ヨタヨタ寒いのに歩き回るし、体力も戻りそうにない。
心配だったが、茶を預けることにした。
病院なら暖房もついているし、歩き回っても寒くない。
夕方、連れに来るつもりだった。


昼2時
私は茶にかかりっきりで、遅れていた仕事にとりかかった。
電話がなった。
嫌な予感がした。
父が受け取り話していたが、私が1階に下りていくと電話を代わった。
「茶ちゃんが亡くなりました」
茶を置いて2時間も経っていない。
「えーっ!すぐ行きます!」
私は茶を置いてきたことが悔やまれてならなかった。
死んでしまった茶を見るまでは信じられなかったし、間違いであって欲しかった。
いつも私を驚かしては笑わせた茶のように、今度もドッキリであって欲しい・・・そんな思いで車を走らせた。
涙が止まらなかった・・・

病院では茶は箱に入れられて、首輪がはずされていた。
それを見た瞬間、なんで茶の首輪をはずしたんだ?!と、とっさに思った。
そして、箱を開けて茶を見る。
花に囲まれて茶は横たわっていた。
「茶ーー!!あーん・・・(大泣)」
医者に「家で死なせてやりたかった。それだけが悔やまれます」と恨みを吐き茶を連れて帰った。
呼べば生き返るのではないか、そう思い茶を呼び続け運転をしていた。
父が「置いていったほうが」とさえ言わなければ、こんなことにはならなかった・・・父をも恨んだ。
しかし、茶は二度と帰っては来ない。
それに最後に判断をしたのは私だ。
全部、私がいけないのだ。
迷いの判断をすべて間違えたのは私の責任だ。
ごめん、茶・・・本当にごめんなさい・・・私が悪かった。
どんなに心細かったことか・・・結局私の身勝手で痛い思いをさせて、衰弱させただけだった・・・


夕方4時
私は泣きながら茶の墓を掘った。
茶はよく西に向っていた。ノラ猫の時も西の方からやってきた。
だから、茶がいつも座っていた西の境界ブロックの下に墓を掘った。
大きな石が出てきた。はじめからここに茶の墓ができることになっていたかのように・・・
医者に外された首輪をつけて、いつも寝ていた毛布に包まって茶は埋められた。出てきた石は茶の墓標になった。


甘えた顔の茶
もう、二度と会えない(涙)


以来、私は泣き通しだった。悲しくて夜も眠れなくなった。
茶を助けてやれなかった悔しさと、家で死なせてあげられなかった後悔と・・・
何もかも私の判断がいけなかったのだ。
私が茶を死なせてしまったのだ。
茶ひとりで死なせてしまった・・・あー、私はなんということを・・・
もっと早くに体調の変化に気づいてやれれば、そう思うと自分が許せなかった。
茶は私に最後まで不平を言わず、慕って死んでいった。

茶が死んで墓を掘り埋めて、自分の部屋に戻って泣いていたら
夕方5時頃、いつも茶が「開けろー」と出入りしていた2階の窓から鈴の音が聴こえた。
茶の鈴の音が聴こえたのだ。
私は茶が戻ってきたと思い、窓を開けたほどだった。(涙)
そんなことはない。
茶は死んだのだ。私がこの手で埋めたのだ。
私は茶が最後のあいさつに来てくれたのだと思うことにした。

茶が死んだ晩、夢を見た。
夢の中で茶は私に「もう、十分だから」と言っていた。
ちょっと、怒っていたようだった。

茶は春を待たずに死んでしまった。暖かくなったら花の中を駆け回れたのにね。
蝶々を追って遊べたのにね。
茶は3年しか生きられなかった。
私に見つからずに、ノラ猫のままだったら、もっと長生きできただろうとも思う。
子供も残せただろうと思う。
ごめん、茶。
全部私がいけなかった。
だからって、死ぬことないじゃんか(涙)

茶が死んで1年近くなるが私はまだ茶の悲しみから抜け出せないでいる。
これを書いている間も涙は止まらないし、茶、と声に出すことが辛い。話せない。
やっと、こうして茶の事を書けるようになったところだ。

私のベストフレンド茶。
茶に会いたい!


茶の墓に「茶以外の猫は飼わない」と約束したのに、約束を破った私を怒ってる?


茶は私の永遠だからね。
いつでも帰っておいで。