2011年1月-6月

1月3日(月)







本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます 辛tuzi


1月20日(木)

「正月」

「初売」
例年ですと、2日の初売りに着物で出かけて、鏡割り飲んで、あったまって、酔っ払って・・・
毛糸の福袋買ったりして・・・
景気のいい太鼓の演奏をのんびり聴いて、帰りがけ蕎麦屋に寄って・・・
なーんて、正月気分を楽しんでいたのだけれど、今年は一切なし!

今年は元旦から近くのスーパーに出かけて、干支の景品もらって、飴とチョコの詰め放題
そして、予定になかったシシャモの詰め放題までしちゃった。
詰め放題ばっかで、生活感満載なんですけど・・・
あと、普通に灯油買ったりして・・・って、これじゃ、ただの買い物じゃん!

「合奏」
昨年暮れ、尺八の先生から、正月に慰問演奏があるんだけど、と合奏の話しをいただいた。
私はかれこれ10年ほど、弾いていない。
爪だって、指のサイズが違っちゃって入らなくなってるかも・・・
ホコリをかぶった楽器をだして、合奏曲を弾いてみる。
十年ぶりだというのに弾けるから不思議なものです。
むしろ、上手になってやしませんか?(←そんなはずは・・・)
慰問先は同じ町内の福祉センターで、お年寄りや病気で不自由になった方たちが
リハビリしたり、お風呂入ったり、リクレーションしたり・・・そんな施設です。
そこで、お正月に小学生達がお茶のお手前をするそうで、
その時に演奏を、と尺八の先生が依頼されたという。
私の筝はそのお手伝い。
なじみのある短い曲を数曲演奏することに。
これまで大きなホールで、一段高い舞台での演奏しか経験がなかったが、
今回のように目の前に観客がいる(迫っている)というのは、
ライブ感覚で、なかなかオツなものであった。
「正月くらい弾けたらいいな・・・」と思って始めた邦楽の手習い。
まさか、今になって、しかもこのような形で実現するとは・・・
今年は合奏で正月気分を満喫することができたのでした♪

「風邪」
何年ぶりだろう?
まさに鬼のカクランです。
風邪ひきました。
お正月の演奏会では、演奏後に子供達からお茶(習ってるというだけに本格的だった)も
いただいて、無病息災を祈った矢先・・・
かれこれ二週間になります。
インフルエンザではないと思うのですが、こじらせてます。
寒さからですね。というより、乾燥した冷たい空気。
いつも寒いところにいるので、体が慣れてるとばかり思い込んでいましたが、思い込みだったようで。
のどの痛みから始まって、そのうち咳が出始め。
この咳がヒドイのなんのって・・・
こまめにうがいをして早めに風邪薬も飲んだのですが、
いっこうに効き目がなく、、声も出なくなちゃった・・・咳止めの薬も効かないし・・・ツライです。
特に夜がヒドくて、眠れません。寝不足が続いています。
なかなか治りません。こまったものです・・・
早く、春になんないかなぁ・・・って、
その頃は花粉症が始まるってか・・・それじゃ、ダメじゃん。。。(←春風亭昇太、っぽく)



1月30日(日)

「ニワトリの足」

正月早々風邪をひいてしまい、軽くみてたらこじらせてしまい、すばやく家族にもうつしてしまった。
とにかく、私は咳がひどくて、眠れないし声は出なくなるはで・・・
それでも、ガンバッて太極拳の教室は休まなかった。
これがいけなかった!
無理が祟って、完全にこじらせてしまい、結局休む羽目に。
開講以来、初めてのことで、とても悔しかったです。
‘自習’ということにして、準備だけはしに行ったのだが、こういうときに限って
「体験したいんです」なんて人が現われたりなんかして。ほんと間が悪いったら。

最初に感染したのが母だった。
すぐに病院に連れて行ったのだが、実は連れて行った私のほうが重症で。
マスクして声を発しないようにしてしていたのだが、
声にならない声で母の症状を伝えたことで、医者にバレバレ。
「娘さんも風邪だね?」と言われてしまうが、この日は母だけ診察受けて帰って来た。
翌日、私も診察を受けに行って、レントゲン撮ったら肺がヤバイことに・・・
その後、父に伝染。
父はインフルエンザの予防注射を受けているので、鼻声になったくらいで咳もなく軽く済んでいた。
だが、油断大敵!
風邪をひいている時に入浴は禁物だ!ちゃんと治ってから入ったほうがいい。
私も、風邪ひいてから入浴してない、髪も洗っていない。
父にも「風呂に入らなくても死なないから!」
不潔極まりないが、風呂に入って悪化させて、肺炎になどなったら元も子もないではないか。
それなら、完治するまで入らないでいたほうがいいに決まっている。
私も、ひきはじめの喉が痛いときに風呂に入ったのがいけなかったらしく、
それから急に咳が出始め、こじらせたのだ。
髪だけは洗っていたが、かれこれ一ヶ月近く風呂に入っていない。
母にいたっては、昨年暮れから一ヶ月以上風呂に入っていない。
これまで父ひとりだけ風呂に入っていたが、「風呂に入って具合悪くしたらどーする?!」と、
釘をさされてから、我が家は誰一人風呂に入る者がいなくなった・・・

父が風呂に入らなくなって四日。
母の具合も落ち着いてきて、通所リハに復帰、久々に入浴。
私もそろそろ入浴しよっかな、いや、もう入らねば、と思っていた矢先。
父が、「もう、風呂沸かすぞ。
オレの足、ニワトリみたいになってきたぞ・・・」と言うではないか。
「うははは・・・ニワトリぃ?どれ見せて。」
ニワトリの足って、どんなんだ?
昨年のM−1での笑い飯の漫才‘鳥男’を思い出してしまったじゃないか。
靴下を脱いで見せてくれた父の足は、想像したほどニワトリの足じゃなかった。
本人曰く、「白っぱけて、ひび割れしたようにカサカサになってきた」と。
ん〜、たしかに、足の甲が千鳥状に線が・・・
たった四日入らないだけで、潤いがなくなったってか?
一ヶ月近くになる私の足はどーなんだ?
どれどれ・・・
ニワトリの足ではないが、チョット前から指の間がガサゴソしてたんですけど・・・
そのようなわけで、久々の入浴。

ふ〜、体が軽くなったぁ〜
そりゃ、そうよね。
二度洗いしても落ちないほど、大量の体の垢・・・
急に体の油分がなくなって、逆に白っぱけてトリ人間になっちゃった。
一方、父の足は無事、人間の足に元通り。

水戸黄門のような時代劇見てると、旅籠に入ったらまず、足をすすぐじゃない?
そーなんだね。
人間、足だけは洗っておかないとイカンてことなんだね。
サボると、ニワトリの足になっちまうのだ!




2月9日(水)

「新弟子」

相撲の新弟子。
今年、境川部屋に入門した高校生は、「小さい頃からの夢だった」と語った。
おめでとう。
ほんとうに、おめでとう!
高校で行われた壮行式には、境川の親方も参列し、「なにも心配いらないから」と挨拶した。

ところが、
相撲協会は、新弟子検査を行うか、否かを検討する、と言い出した。
またか・・・
(協会の対処にまたもや呆れてる、の‘またか’です)
わざわざ、検討会議を開く、と。
何考えてんだ?!
こういう時に、入門する、って言う人を受け入れないってか?!
これだから、話しにならない!(怒)
八百長問題と、新弟子検査はまるっきり関係ないし!
ごっちゃにするんじゃない、ってーの!
当然、新弟子検査は、例年通り行って、
これからの相撲界を盛りたてていかなきゃなんない、って思わんのか?!(怒怒)
そのためにも新弟子を受け入れないと!

十両と、十両以下の待遇の格差、給料のうんぬん・・・
とり沙汰されてるようだけれども、そんなこと当たり前なんだよ!
どんな世界にだって、実力で差はあるんだよ!
万年、十両以下で、なかなか強くなれない、勝てない、となったら、
自分の才能を見極めるしかないのだよ。
これは、別に相撲の世界だけじゃないでしょ。
それでも、頑張りたいっ、と思ったら稽古するしかないんだよ。
たとえ横綱になったって、稽古しかないんだよ。
そうじゃないのか?!
待遇に、金額に、差があって、だからどーのこーの言うのは
根性なしの屁理屈ってもんだ。
黙って稽古して、強くなれ!

新弟子は八百長と無関係なんだから、毎年してるように新弟子検査して迎えてやれよ!
そして、きちんと教育して、これからの相撲界盛りたてて、やっていこう!
ぐらいの気構えで、協会もドンと受けとめろよっ!(怒怒)
ほんとに、何考えてんだ??
中止の賠償金で頭いっぱいだってか??
そんな、ちっちゃな心持ちで相撲取りを仕切れないだろ!(怒怒)
もっと先を見据えた、デカイ展望をもってさ、盛り立てていくことを考えないと!(怒怒)
それを相撲ファンは待ってるんだよ!
ほんとわかってねえな・・・
相撲の灯を消しちゃイカンのだよ、今後も続けないと。
今の問題を解決することばかり考えるんじゃなくて、同時に続けていくことを考えないと・・・
だったら、春場所開催すべきだったのか?と問われると、「自粛」としか言いようがないのだけれど、
今後の相撲界を担う、新弟子の将来を思うと、早く場所を再開して欲しいと願う。
とにかく、新弟子検査は、今回の問題と無関係に行うべきですっ。



2月15日(火)

「バブル」

先日、夜中にテレビ観てたら、再放送で
バブル期のディスコブームを取り上げた番組を放送していた。
途中からだったけど、おもしろくて、ついつい観てしまった・・・
バブル、って今から・・・20年くらい前?
景気が良かった時期のことをバブル、って呼ぶの?
てか、バブルってなに?
わたし、ハッキリ言ってピン!とこないんですよね。
どうやら、景気がよくて、お金を毎晩のディスコ通いでバンバン使いまくって、踊りまくった・・・?
見入りも大きく、金回りがよくて、結局出るお金も大きくて、全部あぶく銭になってしまった。
そのことがバブル?
それとも、景気が良くて、美味しい仕事で入ってきたお金を、貯め込んでいたんだけど、
その価値が下がって、あぶくになってしまった、
ってこと?
ん〜。
でもさ、その時期、お金まわりがよくても、ディスコに興味もなく、使い道もない人もいたわけでしょ?
そんな人はどうなったの?
お金が貯まり放題?

・・・もっと分からないのがハジケた、ですよ。
ハジケた、ってどうゆうこと?
一気に景気悪くなったわけでもないよね?
徐々に景気が下降したんだろうし・・・

要するに、
私の生活は、バブルの恩恵にもあやかってないし、
ハジケた後も、ハジケる前も、なーんも変わらなかったってこと。
そりゃ、ちょっと浮かれて、海外旅行にも行ったけど、常に底値極貧旅行だったし、
つい5年前まで、その底値極貧旅行は続いていたわけで。
私のバブルは5年前にハジケました!みたいな。それはバブルでもなんでもないでしょ?
だから、世間のバブルとは無関係だった、ってことです。
番組にも、蚊帳の外の人たちが出てましたけど、私なんかもその組で・・・

ただね、ひとつ共通点を見つけました。
バブルで浮かれて、毎晩ディスコ、マハラジャ通いしてた、お立ち台お姉さんたちは、
現在、堅実な道を歩み、主婦になった人、また現在も独身で仕事に勤しむ人・・・様々です。
ディスコからクラブに移行したとき、青春は終わった、と感じたそうです。
この不況の中で、いまも独身で仕事をしてる人、いろいろあって独身になった人は、
「バブルに勝ち、人生の敗者になった」と語っておられました。
ほほう・・・
ん・・・
私なんか、「バブルに気づきもせず、人生の敗者になった」なんですけど!
どーしてくれる!(泣)




4月2日(土)

「裏切られた気分」

昨日、大相撲の八百長問題に関する処分が発表された。
23人の力士が対象で、引退勧告者20人の中には白馬の名前も。
顔と声がいい、というだけで応援してた私が愚か者でした・・・
とにかく、応援できる力士が現われたな、って楽しみにしてたのに・・・
なのに、あなたまで八百長に関与してたなんて・・・
知りませんでした。
・・・そりゃ、そうよね。
知ってりゃ応援する人もいないですものね。
それでもなんだか、勝手に裏切られた気分です。

顔と声がいいというだけで、これまた惚れ惚れしてた、西島さんも変です。
初めてその変化に気づいた時から、なんか違和感感じてたんですよ。
やっぱり整形してたのですね・・・
おかげで鼻ばかり気になって、セリフに集中できなくなりましたよ・・・
どう見ても、その鼻おかしいです。
変ですよ。
不自然すぎますって。
ねえ、元に戻せないですか?
そもそも、どーして整形なんかしたんだろ・・・?
そんなことする人だとは思いませんでした。
必要もなかったと思うんですけど・・・
カリナさんとお付き合いしてる、とも聞きました。
ああいう女性がタイプだったんですか、思いもしませんでした。
いやね、誰が誰を好きになろうが、自由だし、私と別に関係ありませんよ・・・
西島さんだって、私になんだかんだ言われる筋合いじゃないと思うはずですね。

でもなんだか、勝手に裏切られた気分です。

















































結局、好きなものは好き♪

理屈じゃないから嫌いになれない。

なんだかんだ言っても見入っちゃうんだな・・・これが。


パソコンのデスクトップにしてるし。。。




4月12日(火)

「大地震」

最終的にマグニチュード9.0が発表された今回の大地震。
最大震度7で、観測史上最大。
世界のトップ5に入る大地震となった。
大津波により3県の沿岸市域は壊滅状態。
津波の恐ろしさを目の当たりにした。
現在も、行方不明者がおり、被災した方々は避難所での不自由な生活が今も続いている。
断水、停電、通信不能・・・
東北の寒さに灯油不足。
ガソリン不足で、なかなか物資が届かない。
この燃料不足は日本全土に物の流通を妨げ、一時買いだめに走る現象すら起きた。
一方、津波は福島の原発の事故の引き金となり、放射能からの避難者まで。
この事故によって電力不足に陥り、都心部での計画停電、また電車の制限などから
池袋駅での入場制限など、日本中が危機的状態に。

地震発生による地面の揺れ、その膨大なエネルギー。津波の破壊力。
一瞬にして、すべてを粉々にしてしまうほどのパワー。
そんな自然の力に人間は成す術もない。
ただただ逃げ惑い、圧倒されるしかないのだ。

私が住む町は山間なので、津波こそないが震度6強だった。
避難されてる方々を思ったら、被害などないに等しい。
最近になっても余震は続いており、福島、茨城方面で大きく揺れている。
だいたい、本震が大きすぎたもの。
その歪みを調整し、バランスを取り戻すにはまだ時間が必要だろう。



3月11日(金)pm2時46分
この日、私はパソコンを前に、家の2階で仕事をしていた。
会社に電話を入れて、受話器をとった事務の女性と、先日に起きた地震のことを話した。
それから担当者と仕事の話をして電話を切った・・・とたん!
ガタガタガタ・・・
グラグラグラ・・・
ガガガガガ・・・
ぎょえー。
電源入れてたパソコンはすぐにプチッ、と電源が落ち、
これまでの地震では落ちたためしがない、本棚上の地球儀が落ちてきて、
私はといえば、パソコンを押さえ、同時に2本あるうちの、転倒防止のチェーンをしていない
一方の本棚を押さえ・・・
そうこうしているうちに、チェーンをしているほうの本棚のチェーンがはずれ・・・
隣の部屋では、タンスが両側から倒れ、押入れの物が全部投げ出され、
立てかけていた筝2面は、もちろんのこと折り重なって倒れ・・・
チェーンペンダントの照明が落ち!
プリンターを乗せていた、台が数メートル動き・・・
机の引き出しは、もちろんのこと全開。
ま、2階の散乱は致し方なし。パソコンのデータがどうなったかだけが心配。

揺れがおさまって、すぐさま1階に下りていく。
母が一人で茶の間にいる。ストーブも点けていた。
母の頭上に物はなく、無事を確認。ストーブも自動で消えていた。
初めて見ましたよ、自動で消えてるの・・・
湯沸しポットが転倒し、部屋は水浸し。戸棚の中ではガラスコップが割れ、
テレビが90度以上あらぬ方向に回っていた。倒れなかったのが不思議なくらいだ。
台所も同様で、食器が土石流のように崩れて、その台所で一番の被害は、
食油が倒れてこぼれていたこと・・・1リットル以上流してしまった・・・
これの片付けが、これまた大変だった。
トイレタンクの水も溢れ、水浸し。
お風呂の水が半分以上なくなっていた・・・

座敷に行ってみたら、なんと!
着物ダンスが倒れたではないか!
陶器でできた猫の置き物があるのだが、下に落下したが、不思議なことに無傷だった。
埴輪は地震のたびにバラバラになり、それでもボンドでくっつけてきたが、今回もバラバラに・・・
香港から土産に買ってきた、酔拳の置き物は腕から折れた!指も折れた!

明るいうちに片付けて、当分続くだろうと思われる停電に備え、ロウソクと懐中電灯を出しておく。
幸い、水道は出るし、プロパンガスなので煮炊きはできる。
圧力鍋でご飯を炊いて、食事を取った。
どこが震源で、何が起きたのか分からないので、ラジオをつけた。
津波?
エライことになってるようだ。
大津波?
200名の死体発見だって!?
はあ?一体どういうことなんだ??なにを言ってるんだ??
ラジオを聴きながら、どういうことなのかピンとこないままだったが、
時間を追うごとに死者数がどんどん増えていく・・・エライことになってるようだ。
我が家では茶の間を避難所にして、家族3人、布団を持ち寄って寝た。寒かった。
着のみ着のまま、靴下履いて寝た。
通りを車が行きかっている。
余震もあって危ないのに、いったいこんな時にどこに行こう、っていうんだろ?

3月12日(土)
うすい新聞が届いた。
一面は大津波の写真。
3県にまたがって津波が押し寄せた。
その光景は・・・
ラジオでは、被害者の人数が刻々と多くなってきている。
我が家では、食料も冷凍庫に買い置きしていたのがあるので、当分は間に合う。
停電してるので、冷蔵庫は効かないが、食べることは心配ない。
大根や白菜の野菜も十分にある。
ただ、米がなかった。
いや、米はあるのだが、停電してるので精米できないのだ。
まだ、2,3日は間に合うが、それまで電気が来なければ白米を用意せねばならない。
我が家は、薪と灯油、どちらでも沸かせる風呂なので、お風呂で温まって避難所(茶の間)で寝る。
食料もあるし、灯油も幸い買ったばかし、懐中電灯に使う電池も安い時に買い置いてるので余裕だ。
米だけだ。
隣町に住む親戚から電話がきて、断水してるという。
水を分けて欲しいと、汲みに来た。
今朝は電話が通じてたのに、なぜかその後通じなくなった・・・

3月13日(日)
停電してるので仕事もできないし、電話も通じないので仕事先に連絡も入れられない。
どうすることもできないので、避難所(茶の間)でストックして終わってた本を読み始めた。
悠長な話しである。
危機感を感じることもなく、道路を行き交う車を見て、どこに行くんだ?と不思議に思っていた。
今思えば、物資不足を見込んで買い込みに走ってたのだろうか?
私は、停電を不便とも感じず、むしろ静かでいいや、くらいに思っていた・・・
危機感皆無の悠長な話しである。
ただひとつ、停電で閉口したことがある。
それはトイレの暖房便座である。
その冷たさといったら!
その話しをしたら、近所の人がシートをくれた。
フェルトのシートを敷いただけで、もう、天国。
それにしても、断水してて水洗トイレが流せない地域もあるというのに、
冷たいだ、なんのと贅沢な話しである。
そんな地域では、断水が終わったら、おわったで、浄水施設が壊滅し、下水が溢れたとか・・・
そのことを思えば、シート敷いたくらいで済んでるのだから、ここは恵まれていた。

3月14日(月)
もう、明日で米がなくなる。今日は白米を調達に行かねば。
車のガソリンはまだ、半分以上ある。
我が家は町からも離れているので、地震後初めて町に出かけて驚いた。
まず、信号がついていない。
なぜか、道の片側にズラーッと車が止まっていたりする。
なんで?
なんで、こんなとこに車が止まってんの?
私はその横を追い越して、まずは公衆電話に。通じません。公衆電話も通じません。
どれ、白米を買おうと、いつものスーパーに向う。
うわーっ。
すごい行列である。
なんで?
ここまで並んで買うか?
スーパーの駐車場を抜けて、敷地から出てさらに歩道に並んでるよ・・・
これじゃ、買えるまで2時間は並ばないと。
聞けば、店内も停電してるので、店員さんが一対一で計算するのだそうだ。
ひとり十点限り。
へー。
じゃあ、米なんてもうないね。
ふと、見ると、向かいの米屋が、道端で米売ってるじゃん。
ラッキー!
さっそく、米確保!
これで、とりあえずは用事終了なんだけど、せっかく来たんだから、買い物して行くか・・・
よっぽど帰ろうかな、って思ったけど結局並んでしまった。
いよいよ入店が近づいてきて、何があるんだろ?って店内を覗いてたら、
前の男に「おばちゃん、オレが先だよ」って。
知ってるよ!
しかも、追いこそうなんて思ってないし!
あんたに、おばちゃん、って呼ばれる覚えないし!
ほんとに、こう物が不足すると、人の心もすさむんだね。
だいたい、この男、ズルイんだよ。
私を挟んで、後ろに奥さんらしき女が並んでいるのだが、一家族十点限りなので、
わざとバラケて並んでるってわけ。男のクセに小さい奴だよ・・・
ま、そんな嫌な思いもしながら、私は納豆とか、牛乳とか、先々不足する物を
予見したわけでもないのに、偶然手に入れてきたってわけです。

後々知ったことだが、水戸も被害にあって、納豆の生産ができないのだとか。
津波は東北3県ではなかったのだ。
岩手、宮城の被害ばかりクローズアップされているが、青森、岩手、宮城、福島、茨城・・・
5県じゃん。
いや、千葉県でも液状化現象がひどかったようで、6県てことになるのか。
牛乳も不足し、4月になった現在でもヨーグルトはない。
牛乳はあるんだろうけど、運送されないとか、加工工場が被害に会ったとか、なんでしょうね。
震災後、4月12日現在まで自転車で2度ほど(2度だけ)買い物に行ったが、品物を見てると、
震災の影響なしに揃ってたのは、卵(近くに養鶏場がある)とキノコ類だった。
パン類も比較的対応が早くて、ヤマザキパンとシライシパンの対応の素早さに感服した。

3月15日(火)
今日も電気が来ない。
本を読んで過ごす。単行本4冊クリア。電気のない生活も悪くない・・・
「電気がないと一番困るわね」という周囲に相づちうって見せてるけど、
ほんとは特に不便とも感じてない。
「静かで、むしろ理想的だ」と、思っているのは私だけでしょうか??
与謝野大臣は電気料金値上げだ、と脅しめいたことで使用電力を抑えようという狙いだろうけど、
そんな脅迫じみたことせずに、使用量を抑えたいなら停電したらいいさ。
私は、計画停電歓迎派である。

3月16日(水)
夜中に電気が点いた。
安堵、というより、「あーあ、ついに来ちゃった」って感じだった・・・
真っ先に、パソコンを立ち上げてみる。
保存してたかどうか。
それより、まずデータが壊れてないかどうか・・・
大丈夫だ。
途中だった仕事も、電気が落ちる直前で保存がされてた。
まずは一安心。
残りの仕事を片付けて、メールで送信を済ませた。
電話がまだ繋がらないので、仕事先の様子は分からない。
電気が点いて、電気毛布になれるようになったが、電気がないときは湯たんぽがいいと。
しかしながら、我が家には湯たんぽがなかった。
テレビの人が言ってたのだが、ペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わりにするのだそうだ。
そうか!
てか、それを知ってたら、そうしたのに。
寒い思いしなくて済んだのに・・・遅かった・・・

3月17日(木)
再び、公衆電話に行ってみることにする。
近くの公共施設に行ってみたが、公衆電話はないとのこと。
でも、施設の好意で使わせてもらうことができた。
仙台市も同じような被害状況で、出社してる人も少ないようだ。
まだ、仕事どころじゃなさそうだ。
そうこうしてるうちに電話が繋がった。
帰ってきて、今度はメールに返信。安否確認のメールを送ったり・・・
これで、全部使えるようになったのだが、ガソリン不足で列をなしてたり、食料が不足してたり・・・
そんなまわりの状況もみえてきた。
私が数日前に見た車の列は、ガソリンを入れる車の列だったのだ。
タンカーが入ってきたようなので、もうしばらくの辛抱かと思うが、極力車に乗らないようにしようっと。

3月18日(金)
極力車に乗らないようにしよう、と思ったが、母の薬をもらいに病院へ。
それに、お彼岸なので、生花とだんご粉くらい買ってこなければ。
それにしても、どこのスーパーも長蛇の列。
いやあ、並ぶ気にはなれないね。
個人商店を回ってみるが、考えることは皆一緒で、お彼岸の準備で、どこもかしこも混雑している。
運良く、花もゲットできたし、だんご粉も買えた。
オハギの用意は前々からしてあるし・・・
お供え用の生菓子も購入した。
もちろん品物も極端に少ないから、お客さんたちは、半ばパニックに陥っているのが見て取れる。
私のようなボンヤリ者は、あぶれてもおかしくないのに、それでも手に入るのだから
そんな血眼になって急がなくてもいいのに(割り込んできたりする)・・・なんて傍目に思った。

3月19日(土)
近所の人たちの話し。
夜中の12時に並んで、車内でカイロで暖をとり、ガソリン入れられたのが翌朝の11時。
しかも10リットル限定。
ふ〜。
そこまでして入れなきゃなんないの?
どっか行くわけでもないのに?
だって、会社も休みなのに?
ふしぎー。
わからん。
私も、食料買うのに2回くらい並んだけど、一度目は必要もないのに並んじゃったし、
二度目はお彼岸だから並んだけど、そこまですることもなかったかな、って。
それからは、出歩かないようになりました。
必要があったら、天気のいい日に自転車で行こうかな、と。
いま、一番の悩みは、太極拳ができなくなったことです。
町の公民館は耐震性の安全確認と称して、貸し出しをやめています。
どこが破損したわけでもないのにですよ?
お役所仕事というのは、相変わらず融通が利かないですね。
しかも、夜間は電力を使うので、ここは東京電力じゃないんだけど、控えてるようですし。
私は河原で自主トレすれば済みますが、教室が再開できません。
ま、気を揉んでも仕方ないので、しばらく休みです。
私としては、このまま解散にならないことを祈るだけです。

3月20日(日)
我が家では、お彼岸の中日にはだんごを作り、彼岸明けにはぼた餅を作る。
このような大災害の最中もお彼岸はお彼岸。
津波の被害に会われた方には、申し訳ない気持ちだけど、できるだけいつもどおりにしようと思う。
震災後の影響は、関東にまで及んでいる。
福島原発の事故の影響か?
いや、そればかりではなさそうだ。
買占めする人がでてきているようでもある。
何のために?
私の町でも、数時間並んで食料を調達せねばならない状況は続いている。
大家族だったりしたら、そりゃ、長時間並んででも調達せねばならないだろうし。
一家の主婦は大変である。
でも、それだけだろうか?
私には、まだ判然としない思いが残る・・・

私はガソリンも使わないようにし、灯油も節約しながらまだ購入に至っていない。
3月が過ぎようとしても、まだ開かないガソリンスタンドも多い。
私は自転車で必要な時に出かけるだけだ・・・と、いっても、必要な物は手に入らないままだが・・・
そこにあるものを買って間に合わせている。
それで不足とも思わない・・・
そう、私はやっぱり超アナログ人間なのかもしれない。



4月14日(木)


3月の震災直後には、読者の皆様からお見舞いメールを頂戴しまして、
本当にありがとうございました。
嬉しかったです。
とっても嬉しかったです。
謹んでお礼申し上げます。
先日(4月12日)の日記にあるとおり、不便を不便とも感じない鈍感力で、
なんとか、それなりに過ごしております。
といっても、ここのところは、ほとんど日常に戻りつつありまして。
ただ、物が出回るようになったのはよしとして、ガソリン、灯油の高騰には閉口しています。
春の強風のなか自転車で走れば、クシャミ、鼻水、止まらない・・・
そんな日々を送ってるtuziです。



「余震」

連日、‘ガンバレ日本’と、頻繁にCMが流れている。
日本の力を信じている。
団結力。
なんだか全然実感が湧かない。
(てか、黒ぶちのメガネかけた人、誰なの?)
だったら、最近流れ始めた‘絆’のCMの方がずいぶんマシだ。
さかな君のメッセージの方が、より身近に感じるのですが・・・
家を津波で流され、住む所を無くし、家族を無くした多くの人たちに、
「ガンバレ」とだけ言っても、それどこじゃないんじゃないの?
意味のない言葉にしか聞こえない・・・
そりゃ、いつまでも途方に暮れていちゃ始まらないし、いつまでも避難所にいられない。
集団避難したって、そこにだって限界がある。
仮設住宅に入ったってそうだ。2年ほどで動かねばならない。
途方に暮れてる間も、どんどん時間は過ぎていく・・・
現実に立ち戻れば、借金だけが残った、なんていう人も少なくない。
融資があります、と言っても結局は返済しなければならない借金だ。
そりゃ、保険に入ってた人も多いだろうさ。
だとしても、津波がなければ、しなくてもよかった借金だ。そうじゃないの?
全国からの義援金も莫大な金額になっている。
現時点でも数千億円と膨大な金額だが、被災者で分担すると、一戸当たり、
数十万円にしかならないらしい。
被災された人たちは、今何が欲しいんだろう?
何を求めているんだろう?
それは‘ガンバレ日本’の言葉じゃない気がするんですけど・・・



4月7日(木)
夜中の11時30分頃、大きな余震が発生した。
タンスの下敷きになっては、と私も飛び起き、本棚を押さえた。
3月11日の本震ほどの被害はなかったが、同じくらい大きな余震で、すぐに停電した。
懐中電灯を持って、1階に下りていく。
ラジオによれば、本震から近くを震源とする余震のようだ。
とりあえず、両親の安否確認だけして寝た・・・

4月8日(金)
停電は続いていた。
父が豆炭コタツに取り替えた。
今回の停電がいつまで続くか分からないが、停電したので豆炭コタツにしていたのだ。
圧力鍋でご飯を炊いて、朝食をとった。
母はいつもどおり、達磨大師スタイルで、毛布を頭からかぶり、ひざ掛けを顎までスッポリ。
これで寒くない。
私は、また割れたガラス器などを片付けて、散乱した2階も片付けて・・・
茶の間に戻り、今度はバラバラになった埴輪や、酔拳の置き物の修復にかかった。

母は、達磨大師スタイルでやたらとアクビをしている。
昨晩の地震で眠れなかったのだろう。
それに電気毛布も使えず、朝方は寒かったのだと思う。
私は、今晩も電気が使えないことを見越して、湯タンポのケース作りを始めた。
3人分作り終わって、ふっ、と母を見ると、なんだか様子がおかしい。
慌てて、呼んだが反応がない。
意識が完全になくなっている。
母は5年ほど前に脳内出血を起こしている。
今回もそうなのではないだろうか?
かかりつけの医者に電話した。
幸い、電話が通じていたので、往診に来てもらうよう頼んだ。

母を観た医者は血圧が下がってるという。
隣の市にある大きな病院に電話するよう言われたが、その病院に電話は通じなかった。
それで119番するように言われ、市立病院にアポなし搬送されることに。
父は豆炭の中毒ではないか、と疑っていたようで、
そのことを医者に伝え、救急車の車内で酸素吸入しながら搬送された。
幸い、搬送先の救急に受け入れられ、検査処置が始まった。
廊下で待ってるほどなく、父も到着。いとこの運転で駆けつけた。
検査の結果、一酸化炭素中毒
父の診立てビンゴ!
達磨大師スタイルで中毒を起こした・・・
救急の処置室で、母は意識を取り戻していた。
もう少し発見が遅れていたら、呼吸が止まっていただろう、危険な状態だった。
でも、すぐに酸素を吸入して搬送されたりしていたので、処置もよかったのかも。
いやあ、地震のとんだ災難である。
停電にさえならなければ、豆炭コタツもしなかったし、中毒も起こさなかっただろうに・・・
いや、豆炭コタツなのに、達磨大師スタイルにしてしまった、私の落ち度でもある。

母は2,3日入院して様子を観ることになった。
病室の母は、疲れがみえるものの、意識も戻っていたので安心した。
私たちは一旦家に帰って、入院の仕度をしてまた来ることにした。
お世話になった、いとこと父と私とで遅い昼食をとって、お茶して一息ついた。
夕方、父とふたりで再び病院へ。
酸素吸入している母の顔を見て、ゆっくり休むように言って帰宅。

帰宅しても停電してるので、どっかで食料を調達したい。
といっても、帰り道も真っ暗。この市も昨晩の余震で停電中だ。
お?
‘すき家’に明かりが!
徐々に停電が解消されているようだ。
牛丼を食べたことのない私でも、もうここで調達せねば、と思った。
牛丼弁当並テイクアウトだけの販売だった。
「んじゃ、ふたつ下さい」
「560円です」
安っ!
父はその安さに大喜びで、「明日の朝に食べる分、もう、ふたつ買ってくるか」と店内へ。
牛丼4個・・・

夕飯は、ロウソクの下で牛丼。
そうこうするうち、電気が点いた!
喜ぶ父。
食べなれない牛丼を食べたその晩、私は胸焼けして眠れなかった・・・

4月9日(土)
救急病棟は面会が厳しく、時間にならないと入れない。
昼は12時から1時まで。
病院まで片道30分くらい走るので、途中でガソリンを入れていこうと思う。
昨晩は、長蛇の列で入れられなかったが、今日なら電気も来てるのでセルフも営業してると思う。

母は昼食を食べてるところで、今朝から食事が出ているとのこと。
食べられるようになってよかった・・・
医者にも食事を食べたら退院していいからね、と言われたらしく、ご機嫌だ。
また、明日来るからね。
と、父と帰宅。
昼ごはんは、帰りがけ寄ったコンビニのおにぎり。
すると、病院から、明日母の退院が許可された、と電話が。
今度は、退院の準備をし、夕飯は昨日の牛丼。
父も昨晩、牛丼で胃もたれしたと言うので、一人分を父と分けて食べた。

4月10日(日)
朝食もふたりで牛丼。これで4個、ようやく完食・・・
天気もよくて、暖かい日の退院でよかった。
少し遠回りして、ババロアケーキを買って帰る。
栄堂のケーキは美味いね・・・
ケーキもそうだけど、みんなで揃って食べる食事が一番。
だって、母がいないと牛丼か、コンビニおにぎりで済ましてしまう・・・

停電による思わぬ落とし穴。
地震の時は「どーしよーもないじゃん。相手が自然現象なんだから」と、
ぼんやりアナログモードでいた私も、今回ばかりはデジタル化した私でした。




5月2日(月)

「ペルーサ」

未曾有の大災害、そしてお花見や行楽も自粛ムード漂う今年のGW。
わが町の春のお祭りも、震災直後早々中止と決定した。
節電やエコの強化は当然として、娯楽が失われるのはいかがなものか・・・
江戸の八大将軍吉宗は、復興祈願として花見や花火を江戸庶民のために催した。
そうでなくちゃ。
こんな時だからこそ、世の中明るくしようではないか、と思ったりもする。
今回の地震では津波で多くの方がお亡くなりになっている。
日本全体が喪に服した形となり、黙祷を捧げたり、喜び事を自粛したり・・・
でも、それは被災された方々の為だろうか?
私は、あえて意識してでも普段どおりに過ごすのがよかろうと思っているのですが・・・



そんな前置きをしてから、春の天皇賞の話しなんですけど。
「今度こそペルーサ勝ってくれよー。」
スタートで失敗しても、3,200mと距離も長いので今度こそは期待している。
馬も落ち着いているし、今度こそ!
一番人気はトゥザグローリー、・・・て言われても、私はとにかくペルーサを応援します。

スタート!
おっ、スタート成功。苦手だったスタートも上手になったね〜。
2番手かぁ、う〜ん、長丁場なんだからさー、少し抑えててもいかもよ・・・
うんうん、いいかもよ。いいとこついてるね・・・内側周回かぁー
だいぶスローペースでモタモタしてるんですけど・・・マイペースで行けよー。
おおっ、仕掛けてきたね。
そろそろ前に出てきてもいいかもよ!
ゴタゴタすると、出るに出られなくなるからね。
第4コーナー曲がって、ここから・・・
あれー、出て来れないじゃんよー。
ていうか、抜かれてるし。なんだよ、いつもの伸びがないねー。
こりゃあ、ダメだ・・・
3着にも入らなかったよ。
・・・結果6着かぁ
いやあ、ペースが悪かったね。
というか、馬がマイペースが保てて、騎手が流れを的確に読めてないと勝てない展開だったね。
これはー、難しかった。

レース結果は・・・
1着が、ヒルノダムール
エイシンフラッシュが2着のナムラクレセントが3着。
・・・って、これは当てられないよっ!
だって、一番人気が13着よ!18頭中13着よ!・・・どーなってんの!
二番人気が8着だからね。
これだから競馬は面白いね。馬券買えないけどさ。。。
馬単ヒルノダムールで1,690円。お〜、結構ついたじゃん!
3連複が25,530円で、3連単になると・・・189,840円!
えー、スゲー。
100円で189,840円てことは、1,000円で1,898,400円・・・おお〜っ。
・・・てかさー、ヒルノダムールからのエイシンフラッシュ、ナムラクレセントは当てらんないでしょー。
そう組み合わせたとしても、1,000円も買わないでしょ、ふつう。
エイシンフラッシュて・・・
いや、私もさヒルノダムールの1着はあると思いましたよ。
思ったけどー、エイシンフラッシュはないでしょーよ。そしてナムラクレセント、て・・・



・・・いやいや、この天皇賞は予想外だったね。
予想外と言えば、福島原発。
避難区域に取り残された家畜はどうしてくれる?
(5月3日新聞によれば、南相馬では馬だけが国特例によって避難対象となった。馬だけ特別かいっ!?)
人は話せるから、怒りを露わにできるけど、物言わぬ生き物たちはどうしてくれる?
どうしてくれる、では済まされない。既に死んでるだろうと言うではないか。
そんな、人間の犠牲になって死んでいく動物たちのことを思うと、腹立たしくて仕方ない。
どうせ、立ち入り禁止区域なのだから、動物たちを野生に放せないものなのだろうか?
こんな考えは一蹴されてお終いでしょうか。
畜舎で死を待つより、牧草なりを糧に、これからの季節自力で生きていけそうものなのに。
それさえも許されないのだろうか?
こんな考えは非常識だ、で片付けられてお終いなんでしょうね。
いつ帰れるとも保証のない避難生活。
残してきた家を、放たれた動物たちが襲うとでも?
動物たちより、空き巣を狙う窃盗団の方がよっぽど警戒しなければならないのではないの?
「自然にとって、人間はロクなことをしない」
「自然を脅かすのは人間だけ」
「自然の敵は人間、人間の敵も人間」
これは、私の持論です。
だからこそ、人間は自然を敬い、畏れなければならないはず。
今回の津波でだって、人間が造ったこれまでの堤防を超えたからといって、
それ以上のものを築こうなどと、自然に対抗する気でいる者どもが可笑しくて仕方ない。
自然に立ち向かっていこうとするなんていうのは、愚か者のすることじゃないんですか?
その点、先人たちはそうじゃなかった。
津波の被害にあった地区の中で、先人が体験した大津波から「ここから下に家を建てるな」の
石碑が残されてる地区では、その教えを守り、被害を免れています。
そういうことですよ。
自然は常に人間の想像を超越したところに存在している。
「人間は、自然から学ぶことしかできない」
「人知など自然からみたら、ちっぽけなもの」
「人間の英知など自然界からみたらたかが知れてる」
そうじゃないですか?
このような災害をもたらしたのも自然だが、それ以上に自然は私たち人間に
多くの恩恵を授けてもくれる。
動植物も然り、自然は美しい。
避難地区に置き去りにされている、憐れな物言わぬ動物たち・・・
このしっぺ返しは、いずれ私たち人間に還って来ることになるに違いない。



5月6日(金)

「天変地異」

先日、父の幼なじみでもある同級生が亡くなった。
何年も前から体が弱っていて、つい最近も肺炎を起こして入院したばかりだった。
父が病院にお見舞いに行った時も、意識があるような、ないような状態だったらしい。
このまま逝ってしまうんじゃないか、と頭をよぎったらしいが、
後日、「無事退院しました」との快気ハガキが届いた。
そのハガキをみながら、「良くなったんだね、よかったね」と安堵した矢先のことだった。
というか、ハガキが届いたその日に訃報の知らせを受けたのだ。

亡くなった父の同級生は、近所だし、よく我が家にも遊びに来ていたので、
私も小さな頃からよーく知ってるし、その娘さん(3人兄弟の末っ子)と私は同級生でもある。
父娘そろって同級生なのだ。
私と同級生のK子ちゃんは、嫁いで子供もいるが、ずっと看護士の仕事を続けている。
今度も入院先はその娘さんの勤める病院だったし、退院して自宅に戻ってからも
K子ちゃんは休みをとって点滴などの世話をしていたと聞いている。
さぞ心強かったことと思う。
亡くなられたのは残念なことだが、自宅で亡くなれたのは幸せだったと思う。
私は病院でなんか死にたくない・・・

それから、我が家のすぐ隣りにも同級生が住んでいる。
男子の同級生Y君のお父さんも、私の父と同級生で、これまた父子そろって同級生。
しかも、先日亡くなった人の妹さんが嫁いでいるから、
私の同級生ふたりはいとこ同士、というわけ。

で、すぐ隣の同級生Y君のお父さんが亡くなった数年前は、
父だけがお通夜から葬儀まで参列し、私はまったく顔をださなかった。
隣に住んでいても、全然話さないし、会わないし・・・付き合いもない。
でも、ホントなら私はお手伝いに行かねばならなかったのかもしれない。
父が同級生で行ってたので、一家でふたりもいいだろうと、不精して行かなかったのだ。
普段付き合いもないのに、そんな時だけお手伝い・・・
故人と付き合いもなかったのに、お悔やみ・・・
そういうものだということを頭では分かってはいるのですが・・・
それに、こんな田舎では世間体というものもある。
すぐお隣りさんなのに、お手伝いに行かなかったのは今思えばマズかったな、と思っている。

今回も考えてみれば同級生のお父さんが亡くなった同じケースなんだけど、
今回亡くなったK子ちゃんのお父さんは、私もよく知ってる人だったし、
私もK子ちゃんとは、登下校一緒だったりしたし・・・
お線香をあげに行こう、と珍しく出かけた。
ほんとに、人の集まってるところが苦手なんである。
以前も、親戚の葬儀の手伝いに行った時のことを書いたと思いますが、まったくダメなんです。
別に失敗するとかそういうことではないのですが、いやむしろ、とても作法や行儀は良いのですが、
なんというかー、とにかく人の中に出るのが苦手・・・
故人のためとも思えない・・・だから億劫・・・不精してしまう。

とにかく、隣の家の葬儀の手伝いにも行かないくらい不器用な私。
こんな私は、世間から白い目で見られるかもしれません。
私の住む田舎では致命的なくらいの要領の悪さです。
そんな私が、お線香をあげに行ったもんだから、喪主のお兄ちゃんもビックリ。
てか、私も小さな頃に見たきりで、あまりに老けてて誰だか分かんなかったんですけど。
顔と名前が一致したら、その場にいたお手伝いのオバサマ方に「tuziちゃんが来た」って、
世間の噂になるくらいありがたがられてしまった。
どこにも行かない私が現われたということで、
お家の方々が「tuziちゃんがお線香あげに来てくれた」って、
スッゲーありがたがってるらしいんです。
父が「なんでオマエだけが、ありがたがられるんだ!?」と不審がっておりました。
理由は簡単。
珍しいからですよ。
ああ。
天変地異、ってか。
天気が変わらなければいいんですが・・・
案の定、、、
昨日までポカポカ陽気だったのに、今日は立夏だというのに暖房しなきゃいけないくらい寒かった。
これって、やっぱ私のせい・・・?



5月10日(火)

「ダース・ヴェーダーになる女」

私は以前、「tuziさんは、ダース・ヴェーダーになるタイプだよね」と、言われたことがある。
このことが頭からはなれず、「(どういう意味だろうか?)」と、ずっと考え続けていた。
先日、スター・ウォーズシリーズのダース・ヴェーダー誕生の編が放送された。
それを観れば、言われたことの意味が分かるかもしれない。
そう思って観た。

ふむ・・・
フォースの暗黒面に転んだんじゃないか!
フォースの指導をしてくれた師匠を裏切ったんじゃないか!
私が、そういうタイプ?
アナーキンが転んだ理由、師匠を裏切ったのには理由がある。
それは、予言の子と言われながらも邪険にされたと感じたこととか、
実力がありながら、マスターになれないもどかしさとか・・・
・・・まあ、せっかちなんだね。
最大の理由は、愛する妻を死なせたくなかったこと。
死んでも蘇えらせる力を得たい、ということ。
だけど、結局、暗黒面に転んで、師匠を裏切っても、妻を助けることはできなかった。
転び損じゃん!
私が、そういうタイプ?
大事な人を助けるためなら手段も選ばない、そういう女に見えた?
最強の力を持ちたいと願う、そういう女に見えた?
正当に評価されないと、すぐ転んでしまう、そういう女に見えた?
そして、転び損する、そういう女に見えた?
ふぅ〜ん・・・
転んでしまう隙がある女、ってことですよね?
へぇ〜・・・
残念なことに私には誰も、転べるような‘おいしい話し’を囁く人はいない。
けど、たしかに私は、権力だって欲しいし、強欲だし、最強の力を持ちたいとも思う。
いまだに野心や野望も捨てきれずにいる。
だから、たしかに私はダース・ヴェーダーになる女かもしれない。

でも、ダース・ヴェーダーはそれだけの人間ではない。
アナーキンは心に隙があって、‘おいしい話し’にのっかって転んでしまったけど、
結局、妻を助けることもできず、自分の子供たちとも離れ離れになり、
その子はやがて敵として向ってくる・・・弱くて、憐れで、哀しい人間でもある。
自分が招いた運命とはいえ、アナーキンはそんなことを望んだのではない。
ただ妻を助けたかっただけだ。
一緒に平和に暮らしたかっただけだ。
しかし、助けるための転びの選択は、結果おのれが妻を死なせることになってしまった。
その強い怒りと、悔いを背負った、深い悲しみの底にいる。
よき心が持ち上がってきても、かつての師匠に殺され見捨てられた彼は、
もう元の世界には戻れない。暗黒の世界で生きていくしかないのだ。
かつての仲間にも、他の誰にも、どの世界にも受け入れられない・・・孤独で可哀想な存在だ。
私には映画はそのようにも映った。
・・・だとすれば、私はダース・ヴェーダーになった女かもしれない。



5月25日(水)

「‘知らない’ということ」

昨年、書道で師範になった。
とはいえ、独学で毎月の課題を書いていくには不安も大きい。
いつも「果たして、これで良いのか?」の繰り返しである。
年初めに来年度の課題、一年分の講習会が開催された。
参加資格は、有資格者または教室を主宰されてる先生方。
私も、この機会にシッカリ勉強しようと出かけた。
会場に行く途中で、知り合いの先輩にバッタリ。
独りで勝手も分からず参加を申し込んだので心強かった。
先輩の彼女は、書道歴も長いし、各展覧会で数々の賞を受賞している実力者である。
現在は遠方にお住まいの会長先生に習っている。
わざわざ遠くまで行って習う、という姿勢だけでも頭が下がる思いだ。

この日、私は先輩の社中(会長先生の生徒さん)のなかにお邪魔して勉強することになった。
講師は、会長、副会長のの先生方。
まず私たちは、お手本を書いてくださるのを、参加者全員で、講師の先生を囲んで見学。
先生が書き終えた手本を後ろへ運んで乾かさねばならない。
その係が、会長先生の社中の若い人だった。
その若手が私のすぐ後ろの席に座っていた男性だった。
年配者が圧倒的で、しかも女性が大半を占める中で、30代だろうか?
いや若く見えて実は40代なのか?・・・私より上だろうか?いやいや案外私のほうが上かも?・・・
とにかく、彼は際立って若く見えた。だから、お手伝い役にさせられるのも分かる、というもの。
それに、会長先生の社中ということでもあるし。

お手本の見学が済むと、私たちは席に戻って、課題の練習を始める。
書いて持って行けば、講師の先生が添削してくれる。
そして、また次の課題を見学して、席に戻って、練習して・・・これを12課題繰り返す。
私は、この時ばかりと書いては持って行き、添削を受けて見てもらっていた。
ほかの参加者の人たちは、先生に習ってるから、若しくはご自身が先生だから、
その必要がないといえばないのだが、習いに行ってる先生以外の先生にみてもらう機会は
そうそうあるものではない。果敢に講師の先生に見てもらう人も。
ところで、私の所属する書道の団体は、師範の上がまだまだ続く。
五段→準師範→師範→本部師範→準同人→同人。
師範はまだまだヒヨっ子。これからが正念場である。
準同人からは、各展覧会に出品し、入賞以上が求められるようだ。最高位が同人である。

私が、添削を受けるのに並んでいると、若手の彼がまだお手伝いで働いている。
せっかくの勉強会なのに、席に戻れず、ろくに書けずにいた彼を、私は気の毒に思っていた。
時には「せっかくなんだから、みてもらったらいいのに・・・」なんて声をかけたりもした。
しかし、練習を始めた彼を振り返って見ると、手馴れた感じで案外うまかった。
私が添削で直された箇所を書けずに唸ってると、「こうするんですよ・・・」なーんて
書いて見せてくれたりもした。
「(なんだ?上から目線かよ?)」と思ったりもしたが、
ここに集まってる人たちは、みんな先生になれる人たちばかりだから
「(この彼も若いけど一応、準師範以上だもんね)」って思って黙って聞き流してやった。

そうこうするうちに若手は、私の隣の先輩に「今年の景品なににします?」と相談を始めた。
どうやら社中の新年会のビンゴゲームの景品の相談らしい。
若手は社中でもビンゴゲームの買出しやら、新年会の段取りやらを担当しているらしい。

たった一日で、一年分の課題をこなして、ヘロヘロになった私。
こんな詰め込んでも、なにひとつ身につかなかったような気がするんですけど!
覚えきれないって!
・・・先輩と行き帰り一緒だった、帰りのバスの中。
新年会の話しになり・・・
「あなたの後ろに座ってた人いるでしょ?」
「ああ、あの若い彼ですね?書き方まで教えて貰っちゃいましたよー、かなり上から目線で!
「だって彼、同人だもの」
「ええーっ!(驚)」
な、な、なんで、それを早く言わないっ!
ヘロヘロ頭でボーッと油断していたところへ、本日一番の衝撃的一言!
しかもサラッと・・・
「若いけど同人なのよ。だからかなりの書歴だし、受賞歴もかなりあるのよ」
「・・・あたし・・・、かなり失礼なこと言ったかも・・・」
「・・・(思い出し中)・・・上手ですね、とか・・・」
「・・・ああっ!・・・せっかくなんだから見てもらったら?とか言っちゃった・・・」
知らないとはいえ・・・最高位、同人に向って「上手ですね」って・・・
最高位、同人に向って「見てもらったら?」って・・・なんと恐ろしい・・・
なんか、他にもいろいろ言ったような・・・気がする・・・
同人、って知ってたら言えないこと、いっぱい言っちゃった気がする・・・
ずっと、タメぐちだったしー・・・
あちゃ〜
‘知らない’って、‘怖いもの知らず’になれる、ってことなんですね♪
でも・・・
思い出すと、なんだか笑えてきちゃうんです。。。




6月1日(水)

「サツラク」

私の朝食は、マーガリンを塗ったパンとコーヒーです。
たまに、卵が付く時もあります。
大抵は食パン一枚に、コーヒーメーカーで淹れたコーヒーに、コーヒー用シュガーと
牛乳をたっぷり入れて、これを大きなカップで2杯。
卵が付く時は、目玉焼きか、砂糖を少し入れてスクランブルエッグに。
食パンを買いすぎた時は、卵と牛乳でフレンチトーストにする時もあります。
逆にきらした時は、ホットケーキを焼きます。
春はレタスを挟んだり、夏はトマトを挟んだりもします。
それにハムが付いたりなんかしようものなら、私的にはそれはもうゴージャスな朝食です。

パンにこだわりはありません。
スーパーで一番安い食パンを買ってきます。
メーカーもこだわりません。
6枚切りを買いますが、なければ8枚切りでもかまいませんし、
安売りしてれば菓子パンになることもあります。
コーヒー豆もこだわりはありません。
挽いてある‘お徳用’を、安い時に500g袋3つほど買いだめしてきます。
インターネット販売や、通信販売で手に入れる時もあります。
コーヒー用シュガーは飴色の粒の大きい物を1kg袋で買っておきます。
白砂糖は使いませんね。
なぜなら、スプーン一杯で2杯飲めるからです。
粒が大きいと、1杯目では溶けきれずに残るので、それで2杯目が飲めちゃう。
甘さもちょうど良いのです。
卵にも、もちろんこだわりはありません。
チラシの特売では、いつも2Lサイズの大きい卵を欲張って買ってしまいますが、
赤殻じゃなきゃ、とか小さいサイズは買わないとか、そういうことではありません。
牛乳もこだわりはありません。
でも、加工乳は飲みません。
無調整に限ります。
脂肪分も別に見ません。
とにかく無調整なら、どれでもかまいません。
ですから、これまでいろんなメーカーの牛乳を飲んできました。
といっても、高級ブランド(某Mミルク、Mナガなど・・・)はほとんどなくて、
特売品になるマイナーな、地元の牛乳ですが。
まあ、数種類飲んでみて、違いはほとんど感じられません・・・でした。

新たに見かけるようになったメーカーがあります。
何軒かある、スーパーの中でも、そのメーカーは限られた一軒にしかおいてない、その名は・・・
サツラク
カタカナでサツラク。
「サツラク・・・?」
「どういう意味?」
でも、他の牛乳とはどことなく違う。
美味しいのだ。
変てこな名前のサツラク牛乳が、味オンチの私の中で‘美味しい♪’という評価が得られた。
しばらく、サツラクの意味が分からないままでしたが、パッケージの裏を何気に眺めていたら、
サツ=札
ラク=酪
そう、札幌酪農の略だったことが判明!
「北海道から来たのかー」
てか、よくよく見たら、上蓋に‘北海道’ってデカデカと書いてあるではないか!
「ふ〜ん・・・さすが北海道!」
食パンを口に入れながら、北海道の恵みに感心しきりの私だった。
震災で、品物がほとんど入らなかった頃も、サツラク牛乳は早くから入荷されていた。
はるばる北海道から来てたんだね・・・
サツラクの製品は、牛乳だけじゃなかった。
あまり気にもしてなかったんだけど、「このコーヒー牛乳美味しいな・・・」と思って、
みたら、サツラクだったとかね。
・・・ただね、牛乳以外はほとんど入荷がないか、忘れた頃にしかなのよね。
たぶん、ヨーグルトとか、プリンなどもあるんだろうけど、ここじゃ見たこともありません・・・
いつか、いろんなサツラク製品を食べてみたいものです。
北海道では有名なのかな?
とにかく、サツラク製品が気に入ってます。
だから、特売じゃなくても、牛乳だけはサツラクをお買い上げー、の日々なのです♪