2010年1月-6月
1月1日(金)
「庚寅」
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます
夢はイチロー選手に会うことです。ゆめは大きく by tuzi
1月25日(金)
「おせち」
我が家では、重箱に詰める‘おせち’はしていない。
大晦日の晩から、正月3日までは‘お膳’を神棚に供えてからいただいている。
お膳に使う料理が我が家の‘おせち’というぐあいです。
まず欠かせないのが、煮魚のなめた。
なめたは正月前の早い時期に買って煮付けてから冷凍しておく。
そうしないと、大晦日近くまでに倍額→その倍額・・・と値段が跳ね上がってしまうのだ。
魚は日替わりで、かじきや目抜けなど赤くおめでたい魚を使います。
お皿には、喜ぶでこぶ煮、赤くおめでたいニンジンの甘煮、見通し良いようにれんこん煮、
なぜかしいたけの甘煮、頭が良くなるように伊達巻、関係ないけど私の好物オードブル。
酢の物は日替わりで、ナマコ酢だったり、柿なますだったり。
‘なます’というのは、‘ひきな’に干し柿を刻んで三杯酢にしたものです。
干し柿の甘さがシャキシャキ大根のひきなによく合います。
‘ひきな’というのは、大根とニンジンを細〜く切って、湯でで、搾って、それに凍み豆腐、からどり、
油揚げを入れて煮付けたもの。主に雑煮に使います。
我が家の雑煮は、この‘ひきな’に、せりとイクラを入れたものです。
左:凍み豆腐。高野豆腐とは違う物です。一角5cm、厚さ5mmくらいが5枚連なって一連、と数えます。
4連一袋だったり6連一袋だったり・・・量が表示されてます。
水分が完全に飛んでて、お湯で戻して使いますが高野豆腐より、やや固めです。
右:からどり。里芋の茎を干したものです。お湯で戻してから細かく刻んで使います。何十本も束ねてある写真です。
甘物は黒豆、または百合根を使う。
黒豆も私が煮たものですし、アズキも煮てあんこを手作り。
あとは刺身とお椀物。お椀物はキク(たら)を使って、春雨と凍み豆腐、豆腐。
そのダシは煮干で一升瓶にとっておいて、雑煮にもこのダシを使います。
とまあ、お膳に並んだというだけで、ほとんどが手作りの特別な料理もないお膳です。
赤いお吸い碗の上が柿なます。
お正月の魚といえば‘なめた’、その下がなまこ酢で、その隣がゆり根の甘煮。
お皿には喜こんぶ、見通しれんこん・・・など縁起物を盛ります。
だけど、一人で作るとなると、これは重労働でして、
‘おつゆ餅’(雑煮)に欠かせない‘なます’も大量に必要だし、タラコを入れた‘ゴボウ炒り’も欲しい。
餅もつかねばならないし、‘あずっこ餅’に入れる‘こしあん’つくりも前もってしておかねばならない。
切り餅するのも一仕事だ。料理だけじゃなく掃除もあるしね。年末は働きどおしでクタクタ・・・
いっぱい働いた分、正月はゆっくり、好物のポテトチップ食べながら酒でも飲んで・・・
と思っていたら、今年はドッカと雪が降って、おまけに吹雪いて・・・
それなら尚更、寝正月と思うところでしょうが、初売りの景品欲しさに、真っ白の世界を車を走らせた。
そりゃもう、遭難しそうな吹雪でっせ!
てか、家を出るまで雪かきに1時間以上もかかってるし!
そこまでして欲しいか?ちっちゃい景品が!
欲しいんです♪
毎年集めてるんだもん。
干支の置き物・・・
先着なのに、この猛吹雪、並ぶ人も僅かで余裕でゲット!
帰ってきてから年賀状書き。
あずっこ餅です。この餅を作るために毎年小豆からこしあんを作るのだ。
正月の餅は、白餅も、あずっこ餅も切り餅です。箱に入れて固めて2日後くらいに包丁で切ります。
ちなみに‘あずっこ餅’というのは、小豆が入った餅ということで、我が家の呼び名です。
正式名称はわかりません。。。てか、公式名称があるのか??
本日、白餅を食べきりました!
カビが生えるのが先か、食べきるのが先か・・・
毎年、食べきる前にカビが生えてしまい、少なめについたりしてるのですが、
それでも10日かかりました。
まだ、あずっこ餅が残っています。
こちらもカビが発見されたので、水に浸しておきました。明日には食べ切れるでしょう。
あずっこ餅というのは、白餅にアズキを練りこんだ餅のことで、これを食べると一年腹痛にならない、
と言い伝えられてる物です。母の実家付近限定で伝えられてるのかな?
あずっこ餅にはきな粉が合います。
これまでは、きな粉餅にして食べていたのですが、あんこもまだ残っているので、
あんこも食べきらねば!
うちは朝だけ餅なので、飽きることもないし、餅は好きなので、あるうちは食べていて、
お客さんにも餅焼いてだしたりしてたんですけどね。
餅がなくなって、もうそろそろ正月気分も終わりかな?なんて気分になる。
皆様にとりましても、今年一年が良い年になりますように。
本年も宜しくお願い致します。
1月30日(土)
「昌平橋」
「ブラタモリ」という番組をご存知でしょうか?
タモリさんが毎週東京のどこかを古地図に照らし合わせて、江戸期をしのんだり、
古代の足跡をたどったり・・・というような、歩きの番組。
為にもなるし、昔が忍ばれて楽しい番組です。
今週は「神田」でした。
私の中の神田といえば古本街。そしてカレーの町。タイ料理、インド料理店の多い町・・・
番組でタモリさんが歩いたのは、古本街から湯島聖堂、聖橋を渡ってニコライ聖堂でした。
私も東京に行った際には、神田には必ずといっていいほど立ち寄るのですが、
それはやはり‘すずらん通り’で、本を物色するためでして。
JRを使うと、最寄り駅は‘御茶ノ水’。そこからニコライ聖堂の横を下って、書道品見て
さらに下り、古本街へ出る・・・帰りは、明治大学横のキツイ坂を上る。
ニコライ聖堂の横は、インド料理店が多く、明治大学横にはギター屋が多い。
すずらん通りに出てた、今はなきバルチックカレーがなつかしい・・・
とにかく、帰りの坂は辛い!エスカレーター付けてくれ、って感じ。
湯島聖堂は神田明神に行った際、横を通っていたが、立ち寄ることもなく素通りしてたし、
ニコライ聖堂の横も通ってはいたが、一度も中に入ることはなかった。
タモリさんが湯島聖堂に行く時に渡ったのが、昌平橋だった。
昌平橋は私も知っている。
初めて神田明神に行った時、私は秋葉原方面から神田へ向ったのだが、間違って
万歳橋を渡ってしまい、戻って明神へ向う途中、万歳橋の次に架かっていたのが昌平橋だった。
「なんで、昌平橋って言うんだろ??」
そんなことを、ふと思ったことがある。
たぶん橋のたもとに名前の由来の看板があったと思うのだが、不思議に思うだけで通り過ぎていた。
今回、番組でその訳がハッキリしたのだ!
実は湯島聖堂は、江戸時代の‘昌平坂学問所’だったのだ!
「おおー!それで、昌平橋!それで坂!」(スッキリ!)
確かに、秋葉原方面から来ても、坂がやたら多かった。
この辺一帯は、昔から坂だらけだったんだね!しかもキツイよね・・・
おまけに聖橋の名前の由来もわかった。
湯島聖堂とニコライ聖堂を結ぶ橋ということだったのでした。
「なるほど〜」(なっとく)
しかも、昌平橋と聖橋の高低差に驚ろく。
この高低差が坂なんだね!
いやあ〜、勉強になるね〜。
ただひとつ残念なのは、「秋葉原」の回、見逃してしまったんだよね〜。
あの高貴なたたずまいの‘万歳橋’っていったいなんで、そんな名前なの?
あ〜、番組みたかったな〜。
前回の「浅草」でも、吉原が近くだったなんて知らなかったし。
ましてや池があったなんて・・・
でもさ、おもしろいことに、浅草寺の門前にだってさ、柳があるじゃん!
私は勝手に、隅田川が近いってことか、と思っていたけどさ。それだけじゃなかったかも。
水辺には柳。柳の下にはどじょう。(←これは余計だけど)
どこかしかにおもかげが残ってるもんだね〜・・・
「なんで浅草に柳?」の疑問にスポットがあたる「ブラタモリ」っておもしろい!
2月20日(土)
「万歳橋」
前回、「ブラタモリ」という番組のことを書いて、「秋葉原」の回見逃した〜!残念!
なんて、このtuzi nowで言ってたら、なんと、先日アンコール放送があった(嬉)
万歳橋の名前の由来こそなかったが、あそこに大きく立派な駅舎があったのだそうだ・・・
万歳橋の豪華さから考えても、当時の栄華が偲ばれるというもの。
私が初めて神田明神に行った時、神田川に架かる万歳橋を間違えて渡ったのだが、
「(なんだか秋葉原に似つかわしくない、堂々とした立派で豪華な橋だな?)」
と、不思議な思いで渡ったことを覚えている。
が、さらに運河があって、物資流通の拠点だったなんて・・・それにはさすがに驚いた。
昔は日本橋と並ぶ繁華街だったというんだから・・・今はオタクの町のなっちゃって一変しちゃった。
JRの乗り継ぎが、やたらと多いのも、前々から疑問だったけど、万歳駅と運河で納得したよ。
また、万歳橋の近くにある通博物館が万歳駅の跡で、その名残のホームが今も残っていた。
草ぼうぼうのホームを見下ろしながら、タモリさんが、
「後ろを振り返らない秋葉原で、残すなら残す。往生際が悪い・・・(苦笑)
中途半端に残ってますよ、どうせ残すんなら草くらい刈れっ(笑)」
と語ってたけど、
私はその草ぼうぼうの姿が、秋葉原の名残としてはふさわしいのではないかと思ったりしていた。
誰にも気にとめてもらえない秋葉原らしいところが、草ぼうぼうに現われていて
いかにも「後ろを振り返らない秋葉原」にふさわしいのではないか?などと思ったりしたのだ。
それに、今は電気街として有名で、ロシアや中国の観光バスが万歳橋付近に
ズラリと列をなしてたりするけど、もともとは米軍の払い下げの電気器具を須田町で
露店で売っていて、それをGHQの命令で秋葉原に強制移転させられたって言うんだから、
これまた驚き!てことは秋葉原電気街はGHQがつくったってことにならない?
町の成り立ちって、どんなことがきっかけになるかわからないものだね。。。
「秋葉原」という地名も、もとは大火事があった際、「秋葉様」という火鎮守の神様を祭った場所が
原っぱだった事から、「秋葉原」になったのだそうだが、もともとは「秋葉」が地名だったんでしょ?
秋の葉っぱ・・・ってなんだろ?
・・・ススキ?
一面ススキだらけの土地だったとか??
次回、タモリさんは「赤坂」を歩くそうですが、「赤い坂」だって、どうしてそんな地名になったんだ??
私ってさ、どうも‘名前の由来’が気になるのよね〜。
タモリさんの歩き古地図も楽しいけど、名前の由来にも触って欲しいな〜、なんて思うのよね。
「浅草」だってそうですよ、「浅い草」でしょ?
それってなによ?
もともとは、その短い草が一面に生えてた場所ってことなんじゃないの??
もしかして浅瀬の海だったとか??
浅草海苔、って有名じゃん。。。
名前はさ、やっぱその土地のルーツになりうるわけで。
いつ頃からそんな名前で、その土地を呼ぶようになったんだとか分かれば、
その土地の昔々が見えてくるわけで。その時代の風景にもつながるわけでしょ?
そういう入り方が私的にはおもしろかったりしてるんです。
私の住んでる住所だって、ちゃんと土地の名前の由来があるわけで、
父から話しを聞いてかなりおもしろかった。
父の話しによれば、私は池の上で生まれたのだそうな(笑)
どうやら私の興味は‘名前の由来’にあるみたい。
でも、もちろん「ブラタモリ」大好き、これからも放送楽しみにしてます。
ありがとうっ!アンコール放送♪
2月25日(木)
「勝手にメダル」
〜男子フィギィアスケート編〜
おそらく、日本中が注目した男子フィギィアスケート。
ショートプログラム、フリーを完璧にこなしたライサチェック(米)が金メダル。
斜めに着氷し、普通の選手なら転倒するところでも
絶対に転ばないプルシェンコ(露)が銀メダル。
世界一のステップ、いやそれだけじゃなく、魅惑的でセクシー、切れのある表現力で
高橋大輔(日本)が銅メダル。
う〜ん、素人目にはこの3人、大差ないようにみえる。
が、金メダリストになるには完璧でなければなれないということでもある。
本番は本番で練習とは違うわけだから、
そこでのジャンプの出来が順位を左右するのだろう。
とにかく今回、ライサチェックは、可もなく不可もなく完璧だったからね。
プルシェンコがいかに4回転成功しようとも、他のジャンプでミスがあったのでは・・・
というか、ジャンプだけで点数が決まってしまうのが、そもそもおかしな話だと思うけど。
ま、そんな諸事情は、ジャッジする側、批評家先生にお任せするべきことで。
私は私なりにメダルを授与することにします!(なんのこっちゃ?)
題して!
tuziがジャッジする、男子フィギィアスケート!
今回メダリストは3名。
まず、銅メダルは、高橋大輔(日本)
第一に評価したのは、4回転ジャンプに挑んだ心意気。
演技も変化に富み、観てて飽きない。ジャンプも美しい。
減点は、表彰台で涙ぐみ、写真撮影なのに一瞬口がへの字になっちゃったとこかな。
そして銀メダルは、ジョ二ー・ウィアー(米)
彼はショートプログラムから強烈だった。セクシーを通り越して、エロっぽい。
てか、気色悪い。でも、そこがなんだかクセになる!
普段の生活が知りたい、って感じ。
なにより、彼はショートもフリーも音楽のセンスがよかった。
フリーでは会場から、ジャッジにブーイングが起こったりもしたが、
彼は不満げな顔ひとつせず、会場をなだめたりすらした。
これも信仰心のあつさがもたらすものか・・・
点数が出るまでに待つキス&クライでは赤い花飾りの冠を載せていたのは加点だ!
金メダルは、ステファン・ランビエール(スイス)よ♪
今回は惜しくも4位に終わったが、私の中では金メダル。
彼はフランス貴公子か?はたまた英国貴族か?を思わせる風貌ながら、
ハイジのふるさとスイスからやってきた青年。
なんといってもカッコいいです。気品があります。絵になります。
何度観ても、うっとりしてしまいます。
たとえ、ジャンプが失敗しようと、そんなのは彼の演技に何ら差し支えありません。
女子スイス選手のショートプログラムを、ひとり応援に観客席に来ていた彼もステキです♪
ジャージ姿さえ、気品があります。絵になります。
でも、彼の魅力はそれだけじゃありません。
ヤワなイメージとは違って、一度は選手引退をしたくらいの怪我(内転筋断絶だったか?)を
克服して今回のオリンピックに臨んでいたのです。
彼の優しげな甘いマスクにらしからぬ、意志の強さみたいなものが感じられて
見る目も変わります。やはり、人は見かけによらないのだ、ってね。
ま、それを言ったら、高橋大輔の怪我もそうですし、
プルシェンコは選手引退から3年ものブランクがあったといいますからね。
皆が並々ならぬ覚悟で臨んでいる。
それだけ選手にとってオリンピックは特別な場なのだということがうかがえるのですが。
・・・で、どうなんでしょ?
ライサチェックの演技が好いですか?
また観たいですか?
じゃあ、エフゲ二ー・プルシェンコはどうですか?
傲慢がスケート靴履いて滑ってるような・・・しかし!確かに魅力はあります。
王者の風格です。
ガンを飛ばしてライサチェックを表彰台から引きずりおろすだけのオーラがあります。
フリーの演技などは、また観たいと思います。
ジョ二ー・ウィアーと、どっちが観たいですか?とたずねられたら、とても迷います。
もしかしたら、プルシェンコと答えるかもしれません。
ジョ二ー・ウィアーとランビエール、どちらがもう一度観たいですか?
そう聞かれたら、そこは迷わず、ランビエールと答えるでしょうが(笑)
ライサチェックは一度観ればもう十分です。
今回、プルシェンコに、私からのメダルはありませんが、もし、私がスケートを習うとしたら、
ランビエールでも、ウィアーでもなく、もちろんライサチェックでもなく、
迷わずプルシェンコに指導を仰ぎたいと思います。
彼の鬼のように厳しく、妥協を許さない、王者の精神と、絶対に転倒しないスケート技術を、
ぜひ学びたい!彼は何かを掴んでいるはず!
私が師匠にしたいと思うのは、プルシェンコだけです。
そう、私の中で彼は、すでにメダルを超越した存在なのです。別格なんですよ!
人を惹きつける演技と、高い評価を得た演技は、いつだって必ずしも一致しないものです。
どんな競技の世界でもね。
2年前の北京オリンピックでの体操もそうだったじゃない。
冨田選手の美しさを追及した体操よりも、アクロバットの中国体操が高得点。
でも、どちらが観たいですか?
私は何度でも冨田選手はじめ、日本の美しい体操演技が観たいですね。
何度でも観たい、と思ってもらえる演技を私も太極拳でできるようになりたいものです。
たとえ、脚が上がらなくともね・・・って、それじゃダメじゃん!
3月7日(日)
「勝利の女神」
〜バンクーバーオリンピック〜
オリンピックに出場する選手ともなれば、世界と戦えるだけの実力の持ち主で、
その演技は、超ド級。常人の域を脱した技を身につけた者たちが競い合う。
その中で、金メダルは、本番で完璧な演技をした者だけが手にすることができる。
その金メダル選手の中でも、他を圧倒し寄せ付けないだけの実力で
私が度肝を抜かれた選手をあげようと思う・・・
まず、空飛ぶ魔法使い、スイスのアマン。
「これ以上飛んだら危険!」ヒルサイズを試技で超えて142.5mを飛んでしまったため、
本番でのスタートラインを、いきなり低く変更させちゃった男。
それでも、一回目でさらに遠く144mを(飛距離伸びてるし!)飛んでしまったため、
またまたスタートラインを低く変更させちまった28歳の男。
これじゃ、他の選手が遠くに飛べるはずもなく、アマンひとりのジャンプ台と
私物化してしまったようなもの。
ノーマルヒル、ラージヒルで2個の金メダルを一人で持ってっちゃった。
前々回ソルトレーク大会と合わせて計4個は、「鳥人」ニッカネン(フィンランド)を抜いた。
前回トリノ大会で不振だった彼が、復活した努力は相当なものだったと思う。
ジャンプ選手は空気抵抗が多く受けられるため、身長が高い人のほうが有利とされる中で、
アマンは173cmと小柄。
にも関わらず、「これ以上飛んだら危険!」ラインを楽々超えてくる。
彼のジャンプを見ていて気がついたことがある。
ひとつは、踏み切った時の姿勢。
他の選手は飛び出してから前傾姿勢になるのだが、
アマンは飛び出したときは既に前傾になっていた。それだけ脚力があるってことなのか?
ふたつめは、着地の時。
他の選手は「着地するな?」と思うと予想通り着地しちゃうんだけど、
アマンはそうじゃなかった。
「着地するな?」と思ってからスーッって伸びるんだよね。
魔法使いだから?
ほんと、ホウキに乗った魔法使いみたいだった。。。
2年前、日本の伊東選手がアマンに「どうしてそんなにリラックスして飛べるのか」って
聞いたんだって。そしたらアマンはこう答えたといいます。
「当然うまくいくと信じて(飛ぶ前に)先に飛ぶんだ」と。
今回、優勝を決める2回目を飛ぶ前の心境を聞かれ、アマンはこう答えたといいます。
「4個目のメダルが手に入ると興奮していた」と。
魔法使いは、先が見えるんだね。
いや!そうじゃない!
先を自ら決めてしまうことができる、ってことなんだね。
二人目は、王者ホワイト。
彼は誰にもできない技、しかも自分であみだしてるんだよ!?
皆は彼の後ろを付いて行ってるようなものだもの。それでもできないんだよ!?
勝ち目ないさ。
当然、一回目で優勝を決めてしまった!余裕の王者ホワイト様だ。
ダブルマックツイストを華麗に決めて貫禄の連覇!
「いったいどこまで回るんだ?運動神経どこまでいいのよ?」って感じ。
前回トリノ大会で優勝し、スポンサーがついて億万長者になり、
さらに企業からの援助で、個人専用のコースを持って技を開発している彼は、まだ23歳。
恵まれた環境であることは否めないが、彼の危なげない演技を見ていると、
何か抜きんでているし、ハーフパイプ界に出るべくして出てきた選手という気がしてならない。
赤毛の長髪で、空飛ぶトマトの愛称を持つ。
「スノーボードは楽しむのが一番。アメリカの自由な雰囲気を表現したい」と語る。
今後も、彼は楽しみながら、大技を量産していくのではなかろうか・・・
もう、誰も彼に追いつけない。
それから、アメリカのボン。
彼女はアルペン滑降の選手で、練習中に右すねを負傷し、
本番10日前までスキーを履けなかったほどだったが、悪天候による競技順延に助けられ
強行出場。
かなり痛かっただろうが、堂々の金メダル!
前回トリノ大会でも公式練習で転倒し、ヘリコプターで病院に運ばれたが
2日後のレースに出場し、8位。
昨年の世界選手権では、シャンパンボトル(飲んでたんかい!)で右親指を深く切り、
手術して5日後にレースに出た。
ボンはモデルもするほどの美しい女性だが、美しいだけじゃなく根性も半端じゃなかった。
えらい!
そして、もうひとり諦めない女性がいた。
名前も競技名も忘れてしまいましたが、クロスカントリーだったと思います。
練習で崖から転落、肋骨折っても予選、準決勝、決勝と勝ち進み、メダルを手にしました。
表彰台でも、手をあげたら痛みで顔が歪んでました。
スゴイです!
怪我というアクシデントに見舞われながらも、レースに挑む半端ない精神力。
そんな執念が、メダルをもたらすのだろう。
思うに、勝利の女神は女だから、男性選手には‘魔法’を、
女性選手には‘試練’を与え、それに堪えた者に、メダルを授けたのだろうか??
いずれ、勝利の女神はいたずら好きみたいね♪
3月15日(月)
「女の人は・・・」
先日、ドラマをみていたら、女が男に言ったセリフにこういうのがあった。
「女の人は誰でも花をもらうと喜ぶから」
たしかにそうだな・・・と思った。
しんみりした。
泣きそうになった。
3月18日(木)
「地デジ」
地デジ放送が始まって、連日地デジ放送受信を奨めるPRが激しさを増している。
家電店のチラシでも、地デジ対応のテレビがデカデカと載ってくる。
地デジ対応じゃないテレビには、‘アナログ’の文字が画面の隅に表示されて、
否でも「買わなきゃ!」の購買意欲を掻き立てる・・・。
我が家のテレビは、2000年製の29型。かれこれ10年・・・まだまだ現役!
‘アナログ’の文字が画面の隅にシッカリと表示されているが、完全無視している。
地デジ化を機に買い替えなきゃならないのか?とも思うが、まだ見れるテレビを捨てるのは
どうも、このecoの時代に逆行してるような気がしてならない。
ギリギリまで見ておいて、最悪、地デジチューナーで間に合わそうかな、とも思う。
とにかく、まだ買い替える気は「ない!」
「ない!」のだが、やはり10年もすると、小さな文字などが潰れたようになって読みにくくなって
画面も心なしかボヤケて見えてきている。
地デジだと、クリアな画面だ、って言うじゃない?
しかも、液晶画面だと真横からでも見える、って言うじゃない?
こりゃ、地デジチューナーと言わず、買い替え時なのかな?と正直考えてしまう。
ところで、私の父は眼が悪く、以前から右目は緑内症、
頼りの左目は、眼底出血を起こして、つい最近、硝子体の手術をしたばかり。
手術で網膜はく離も見つかった。
だから、視力が手術前と同じように回復するかどうかわからなかったので、
退院してから、家で試しに私のメガネをかけさせてみた。
実は私、メガネを3本も持ってるんです。
視力はそれほど悪くはないのですが、乱視があるとのことでメガネを作ったんですね。
見えづらくなっては、また目に合わせて作ったりして、なんだかんだで3本になっちゃった。
でも、面倒なのでかけないんです。
ふだん、ぜんぜんかけないんです。1本もかけずにしまいっぱなし。
運転免許の更新もメガネなしでパスしてますし。
ま、かけなくても十分見えているので、不自由はありません。
父のことがあったので、何年もしまいっぱなしのメガネをひっぱりだしてきたのですよ。
その中の1本を、何気にかけてみて・・・ビックリ!
テレビが古くなったからだと思っていたら、違ったんです!
私の目が悪かったんです!
メガネかけたら、テレビの文字がハッキリクッキリ見えるじゃないですか!
あらっ?! って、感じです。
いやいや驚いたのなんのって!
地デジ並にクリアに見えちゃったんですけど!もうビックリだよ・・・
さしずめ、いま流行りの3Dならぬ
メガネ外せばアナログ、かければ地デジ、ってとこですかね。
4月2日(木)
「せともの店」
先月、長年付き合いのあった友人を送別することになった。
いつもの気のおけない友人4人のメンバーの一人であり、その4人が出会った職場(学校)の
職員だったS氏は、私たちを繋ぎとめていた要のような存在でもある。
職場を離れるという連絡をもらったのは、3月初めだった。
ちょっと焦った。
こんな時の幹事は私だったりしている。
ちょっと焦りながらメンバー2人に急いで連絡した。
2人は仕事が忙しい身であるから、早めに決めておかないと集まれなくなってしまう。
幸い、すぐに4人の都合がついて日程が決まった。
今回仕事を退職したS氏は、職場を離れただけではなく、遠い県外に越すことになるという。
もう、会うこともなくなるだろうから、何か送別の記念(?)になるものでも贈ろうか、と私は思った。
何がいいかな?
ちょっとした物でいいんだけど。
次の職場でも使えるように、コーヒーカップ。
はたまた、お酒が好きな人だから、焼酎カップ。
そうだ、どっちにも使えるようなデッカイカップがいい。
ありきたり、といえばそれまでだけど。
和のせとものがいいな。
益子焼き、有田焼、萩焼、志野焼き・・・のような。
私の住む街に、てか近くにはせともの店が一軒しかない。
とりあえず行ってみたが、なかなか気に入ったのは見つからなかった。
車で30分ほどの隣街(市)にも一軒あったはず。
昔は、私の住む街にも二軒あったというし、隣街(市)には数年前まで何軒かあったのだ。
しかし、売れ行き不振なのだろう、次々と店をたたんで姿を消した。
大きな問屋のようなせともの店までもが閉店してしまったのだ。
その時は、さして気にもとめなかったが、今回のように‘いざ探す’となると困ったものである。
スーパーのような量販店ばかりになってしまって、たしかにせとものや食器は置いてるが、
日常雑器ばかりで、贈り物にできるような焼き物は探せない。
やはり、せともの専門のお店が見たい。
私は車を飛ばし、今やシャッター通りと化した隣街(市)に行った。
「(たしか・・・あったと思う)」という記憶を辿って・・・
途中の駐車場に車を停めて、少し歩いた。
どこまでもシャッターの下りた店を通過した。一応アーケードだが、人ひとり歩いていない。
歩いてるのは私だけだ・・・
「(これじゃ、商売になるわけないな・・・)」と思った。
私が小さい頃は、大きなショッピングセンターがあって、母に連れられてよく来たものだった。
1階で買い物して、2階のレストランでナポリタンとクリームソーダを食べるのが楽しみだった。
商店街も活気があって、雨に濡れないアーケードはここにしかなかったし、
もちろんお店にはお客さんが必ずいたものだ。
それが・・・
大きなショッピングセンターは廃墟となり、今や、商店街歩いてるの私だけ、って・・・
さびしい。さびしすぎる。
まるで、西部劇で砂ボコリ舞う、荒野を歩いてる決闘前のカーボーイ気分だ・・・
ところで、肝心のせともの店であるが、
無い!
確かこの辺に、一軒あったはずなのに、
無い!
えー?
おかしいなー?
そんなはずは・・・
私は、奇跡的に開いていた文房具店に入って買い物をして、店主に聞いてみる事にした。
「あー、ありますよ。裏にね引っ込んじゃったんですよ」
大通りから路地を入って、裏に行かねばならないようだ。
「家賃もバカにならないからね」と。
それもそうだよね。
路地を入って行くと、そのせともの店はあった。だいぶお店は縮小してしまったが、健在だった。
それでも、せともの専門店の品揃えは期待を裏切らなかった。
遠かったけど、来てよかった、と思った。
「なかなか、せともの店さんがなくて、すごく探したんですよ」と語ったら、まけてくれた。
店主の話しでは、全国の窯から仕入れて、卸す問屋が倒産してるのだそうだ。
だから、せともの店も、調達が難しくなって、やめてしまう。それと高齢化。
調達できても、コストがかかって合わないとか、後継者がいなくて、やはり、やめてしまうのだそうだ。
ここの、せともの店も老夫婦おふたりで切り盛りしてるそうな。
問屋、って大事なんだね。
私なりに、時間と労力をかけ、苦労して手に入れた贈り物。
そんなたいそうな物じゃないけど、高価でもないけど、だからって、
S氏、酔っ払って、タクシーの中に置き忘れたら泣く・・・
ああ、それは大いにありうるんですけど・・・(涙)
4月12日(月)
「ジャック・スパロウ」
‘キャプテン’を付けて呼ばれないと、不機嫌になるジャック・スパロウ。
パイレーツ・オブ・カリビアン、ブラック・パール号の船長。
演じるのは、ジョ二ー・ディップ。
ジョ二ー・ディップの人気は絶大で、奇天烈な役でも、アニメの世界でも、
彼に任せていれば、まともに仕上げてくれる稀代の役者だ。
黒い隈取やら、白塗りだの、不自然で奇抜なメイクも、彼には不思議と良く溶け込んでしまう。
私は、パイレーツ・オブ・カリビアンのファンである。
ジョ二ー・ディップというより、キャプテン・ジャック・スパロウが好きなんである。
ま、ジャック・スパロウがジョ二ー・ディップだからかも、しれないが・・・
とにかく私は、キャプテン・ジャック・スパロウを尊敬している。
ジャック・スパロウになりたいとさえ思っているのだ。
あの、頭の回転の良さ、マジメさを覆い隠すいい加減な言葉選び、
ここぞ!という時のキレのある反射神経の良さ、決断の早さ。
そして時折見せる、マジの顔・・・一瞬の真剣なまなざし・・・
自由を愛す真の冒険家。だからといって、決して現実逃避をしない男。
物事先を見越し、正確に計算し、即座に考えをめぐらすことのできる現実主義者。
ジャック・スパロウになりたーい!
そのようなわけで、さる放送局の開局祝いで4週連続パイレーツ・オブ・カリビアンの企画には
感謝申し上げる!
私は映画館に足も運ばず、テレビ放映を待っていたふとどき者。
だから、これまで第2作の「デッドマン・チェスト」までしか観ていない。
もう、第3作の「ワールドエンド」の放送が楽しみで楽しみで・・・。
自由を愛するジャック・スパロウが、実は東インド会社の忠実な僕だった、
なんて終わりだったら・・・?
世も終わり、だよね。
と、私は勝手に想像をめぐらしていたが、そうでなかった。
ジャックは東インド会社の船をこっぱ微塵にした上、海に沈めた。
その最後は、木っ端が舞う中、階段を進むベケット卿は、いささかカッコ良く描かれすぎだったが・・・
だが、話しの最後は、悲劇だった。
「ダッチマン号には船長が必要だ」
死者の魂をあの世へと送り届ける、それがダッチマン号船長の仕事。それが命の代償。
十年海で働いて、陸に一日・・・それは永遠に続く。
最後の一人となっても生き続けなければならないのが、ダッチマン号船長のさだめ。
あまりに切なく、残酷だ。
思えば、ディヴィ・ジョーンズも憐れだった。
「どっちが裏切ったんだ?」
十年後、約束の場所に現われなかったカリプソか?
いいや、違う。
心臓(=心)を預けなかったディヴィ・ジョーンズだ。
それは裏切りじゃなく、信じられなかったゆえ・・・
エリザベスとウイリアムも、信頼を失いかけた。
ウイリアムはディヴィ・ジョーンズの話しを聞いて感づいたのだ。
愛だけでは不十分だ、その愛が信用できるものでなければと。
ウイリアムはエリザベスに心臓(=心)を預け、エリザベスは十年後約束の場所に現われた。
愛に信用を得たのだ。
だからさー、ここで終わっていいじゃない?キレイにまとまったじゃない?
第4弾製作決定って、どうーなのよ?
これ以上、どんな展開があるっていうのよ?
つーか、3部作の完結編じゃなかったのかよ?
いきなりの登場で人を殺してしまう、法の番人ハムラビみたいなジャックの父ちゃんも見れたし。
私的にはこのラストが気に入ってたんですよね・・・これ以上話しを延ばしたら、グタグタになって・・・
ハッ!!
ジャックに、もしものことがあったらどうしてくれるのさ!
・・・そりゃ、ジャックにはまだまだ謎が多すぎるけどね。
バルボッサが言ってたじゃない?「おまえの秘密を握ってる」って。
私の勝手な想像だけど、秘密って、ベケット卿とジャックは、英国の私掠船員だったのでは?
かつての仲間というわけさ。
両人の腕にある‘p’の刻印は、プライヴァティアの‘p’じゃないの?
ベケット卿は‘Good Job’で東インド会社のトップに、一方ジャックは‘Parley’の道を・・・
だって、ベケット卿が一番手に入れたいものは、ジャックが持ってるコンパスだったし。
てことは、ベケット卿はジャックのコンパスのこと知ってたってことじゃない?
そのコンパスは、ジャックのかつての恋人カリプソが持ってたものだから、
ディヴィ・ジョーンズの心臓のことも知ってたじゃん?
そのデイヴィ・ジョーンズに魂を売ってまでジャックが手に入れたかったのが、
ブラック・パール号だったわけで、わからないのが、なぜジャックもバルボッサも、
ブラック・パール号にこだわってるのか?ってこと。
ジャックが船長だったはずのブラック・パール号を、バルボッサが反乱を起こして手に入れて、
この反乱に、ウィリーの父、ビル・ターナーが関係してた。
ブラック・パール号にこそ秘密がありそうな・・・
ここまで妄想が膨らんだら、いくらでも想像できちゃうよね・・・
ジャックはコピーがやたらと現われるけど、実はバルボッサが連れてる猿のジャックこそが、
本物のジャックだったりして・・・
ジョニ・ディップーが演じてるジャックは、猿ジャックの幻影で、猿ジャックこそが主役。
第一、なんで石がカニに?石がコピーされて船動かすって?
カリプソが解放されてカニになったのと関係があるの?
ハァ。想像しすぎて頭が疲れてきちゃった・・・
ん〜・・・
続きがあるなら、みてみたいような(←もともと作り話だっつーの)
でも、ジャックに、もしものことがあったらヤダし・・・本当にサルだったらヤダし・・・
サルから解放されたジャックが、大量のピーナツになるのもみたくないし・・・
尊敬してたジャック・スパロウがサルだったら、私はジャック・スパロウになりたくないし・・・
てか、第4弾がテレビ放送になる頃には完全地デジになってて、うちじゃみれないし(←結局それかっ!)
4月16日(金)
「独学の道」
2009年は私にとって「別れ」が際立った一年だった。
いくつかの別れの中に、書道の先生との別れもあった。
別れというより「決別」と言ったほうがふさわしいかもしれない。
私もそうだが、おそらく先生のほうも私にガマンを重ねていたのだと思う。
そんな先生に私は「どう接していいのか、良くわからなかった」、というのが本音だ。
とにかく「今日は先生に何を言われるだろう?」と考えただけで、
教室に通うのが、だんだん苦痛になってしまった。
それでも、好きな書道の指導を受ける、という大義名分のため、苦痛にムチ打って通ってはいたが、
教室に行きたくない、というばかりでなく、次第に大好きだったはずの書道さえ嫌いになりかけ・・・
終いには、書きたくなくなってしまったのだ。
「このままではいけない!」
私もいよいよ観念した。
準師範になるまで、お世話になった先生でもあるので、かなり迷ったし(迷ってる時点でどうかと思うが)
師範になるまでは石にしがみついてでも、先生に付いて行こうともしたが、
体が拒絶反応を起こしたようになって・・・結局、できなかった・・・
先生の所属していた団体は、資格試験を受験する際、師匠の承認が必要だった。
どの人も、どこかの社中に所属し、師匠から‘雅号’をいただき作品を出品している。
個人の独学が立ち向かえるレベルでもないし、師匠についていない出品者は見当たらなかった。
お手本を師匠に仰ぎ、真摯に習い、技術を高めていくしかない、そんな団体である。
であるから、私が先生から離れたということは、退会したことを意味する(事実、先生にそう告げられた)
「(私は書道を続けたいのに、これからどうしたらいいんだ?)」
新たな師匠につく?
いいや、それはちょっと・・・同じ団体にいながら、別の師匠につくのははばかられるし、
もし、そうしても、また以前のような繰り返しは、もう懲り懲りだ。
私がひとりで書道を続けるなら、思い切って、団体を変えるしかない!
私は、別の団体に当たってみた。
編入試験も受け、これからはこちらの団体で書いていこう!
そう決心したはずなのに、未練がましいことに、以前の団体のほうにやはり魅力を感じてしまう。
これまでずっと、以前の団体で書いてきて、他の団体を知らなかったせいもあるし、
せっかく、師範の一歩手前まで来ていたのに、ムダにしたくないという思いも強かった。
遅ればせながらであるが、ダメもとで、お伺いしてみようと、本部事務局に電話をかけた。
「あの、そちらで書道の勉強をしたいのですが・・・
どなたか師匠につかなければ、いけないのでしょうか?」
これが、私の一番の懸案事項だ。
「お近くの教室をご紹介いたしますよ。それとも、個人会員登録いたしますか?」
「(え?個人でもいいの?悩んでないで、初めから電話してみるべきだったか・・・?)」
思い込みとは恐ろしいものである。
‘案ずるより産むが易し’とはこのこと。
初めから電話してれば、別の団体にわざわざ編入しなくても、続けられたものを・・・
「あのー、個人会員でも昇段試験など受験は可能なのでしょうか?」
「ええ、もちろん!講習会などへの参加も事務局で受け付けます」
「たしか師匠の承認印が必要かと思いましたが?」
「ああ、ご心配なく。それは事務局で承認いたしますから」
あら、そう・・・(かなり拍子抜け)
そうだったの・・・(かなり拍子抜け)
なんだ・・・(かなり拍子抜け)
へ〜・・・(かなり拍子抜け)
だったら、別の団体の編入試験受けることなかったし!
でも、もう半年分前払いしちゃったし!
どちらも師匠につかない独学の道である。
ひとり書道部屋(そう名づけた4畳半の小部屋。しかもテレビや冷蔵庫も置いてあるため、
書くスペースは実質2畳ほどしかない)で、ヘタな書を懸命に書いているが、
書く楽しさだけは取り戻すことができた。
今後、師匠が必要だと感じるようになるかもしれない。
未熟な今こそ、師匠の下で研鑽を積む時なのだとも思う。
事実、ひとりで課題を書いていても、なんとも心細く、上達が見込めない不安でいっぱいだ。
が、しばらくは、ひとり暗中模索しながら、独学の道を進むしかない。
なーんて、余裕かましてるけど、ホントはそうじゃない。
書道といい、太極拳といい・・・
ぶっちゃけ、人付き合いが、まるでダメな不器用人間、ってことです・・・(涙)
5月15日(土)
「書道ガールズ」
映画「書道ガールズ」が公開になるというので、
連日テレビで公開キャンペーンしてる袴姿の‘書道ガールズ’を目にする。
私も高校では書道部に3年間。そのことは以前「tuzi now」に書いたこともある。
かつては私も書道ガールだった。
その時感じたのは、書道は体力勝負、だってこと。
秋の文化祭、書道展に向けて作品作りするのは夏なので、夏休みには合宿も行った。
風が入っては紙が飛ぶから、真夏の締め切った蒸し暑い部屋で
書く、書く、納得いくまで、ひたすら書く・・・
袴なんてとんでもないこと。ジャージで汗だくである。
映画になるような部活とはかけ離れた、ただただ地味な部活だった。
でも、楽しかったなぁ・・・(←高校3年間で覚えているのは部活のことだけ)
放課後も部室で書き続けた。黙って、黙々と紙に向ったっけ。
卒業と同時に書道も辞めてしまったが、また書きたいという気持ちはずっと持ち続けていた。
そして、だいぶブランクをおいたが、私はまた書道を始めた。
腕はすっかりさび付いてしまってて、新たに学び始める気で臨んだ。
その後のいきさつは、以前にも「tuzi now」に書いてきている。
たらたらと、学んで、ようやく今年は師範に挑戦!
受験科目は理論も含め10科目。
条幅という半切大の作品から、創作作品も仕上げねばならない。枚数にして20枚あまり・・・
提出期限は秋だが、夏に書く恐ろしさを知ってる私は、この春が勝負!と決めて
早くから作品作りに取り掛かってる。
ジャージこそ穿かないが正に、書道中年ガールだ。
現在、やっと5科目揃えたところ・・・まだ半分残ってる・・・
現在、書いてるのは添削に出すための作品であるから、9月中に添削提出して、
その結果を見て、本提出まで残り2ヶ月で清書しなおさねばならない。
11月末までの長丁場、且つ、かなりの強行スケジュールだ。
それでも合格するとは限らないわけで・・・
ところで先日、太極拳の生徒さんに「先生は、太極拳してる以外は何をしてるんですか?」と聞かれ、
今思えば、「生業はなんですか?」という意味で聞いたのだと思われるのだが、
「・・・家事仕事です」と言ってから「(・・・独身なのにな)」と思い、
「うーん、今は書道してます」と言ったら、「教えてるんですか?」と切り返された。
やっぱり「生業はなんですか?」という意味だったのだ、と気づいたが、
同時に、生業がない!ことにも気がついた。(←今頃かいっ!)
「(無職なのに、書道なんか書いてる場合じゃないんだな・・・)」
私の想像では、「(この人、悠々自適な生活をのほほんと送ってる女なのね)」と
思われたに違いない。父母に養ってもらってると勘違いされたとも・・・
でも、実情はちょっと違う。
本業の設計の仕事依頼がなく、永らく開業休業状態。
副業だった非常勤講師の仕事も、少子化で授業時間激減。ついにはなくなった。
母の体が不自由なこともあって、仕事を見つけるにも儘ならない。
家の仕事って細々とした事が結構あるんですよ。その家事全般を、私ひとりでせねばならない。
その上、両親を養わねばならない身。家計の全てが私ひとりの肩にのしかかってる。
仕事優先にすべきところだが、都合のよい仕事などあるはずもなく、したがって家計は火の車。
悠々自適とはほぼ遠く、爪に火を灯す生活。
赤貧洗うが如し。
ご存知、地デジ化もできてません。
だからって、こんなこと他人に長々話す気にはなれない。
え?
太極拳教室は、って?
人数見ればわかるでしょ、仕事になってない、ってことは。
仕事として収益をあげるのが目的の教室なら、とっくに閉めてるところですよ。
ボランティアなら感謝されるところでも、なまじ会費があるだけに、労多くてなんとやらである。
仕事にならない太極拳もそうだけど、書道も提出に追われ、暇を見つけては書いているのだから、
のほほんとしてる点だけは当たってる。
思えば、どちらも‘趣味道楽’じゃないか。
いくら時間があるからって、趣味や道楽に没頭してる場合じゃないよね。
いい加減「仕事見つけろよ!」て、感じ。それは自分でも分かってる。
わずかな時間でもあるなら、仕事に当てるべきだってことも・・・
そう。
書道ガールはもてはやされても、
書道中年ガールは世間に通用しないのである。
6月1日(火)
「大相撲を観る」
我が家では、父の影響か大相撲が年に6度、場所を迎えるたび、テレビ観戦が常となっている。
これって、どこでもそうなのだろうと思っていたし、ごくごく普通だと思っていたら、そうではなかった。
先日の飲み会で、相撲の話しを出しかけたら、
「・・・相撲?・・・観てるの?・・・tuziがぁ?」と、ハンパなく驚かれてしまった。
「(そんなに驚くことなのか?)」と私のほうが驚ろいてしまったくらいだ・・・
日本ではどこの家庭でも、相撲中継にチャンネルを合わせているのかと思いきや、違ったみたい。
私は千代の富士ファンである。
投げに行く千代の富士の相撲が好きだったのです。
千代の富士引退後は、これといって贔屓力士はいませんでした。
大相撲が低迷してるだの、人気がなくなっただの言われて、どの場所でも、満員御礼は少なく、
いつの頃からか、画面でも空席が目立つようになって、寂しいかぎりです。
でも、我が家ではそんなことはどこ吹く風で、相撲を観るのが習慣ずいているせいか、
時間になると、だいたい4時くらいから自動的にチャンネルを合わせるわけですが・・・
貴花田引退後、低迷を続けている大相撲ですが、ボーッと観てても自然に、
番付を上げてきた力士の名前も耳にしてるわけで、
観るとはなしに観てれば、力を付けてきた力士にも注目できるようになるものです。
そして、先場所、ついに注目力士発見!
私の眼にとまった力士が現われたのです!
それは、取り口、というのではなく、その男前な顔に一目惚れしてしまったのですが。
現幕内力士の中で、私が一番の男前とみている、その力士の名は白馬。モンゴル出身。
先場所はまだ、番付上位には入ってなかったはずですが、今場所番付を上げてきて、
夏場所は絶好調。
モンゴル馬対決、大関日馬富士との一戦は注目の一番でした。
ふふ。私の応援の甲斐あって、見事白馬が大関馬に勝利!
その勝利インタビューで、私は初めて白馬の声を聞いたのです!
低音で深みのある渋い声。
男前の上に、声もいいとは。
「・・・顔もいいけど、声もいいねぇ」
さらに勝ち星をあげて、三賞、三役、の可能性も出てきた時のインタビューでは
「もらえるものは、なんでも戴いて」と、お手本のような日本語まで。
「・・・わぁ、日本語も上手なのねぇ」
これまでも、無名でありながら、私の眼にとまった力士は番付を上げて頭角をあらわしてきた。
有望力士を見る‘勘’みたいなものだけは、長年相撲を見続けてきているせいか、
鍛えられているみたいだ。
それにしても、ついには顔で決めてしまうなんて、私の相撲観戦も不純になってきたものだ。
来場所の注目は、横綱白鵬の錦鯉のような金のまわしに、誰が最初に土をつけられるか。
白鵬の体の柔軟さ、粘り、相手を良く見る落ち着き、貫禄ある横綱に敬意を払っているが、
横綱を倒せる力士がいてこそ相撲はおもしろいではないか。
夏場所、琴欧州が、新品の錦鯉の金まわしに、土をつける絶好のチャンスを逃しやがってからに!
輪島の14優勝に並んで、金のまわしに変えたそうだが、どうも私には錦鯉にしか見えんのよね。
まわしと言えば、立会いまで行司のファッションチェックして時間繋いだり・・・
引退したての力士が、ジャンパー姿で警備してるの見つけたり・・・
観戦しに来てる芸能界の誰かを、画面の中に見つけたり・・・
その他もろもろ・・・
大相撲は、見方をチョイと変えれば、まだまだ楽しさ満載なのである♪
6月20日(日)
「カエルくん」
このところ暑い日がつづいたので、ようやく衣替えした。
山になった洗濯物をして、物干し台に行って発見した。
昨年と同じ場所に、カエルくんが居座っていたのだ。
ま、カエルくんに限らず、蜘蛛だって毎年同じ場所に同じような大きさの蜘蛛が巣を張るものだ。
ミツバチだってそうだ。巣を取り払っても取り払っても、やっぱり同じ場所に巣を作るものだ。
蝶々も毎年同じ場所に迷い込んでくるし、トンボも同じ時期に同じ場所に飛んでくる・・・
だから、同じ場所に住んでいても、まったく不思議は無いのだが、
カエルくんの場合、その場所というのが、ちょっと変。
だって、物干し台の棹の陰なのだ。
物干し台は鉄塔みたいなもので、金属なのでこの暑い日差しを受けて熱くなってるはず。
棹の陰とはいえ、かなり高所で暑いだろうに。
水分取るにも取れないだろうし、エサだってどうやって調達するものやら・・・
このカエルくん、昨年の夏も同じ場所に陣取っていた。
ここじゃ、生活できないだろうと思い、地面に下ろしてあげたが、どうしたものか
やっぱり物干し台の上に戻ってくる。
そうこうするうちに、もう一匹相方が増えていた。
彼女まで高台に上ってきて、夫婦者となって高台に住み着いたもよう。
カエルが冬を越せるかどうか分からないが、昨年のカエルくんか、はたまたその子供か。
体のシミの具合からして、キレイな若緑色でシミもないので今年生まれた2代目なのかもしれない。
今年もまた、同じ場所にカエルくんが現われたということは、高台に登るのは遺伝なのか?
これからジリジリと暑い夏本番。
カエルくんは、まだ一匹だが7月中には彼女を見つけて、物干し台の上で過ごすと思われる。
それにしても、可笑しなカエルくんだ。
なぜにあんな高い所に?
そしてなぜ鉄柱に?
余計なお世話だが、暑くないんだろうか?
体長1.5cmのカエルくんを、人間に置き換えたら、
地上2mはドバイの超高層ビルの屋上に匹敵するのではないのか?
夏の日差しをガンガン受ける地上2m。
棹の下がカエルくん、上に捉まっているのが奥さん。
2009年夏・撮影
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