2003年10月-12月
10月2日(木)
「誕生日」
私は初秋に生まれた。
鼻の奥に抜けるような空気の透明感が感じられるようになる。
その日は突然やってくる。
残暑も終わったんだと思う日だ。
ふと空を見上げると天高く、抜けるように青く、鱗雲が一面に広がってる。
「季節が変わったんだ・・・」としみじみ思う秋の入り口。
空と雲と空気が一変する、ちょうどその時期に私は生まれた。
母は毎年私の誕生日を栗御飯で祝ってくれていた。
小学生の時、一度誕生日を忘れられたことがある。
その日はカレーだった・・・(涙)
(ちなみに10月2日は私の誕生日ではありません)
10月5日(日)
「将来のこと」
先のことなど誰にも分からない。
神のみぞ知る
今日は、私のダークな一面を少し話したいと思う。
仕事のことからはじめようか・・・
私は自分の事務所を持って仕事をしている。
といっても従業員がいるわけではない。
私ひとりの事務所だ。フリーってこと。
だが、私が望んだ仕事ではない。
こんなことは私でなくてもあるだろう。
どっかで道を間違って、戻れなくてそのまま・・・このことは私だって、さして気にはしていない。
自分に与えられた仕事だと思って、この中で力を尽くしていくだけだ。
私が言いたいのはそういうことじゃない。
どんな仕事であれ、どんなに辛くとも私は辞めるわけにいかないということ。
それは私を養ってくれる人がいないということ。
むしろ両親を養う立場にあるということ。
結婚していて、サブ的に家庭をサポートするパート的なものではないということ。
私が恐れているのは、その両親もやがて死ぬということ。
そうしたら、私は天涯孤独になる。
独身の私には夫もいないし、子供もいない。
茶(愛ネコ)も死んでしまった・・・
精神的に誰にも頼れなくなる。
孤独が待っている。
今以上の深い孤独が待っている。
私にとってある意味、孤独は死ぬことより怖いことだ。
そして、その頃には仕事の依頼もなくなり、無一文になっているかもしれない。
どうやって生活してしているか想像もできない。
落ちるところまで落ちているかもしれない。
ただひとつ確かなことは、どんなに生活に困っても、この土地と家は手放さないということだ。
この家は父が建て、私が生まれ育った家だ。私が生きているうちは誰にも渡さない。
そして、孤独のまま私も死ぬ。
私の記憶など誰の心にも残らない。
消滅。
私は誰もいないこの家で、ひとり寂しく死んでいく・・・
人として生まれて私は間違った生き方をしたと後悔しながら死んでいくのだ。
誰の記憶にも残らず、こんな人がいたということも語られることもなく、消えてしまうのだ。
消えるのは私の記憶だけではない。
父の記憶、母の記憶、それ以前の祖先の記憶すべてが消えてしまう。
私はそのことに耐えられない。
私に子供がいれば私の意志や記憶が引き継がれよう。バトンリレーでバトンが渡されるように。
だが、渡す人がいなければ自分が死ぬことで終止符が打たれてしまう。
子孫がいないということはこういうことだと思う。
私はこの世に人として生まれてきていながら誤っているのだ。
人としての責務を果たしていない。
バトンを渡していない。
私はその罪悪感に潰れそうになりながら生きている。
人間ばかりではない。この世のすべての生き物は種子を残すことを目的に生きている。
そうでしょう?
次の世代に継続させることを使命として生かされているんでしょう?
このことに例外などあるはずがない。
たとえ、人としてどんな立派な社会的功績をのこしたとしても埋められない罪悪感。
たとえ、自由で充実した人生を送ったとしてもぬぐえない罪悪感。
それは、生物としての役目を果たしていないこと。
誰にも伴侶として選ばれない私は最低だ。
だからこそ私は「結婚」にこだわり、強く望んでもいる。
子供を育てる上で「制度としての結婚」は必要だと私は思う。
愛し合っていれば「制度」にこだわない生活スタイルもあるだろう。
そんな考えの人から見たら私は「狭い」人間なのかもしれない。
だが、子供の将来はそれでは済まされない。
私の言う「結婚生活」は子供を産み夫婦で育てることにある。
「制度」が必要なのは私たち夫婦ではなく、子供なのだ。
現代の日本で戸籍制度に則さないで社会生活するには厳しい現実が待っている。
私は自分の子供に責任を持たねばならないし、
ふたりが社会に関わっている以上法律に則した生活、
社会的に認められた生活のほうが、より安心できるのではなかろうか?
結婚は人生のひとつの過程である。
私の人生のテーマは「幸せ」である。
幸せな結婚は信頼できる相手と共に生きていくことである。
頼りにできる人がいる人生は、ひとりで生きていくより心強く安心できる人生になるはずなのでは・・・?
人によって考え方や価値観は違う。ここで、そんな議論をするつもりはない。
独身であって、充実した人生を送っている人に意見するつもりもない。
制度に則さないスタイルで生活している人にも私から何も言うことはない。
それはそれで、その人の人生なのだから、本人が「幸せ」ならそれでいい。
ここで言っていることは私個人の問題なのだ。
そして私はまだ「混沌」に中にいる・・・
私は死後も発見されず葬式すらあげられない。墓参りに来てくれる人もいない。
線香の一本、花の一本あげられることのない墓。
草がうっそうと生い茂っても誰も刈ることのない墓。
父が苦労して持った家も土地も人手に渡る。家族が住んだ家も無くなってしまう。
死後の事などかまわないだろう、そういう人もいるだろう・・・
でも、私は違う。
この家に、この土地に住み着いた者に、冗談抜きで
化けて出てやるっ。
私の頭の中にはやがてやってくるであろう、孤独になる時のこと、
死んでいく時のことが常に居座っている。
そう、私は死ぬことを意識しながら生きているのだ。
10月10日(金)
「天罰」
カメレオンやワニといった爬虫類をペットにしたはいいが、
手に負えなくなって川に放してしまったりしている人がいる。
新聞にこんなことが書いてあった。
保健所に飼い主が現在飼っている犬を「バカ犬だから処分してくれ」と言って連れてきた。
これだけ聞いても呆れた話だが、その後の一言が凄かった。
「首輪はもったいないから持って帰るよ。次に飼う犬に使うから」
誰かこいつに天罰を与えてくれ!!
10月15日(水)
「理性」
私は松山千春のしゃべりが好きだ。
曲はじっくりと聞いた事がないが、テレビに出て話していたのを聞いて好感を持っていた。
その彼が2001年に毎月本をだしていた。
その中の「理性」についてを読んで、私は彼の考えに同感を覚えた。
以下は、その内容の抜粋・・・
松山千春
「最近は子供を産んでも働ける環境が整ってきてるだろ。
産休が認められるとかな。
このことでも分かるとおり、女性の人権や権利がどんどん向上してきている。
そのことに関して俺は決して悪いとは思っていないしさ、素晴らしいことだと思っている。
でも、どうだろうか。
「理性」という部分で考えていくと、やはり違和感を抱いてしまう」
そのココロは。
「やはり男が男として頑張れば女は自然と家の中で子供を育てることに専念するはずなんだよ。
こんな主張をすると、すぐに女性差別だ、女性蔑視だとわめきたてる文化人がいるけども、
そういう次元の話じゃないんだ。
あのな、やる行為は感情のおもむくままにやってしまうけども、
自分の愛する男の子供を産み育てたい、男と一緒に大切に育てていきたいというのは、
間違いなく女の「理性」なんだ。
女の「理性」にゆとりがあるから、そう願ったりするわけだ。
でも、現状は子供が生まれたというのに、すぐに離婚したりな。
他にも結婚願望が薄れている女性が増えたり、
結婚しても子供を産まずに働いていたいと希望する女性が増えているだろうよ。
それもこれも、女たちが男ではなく仕事で自分の「理性」を満足させようとしているに違いないわな。
だから、さっきも言ったけども、もっともっと男がしっかりしてだ。
女たちの「理性」にゆとりを持たせるようにしないといかんな。
あなたの子供を産みたい育てたい、そして優しい家庭を築きたい、
と女にそこまで思わせるくらいに惚れられる男にならんとお話しにならんぞ。
男として生まれたからには、いや本当にそこまで女に惚れられてナンボだと思う。
そういう意味でも、頑張ってくれよ、男たち。
しっかりと男に磨きをかけてくれよ、と強く主張したい」
私のように、仕方なく仕事を持っている女にとっては救世主の声に聞こえてしまったのでした。
「女性の権利」だなどと声高に仕事を持つ女性の立場を主張する女がいる一方で、
同じように仕事を持ってても、そんな女性に真っ向から異を唱える私のような女もいる。
仕事を持つには人それぞれの考えがあり、事情もそれぞれに違う。
女だからといって全員同じ考えで仕事を持っているわけではない。
そこのところを男性はとくと見極めていただきたい。
結婚しても家計の為に働かざるをえないのならともかく、
乳飲み子を他人の手で育ててもらってまで働きたがる女性の心理はどうも解せない。
キャリアを捨てたくない、後々の収入の事などの打算が働いての事だろうとは思うが・・・。
そんな女性をパートナーに選ぶ男性の方にも打算があるのだろうか・・・?
いくら、仕事を続けたいと女性が望んでいるとはいえ、
外で奥さんが働くのを容認する男性にも私は疑問を感じている。
「理解」「寛容」「優しさ」「尊重」という言葉の意味を履き違えているのではなかろうか?
男らしくないだろうよ!
まあ、夫婦ふたりきりならそれでもよい。
だが、子供がいるなら話は別だ。
保育園に預けて、その費用を支払っても収入が上回るから、
という理由だけで預けて働いているなら子供がかわいそうだ。
お金の問題ではない。
さっきも話したとおり、保育園に預けてでも働かなければならない事情があるならともかく、
女性の個人的打算で仕事をして欲しくないと言っているのだ。
子供がいたら、「仕事のキャリア」より「母親としての責任」を優先して欲しいと思う。
私には捨てられないキャリアがあるわけでもないし、
「俺が食わせてやるから仕事なんかやめちまえ!」と言ってくれる夫でもいれば
ふたつ返事で喜んでやめちゃうんだけどなあ・・・
でもその夫が出産にあたって不安をあおるような発言をしたり、
例えば、子供ができないのを妻のせいにしたりする男。男として最低だろうよ。
たとえ事実であってもその原因は自分にあると疑いもしない男は滑稽でさえある。
妻に対して思いやりの持てない男は妻にも愛されないんだろうな・・・。
そうやって精神的に追い込むような男だったら安心して子供も産めなくなる。
だって、母体に一番影響を与えるのは精神面ではないの?
それでなくとも女は不安なのですぞ。その不安は口にしてわざわざ言うまでもないことです。
それなのにわざわざほんの少しの心のゆとりまでも夫がネックになってどうする?
温かい目で見守ることができる夫であって欲しいものだ。
私は夫に愛情を持ち続ける。
夫は私が安心して暮らせるように働く。
やがて子供が生まれる。
夫は私と子供を守るため働く。
私は安心して夫を愛し子供を育てる。
基本です。
いちに夫婦円満♪
そこに家庭円満♪がついてくる。
私なんか松山千春的「歩く理性」かもしんない・・・
10月20日(月)
「古典の女性」
私は上手とはいえないが筝の演奏が一応できる。
筝は日本古来の楽器で、演奏される曲は筝曲と呼ばれる。
独奏曲もあるが三弦や尺八と合奏されたり、筝だけでパートを分けて演奏されたりする。
その場合は三曲という呼び名になる。
時代は様々で、現代曲もあれば、古くは江戸時代中期の作曲もある。
現代曲に対して、古典と呼ばれていて、日本の古典曲はバッハやヘンデルと同時代にあたります。
私は古典曲のほうが好きです。
古典曲の多くは歌物といわれ、演奏しながら歌を唄う。
筝曲オリジナルの歌もあれば、地歌もある。
曲と歌は音符が違うから、楽譜を見ると目がひらめのようになってしまって大変だが、
古典は趣があってそれはよい。
歌は、謡いのようで覚えるのも大変だが、演奏しても唄っても古典の風情はよい。
その歌の内容は・・・和歌から取り入れられたものが多く、
季節を詠んだもの、寿ぐ祝い歌と題材も多彩だ。
江戸時代、筝曲は盲人男性の専業だった。
筝といえば女性のたしなみ、のように思われがちだが、それは明治以降の話しである。
詳しい話は、またの機会にするとして・・・。
和歌の題材は女の恋心を唄ったものも多く見られる。
現代のように、女性が惚れたはれたなどと口にするのはタブー。
昔の女は、そんな気持ちを胸に秘めた。
筝の音にのせて、その秘めた思いを男が唄う。
でも、はっきりとは言わない。
他の何かになぞらえるのだ。
例えば夏なら浜辺に遊ぶ千鳥に、秋なら落ち葉に、冬なら積もる雪に・・・。
なぞらえて歌っても、それはそれは情熱的だ。
唄っているこっちが恥ずかしくなるくらいに。
昔の女性は、口にしない分、内にこもって増幅されていたのだと思う。
話はそれるが、「番町皿屋敷のお菊」や「お七」のように
怨念までもがこもるケースが名作になっているではありませんか。
現代は簡単に思ったことを口にしてるから、言葉も軽いのだ。
若い女が「告っちゃおうかな〜」なんて言ったりして・・・。
古典の女性は違う。
言えないことを歌にしているから筝曲の歌の女性には
緊迫した、はりつめた思いがひしひしと感じるのだ。
和歌の作り手が男性なら、筝曲の作曲者、弾き手歌い手に至るまで男性だったわけだから
理想も多分にあったであろうが、女心を汲み取るだけの想像力に長けていたのではないかと思われる。
言葉で伝えることは大事なことだろう。
でも、こうも思う。
女は思ったことを簡単に口にしない奥ゆかしさを少しは持ち、
男は女が口にしない言葉をくみとるだけのアンテナを広く持て!
いや、男だ女だではない。
これからは「以心伝心」だ。
口を慎もう!
それに思いやりというのは、言葉じゃなく行動で示すもの。
上っ面のきれいな言葉ばかり並べる人ほど、その行動は不誠実なもの。
「巧言令色鮮哉仁」
うすっぺらで中身のない、その場限りの適当な言葉なら聞かないほうがまし・・・
10月25日(土)
「筝と太極拳」
7年ぶりに筝の練習を再開して指にマメをこしらえた・・・。
太極拳を始めてから爪をはめたことはなかった・・・改めて筝に向ってみて太極拳と筝は似てると感じた。
私は会社帰りに師匠の教室に週に一度通い、お稽古をしてきた。
だが、それだけのことで、特別自分から進んで勉強してきたわけではなかった。
むしろ、師匠に促されるまま次々と曲をこなしてきたというのが正直なところだ。
自分から師匠に弟子入りしたわけだが、
その動機たるや‘単純バカ’の私の考えたことだからそれこそ単純だったわけで、
意欲を持って弟子入りしたわけでも、目標があったわけでもなかった。
そして7年前、引越ししたのをきっかけに、お稽古通いも辞めてしまった。
師匠との稽古は集中力だけで持っていた。
初見はいつものことだった。(練習して行かないということ)
こんな私だったが、現在でも師匠は何かと心に留めてくださってこれまでに至っている。
ありがたく思う次第である。
さて、
江戸時代まで筝曲は盲人男性の専業だった。だから当然譜面はない。
この制度は明治に入って廃止されたが、昔の慣習に倣って盲人演奏家が主流の世界だった。
習う側は女性にも門戸が開かれ、目の見える人も習えるようになった。
明治生まれの宮城道雄という筝曲の名演奏家であり作曲家がいる。
彼は幼い頃失明し、8歳で筝曲に弟子入りした。
天才と呼ばれ、15歳で作曲を手がけている。
若い頃は負けず嫌いの性格が表に出ることもあり、
無茶をして師匠にたしなめられたこともあったらしい・・・。
芸が高まれば高まるほど謙虚になってゆき、
怒ったことを見たことがないといわれるような人格者になった。
その彼が、筝曲を目の見える習う側の人の事を考えて譜面にしてくれた。
ありがたい話である。そういう人があったから今日私たちが筝曲に親しめるのだ。
本人がこう言っている。
「私は子供のときには非常に負けず嫌いで、喧嘩しても負けるのがなによりいやだった。
それがこうして音の世界に生きるようになってからは、不思議に気持ちが落ち着いてきて・・・(略)
ときに弟子に対して怒ったふりをすることはあるが、心から怒るということはない」
宮城道雄は演奏している筝の音を聴いてその人がどんなことを考えているか分かったそうです。
「なにか悩み事がありますね」
と訊ねて、弟子を驚かせたという話しがのこっています。
彼は、盲人だったせいか敏感な勘が働き、
声をきいただけでその人がどういう人か分かったそうであるから、
筝を聴けばすべてお見通し、てなもんだっただろう。
「筝は弾く人の心を映す鏡のようなものである」
心に雑念があると筝の音に雑音が入る。
心に落ち着きのないときは筝の音が乱れる。
私の筝は技術不足から乱れっぱなしですが、さらに気分が乗らないときに弾くと、
そりゃもう、癇癪を起こしたくなるほどひどいものです。
そんな時は筝に向わないのが賢明というもの・・・。
当時は、古典に則らない新音楽としての扱いだった
宮城道雄も大検校(けんぎょう)の名を授かっている。
検校(けんぎょう)とは盲人の最高位である。
もちろん、古典曲の演奏もしてきている。それらはカセットやレコード、CDで聴くことができる。
彼の演奏は素晴らしい!他の演奏家にはとても真似ができない!
それは確かな技術に裏づけされた演奏だが、それ以上に人を感動させる何かがある!
何かがとしか言えなないのはもどかしいが、言葉にはできない何かなのだ。
鳥は鳥が鳴いているように、秋は寂しげに、弾むところは心躍るように・・・
ただ早く弾くだけじゃなく、軽やかに踊るように・・・
そこには曲に対しての彼の心が投影されている。
太極拳と同じで、筝の音にはその人柄が如実に表れます。
私は太極拳を始めて、太極拳は「太極の心」を知らねば始まらないと思っている。
だが、その心は中国の思想の中に存在している。
太極拳は中国文化である。
概念から言葉に至るまで中国の考え方に切り替えねば理解できそうにないと思っている。
筝曲は日本の文化である。
私は日本に生まれ日本様式の中で育ち、日本語を話している。
だが、筝曲ひとつとりあげても、私はその日本文化を理解しきれないでいる。
最後は太極拳も筝曲も国籍など関係ない、言葉を超えたところに到達すべきものなのだろう。
理解できるかできないかである。
そして芯は同じだろうと。
つまるところはどちらも「人間のなせる業」なのだから、
太極拳も筝曲もつまるところは「心」「魂」なのだと思うのです。
アメリカインディアンでいうところの「マインドスピリット」がしっくりくるかもしれません。
太極拳は心で打つもの、心で見るもの・・・
筝は心で奏でるもの、心で聴くもの・・・
11月1日(土)
「映画館」
私は映画が好きだ。
映画館でみる映画が好きだ。
いまどきの映画館は指定席で、前の人の頭も気にならない、
ゆったりチェアの・・・と、至れり尽くせりだ。
私はそんな映画館が嫌いだ!気にくわない!
だから行った事がない。あえて避けていると言ってもいい。
古い人間とお思いでしょうが・・・(鶴田浩二で、これまた古い)
私はやはり、通いなれた昔ながらの映画館のほうが性に合っている。
前の人の頭が気にならない場所を選ぶテクニックを持ってこそ
‘映画好き’と言えるのだとさえ思っている!
映画館でバリバリ音が出る紙袋をあさるおばちゃん・・・
カラカラと後ろから缶をころがしてしまうおねえちゃん・・・
あとから入ってきてチョロチョロうるさいアベック・・・
こういう光景が繰り広げられるのも許せてしまうのが昔の映画館のおもしろいところでもある。
そこがまた私のツボにはまったりするのだ(笑)
私は映画が始まったら集中したい。いや、よほどの事がない限り集中してしまう。
あの日も映画に集中していた。
館内はガラガラなのに、なぜか私の隣に男性が座った。
既に映画も始まっていたので、移動するのも億劫で、
そのまま見ていた。そして、映画に集中していた。
集中していて、触られているのにも気がつかなかった。
えっ?
こっちが気がつかないことをいい事に、男はエスカレートしてきた。
はっ?
私は映画のクライマックスで、席の移動を余儀なくされた・・・
チカンに気がつかないほど映画に集中しないことには‘映画好き’とは言えんのだよ、諸君!
11月5日(水)
「円」
神社仏閣に詣でて手を合わせた際、皆さんは何を願いますか?
何も願わず、無心に手を合わせますか?それとも、その時々の願い事を祈りますか?
私は願い事はいつも決まっています。それはふたつ。(欲張りでしょうか?)
ひとつは、みんなの健康。
もうひとつは、みんな丸く収まること。
私の世界は私だけで閉じているわけではない。
多くの人と関わり、あったこともない人とも、海を隔てた遠くの人とも関わって生きている。
そうでしょう?
例えば、原油。(例えになってない?)
見たことも行ったこともないアラブ諸国から輸入されていることで私の生活は成り立っている。
そうして、世界と手をつなぐことで初めて生きていくことができる。
そのためには世界が平和であることが重要だ。
諍いや争いのない平和な世界・・・そのイメージが「円」なのです。
「どうか、みんなま〜るく収まりますように・・・」
そして、この「円」を構成しているのは今生きている私たちであり、
私たちが死んでも世界は永遠にありつづける。
この「円」は途切れることなく世代が巡り巡ってこの世界を造っていく・・・
「円」を作っているのは、人間ばかりではない、この世の自然すべて・・・
だから、私たちは「円」を構成しているひとつひとつの点であり、どんな人も欠けてはならない。
みんなこの世で必要とされている存在・・・そして、我々は自然を損なってはいけない。
傷つけてはいけない、大事に守っていかねばならない。
そう思ったら、むやみに戦争なんか仕掛けてる場合じゃなくなるだろうよ!
肌の色の違いも宗教の違いも認めて、お互いを尊重できるようになるだろうよ!
他人から搾取することも、奪うことも、陥れたりできなくなるだろうよ!
アメリカ!
あなた達は「選ばれた民族」ではないのだよ!
あなた達だけではこの世は成り立っていかないのだよ!
「すべての民族」がこの世を構成するには必要なのだよ!
あなた達の信仰している神は、こうは言わなかったのか!
アメリカ!
頼むから世界をそっとしておいてくれないか?
仏教では僧が「円」を書く。
上手に「円」を書くのは徳を積んだ高僧でさえ難しい。
うまい「円」はそうそうお目にかかれないものだ。
修業不足の私には尚更のこと。だから私は願う。
「どうか、みんなま〜るく収まりますように・・・」
私の世界観は「円」で人生は「道」のイメージなのですが皆さんはどのようなイメージをお持ちですか?
11月10日(月)
「結婚式」
私の家は曹洞宗の檀家である。
だから私は仏教徒である。
といっても、仏教徒としての特別な信仰はない。
でも、私は今までの要所要所で仏教に深く関わって生きてきた。
周りの同年代に比べて仏教に対する関心も深いと自覚している。
まず、私の生まれた家はお寺のまん前にあった。
現在も住んでいるその家の自分の部屋からはお墓が見える。
お寺横の敷地には公民館が建ち、広場があり遊具もあって小さい頃はそこが遊び場だった。
私の家は田舎なので、近所は農家がほとんどだ。
農繁期ともなると公民館では保育園のように近所の子供を預かってくれたりもした。
我が家は農家ではないので、私は民間の乗り合いバスに乗り、
定期券を持って遠くにある幼稚園に入園した。
その幼稚園というのが、たまたまお寺さんの経営で仏教を基本とする教育だったのだ。
食事の時は「おとうさん、おかあさん、いたーだきます!」とあいさつし、
4月8日お釈迦様の誕生日は「はなまつり」
園長先生に連れられて、お寺の境内で象に立ったお釈迦様に甘茶をかけた。
そんな2年間の幼稚園生活を送り小学校に上がった。
近所の友だちと遊ぶ場所はお寺の広場。
かくれんぼではお墓に隠れて暗くなるまでお墓にいたものだ。
夏休みになれば、毎朝ラジオ体操をしに行った。
その一方で、近くの神社で巫女のバイトをしていたこともある。
巫女舞(扇の舞と鈴の舞)を結婚式で踊って、三々九度のお手伝い・・・
日曜日に結婚式を挙げたカップルへのサービスだった。
小学6年生までしていたので、結婚式の新郎新婦の誓いの言葉は暗記できるほどだった。
一般に、結婚式は神前式か教会式が普通だろう。
なぜなら、披露宴とセットになってるから。
大抵、式場内に簡易的に設けられた神前に神主さんを招いて結婚式を済ませ、
そのまま披露宴にという流れだ。
もしくは教会にバイトの牧師さんを招いて・・・私の知り合いでアメリカ人の英語教師は
休日牧師のバイトをしているそうだ。
知人である彼が牧師ってありがたみがないぞー・・・
でも、外見は青い目の外人だし、英語ペラペラだし(笑)
そりゃ、知らない人からしたらありがたいわな・・・。
私はいつの頃からか、自分の結婚式は仏前結婚と決めていた。
仏教徒だからというのではない。
お盆、お彼岸、我が家ではそういう古くからの習慣を当たり前に過ごしている。
変わりご飯にする日、餅を供える日、団子を食べる日・・・
我が家は自然にそういうサイクルで一年を過ごしている。
だから、結婚式も当然仏前でしょう?
このことを話したら「お寺ならどこでもいいの?」と聞かれた。
「へっ?どっこのお寺もご本尊はお釈迦様じゃないの?」
宗派によって違うらしいんです。
へえーっ!知らなかった・・・
てっきりどこでもご本尊にはお釈迦様を奉ってるものと思ってました!
「・・・私は釈迦の前がいい!」
釈迦の祝福を受けたいっす・・・つーか、釈迦よ!早よ縁を結んでくれまいか・・・
と、これを読んだ読者の方から(11日)メールをいただいて
「お釈迦様に縁結びをお願いするのは筋違いだ」と叱られてしまった。
「‘お願い’というよりは‘催促’なんだなあ」と返信したら「ますます筋違いだ」って、
激怒されてしまいました。
私はこの世の出会いは「因縁」「業」(カルマ)に拠るものと思っていたんだけどなあ・・・?
釈迦の教えは、この苦しい「因縁」や「業」から逃れる「解脱せよ」だったけど、
現にこの世に生きている私はこの世の道理をカルマなくして解明できそうにない・・・
釈迦は、「因縁」や「業」もすべて受け入れなさいと言ったのではなかったの?
受け入れるを超えてこの世の苦しみは「空」だと言ったのではなかったの?
釈迦は偉い人です。尊敬もしてます。人間ができてます。
でもね、弱くてちっぽけな私は良くも悪くも「因縁」や「業」に翻弄されながら
苦しみもまともに受けて生きていくしかないのです・・・
「空」じゃなくて「実体」として存在するものとして。
いや、分かってるつもりです、「気の持ちよう」だってことは。
と、ここまでを読んだまた別の読者の方から(13日)メールをいただきました。
しかも参考URL入りで・・・。
「「縁」は「因」がなければ無いのです。
縁を求めるのならば簡単で、「因」を作れば良いんです。」
とのこと。さらに・・・
「縁を求めるのならば簡単で、「因」を作れば良いんです。
というわけで、あきらめずにたくさん糸を張り巡らしてくださいませ。
時期が来れば必ず結果が出てきますので。因縁と業の力はすさまじいですよ。」
そうですね。まったくもってそのとおりでございます。
でも私はこの「因」が自覚のある現世で作られたのならまだしも、前世で作ったのもなら・・・?
前世の報い「縁」が現世になって現れていたとするなら・・・?
それだから「業」なのではないか・・・と考えているんです。
自分が「因」を作ったに相違ないのだけれども、それは前世であった、とするなら
この世の辛さ苦しみは、甘んじて受け入れねばならないでしょう?
この世は続きの世界。
だからその結果の「時期」が現世で現れるとは限らないのでは・・・と。
「時期」はめぐってきます。
必ずやってきます。
だからこそ「業」なのだし。
終わらせるには「解脱」するしかない。
「業」は来世へと続き、苦しみもまた続く。
私は以前、世界観が「円」だと書いたことがあります。
この「円」は「業」の持ち越しのイメージなのかもしれません。
この世は修業の場であり、「業」で天命が定められていると、ある意味、「観念」してます、私。
なーんて言ってると、また突っ込みメールが来ちゃうんだろうなあ。
宗教(私の話しはそんな大げさなものではないのですが)は物議をかもすんですね。
そもそも「結婚式」の話題だったのに、ここまでひっぱってしまったが間違いの元でした・・・。
11月15日(土)
「悪循環」
私は旅行記を書いてるくらいですので、旅行が好きです。
それも、危険地帯と言われるところに趣向があるようです。
もっかの狙いめはインドかベトナムです。
でも体が丈夫な方ではありません。
家族は私がひとりで旅行に行くとなると、なだめすかしてやめるように説得します。
「向こうで悪い病気が流行ってるそうよ」
それでも、私が行くと言うと脅しにかかります。
「機体が中古だから墜落するかもよ」
それでもダメな時は‘今生の別れ’とばかりに泣き脅しです・・・
「向こうでお腹が痛くなって倒れたりしたらどうするのよ・・・」
だから、出発日に焦点を合わせ健康管理には気をつけるようにしている。
たとえ本当に体調が悪くとも(2000年香港参照)
「這ってでも行ってやる!」と豪語し、結局たんまり薬を持って出かけることになります。
もともと薬に頼りたくない私は極力薬は飲まないようにしていますが、
旅先でたまりかねて現地の薬局で薬を買って飲んだこともあります・・・
日ごろボーッとしてる顔だから他人からは
人間性もボーッとしてると思われてるようで、
ノー天気に生きていると思われているようです。
まあ、「当たらずとも遠からず」ではありますが・・・。
ところが、こう見えても私はけっこう神経質なんです。
神経が疲れてくると腹痛おこすし、体が疲れるとすぐ熱がでるし・・・
疲労の原因は睡眠不足である。
8時間は寝ないと調子悪い。
眠れれば問題ないのだが、そこは神経質な私。寝つきが悪いし、
気がかりなことがあると眠れない日がつづく。
体が疲労してくる。
熱がでてくる・・・
そうならないように、睡眠不足を食事で補おうするが、
体が疲れているから食べると腹痛おこすしの悪循環となる・・・。
胃腸が弱いのは体質なのだ。とにかく、小さい頃からしょっちゅう腹痛をおこしていた。
だから、体調を崩すと、弱い胃腸にサインが現われる。
小学生で十二指腸潰瘍で通院。運動禁止。
20代で主治医から「あんたの胃は70歳代だ」と言われた。
だから、胃が痛いとか腹が痛いには慣れっこ。
でも、世の中にはいるんですね。
胃が痛くなったことがない人が!!
そういう人は胃が痛いという経験がないから、痛みの感覚が想像できないらしいのです。
自分の胃が体のどの辺にあるかさえわからないそうです。
私なんかあまりの激痛に全身油汗とも冷汗ともつかない変な汗をかいて
あまりの痛みに座っていることもできない、なんて事だって1年に2,3回はある。
1年に3回も食中毒にあい、死にかけたこともある・・・(1995年香港参照)
飲んだ薬さえもどしてしまって「今度こそ救急車か・・・」と何度思ったか・・・。
こんな、派手な痛みに耐えている私ですが、風邪となると、これまた反対に地味なんです。
普通は咳が出たり、喉がやられて声がかすれたり鼻声になったり、という症状になって、
「大丈夫?」
「ひどそうね・・・」
「早くよくなってね♪」
なーんて、周りから温かいお言葉をかけてもらったりするものだが、私はそうはならない。
何の前兆もなく、熱がいきなり38度くらいでて、グッタリ。
咳は滅多にでない。喉は痛いが鼻声にはならない。ただグッタリ。
ひたすらグッタリなので、誰も気がつかないのである。
そんなあ、しんどいんですけど・・・無理してるんです・・・
咳はでないけどホントにしんどいんです・・・嘘じゃありません・・・
こんな顔ですけど、熱が38度あるんです・・・見えないでしょうけど・・・
11月20日(木)
「手当て」
「手当て」という言葉。
人の手にはなんらかの力があって具合が悪い時、手を当てると不思議に症状が和らいだことから
病気や怪我などの治療をすることを「手当て」というようになったという。
確かに、胃が痛いというような時、自分で無意識に手を当てたりする。
そして、じっとしていると気分が軽くなったりもする。
温度と関係があるかもしれない・・・
人にひしっと抱かれると安心したりするじゃないですか。
体温なのかもしれない・・・
温泉に浸っていると気持ちよくて眠くなるじゃないですか。
やっぱ、熱なのかもしれない・・・
熱のことをエネルギーといいます。
「手当て」は不足したエネルギーを補うことなのだともいえる。
それは私のように自力で自分の手でもできる。
人に「手当て」をしてもらうことだってもちろんできる。
でも、エネルギーは強すぎても効果がない。
私は具合が悪い時、人に体を触られるのがとてもイヤです。
元気な時なら、いくら触ってくれてもいいんだけど!
痛みを感じていたり、弱っている時、人にさすってもらったら普通は和らぐのだろう。
でも、私はそんな時だからこそ体に触られるのがとてもイヤなんです。
「やめてくれー!」「触るなー!」と叫びたくなる。
具合が悪いから叫びたくても叫べなくて困るのですが・・・
元気な時なら、いくら触ってくれてもいいんだけど!
普段から、私はエネルギーが少ないのだろう。
だから、エネルギッシュな人に会うと、却って具合が悪くなってしまうのだ。
湯あたりしたように、こっちが弱ってしまう。
私のエネルギーの許容量を超えてしまって・・・つまり強すぎるのです。
自分よりエネルギッシュな人に会うと「元気がもらえる」と言う人がほとんどでしょうが
私の場合、強すぎると「気を吸い取られる」感じになってグッタリしてしまうのです。
恥知らずの若者や、わけのわからん自信にみなぎったおばさん連中は大の苦手です。
私の苦手な人たちに共通して言えるのは‘声が大きい人’のようです。
妙に元気のいい人、無駄にエネルギッシュな人は大概‘声が大きい’です。
私はそんな人のそばにいると、黙ってても疲れてしまいます。
幽霊みたいに死にかけてるような人も困るけども、ここまでくると相性なのでしょう。
人それぞれ、いっしょにいて心安らぐ人は違うはず・・・。
自分と同じタイプが安らぐ人もいれば、反対のタイプが安らぐという人もいるように・・・。
つまりは、気の波長が合うか合わないかではないでしょうか。
11月25日(火)
「温泉」
私は温泉が好きです。
お風呂じゃないよ、温泉がです。
私の家から車で30分も走れば、県内でも有数の温泉街に行ける。
普段の日でも日帰りで「ちょっくら温泉」もありだ。
私は胃腸が弱いので、調子の戻らない日が続くと、温泉が欲しくなる。
以前、病気をして一週間ほど湯治をした。
そこの宿の温泉は胃腸病に効くらしいと情報を得て、母とふたりで泊まった。
それ以来、そこのお湯のファンになった。
でも、元気になってしまうと、行きたいと思ってはいてもなかなか行く機会がないものである。
結局12年もご無沙汰してしまった・・・
今年のある日、叔母がそこの温泉に入ってみたいと言いだした。
ならば、と母と叔母といとこと私の4人で出かけた。
私は12年振りの宿のお湯を懐かしく思い出していた・・・。
行く道々車内で叔母が言った。
「カラオケあるかしら?」
叔母がいつも行く温泉はレジャーランドのような温泉ばかりだから
ドンチャン騒いで、飲んで食って・・・なのだ。
私は静かに温泉に浸り体を癒したかった。カラオケはやめてー、お願いだから・・・(泣)
開湯は室町時代の歴史あるお湯です。
泉質の異なる4本の源泉を持っていて、お風呂は大小10箇所もある。
浸れば皮膚疾患、飲めば消化器系、吸えば気管系の効用があります。
カラオケなんてもってのほか!(怒)
いとこはこの期に及んでテレビ見たいと言いだした。
まだまだ青いな!(怒怒)
季節的なこともあってか、お湯に粘りがあって重くまったりしていました。
そんじょそこいらのお湯とは格が違います!
私は1時間に1度の割りで入り、計5回入湯。
二度目には眠くて眠くて・・・効いてきました。
三度目には腹が減って・・・ソバの出前をとりました。
四度目には思考能力が無くなり・・・泥のように眠りたい・・・でもおばちゃんがうるさくて眠れない。
五度目には体のあちこちが痛くなって・・・あーあ、体の中の悪いところを完全に叩き起こしてしまったようです。
だる〜い・・・。
結局、起こしたままで帰ってきたもんだから、翌日はだるくてだるくて。
そこで二日三日入り続けないことには・・・
だから、湯治だって!
私が行った温泉で今でも忘れられないのは秋田の「日景温泉」です。
ここは旅行で青森のねぶた祭りを見に行った時の宿でした。
だから、到着した時間も夜遅かったし、一度しか入れませんでしたが檜風呂でお湯は乳白色。
忘れられません!
ソフトで柔らかく、肌触りがなんとも言えず上品・・・あんなお湯にはお目にかかってません!
ずいぶん鄙びた、辺鄙な宿でした。食事ははっきり言って良くなかったです。
でも、お湯はピカイチ!
私は部屋はどうでもいい方だし、食事は美味しいにこしたことはないけど、うるさくはありません。
温泉宿はお湯が命!
テレビで紹介されてる宿は部屋や食事や雰囲気だけでベスト10!なんて騒いでいる。
ちゃんちゃらおかしいね!
お前ら、お湯には入ったのか!(怒)と言いたい!
お前ら、お湯が語れるのか!(怒怒)とね!
テレビのレポートなんて上っ面の見た目ばかりで、
脱衣所がきれいだの、女将が美人だのばっかで
お湯のことなんて一言も触れていないではないか!(怒怒怒)
私はお湯さえ良かったらそれで納得するのです。
「日景温泉」のお湯にもう一度入りたいものです。
もう一軒、印象に深い宿があります。
今度はお湯ではなく、宿が気に入ったのです。
そこは、福島の高湯温泉「安達屋」という旅館です。
高湯温泉の一番奥、一番高いところにあって、
私は福島駅からバスで向かいましたが終点で降りるとすぐでした。
安達太良山を背にしており、冬はスキー、夏はユリが咲き誇り、散歩コースにもってこいだそうです。
ただ私はお湯が目当てでしたので、一歩も旅館から出ることはありませんでした。
露店風呂もあって冬でしたので雪見風呂となり情緒たっぷり。
もちろん、お湯も申し分なし!特に食事が良かった!
十数年前の春先、女ともだちとふたりで2泊したのですが、ふたりで炉辺での食事。
いろりに串刺しの鮎、ヤマメ・・・美味しかったです!
お湯に入って、栄養ある食事をとって体を休める・・・
体を労わってると感じる瞬間!
話を蒸し返すようだけども、これだけは言っておく!
テレビで紹介されてる宿の食事は!
チャラチャラ器ばっかし良くて、「なんとか焼きのお皿でございます」だのって自慢して
そのなんとか焼きのでっかい皿にちょこっと着色料たっぷりの料理が乗っかってるだけじゃないか!
ちゃんちゃらおかしいね!
皿を食うわけじゃないんだよっ!皿なんかどうでもいいの!(怒)
プラスチックじゃ困るけど、なに焼きでもおんなじなの!(怒怒)
温泉宿の料理というのは、お湯に入って消耗した体力を補うのが基本なの!(怒怒怒)
大事なのは栄養!
テレビの放映に乗せられてその気になる奴らばっかりいるから、
本来の温泉宿が打撃を受けて少なくなってきているし、方向転換を迫られている。
(安達屋さんも以前と違ってるかもしれません)
そもそも、温泉の恩恵にあずかったこともない病気もしたことない
健康な奴らがレポートするからそんなことになるんだよっ!
だから、どんなにいいお湯に浸っても違いが分かんないんだよ!
違いますか?
もっと言いましょうか?
健康な人は温泉に行くな!
カラオケ目的で伝統ある湯治温泉に行くな!
レジャーランド温泉で充分でしょ!
そうでしょ?
知ってますか?
秋田の「玉川温泉」を!
あそこはガンも治すといわれて全国から、
わらにもすがる思いでお湯に入りにきてる人が集まっている温泉なんです。
そんなところに健康な人が、行けますか!?
私は恥ずかしくて行けませんて・・・。
12月1日(月)
「サンタクロース」
父の友人に自転車屋さんがいた。
古い記憶では私が小学生の頃、この自転車屋さんは「お裁縫箱」をくれた。
真っ赤な箱で、表に舞妓さんの刺繍があった。
最近、その自転車屋さんの体調が悪く寝たり起きたりの生活になっていると聞いた。
母と「お裁縫箱もらったよね」なんていう思い出話をしていたら、
「もっと小さい頃、あなたが4、5歳の頃、
自転車屋さんがクリスマスだからってお菓子の入った靴を買ってきてくれたのよ。
それを眠っているあなたの枕元に置いたら、翌朝あなた
サンタクロースって本当にいるんだね♪(嬉)って言って・・・」
かあちゃん、そりゃ、そうだよ。
あなたはそういう夢を与えてくれなかったからね。
サンタが本当にいると思わなかったんだよ。
だって、かあちゃん、クリスマスプレゼント
直接子供に手渡すんだもん・・・(涙)
12月25日(木)
「2003年最後のご挨拶」
今日は2003年最後の更新です。
さてさて、みなさん昨晩のイヴいかがお過ごしだったでしょうか。
え?
わたし?
聞くってか!
バウス!!
ひたすら同窓会世話人として全員分の案内封書作りをしておりました。
もうね、夜なべの内職してるみたいにノリで手がまっ黒よ!
あたしゃ、イヴにひとりで何してんだ?状態よ!
明日には発送するぞー!ってがんばる自分が悲しいです・・・
まっ、そんなことはさておき・・・
私の2003年を振り返りますに今年は「激動」の一年でした。
精神的には「激震」でしたが表面上(日常生活)は相変わらずでした。
やがて「内面に起きた激動」が「表面に噴出」をもたらすでしょう。
2004年は「噴出」の年になりそうです。
自然の理です
そして、その噴出がたとえ「大爆発」であっても「沈下」であっても、
やがては「安定」に変わることを切に願うしだいです。
何事も自然に任せて・・・終わり良ければすべて良しです
ところで「飛ぶtuzi」は旅行記と企画集に加えて日記、映画、太極拳、編み物・・・と、
新コーナーを増設し、定期的に更新を重ねてまいりました。
読者の方々本当にありがとうございました。
感想メールくださった皆様には心よりお礼申し上げます。
そして来年はさらに多くの読者の方から声が聴こえてきますよう願っているtuziです。
それでは皆さんお元気で、どうぞよい新年をお迎え下さい!
そして2004年も「飛ぶtuzi」をどうぞよろしくお願いいたします。
2004年元旦にお会いしましょう!
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