2010.8

8月15日(日)

「神楽」

私は神楽が好きである。観るだけでなく、自分でも舞いたいと思う。
だが、その地元に伝承する神楽を、習いたい、と問い合わせるには、なかなか勇気がいるもので、
今のところは、方々の神楽を観て回ってるにとどまっている。

私が初めて神楽を観たのは、3年ほど前のことで、氏子になってる神社で催されたのを
観に行ったのがきっかけでした。
観に行ったくらいだから、元々興味があったのには違いないのですが。
その時の神楽に魅了されて、入門したい!と思ったのだが、やはり一歩を踏み出す勇気がない。
それに、神楽って本来、男性が舞うものじゃないのか?、と思ったりもする。
女人禁制の域なのではないのかと・・・しかも、私はよそ者だ。
いくら、後継者不足とはいえ、保存会として活動しているところに、
入会させてもらうのも違うような気がして。

以来、車で30分圏内なら、喜んで出かけて行っては各地の神楽を観ている。
先日も、車で20分くらいの神社に神楽を観に行った。
その神社に伝承されている、独自の神楽だそうだ。
全演目を披露するとのことで、4時間ほどの長丁場。
篝火の中で、社殿前の特設ステージでの神楽の舞い。
本格的な舞台にも関わらず、観客はまばら・・・興味のない人には退屈でしかないのだろう。
というか、興味深々の私でさえ、退屈してしまう舞いだったのですが。

これまで観てきた、躍動的な神楽と違って、静かに舞う神楽は‘能’さながら。
巫女舞の男性バージョーンとでも言いましょうか・・・
劇仕立てで、セリフがある演目もあるにはあるのですが、とにかくお上品。
篝火神楽ならぬ‘能’を延々4時間。一演目が、30分〜40分。全10演目。
どれも同じ所作、同じようなステップ。同じ動作の繰り返し・・・
いい加減、座ってるお尻も痛くなって、あくびも出そうなほど退屈。
でも、せっかくだから、ガンバッテガンバッテ、終いには意地で、最後まで鑑賞してきました。

ひとくちに神楽といっても、その技の出来栄えには、各団体で差があるものですし、
今回のように、まったく次元の違う、‘能’所作の神楽も存在する。様々です。
これまで、いくつかの団体の神楽を観てきましたが、やっぱり最初に観た神楽を超える団体は
いまだに現われていません。完成度が高い神楽だったのです!
今回の篝火神楽に、神楽が好きで、全国を回ってるという人が来ておりました。
マイナーで、町の広報に載ったぐらいの神楽の情報を、どう得たものか?
これぞ、「蛇の道は蛇」じゃ。
翌日も、神楽が催されるところに移動して観るのだそうで、神楽三昧全国の旅を送ってるようです。
凄いなー。
そんなに好きなら、自分でも舞いたいとは思わないのかなぁ?
観るだけで満足ー?
私は好きになると、自分でもしたくなっちゃうもんね。
いやいや、‘能’のような神楽はご遠慮申し上げますがね。
でも、観てる側が退屈でも、演じ手は充実してるのかもしれません。
ほら、太極拳みたいなもので・・・



8月16日(月)

「幻のスイカ」

今年の夏は暑かった。
毎日毎日暑かった。
どこぞの沼では、数十年ぶりに花を咲かせた希少植物が発見されたとかで、
学者先生たちが騒いでいた。
我が家でも数年ぶりにアロエの花が咲いた。
どちらも猛暑の影響だろうと思う。
このパソコンのある部屋は、クーラーがないため、部屋の温度計は40℃近くまで上がっている。
そのようなわけで、部屋には入りたくなく、今回は久々の更新となった。
というより、パソコンを立ち上げて作業してたら、私より先にパソコンがダウンしそうで・・・

こんなに暑い日が続いていたというのに、私は大好きなスイカのことをすっかり忘れていた。
ハタ!と思い、そういえばスイカトラックが来ないな・・・、と気がついたのはお盆間近だった。
こんなに暑いのだから、バンバン売れるだろうに、さっぱり来ない。
毎年なら、7月下旬にはやってくるはずなのに・・・おかしいな?
と、母に話したところ、
「ここに来る途中で、売り切れてしまうのよ」とのご意見。
ははあ、納得!
そうだよね、こう暑くちゃ、バンバン売れるはずだもんね。ここまで到達できないか。

立秋過ぎて、暑さもひと段落したかのような8月半ばのある日、
「すいか〜♪すいか〜♪、甘くておいしいスイカ〜♪」
やっと、スイカトラックやってきた。
呼び止めようと、急いで外に出てが、遅かった!
「うわ〜ん、買いそびれちゃったよー。また来るかなぁ?」
その数日後、また別のスイカトラックがやってきた。
スピーカから「すいか〜♪すいか〜♪」と音だけは聞こえているのだが、姿は見えず・・・
そして、どっかに行ってしまった・・・またしても、買いそびれた。
だったら、近くのスーパーかどっかで、買ってくればいいだろ!と思われるかもしれないが、
スイカは、ブランドスイカの本場からやってくるスイカトラックから買うのに限る。
貴重なスイカトラックを、またしてもスルーしてしまい、「いやあ、今年は食べずに終わるのか・・・」と
思っていたところへ、お盆のお土産に、スイカをいただいた。
やっと、スイカにありつける!と喜んでいた矢先、今度は私がダウンしてしまった。
お盆の準備や、餅つき(お盆には餅をつくことになっている、これが重労働でして)で
疲れていた体がついにスイッチオフ。
「なんか、熱っぽい・・・」
おかしいな?
風邪?
「だるーい・・・」
なんか体が熱い。ううっ、気持ち悪い・・・
「スイカ・・・」
まだ切ってないスイカ・・・
食べなきゃ!
2010年、スイカトラックは音だけだった。
花火大会も音だけだった。
お土産のスイカも、このまま幻となってしまうのか・・・

さて、今日はお盆の送り火である。
数年前に買った、線香花火が残ってたはず。
今年の送り火に花火をしよう、と思っていたが、できずじまい。来年に持ち越しか・・・
私は小学生の頃、夏休みというと、母の実家の、ばあちゃんちに泊まりに行っていた。
そこには私より、ひとつ上のいとこと、二つ下の弟で、私にとってはいとこがいて、
兄弟がいない私は、そのいとこ達と遊ぶのが楽しみだった。
夏は、山歩きや、近くのお寺で遊び、近所の馬を見たり、牛を見たり・・・冬は、裏山でそり遊び。
お盆の頃に行くと、茹でたてのトウモロコシが美味しくって。
トマトも裏井戸で冷やされてて、まるかじり。とても美味しかった。
送り火は、曾祖母が歌を唄いながら藁を燃やした。
それは、なにか分からないが、ある言葉が訛って「おでまづ」と言っていた。
そして、私はその火の上を飛ばされたものだ。
燃えている藁の上を、ピョンピョン飛んで、行ったり来たりするのだ。
その時は、いとこたちはいなくて、私と曾祖母のふたりで「おでまづ」をした記憶がある。
たぶん、私が行ってないお盆は、曾祖母ひとりで送り火を焚いて、ご先祖様を送っていたのだと思う。
曾祖母が亡くなってからは、「おでまづ」をする人もいなくなってしまった。
今や幻となってしまったわけだ・・・
でも、私の耳には、曾祖母が唄う、なんとも寂しげな「おでまづ」の歌声と、
暗い夜に浮かび上がる藁の燃える光景が、今もありありと。
静かで寂しげな「おでまづ」が私は好きで、あの空間だけ別世界のように感じたものでした。
「おでまづ」が終わって、蛍光灯の家の中に戻ると、世界が一変して、
不思議な気分になったものでした。どっか、はるか遥か遠くから戻ってきたような・・・
どちらも現実なら、私はあの幻想的な「おでまづ」の世界の方が、
居心地がよかったのかもしれません。
そんな記憶だけが残って、あの世界も幻になってしまったけど・・・




2010.11

11月1日(月)

「上野の不思議」

2008年11月の「tuzi now」に東京を歩く、上野があります。
私のお気に入り番組、ブラタモリを観始めたのはその後で、しかも最初何回かは観逃していた。
その観逃してた回に「上野」もあったわけで・・・
先日、「上野」の再放送があるというので、前々からチェックして見逃さないようにしていた。

上野は私の大好きなスポットで、東京に行った際、半端に時間がある時などは、
アメ横周辺をぶらぶらしたりして時間を潰している。
不忍池のほうに行ってみたり、無計画に博物館や美術館に立ち寄ることもある。
前回、東京に行った時は、国立博物館の中国文明展を見てきた。
上野の公園はやたら広い。恥ずかしながら国立博物館にも、その時初めて行ったほどだ。
不忍池から眺めると、池越しに五重塔が見えたり、島の中にお堂が見えたり・・・
「なんだろ?」
と、思うものの、まだ行って見たことがない。
かろうじて、島までは行ってみたくらいで、そこには弁天堂の看板。
中に進んでいくと、参道になぜか八橋検校の碑。
「なぜここに?」
疑問が残る。
中途半端な時間潰しだから、急ぎ駅に戻らねば!
というわけで、考える間もなく疑問は解決されないままで、慌てて新幹線に飛び乗る・・・
といった具合で、何度行っても、まだまだ奥が深い上野なんである。
また、駅に戻るのに、いつもナンギしているのが、上野の山である。
急いでいるのに、登ったり下りたり・・・
「んもうっ!何でこんなところに山があるんだよっ!」
そもそも自然の山?丘なのか?というには不自然なくらい高い!
どうしてこんなところに山があるの?
で、その頂上になんで西郷隆盛像なんだ?
すっげー不思議。
だったら、ちゃんとさ碑を読めばいいものを、面倒くさがって、読まない私。
「ふしぎー」って言いながら毎回、横を素通り。時には汗だくになって、駅へ走る・・・
上野にはまだまだ不思議がいっぱい。。。

そんな私の不思議を、再放送ブラタモリは一気に解決してくれた。
番組は寛永寺から始まった。
私も上野に寛永寺があるのは知ってたし、徳川家の菩提寺で将軍が葬られているのも
もちろん知っていた。大河ドラマの篤姫もそうでしょ?
たしか、8代吉宗、5代綱吉もじゃなかったっけ?
が、
いまだに、寛永寺に行ったことがない。
だって、寛永時に行っても徳川家墓所は見れないでしょ?
ま、そういう理由ばかりじゃないけど、行って見たいとは思いながら、行ってないんだな、これが。
で、
その寛永寺なんですけど、実はあの上野一帯全部が寛永寺だったんだって。
知らなかったね・・・
しかも、
建てたのが、天海上人!
「ははあ・・・」
で、
ずっと不思議に思ってたあの山!
比叡山に見立てた山なんだって!
「なるほどね・・・」
もう、これは納得するしかないよね。相手が天海上人なんだから・・・
じゃ、なんで西郷隆盛像なの?
これにもちゃんと納得できる歴史的理由がありまして・・・(長くなるのでその話しは割愛しますが)
それに、弁天堂の八橋検校の碑も、「弁天様は芸事の神様、だから」という理由で
あっさりと片付いてしまった。
明治時代には不忍池の周囲が競馬場になったり、とにかく上野は娯楽の一大テーマパークだった。
上野は天海上人が築いた江戸、明治、そして現在も巨大アミューズメントパークなのだ。
私にはまだ、「この坂登ったらどこに出るんだろう?」というような、未解決の不思議が残っている。
次回は時間潰しの上野訪問じゃなくて、ちゃんと時間作って、じっくり歩きたいものだ。

それにしても、ブラタモリっておもしろい。
秋葉原の回もおもしろかった。
万歳橋のことや、今のオタクの街からは想像つかない秋葉原の駅の話しなどは驚きだった。
東京はやたらと坂があるな、って私も感じてたけど、それは太古の地形に拠るものだということだとか
番組では分かりやすく教えてくれる。
新宿の回では、玉川上水(なくなったっということすら知らなかった)の跡から、上水道に至る経緯・・・
浄水場跡をうまく利用して、堅い地盤との二重構造を、効率よく作り上げた副都心開発・・・
「うまく考えたものだなあ・・・」と、感心してしまった。
そして、どこの地区を見ても、昔(それは江戸であったりそれ以前であったり)の痕跡が
消えないで残っている点が興味深い。
ほんとブラタモリっておもしろい。
ここで余談ですが、tuziのリクエストは、品川、高輪です!
高輪の坂は、タモリさんの好きそうなカーブのついた坂ですよ♪
で、
カーブを曲がらないで、まっすぐ進めば、さらにグンッ!と落ち込んで
崖を落ちるような坂のスポットもありましたよ♪
あそこって(泉岳寺〜品川駅間のコンビニの所)、なーんか訳ありみたいじゃん?



11月5日(金)

「天皇賞」

日曜日、たまーに競馬番組を見る。メインレース、特にGTレースなど。
見ているとオモシロイもので、馬や騎手の名前も自然に覚えてしまう。
私はウォッカが好きだった。
女の子なのに、牡馬にまじってもブッチぎりの一等賞。
パドックはオス馬たちと一緒では、興奮されてしまうからと、ひとり離れたところで
グルグル回らされていたりした。
小柄でカワイイ女の子なのに、走りっぷりがよかった。
そんな彼女も、いつのまにか引退してしまった。残念・・・

ところで、私の家から車で15分くらいのところに、場外馬券場がある。
父がいうには、中央競馬の馬券も買えるとのこと。
「そーなの?」
いつも、テレビで予想してるだけじゃツマンナイ。
馬券でも買ってみよっかな。
私の予想は、一番人気とか、そういうのは気にしてなくて、
騎手の名前だったり、馬体重の増減聞いてだったり・・・やっぱ、その日のパドックが見たいよね。
場外馬券場ってどーなんだろ?
そういう周回なんかは見れるんだろうか?
見てからでも、馬券て買えるものなんだろうか?
「今度の天皇賞、馬券でも買ってみるか!」

私は「案内するから」という父と、初めて場外馬券場に足を踏み入れた。
「・・・・オッサンばっかりだ」
99.999%オッサン。
日曜日なので、大画面スクリーンの前の椅子は満席だが、
その中でオバサンはひとり?かふたりほどだ。東京競馬場とは大違い。
最近ではCM効果もあって、若い女性が競馬場にいてもおかしくないが、
ここ田舎の馬券場には、女性であれ、男性であれ、若い人がいない。
ゼロ!
華やかさゼロ!
オッサンジイチャン一色。
モノトーンの世界だ。

こう本物のオッサンばっかりの中にいては、いくらオッサン化してる私でも
居心地の悪さを感じる。とっとと馬券を買って、帰りたい。。。
「天皇賞の馬券はどこだ?」
3方壁際にテレビ画面がズラーッと並んでいる。
「この自動販売機のようなもので馬券を買うのだな・・・」
それくらいは予想がついた。
が、
画面は地方競馬ばっかりだ。
「天皇賞・・・天皇賞・・・、東京競馬場の自販機はどこだ?」
行けども行けども、地方競馬ばかり・・・
「えー、ないよー。東京競馬場の11レース・・・」
おっかしいな・・・
自販機の前で画面を見ていたオジサンに聞いてみることに。
「あのー、東京競馬場はないんですか?」
「今日は、○○競馬だけだよ」
「じゃ、天皇賞とかは、ここでは買えないんですか?」
「買えねーなー、それは○○競馬場(隣県)まで行かないと買えないよ」
なーんだ。
恥ずかしいなー。
知らないにも程があるよ。
とーちゃんに騙されたぁ〜
なにが、買えるだよ!(怒)
いい加減なこと言って!(怒)

つまんねー。
私は、枠連?とか、枠複?三連単とか、そーゆーの分かんないから、単勝っていうんですか?
一等になる馬だけ買う、って決めてたんですよ〜。
つまんねー。
だから田舎暮らしはキライよ!
中国に行く飛行時間より、空港に行くまでの方が時間かかるし〜・・・
馬券も買えないなんて〜・・・
京都競馬場も、大井競馬場も買えないんなんて!
つまんねー。
仕事も無い!(怒)
娯楽も無い!(怒)
だから田舎なんかキライよっ!

家に帰って、いつものようにテレビで競馬を見る・・・(涙)
私が応援していたのは、ペルーサでした。
一番人気はブエナビスタだけど、完全無視。だって、騎手が外人なんだもん。
だから、ジャガーメイルも自動的に除外。
それから、人気馬のアーネストリー、シンゲンもイマイチなんだよねー。
ピピッと来るものがないのよ。
やっぱ、今回はペルーサでしょ。
コタツに寝っころがって見てたら解説者が、ペルーサはスタートが苦手、との情報。
「ふうん、スタートかぁ・・・」

ファンファーレが鳴って、各馬ゲートイン。
スタート!
「あ〜あ、またペルーサ、スタート失敗してるし〜」
ペルーサはスタートに失敗し、ビリからひとつ上がって、後ろから2番目くらいを走っていた・・・
2000Mなので、カーブ曲がって直線に入ったら、もうゴールだ。
これじゃ、ペルーサはないね。結果、馬券が買えなくて正解だったかな?
集団から抜け出したのは、一番人気のブエナビスタ。
もう、かなり引き離してる。このまま、ゴールかと思ったら・・・
「え?」
引き離したブエナビスタに、追いつきそうになったのは、なんとペルーサ。
「来たよー♪」
それまで、アクビしながら寝っころがってた私も、これには起き上がった。
スタート失敗しても、どこで抜けたか、急に突進してきたよ。
「うわあ、追いつきそう・・・あーあ、惜しかったなぁ」
あと、100Mあったら抜けたのに。実に惜しい!
スタートさえ失敗しなければ、一着だったかも・・・
いやあ、応援のしがいがありました。
スタート練習して、次回は期待してるよ!ペルーサ!
でも、馬券は買ってあげられないんだ・・・ゴメンね。



11月10日(水)

「ショッピングセンター」

私は田舎に引っ込む前、学生の頃から、長いこと××市に住んでいた。
卒業して、就職して、入院して、ひとりで事務所立ち上げて働いていた。
一人っ子なため、田舎の実家のことを考えない日はなく、手鎖に足かせを履かされたような
生きた心地のしない年月だったが、一人暮らしは自由で快適で、ホームシックとは無縁だった。

私が学生の頃住んでいたアパートは、××市に住んでいる親戚の叔母さんが見つけてくれた。
格安で、家具屋さんの倉庫の2階で、お風呂はなく、銭湯に通った。
トイレも共同だったけど、学生の私には十分だった。
買い物は近くに大きなスーパーマーケットがあったし、その辺は戦争でも焼けなかった昔ながらの
雰囲気が残る街だったので、銭湯の道すがらにある、八百屋さんや魚屋さんでも買い物ができた。

就職して、さすがにお風呂くらいは欲しいので、風呂付に引っ越したが、
近くの不動産屋で見つけた格安のボロアパートは、すぐ目と鼻の先で、
買い物先もほとんど変わらなかった。
ただ、銭湯に通わなくなったので、ショッピングセンターと称する別のマーケットにも行くようになった。
そのマーケットはとても便利だった。
元は魚屋さんだったのだと思うのだが、手を広げて野菜を置いたり、花屋さんが店先を借りたり・・・
そうこうしているうちに複合ショッピングセンターになったのだと思う。
魚は一匹まんまで売っているのが基本で、頼めば刺身にでも、切り身にでもさばいてくれる。
何より新鮮だった。
野菜も、規格外を安く提供してくれていて、田舎の実家よりずっと安く買うことができた。
花も買えて、部屋に花があるというのは気分がよいものだ・・・

その後、自分の部屋で仕事をするようになり、非常勤講師の仕事で電車に乗るようになっても、
駅からアパートまでの通り道にある、ショッピングセンターで買い物していたので、
まあ、ずいぶん長いことお世話になったものだ。
ま、‘ショッピングセンター’という呼び名さえ、今では死語ですね。
良く言えば、‘レトロ’な感じのする響きですが、いかに年季の入った建物かが知れるというもの。
でも、‘ショッピングセンター’という呼び名がシックリくる、その古めかしさが、これまた良かった。
2度の引越しをしながらも、同じ街に住んでいたので、私にとっては、愛着ある買い物場所だった。

ある日、夕方のテレビニュース地方版で、見覚えのあるショッピングセンターが映った。
「あれ?ここは・・・」
そうだ、間違いない。
私が長年お世話になった、あのショッピングセンターだ。
「懐かしい♪」
テレビの画面を見ながら、懐かしんでるのも束の間、
「思い出のショッピングセンターが・・・」
燃えてしまった。火事で燃えてしまったのだ。
自由だった時代の、思い出のショッピングセンターが・・・
田舎に住んでも、気持ちだけは××市民、そんな気になりたくて、自転車の駐輪場を借りて
愛用の自転車を置いてきたが、更新にすら行けなくなって、かろうじて繋がっていた糸すら切れた。
あの時も、「どっぷり田舎に引きずり込まれた気分」になって悲しくなったものだが、
今回の火事のニュースも悲しい気分にさせられた。

田舎に引っ込んで、手鎖足かせはなくなったが、それと引き換えに自由もなくなった。
望んで田舎に住んでるわけではないのだから、当然なのだが馴染めない。
だから「田舎に住みたい」なんていう人の気が知れない。
これまで、ストレスを自覚することが、ほとんどなかった私だが、
最近では、ストレスを感じつつ日々を過ごしている・・・
このイヤーな圧迫感は、私が年齢相応の生活ができないことへの、苛立ちだろうか?
いい加減、落ち着いて、地に足を着け、現実を直視し、堅実な生活を営まなければ
ならないのだろうが、それもできず、年甲斐もなくあがいている、自分への苛立ちだろうか?
いや、そう思わせる‘田舎の人たちの目’が、私を苛立たせているのでは?
そして、私には「住めば都」に何年経ってもなれない苛立ちもある。
生まれた所なのに、どうしても、ここの生活に馴染めないんです。
ここには私の欲する物が何もないし、これまでのキャリアは失われ、仕事のフィールドにもならない。
失う物ばかりで、得るものなど何もない所なのだ。
それだから、帰らざる得なかった自分の境遇を受け入れられずにいる・・・
だからって、親を置いて家を出ても行けない八方塞がりな、やり場のない苛立ち。
自分より、親のことを優先しなければならない、いや、そう洗脳されて育ったため、
自分のための人生を生きることを知らない。
親から離れて自由に生きようとすれば自責の念に囚われる、またそんな自分を嫌悪してしまう・・・
親は親で、私の境遇など「当たり前」としか受け取っていない。
これがまた、心中穏やかではいられないのだ。
犠牲を払わせている感覚など皆無だ。これが田舎人気質というものだろうか?
ま、私自身が‘犠牲を払っている’と言ってしまえば、すべてを否定してしまうことになるし、
そう思っていては、私の人生そのものがおしまいだ。
すべて今が、うまくいってないから、住んでる田舎のせいにしてるだけかもしれない。

どこをみても、どこにもハケグチがないん・・・
ハッ!
もしや、ここがハケグチになってる・・・!?
私、吐いてません・・・?
かなり吐いちゃいましたよね。




11月15日(月)

「西島さん、」

ストレスにさらされながらの生活の中で、西島さんの顔を見ている時は、一瞬心がなごみます。
西島さんをパソコン画面のトップにしている私は、パソコンを立ち上げる度、デレッ、としてしまいます。
思えば、西島さんとの出会いは、偶然でしたね。
悩んでる顔も、翳のある悲しげな顔も、考え事してる顔も、困っている顔も・・・
表情全部がステキです。
笑ったときの、口元が大好きです。
それに、映画が大変お好きとか。
「私もです!」
私たち、きっと何時間でも黙って映画を観続けていられると思うんですよ・・・
余計なことですけど、髪の分け目は右分けのほうが似合うと思います。
てか、どっちにするか決まってないんですね・・・
お会いした時、もし左分けにしてたら、映画の途中で私の手ぐしで右分けに直しちゃうかもです。

















































































俳優さんです





11月30日(火)

「呪文」

ど田舎で育った、私の小学生の頃の話しです。
家から小学校までの通学路は、ほとんどが田んぼ道でした。
ですから、本当は田んぼを斜めに横切れば、最短距離なのですが、
道は田んぼの角を直角に曲がっていますから、なんとなく遠回りしてるように感じるわけです。
冬、田んぼが凍結すると、ガラスのように張った氷を、ゴム長靴でバリバリ割りながら
斜めに突っ切ったものです。楽しかったなー。
けど、斜め歩きができるのは、冬の間だけで、稲があるうちはできません。
・・・今から思えば、距離はぜーんぜん縮まってないのですが、
近道、と称して、他人の家の前を横切り、その隣の家の納屋を経由して出てくる、
そんなルートを子供ながらに編み出したのでした。
どう考えても、別の二辺の直角に変わっただけで、近道でもなんでもないのですが・・・

一緒に歩いてた近所の友だちが
「tuziちゃん、近道していこう!」
と、連れて行ってくれた。
その時!
突然、友だちが「メートーしてくださーい!」と叫んだ。
「え??」
なんだぁ?
今の言葉、なんだぁ?
意味わかんないし!
仕方ない。
私も、意味不明なまま、真似て叫んだ。
メートーしてくださ〜い・・・」
‘メートー’、ってなんだ??
私は友だちに聞くでもなく、その不思議な言葉を、いつまでも考えていた。
ひとりで帰ってくる時は、ふつうの道を歩いているので、他人の家の前を通ることはない。
しかし、友だちと一緒だと、決まって
「近道しよう!」
となって、その呪文を唱えることになるのだ。
なんて言ってるんだろう??
日本語なのに、ぜんぜん聞きとれない。
意味がまったく分からない。
分からないまま、呪文のように唱え、結局、小学校を卒業するまで分からずじまいだった。

大人になって、方言のおもしろさに気づくと、小学校の頃の‘近道の呪文’のことが、
まっさきに浮かんできた。そして、ようやく、あの呪文の意味が理解できたのでした。
‘メートー’
メー=めぇ=前
トー=とお=通
めぇとおしてください=前を通させてください。

・・・いくらなんでも、我が家はここまで訛っていなかったので、
日本語に聞こえなかったのも分からないでもないが、
それにしても、どうして6年間も、友だちに聞かなかったんだろう?
不思議な私・・・
呪文はコテコテの田舎訛りだったのでした・・・




2010.12

12月5日(日)

「2010年・春夏秋冬」


2009年、書道の師匠と合わず、好きだった書道にも行き詰まるようになって、
私は師匠と決別し、独学することにした。
以来、4月の「tuzi now/独学の道」にも書いたように、独り黙々と小さな部屋で書いてきた。
今年の目標は師範になること。
師範になるためには、10科目の課題に合格しなければならない。
1月に課題が発表され、7月に佳良受験のため一泊の講習会に参加し、
そこで5科目まで許される佳良合格を目指す。
残り、5科目は、11月締め切りの本試験で受験する。
本試験は、9月が受験申し込みで佳良以外の科目すべて受験しなければならない規則。
希望者は当番審査員の添削指導を受け、締め切りに間に合うように清書し、郵送受験する。
10科目すべて合格で師範となる・・・

まずは、7月の講習会に向けて、受験5科目を練習、または作品を仕上げておく必要がある。
泊りがけの講習会では、他の先生方との親睦も生まれるだろうし、指摘指導も頂戴できるはず。
講習会での佳良受験は、本試験より合格する率が高く、
大抵は合格することが慣例となっているようだ。
だから、本試験では合格が難しい科目を、講習会で取得しておく人がほとんど。・・・らしい。
が、
それには数万の参加費、加えて5科目分の受験費が必要で、某温泉宿で行われるため
遠方となるため、交通費はもちろん、おいそれと行ける距離ではないのもネックだ。
それと、
7月は太極拳の全国大会があり、とても作品作りに神経を奪われる余裕はない。
私は、一度に複数のことができない性分でもある。
いや、複数のことをする時間はありますよ。太極拳の練習して、書道を書く。
それは、時間的には決して難しいことではありません。
しかし、
精神的に分割されるということが、私は不得手なんですね。
なにかひとつに集中しないと、しかも短期集中型でして。
第一、参加のための数万ものお金がないときてる。
師範を目指す誰もが、佳良を受ける講習会。
それに参加せずに、本試験で10科目受験する。
これは無謀な挑戦にも思えるし、そのような人を私も聞いたことがない。
以前習ってた先生も、師範受験のためには、一泊の講習会に出席するのは必須と語っていたし。
だから、
講習会に参加せずに、本試験だけで受験するということは2年がかり、
3年がかりになるを覚悟せねばならないようで。
それほど一発合格を目指すのは難関のようだった。
しかも、そんな人はなかなかお目にかからないようでもある。
個人登録する際に、事務局の先生も
「師範を目指されるのなら、7月の講習会で佳良がとれますから。
本試験だけで10科目受験するのは難しいですよ」とわざわざ教えてくださったからだ。
てことは、講習会参加は順当なんだろう。そう思った。
事務局の先生も審査員のお一人である。その方がおっしゃるのだから、
本試験で10科目一発合格は到底ムリ、ってことですよね?
ま、ムリでもなんでも、2年がかりでも、3年がかりでも、昨年準師範になった時点で
師範に挑戦することを、私は早々決めていた。
1年で合格が難しいなら、なおさらのこと早く挑戦し始めねば、とも思えた。
私の目標は、師範になることで終わらない。
師範合格は、次なる目標のための通過点に過ぎない。
私は、早く師範になって、次の目標に向いたいのだ。
さて、
受験するとなれば、夏は太極拳の全国大会もあるし、
クーラーのない小部屋で書くことはできないだろうから、
秋に受付が始まる添削指導のための作品を、春のうちに10科目分用意しておこう。
私の計画はこうだ。
まず、太極拳教室の春の発表は見送って、書道に専念。
春のうちに、添削用の作品を書いて、秋に添削を出して、返ってきた添削を見ながら
残り1ヶ月で10科目すべて仕上げる。
私は、課題の勉強も自分ひとりで進めねばならないから、早めに準備にとりかかりたい。
師匠がいれば、そこのところは用意もしてくれるだろうし、尻も叩いてくれるだろう。
でも、私にはそのような存在がいないので、すべて自分でしなければならないし、
すべて自分の責任で進めていかねばならない。
書き始める前の準備段階、構想には、たっぷり時間をかけた。
下準備とイメージさえできてしまえば、あとは書くだけ。
ガーッ、集中して書き続けた。
なんせ、10科目ですから・・・
そうして春は書道一色で過ぎていったのでした。。。




春は書道一色で過ぎた。
もちろん、その間7月の全国大会のことを忘れていたわけではない。
平行して、それなりに練習を始めていた。
が、やはり春の脳内のほとんどは書道が占めていた、といった感じだ。
県大会は昨年の12月だった。
その大会で、私の種目で初めて対抗者が現われた。
私はもともとその大会では、部外者であるから、どう考えても1位にはなれないだろう。
しかも、その種目では先駆者でも、太極拳歴では劣るときてる。
彼女が新たに種目を変えてきたことを考えると、先生について正統に学んできてのことだろう。
とにかく、選手名簿を見ただけで、私はかなり弱気になっていた。
県大会当日、私の予想に反して、驚いたことに私の評価の方が高かった。
長年、この種目で出場していたことが評価されてのことだろうと思う。
この調子で、全国大会でも上位を狙いたいものだ・・・

全国大会当日、練習不足もあるのだが、いろんな人に話しかけたり、話しかけられたりで
私はなかなか集中できずにいた。
出場時間も迫ってきて集中できないことに焦りはじめていた。
そんなことで、気が散漫していた。
出番も最後なので、入場してから集中して練習しようと考えていたが、
こともあろうに、出番直前に話しかけられ、一瞬集中が途切れた。
できれば放っておいて欲しかった。
出番直前に笑顔をつくる、っていうのは良くないものだ。
「・・・これは、いけない」
演技中、意識はクリアなのだが、精彩に欠けた。自分でもそう感じていた。
すべては練習不足だからか?
話しかけられて動揺するようでは、まだまだ甘いってことか?
結果、順位も昨年と似たり寄ったりで、点数は同じに終わった。
それより、なによりショックだったのは、今年初めて出場した同県の選手に抜かれたことだ。
これまでの私の蓄積は、たった一年であっさりと抜かれてしまった。
私のふたつ上に彼女の名前がある。
これに私はショックを隠せなかった。
確かに、彼女は上背もあって、動作も大きく見栄えもする。
私のようにチマチマしてないので、大会受けするだろうとは思っていたが、抜かれるとは!
今年始めた人に抜かれるなんて・・・
もし、こんな事態になるようなことがあったら、来年は出場しない、と決めていたが、
まさかそれが本当になろうとは!
私にも心の油断、抜かれるまではないだろうという欺瞞、根拠のない自信が、
心のどこかにあったのだろう。
相手は同県の彼女ではないはずなのに、意識せずにはいられなかった自分の心の狭さも。
神田明神の勝守りも、泉岳寺の47人分の勝守りも効果なし!
ぜんぶ、私が不甲斐ない、ということ。

落胆しながらも帰りに観た国立博物館の中国文明展も、
時間とともにショックが増幅してきて、ほとんど上の空だった・・・

帰りの新幹線車中で、県連の偉い人と偶然隣り合わせになった。
「隣よろしいですか?」
「ええ・・・あら!」
なんという偶然。
別れ際、「また来年、大会で会いましょう」と。
いやいや、それはないでしょう。
いちいち、こんなことでショック受けてたら、新人が次々と出場し、若返りの早い競技大会で、
選手としてやっていけないだろ!勝負の世界は厳しいんだ!とお叱りを受けそうですが、
経験の浅い者に抜かれた、私のこの屈辱的な気持ちもわかってくださいませんかね?
そんなわけで太極拳に賭けた夏は、屈辱一色におわったのでした・・・




猛烈な暑さが印象に残る夏も、ようやく終息に向おうとしていた。
いよいよ書道の師範試験本番の秋到来である。
今年、私が一番力を入れているのが、この師範試験であり、気合を入れて春から準備を始めている。
短期集中型の私にとって、10ヶ月近くかけての受験は、かなりの長丁場である。

試験は、受験番号の申請で与えられた受験番号を作品に入れ、番号だけで名前は書かない。
受験番号が与えられてすぐに、私は各科目の先生方に添削にだした。
添削してもらう作品は、春のうちに仕上げておいたので、受付が始まってすぐに送ることができた。
科目によって、担当される先生が違うので、4人の先生方に10科目分一気に送った。
添削申請書には、師匠名を記入する欄があったが、もちろん空欄である・・・

各先生方から、添削されて続々と返信されて返ってくる。
私は、それで指摘されたところを直して、清書にとりかかる・・・
申請書には、細かな指摘指導が書き込んであるのだが、先生方が口をそろえてのコメントに、
「師匠名が抜けてます」
「師匠名が空欄です」
他には、師匠がいるものと想定してか、
「先生にどうぞ、宜しくお伝え下さい」とも。
ギョッ!
師匠いないし・・・
ある先生からはお電話まで頂戴した。
「師匠はどなたですか?」
「あの・・・いないのです・・・」
「 ・ ・ ・ ・ ・ そ、う」
電話の向こうで、困惑した様子がうかがえる。それでも気を取り直して、
「それで、今回何科目受験なさるの?」
「10科目です」
「ううっ、、、7月の講習会には?佳良は取ってあるの?」
「都合がありまして参加できませんでした」
「 ・ ・ ・ ・ ・ そ、う」
明らかに動揺してますね。
これで、いかに師匠もおらずに受けることの無謀さ、
佳良なしで10科目本試験受験の前代未聞さが、ヒシヒシと電話口から伝わるというもの。
でも、先生方は、とても親切で、「私の教室からも受験する人がいるから、見学にでもいらっしゃい」
「いつでも、判らないことがあったら電話して」と言って下さったり、
わざわざ書道用紙を同封してくださった先生もおられた。
いろいろと面倒をみていただきました。頭の下がる思いです。

締め切りまであと、1ヶ月ちょっと。
書きます。
10科目耳そろえて提出します。
毎日書いて、洗濯物のように部屋中にぶら下げて、乾いては取り込み・・・
書いては、干して、乾いては取り込み・・・

それと平行して、11月初めに催される、太極拳の舞台発表。
その準備もあった。
今回は7分半の套路を作ったので、私も気を抜けなかった。
加えて、ひとりでの演目もあって、しかも新たに套路を覚えねばならない新種目。
10月は書道に、舞台発表にと、2部構成で慌しく過ぎたのでした・・・

11月初めの舞台発表が済んで、次は11月下旬の師範の締め切りを残すのみ。
10月中に、ひと通り仕上げておいたのだが、提出する作品を選ぶのも、一仕事である。
なんせ、低レベルの争いだから。
作品並べて「レベル低〜・・・」と、つぶやく私。
完璧に書くことはありえないにしても、もう少しどうにかならんかね。
そう思って、再挑戦。書いてみる。
書き直してはみるものの、あちらを立てれば、こちらが立たずで、うまくいかないものだ。
引きずっても、紙と墨のムダ!
どこかで線引きをしないと、書き損じばかりを増やすことになる。
締め切りまで、あと一週間。
粘って書き直そうと思えば時間はある。
が、どこかで想いを断ち切らないと、ズルズルと・・・
ここで、師匠でもいれば、「もう少し」とか、「これでよし」とか、決断をしてくれるのだろうが、
独りの私は、その決断を下すのも、私自身なのだ。
結局、最初のほうに書いた作品の方が、勢い良かったりしている。
えてしてそういうものだ。
私は早々、郵送の準備に取り掛かった。このまま、置いておくから悩むのだ。
「だしちゃえ、だしちゃえー」
締め切りに遅れるより、早いほうがよいではないか、と変な理由をつけて、
「この人、諦めが早いのね」
と、思われても、もはやよいのだ。
えいやっ!
投函!
かなりの猶予を残して、締め切り3日前には到着していただろう。
一番乗りだったかもしれない・・・(爆)

投函してしまえば、あとは‘まな板の上の鯉’
リアルに申せば、
‘小さなまな板にのせられた、落っこちそうなくらい丸々と太った鯉’ってとこですかね。

・・・どうだろう?
添削での評価もまずまずで、そう悪くはなかったんだけど・・・。
・・・どうだろう?
秋は、コイの季節です。




猛烈な暑さが印象に残る夏も、喉元過ぎればなんとやら・・・
太極拳の舞台発表も済んで、師範試験の提出も済んで、気分は「今年も終わったニャー」てな感じ。
一年が年々短く感じるようになった私ですが、
今年はさらにさらにあっ、という間に過ぎてしまいました。
照準が11月下旬の師範提出に合わせてのスタートだったからかもしれませんね。
提出が済んでしまうと、気も楽〜♪になって、ずいぶん前から予定していた
友人のフラメンコの発表会も、心置きなく楽しむことができました。
一緒に観に行った友人を、帰りがけ夕飯に誘ったけど、あっさりふられちゃったけど・・・
独りもんは私だけのようです・・・冬ですね。
寒いです・・・

12月初めの太極拳の県大会、有言実行で、なんていうとカッコいいけど、
そういうんじゃなくて、競技大会ともなれば、3ヶ月は調整にかけたいじゃない?
申し込みは7月末で、その時はまだ全国大会の屈辱感から抜け出せずにいたし、
練習を積まねばならない秋は、書道の師範試験に賭けていたこともあって、
今年の出場は見送ることに。
よって、県からの要請がなければ、来年の全国大会の出場もなくなっちゃいました。

ところで、太極拳を欠場してまで優先させた師範の結果が、そろそろ届くはずなんですけど。
郵便が届くたびに、今日か明日かと・・・
12月に入って、待ちに待った結果が届きました。
合計点数800点以上なら合格です。
寒い結果にならなければよいのですが・・・
































































































合格です。

800点ジャストのギリ合格です。
よかったぁ〜♪
これで今年も終わったね。
目標達成で、なんとか好い結果で締めくくることができて嬉しいです♪
教室開設の方向で追々と・・・
とはいえ、師範になっとはいえ、いまのところ教室の見通しはまったくなし。
・・・てか、習いたいという人も見当たらないし。
それに、師範はまだまだ通過点。
今後の目標達成にかかる出費は、これまでと比べものにならないほど膨大になるはず。
ううっ・・・さぶっ。
・・・心も、フトコロも寒〜い冬なのでした。



12月15日(水)

「今年の漢字2010」

2010年は、書道の師範になる、という目標を持って過ごした一年だった。
一年間を、目標持って過ごしたことなど、これまでなかったように思う。
例えば、受験とかありそうなものだけど、私は受験勉強とか、試験勉強とか、
これまで意識して、した例(ためし)がない。
だから、今年のように目標があるということなど、初めての経験かもしれません。
そうですっ。
要するに、ボンヤリ生きてきたんです・・・
今年一年、目標に向って過ごしてみて、達成感も得られましたし、
こういった緊張感を持って生きるのも好いものだと感じました。

ところで、今年も清水寺で「今年の漢字」が発表されました。

今年の猛暑を象徴する、セレクトで2010年をあらわすぴったりの文字だったと思います。
行書体で書かれた字体もステキでしたね。

そこで!
私も昨年に引き続き、発表したいと思います。

ジャジャーン!










































































シュツ・でる

出費のシュツ。
吐き出すのデ。
入ってくるものがなくて、出してばかりの一年・・・
でも、ま、‘失った’わけじゃないから、良しとせねばなるまいが。
来年は、今年出したものを挽回すべく一年にしたい。
いやいや、「したい」なんて消極的なことではイカン!
挽回するぞーっ!
おいコラッ!声が小さいっ!
挽回するぞーっ!

やれやれ、どうなることやら・・・